記録ID: 7314095
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
紀泉高原
葛城二十八宿経塚巡行【復刻版】根本道場 犬鳴山七宝瀧寺 から牛滝山大威徳寺
2015年10月08日(木) [日帰り]
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- GPS
- --:--
- 距離
- 13.8km
- 登り
- 940m
- 下り
- 806m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:28
- 休憩
- 2:17
- 合計
- 7:45
8:55
52分
8:55総門
9:47
10:02
20分
9:47身代不動広場■10:02
10:22
10:34
0分
10:22蛇腹入口10:34
10:34
10:45
5分
10:45燈明ヶ岳分岐
10:50
5分
10:50奥之院石宝殿
10:55
9分
10:55第8番経塚
11:04
11:30
7分
11:04天狗岳分岐○11:30
11:37
12分
11:37天狗岳
11:49
23分
11:49大天上ヶ岳分岐
12:30
12:40
19分
12:30大タワ■12:40
12:59
16分
12:59紀泉高原スカイライン粉河分岐
13:15
13:28
10分
13:15ハイランドパーク粉河■13:28
13:38
13:28
42分
13:38ログハウス
14:10
4分
14:10葛城山展望塔
14:14
14:20
1分
14:14龍王神社、葛城神社14:20
14:21
14:45
3分
14:14龍王神社、葛城神社14:20
14:48
17分
14:48遊歩道入口
15:41
15:49
3分
15:41九丁地蔵下■15:49
16:04
16:16
4分
16:04大威徳寺16:16
16:20
犬鳴山の燈明ヶ岳にあるという「妙法蓮華経五百弟子受記品第八経塚」から大タワ、五本松経由葛城山頂の第九経塚、山を降りて牛瀧山大威徳寺の第十経塚をめぐる。
犬鳴山は七宝瀧寺を中心として、葛城修験道の根本道場であるということは知っていたが、それ以上の知識はなく、七宝瀧寺は第八−九−十経塚と巡行する道筋くらいに考えていた。しかし、参道を歩いているとそうもいかなくなってきた。行場をめぐるとなると「通過」という気持ではダメだ。今回は本堂までの逍遥にとどめておこう。
七宝瀧寺の公式サイトによると、葛城峯中の奥の院とも呼ばれ、城二十八宿修験道の根本道場であり、真言宗犬鳴派の大本山でもある。
斎明天王の7年(西暦661年)、役小角が28歳の時に開基された。大峰山より6年早く開山されたので、元山上と呼ばれる。本尊は「倶利伽羅大竜王」。役行者は当山で、国家案穏、五穀豊穣、緒人快楽の密法を修せらたという。
明治時代には廃仏毀釈と共に修験道が禁止され大打撃を受けたが、本格的な復興は戦後になったという。昭和二十五年八月七日には、往時の宗教体制に還り、新たに真言宗犬鳴派を公唱、葛城修験道の根本道場として修験道部を置くなど再興を見つつある。
控えめに「再興を見つつある」と自戒をこめた書きぶりである。再興途中なのだ。その再興とは?
犬鳴山は七宝瀧寺を中心として、葛城修験道の根本道場であるということは知っていたが、それ以上の知識はなく、七宝瀧寺は第八−九−十経塚と巡行する道筋くらいに考えていた。しかし、参道を歩いているとそうもいかなくなってきた。行場をめぐるとなると「通過」という気持ではダメだ。今回は本堂までの逍遥にとどめておこう。
七宝瀧寺の公式サイトによると、葛城峯中の奥の院とも呼ばれ、城二十八宿修験道の根本道場であり、真言宗犬鳴派の大本山でもある。
斎明天王の7年(西暦661年)、役小角が28歳の時に開基された。大峰山より6年早く開山されたので、元山上と呼ばれる。本尊は「倶利伽羅大竜王」。役行者は当山で、国家案穏、五穀豊穣、緒人快楽の密法を修せらたという。
明治時代には廃仏毀釈と共に修験道が禁止され大打撃を受けたが、本格的な復興は戦後になったという。昭和二十五年八月七日には、往時の宗教体制に還り、新たに真言宗犬鳴派を公唱、葛城修験道の根本道場として修験道部を置くなど再興を見つつある。
控えめに「再興を見つつある」と自戒をこめた書きぶりである。再興途中なのだ。その再興とは?
過去天気図(気象庁) | 2015年10月の天気図 |
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アクセス |
写真
■朝、5時15分起きで6時出発。犬鳴山バス停に着いたら8:20頃だった。今日は眠たい。身仕度をして出発。温泉街を通り抜ける。まだ静まり返っている。
■総門(8:54)
此れより霊域
両界の滝 百五十七米
山門 三百八十一米
本堂 九百五十九米
かなり細かい記述だが、さすがに厳かな感じがする。
■総門(8:54)
此れより霊域
両界の滝 百五十七米
山門 三百八十一米
本堂 九百五十九米
かなり細かい記述だが、さすがに厳かな感じがする。
■瑞龍門(9:07)
また門があった。これが山門。
瑞龍門をくぐったところに、大阪府が昭和十四年に史蹟名勝天然記念物に指定した看板があった。
役小角の開基と伝えられる
古刹七寶滝寺を中心とせる一連の地区は
和泉砂岩層が水蝕によりて大木川の渓谷
をなき岩質の硬軟層位の状態より両界滝
等の七飛瀑となり奇巌碧渾は春花秋樹と
犬鳴山の名は寛平年間の義犬の伝説によ
るといふ。
大阪府史蹟名勝天然記念物等
保存顕彰規定に依り名勝として指定す
昭和十四年二月六日
大阪府
また門があった。これが山門。
瑞龍門をくぐったところに、大阪府が昭和十四年に史蹟名勝天然記念物に指定した看板があった。
役小角の開基と伝えられる
古刹七寶滝寺を中心とせる一連の地区は
和泉砂岩層が水蝕によりて大木川の渓谷
をなき岩質の硬軟層位の状態より両界滝
等の七飛瀑となり奇巌碧渾は春花秋樹と
犬鳴山の名は寛平年間の義犬の伝説によ
るといふ。
大阪府史蹟名勝天然記念物等
保存顕彰規定に依り名勝として指定す
昭和十四年二月六日
大阪府
■神明橋を渡ると・・そこは別世界!
渡ってビックリ、今までの厳かな(公式的な)雰囲気とは全く違った様相を呈している。なんでもあり、来るものは拒まずの神様仏様テーマパークとでもいおうか。
渡ってビックリ、今までの厳かな(公式的な)雰囲気とは全く違った様相を呈している。なんでもあり、来るものは拒まずの神様仏様テーマパークとでもいおうか。
ご本尊のシンボルと一体に塩屋善兵衛さんの心願成就の碑がセットされているというのはよほど大切なエピソードなのだろう。
もう本堂下まで来ている。最初の総門、行者門あたりの荘厳さとくらべると徹頭徹尾庶民的で世俗的でもある。現世のご利益をさかんにアピールしている。この落差にはめんくらった。義犬伝説と塩屋善兵衛さんの心願成就の碑文、それと現世利益の神々に関して思うところがあったので、別途コメントを用意した。
もう本堂下まで来ている。最初の総門、行者門あたりの荘厳さとくらべると徹頭徹尾庶民的で世俗的でもある。現世のご利益をさかんにアピールしている。この落差にはめんくらった。義犬伝説と塩屋善兵衛さんの心願成就の碑文、それと現世利益の神々に関して思うところがあったので、別途コメントを用意した。
七宝瀧寺の境内で時間を取り過ぎた。色々なものがあり過ぎて、吸収するのに時間がかかるし、全部を吸収できた訳でもない。これから山登りだ。山登りは低い山でもしんどいものはしんどい。その良さはしんどさによって、無心になれることかと思う。
■身代り不動明王
これだけ大きいと犬鳴山のシンボルのようになっている。行者道は身代わり不動明王の横、役行者像の後ろに回り込んで登って行く。ご挨拶をして出発。(10:02)
■身代り不動明王
これだけ大きいと犬鳴山のシンボルのようになっている。行者道は身代わり不動明王の横、役行者像の後ろに回り込んで登って行く。ご挨拶をして出発。(10:02)
■葛城修験犬鳴山内二十八宿第十一番 義犬伝説蛇腹(10:22)
ここは重要なポイントのようだ。鳥居をくぐっていくとゴーロの枯谷があったが、それが「蛇腹」らしい。
しかし、写真はない。実をいうとカメラ(XZ-2)が不調になった。シャッターがおりない。おりてもパイロットランプが点滅して、レンズが伸縮してシャットダウンしてしまう。電源は入るのだが、同じ症状が続く。肝心なところで頼りにならん。
ここは重要なポイントのようだ。鳥居をくぐっていくとゴーロの枯谷があったが、それが「蛇腹」らしい。
しかし、写真はない。実をいうとカメラ(XZ-2)が不調になった。シャッターがおりない。おりてもパイロットランプが点滅して、レンズが伸縮してシャットダウンしてしまう。電源は入るのだが、同じ症状が続く。肝心なところで頼りにならん。
10分ほどいじっていたが、らちがあかないので一眼を出した。本当はこの一眼(E-PM1中古)をテストを兼ねて今日のメインカメラにしようと思っていたのだ。テストといっても、全自動でシャッターを押すだけなのだが。とにかくカメラは変えた。
蛇腹について、下の駐車広場にあった案内マップではここが「裏行場」の入口のように書いてあった。はて、裏行場は行者の滝のところから南の大天上ヶ岳に登る急坂と理解しているのだが、この蛇腹谷も裏行場なのか?それともココから入って、大天上ヶ岳まで回って滝までおりる周回が裏行場なのか?
蛇腹について、下の駐車広場にあった案内マップではここが「裏行場」の入口のように書いてあった。はて、裏行場は行者の滝のところから南の大天上ヶ岳に登る急坂と理解しているのだが、この蛇腹谷も裏行場なのか?それともココから入って、大天上ヶ岳まで回って滝までおりる周回が裏行場なのか?
■とりあえず登って行く。蛇腹の鳥居から10分ちょっとで分岐道標が現れた。(10:45)
道標をみると、燈明ヶ岳には奥の院石宝殿、護摩場があり、第8番経塚は経塚権現山にあるという。そうすると第8番経塚に関するタイトル等も修正せねばならないが、とりあえずはそのままにしておく。
ここは右に行き、奥の院経由で行くことにする。
道標をみると、燈明ヶ岳には奥の院石宝殿、護摩場があり、第8番経塚は経塚権現山にあるという。そうすると第8番経塚に関するタイトル等も修正せねばならないが、とりあえずはそのままにしておく。
ここは右に行き、奥の院経由で行くことにする。
■奥の院石宝殿がある(10:50)。立派な祠だ。ここで護摩法要が行われるようだ。
地理院地図を見ると、本堂下からの破線路が描かれていて、途中で西にトラバースして行き、560mピーク(ここが経塚権現山らしい)の尾根のでっぱりにあるピークのようだ。
地理院地図を見ると、本堂下からの破線路が描かれていて、途中で西にトラバースして行き、560mピーク(ここが経塚権現山らしい)の尾根のでっぱりにあるピークのようだ。
■経塚権現山(10:55)
燈明ヶ岳・奥の院から5、6分で経塚についた。あまり登った記憶はないので、標高は燈明ヶ岳とあまり変らない気がする。
燈篭の後ろに「葛城修験犬鳴山内二十八宿 第十四番 経塚大権現」の石碑が建っている。ここが経塚権現山だろう。
燈明ヶ岳・奥の院から5、6分で経塚についた。あまり登った記憶はないので、標高は燈明ヶ岳とあまり変らない気がする。
燈篭の後ろに「葛城修験犬鳴山内二十八宿 第十四番 経塚大権現」の石碑が建っている。ここが経塚権現山だろう。
■大天上ヶ岳到着(12:12)
山名板があるが、間違っているものは回収しましょう。ここは犬鳴山の流儀にしたがって「大天上ヶ岳」とすべきだ。WEBのレポートを見ても、「大天井ヶ岳」と書いているのがやたら多い。
山名板があるが、間違っているものは回収しましょう。ここは犬鳴山の流儀にしたがって「大天上ヶ岳」とすべきだ。WEBのレポートを見ても、「大天井ヶ岳」と書いているのがやたら多い。
巻いて歩いて,大タワ着(12:30)
さらにここで10分休憩。
なかなか心引かれる第八番経塚だった。しかしそれ以上に印象に残ったのは天狗さんだ。リアルというか、架空の存在なのでリアルなはずはないのだが、何か話しかけられているような気分になった。季節を変えて再度来てもいいかな。
12:40、大タワ出発。日陰では少し寒いくらいだったが、日向を歩くと暑い。
さらにここで10分休憩。
なかなか心引かれる第八番経塚だった。しかしそれ以上に印象に残ったのは天狗さんだ。リアルというか、架空の存在なのでリアルなはずはないのだが、何か話しかけられているような気分になった。季節を変えて再度来てもいいかな。
12:40、大タワ出発。日陰では少し寒いくらいだったが、日向を歩くと暑い。
スカイライン歩きはクルマも少なく歩きやすいのではあるが、おもしろくはない。おもしろくはない道だが、道端には秋の植物が花の時期を迎えている。本来は花でも愛でながら歩けばいいのだが、そこまでの余裕はない。修行が足りないといえばそのとおりなのだが。しかし、花も貧相だ。
■紀泉高原スカイライン粉河分岐(12:59)
中津川、あるいは志野峠、松峠方面からくるスカイラインだ。かつては重要な巡礼道だった。次回はここを歩くことになるだろう。
■紀泉高原スカイライン粉河分岐(12:59)
中津川、あるいは志野峠、松峠方面からくるスカイラインだ。かつては重要な巡礼道だった。次回はここを歩くことになるだろう。
谷の向うに尾根を切り開いたところが見えた。多分キャンプ場だろう。エライ低いところに作ったものだ。ハイランドパークは見晴らしが売り物みたいだが、そこには駐車場、レストランがあるだけで、泊まる客はえらく冷遇されたものだ。
■ハイランドパーク粉河の管理事務所についた(13:15)
地元・粉河の農産物などの販売をやっているようだ。2Fはレストランだ。休憩処、トイレ、自動販売機などがある。山の上に補給できるところがあるのはありがたい。電話で聞いた限りでは10月いっぱいは営業、11月は天候次第で休業となることもある。
地元・粉河の農産物などの販売をやっているようだ。2Fはレストランだ。休憩処、トイレ、自動販売機などがある。山の上に補給できるところがあるのはありがたい。電話で聞いた限りでは10月いっぱいは営業、11月は天候次第で休業となることもある。
ログハウス(13:38)
コーヒーとか、カレーとか案内してあったが、土日でも本当に営業してるんだろうか?対面にはキャンプ場の案内もあった。はて、2コあるのか。後日調べてみると、ここに案内されるケースもあった。使い分けがよくわからない。
コーヒーとか、カレーとか案内してあったが、土日でも本当に営業してるんだろうか?対面にはキャンプ場の案内もあった。はて、2コあるのか。後日調べてみると、ここに案内されるケースもあった。使い分けがよくわからない。
どちらも泉州側の葛城神社の説明だった。葛城神社は葛城一言主命と八大龍王を祀っている。泉州の麓(五ケ庄;塔原、相川、河合、蕎原、木積)の大切な神社ということだった。
ここには背中合わせに2つの社/祠があり、北側が葛城神社、南側(紀州側)が八大龍王を祀る龍王神社である。紀州側の龍王神社の説明がないので、なぜ同じような神社が背中合わせにあるのか、いまいちよくわからない。
ここには背中合わせに2つの社/祠があり、北側が葛城神社、南側(紀州側)が八大龍王を祀る龍王神社である。紀州側の龍王神社の説明がないので、なぜ同じような神社が背中合わせにあるのか、いまいちよくわからない。
石祠。この中に金剛童子碑が納められているという。この石祠が第9番経塚、妙法蓮華経 授学無学人記品。
文献によっては、龍宿、龍多輪、嶺の龍王、金剛童子祠などと称されている。こういう詳しい由緒など現地では分からないことが多い。
文献によっては、龍宿、龍多輪、嶺の龍王、金剛童子祠などと称されている。こういう詳しい由緒など現地では分からないことが多い。
背中合わせにある葛城神社では、一人の信者さんが一心に般若心経を唱えていた。少し後ろに下がって聴いていたが、相当速い!ボクは本があればゆっくりではあるが唱えることもできるが、むちゃくちゃ速くて、本があってもついてはいけない。行者の格好ではなかったが、プロまたはそれに準ずる人だろう。速くてついては行けないが、リズム感のある唱え方で、聴いていても心地よい。終わるまでまって、ご挨拶して、お参りしておいた。
■とりあえず山頂広場に降りて休憩(14:21ー14:45)
ここのロケーションはすこぶる良い。見晴らしは最高。トイレ、東屋、ベンチもある。水道もある(飲用ではないと書いてあったが)。以前は売店もあってキャンプ場もあったようだが、いまは閉鎖されている。
ここのロケーションはすこぶる良い。見晴らしは最高。トイレ、東屋、ベンチもある。水道もある(飲用ではないと書いてあったが)。以前は売店もあってキャンプ場もあったようだが、いまは閉鎖されている。
変なものは健康広場にあったイボイボのついた周回路。こんなもの山登りに来て誰がするか!
登山者から言えば、テントが張れて、水、トイレがあって、万が一の場合の避難小屋があればもうベストなのだが。ここでテントを張りたいが、それは無理やろうなあ?そのくせ駐車場は3面ほどあった。駐車して車中泊ならよいのか?どちらが環境負荷が多いのか知らないが、徒歩登山者は基本的に対象外というのが見え隠れする。ここは泉州は岸和田市、貝塚市、紀州は紀の川市、少し東に行けばかつらぎ町の境界が集まっているところで、それぞれが施設を作っているのだろう。ブナの保全が必要なら少し離れたところにでも共同で施設をつくればいいものを。
登山者から言えば、テントが張れて、水、トイレがあって、万が一の場合の避難小屋があればもうベストなのだが。ここでテントを張りたいが、それは無理やろうなあ?そのくせ駐車場は3面ほどあった。駐車して車中泊ならよいのか?どちらが環境負荷が多いのか知らないが、徒歩登山者は基本的に対象外というのが見え隠れする。ここは泉州は岸和田市、貝塚市、紀州は紀の川市、少し東に行けばかつらぎ町の境界が集まっているところで、それぞれが施設を作っているのだろう。ブナの保全が必要なら少し離れたところにでも共同で施設をつくればいいものを。
時間も時間なので牛瀧山に降りる。牛瀧山大威徳寺が第10番の経塚だ。
牛瀧山へは単に山道があるだけだと思っていたら、そこは「地蔵さんのみち」とか、「牛瀧山丁石地蔵を訪ねるみち(これは近畿自然歩道)」と設定されていて、丁石としての地蔵さんがあるらしい。事前にそんなことまでは調べていなかった。巡礼としては、地蔵さんの道とセットで牛瀧山の経塚を訪ねるべきだろう。
14:45出発。なんとか4時までには降りられるだろう。
牛瀧山へは単に山道があるだけだと思っていたら、そこは「地蔵さんのみち」とか、「牛瀧山丁石地蔵を訪ねるみち(これは近畿自然歩道)」と設定されていて、丁石としての地蔵さんがあるらしい。事前にそんなことまでは調べていなかった。巡礼としては、地蔵さんの道とセットで牛瀧山の経塚を訪ねるべきだろう。
14:45出発。なんとか4時までには降りられるだろう。
20分歩いた頃に、二十一丁地蔵が現れた(15:05)
ここから「地蔵さん登山道」が始まる。いくら何でも途中までしか地蔵さんがいないというのはおかしい。ということは、尾根伝いに地蔵さんが配置されていたのが、それはどこへ行ったのか?この地蔵群は享保年間のものらしい。貴重なものが散逸した。
岸和田市のサイトでは、葛城山の頂上付近のブナ林の中に三十一丁地蔵があるそうな。最初に調べておくんだった。
https://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/3/100sen-98katsuragikyutozando.html
ここから「地蔵さん登山道」が始まる。いくら何でも途中までしか地蔵さんがいないというのはおかしい。ということは、尾根伝いに地蔵さんが配置されていたのが、それはどこへ行ったのか?この地蔵群は享保年間のものらしい。貴重なものが散逸した。
岸和田市のサイトでは、葛城山の頂上付近のブナ林の中に三十一丁地蔵があるそうな。最初に調べておくんだった。
https://www.city.kishiwada.osaka.jp/soshiki/3/100sen-98katsuragikyutozando.html
その横にはお地蔵さんと牛さん
お地蔵さんには「是より葛城嶺まで三十一丁」と彫られている。享保十八年三月の文字も読める。さしずめ、零丁石というべきか。丁石道の起点を示すお地蔵さんだ。
牛さんについては、牛瀧山だからねえ。その昔、比叡山の学僧であった恵亮が、「三の滝」での修行中に滝の中から牛に乗った大威徳明王が現れたのを見、その姿を彫って本尊として祀ったのが由来とされている。
お地蔵さんには「是より葛城嶺まで三十一丁」と彫られている。享保十八年三月の文字も読める。さしずめ、零丁石というべきか。丁石道の起点を示すお地蔵さんだ。
牛さんについては、牛瀧山だからねえ。その昔、比叡山の学僧であった恵亮が、「三の滝」での修行中に滝の中から牛に乗った大威徳明王が現れたのを見、その姿を彫って本尊として祀ったのが由来とされている。
■これが経塚 第10番妙法蓮華経 法師品
経塚の上に作られた銘板について、これはあかんでしょう。少し離れたところに立て札(もちろんお寺の許可を得て)をするならともかく、文化財に接して設置するなどは落書きと同じと思う。道標とは違うんだから。
経塚の上に作られた銘板について、これはあかんでしょう。少し離れたところに立て札(もちろんお寺の許可を得て)をするならともかく、文化財に接して設置するなどは落書きと同じと思う。道標とは違うんだから。
大威徳寺を辞去(16:15)山門を振り返ると経塚が見えた。
大威徳寺と聞いただけで、居丈高で何か偉そうなお寺と思っていたが、まったくそうではなかった。ことさらに豪華絢爛を主張するでもなく、清楚、瀟洒のなかに威厳は感じる。このお寺は気に入った。また来ることもあるだろうが、気軽に来るのはちょっと遠い。
大威徳寺と聞いただけで、居丈高で何か偉そうなお寺と思っていたが、まったくそうではなかった。ことさらに豪華絢爛を主張するでもなく、清楚、瀟洒のなかに威厳は感じる。このお寺は気に入った。また来ることもあるだろうが、気軽に来るのはちょっと遠い。
犬の散歩をしているおばあさんが現れた。
「バス待ちか?」
ええ、40分らしいです。
「バスも少のなってなあ、1日に5本しかあらへん」「みんなクルマで来てクルマで帰ってしまう」
「葛城山いってきたん?」
ええ、犬鳴山から、経塚を巡ってるんです
「経塚は知らんなあ」
「ここはモミジがきれいなんやで」
おばあさん、ちょっと寂しそうだった。
大きなバスの待合所があった。往時はここがいっぱいになるほどだったのだろう。モミジの最盛期でも、ここが一杯になるんだろうか?
「バス待ちか?」
ええ、40分らしいです。
「バスも少のなってなあ、1日に5本しかあらへん」「みんなクルマで来てクルマで帰ってしまう」
「葛城山いってきたん?」
ええ、犬鳴山から、経塚を巡ってるんです
「経塚は知らんなあ」
「ここはモミジがきれいなんやで」
おばあさん、ちょっと寂しそうだった。
大きなバスの待合所があった。往時はここがいっぱいになるほどだったのだろう。モミジの最盛期でも、ここが一杯になるんだろうか?
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