アルプス冒険学校・ユングフラウ〜白馬岳登頂
- GPS
- 104:00
- 距離
- 20.9km
- 登り
- 1,731m
- 下り
- 1,724m
コースタイム
天候 | 8月2日台風5号が宮崎県に上陸し接近中だが、大町付近は未だ平穏。 8月3日台風接近中で風強く視界悪い。白馬乗鞍岳からは台風の風を受ける 8月4日台風5号の風は西から北東に変わるも1日中強風吹き荒れ、雨が混じる。夕刻やっと風が収まりやや晴れる。 8月5日やっと好天 |
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過去天気図(気象庁) | 2007年08月の天気図 |
アクセス | 広島からは新幹線と夜行バス。富山からの参加者は両親が送迎,県内の子どもは車で⇒大町⇒栂池へ。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
一般的な注意を要する点以外,特になし |
写真
感想
女性ばかりの登山隊〜ユング・フラウと命名・・・白馬岳冒険学校
2007年8月2日(目)
小学4年のRey,5年のSino、中学2年のMoe、高校2年のNozomiの4名が大町市の森のくらしの郷に集合。今夜はアジアハウスと言う手作りの小屋に泊まる。4人は全員が初対面同士。今夜のメニューは焼肉
今日から6日までのアルプス冒険学校の参加者は8名。そのうち,スタッフを含む6名までが女性と言う女性中心の登山隊となった。
内訳は小学4年生,5年生の女児各1名,中学2年と高校2年生の女子生徒各1名。スタッフとして参加する若い女性2名の計6名。よってユング・フラウ名づける。男性スタッフ2名を合わせて4人のスタッフで4人の子ども達の白馬岳登頂をサポートする。
広島から参加の3名は京都で合流して夜行バスに乗ったとのメールが入った。ラジオのニュースによると、台風5号が宮崎県に上陸した影響で広島発の新幹線は止まったとのこと。Sabは足止めを食らう寸前に広島を離れる事ができたようで、ヒヤヒヤのスタートとなる。3日朝7時過ぎに栂池に着く予定とのこと。
一方、森くらでは初対面同士が今夜と明朝の食事について相談し町のスーパーへ買い出しに。夜は焼き肉、朝はお茶漬けやお粥、ふりかけで手早くすまそうと言うことになり、3日夜のレトルトと5日朝のスパゲティのソースも買い込む。
格安の肉を見つけ、大安売りのスイカも買って大満足で引き上げ、さっそく火起こし。備え付けのカマドで火を焚き、森くらの鉄板を借りてキャベツ、ピーマン、タマネギと共に肉を焼いてご飯が炊き上がるのも待ちきれず食べ始める。
肉も野菜もたっぷりあってご飯の入る余地がないほどたらふく食べ、別腹でスイカもしっかり頂いて腹ごなしに水を汲み往復2km・・,後は寝るだけとなる・・と言ってもまだ20時。
台風5号の動向が気になるが今のところ平静。
8月3日(金)
5時起床,寝過ごした! 朝の食事を簡単なものにしておいてよかった。大急ぎで食べて出してパッキングして6:10出発。6:50栂池ゴンドラ駅着。広島から来る3人のスタッフのバスが予定より早く着いて待ってくれていた。
テントを2つにするか3つ持っていくかで迷ったが3つにする。スタッフで分担しても入りきらない荷物はアタックザックに詰め込んで前から腕を通し、ダブルリュックで行く。
7:55栂池発,ゴンドラを乗り継いで8:35山頂駅。9:00から歩き始める。
栂の森の水場
栂池登山口からの入山は最初の休憩場所の選択が難しい。50分ほど頑張ると『栂の森の水場』と言う超特級の水場がある。そこまで出来るだけ休みたくないが、始めのこの50分はかなりきつい。
普通は始めだけ30分ほど歩いて体調や荷物の不具合を点検し、その次からは50分ペースで歩くのだが、そうすると2つ目の休憩地点の選択が難しくなる・・,と言うより2つ目は天狗原の休憩所まで行ってしまい、この天恵の甘露を飲まずに通過することになる。
栂池から登ってこの水場を素通りすることは白馬岳に対してあまりにも失礼と言うものであると私は信じているし、ここまで来てポリタンクを満タンにすればよいとも考えている。
だが、本当のねらいはあえて休まず50分引っ張ることにある。相手が初心者の子どもであろうとも、甘いことを言ってやさしくやさしくご機嫌をとり、おだてながら登らせる気はさらさらない。
いきなりの50分でその山行に対する覚悟を決めてもらわなければその先はないのだ。最初のこの50分で、それぞれの持っている体力的,精神的な力量が見えて来るし、抱えている様々な弱点や問題点の一端を見出すことが出来る。もちろんそれは経験豊富なスタッフが後ろを固めてくれているという保障があってのことである。悪く言えば後ろに丸投げし、はね任してどんどんと先を行く。9:50から水場で休憩。
天狗原から白馬乗鞍へ
10:15発,やや傾斜がきつくなり、ガラ場も現れて高山っぽくなるとまもなく天狗原の木道に出る。10:40,広い板張りの休憩所を通過し、10:55風吹大池への分岐点に当たる三叉路で荷を降ろす。
後続を待つ間に、3人の若者を引き連れて登ってくる我が『シロウマ学』の師である尾沢洋さんに会う。今日は3人を大池まで案内して下山し、明日また別の方を案内をするのだと言う。私達の計画を地方紙の紙上で知っていて、『山ノ神尾根の道は一度は草刈りをしたものの薮が濃いので心配していた』と言う。
栂の森の水場に入れ替わって登ってきた小学生の大集団が先に乗鞍の登りに入ったので少し間隔を置き、11:15に乗鞍への岩場の道に向かう。
乗鞍への登りは、前半は両側を深い薮で覆われた岩だらけの沢状の道。次第に傾斜を強めて大岩のゴロゴロする河原状となり、最後は巨岩の間を縫って上部の雪渓に至る。その雪渓を抜けると白馬乗鞍岳の草原に出る。
はじめの薮に覆われた沢状の道を登る時、いつも耳にする鳥の声がある。40年も耳に親しんだ声なのに、その鳥の名が未だに分からない。
その鳥は薮の中のすぐ耳元で『チチッ チッチチ チッチチ』と、かろやかに、リズミカルに鳴く。付近ではウグイスが鳴いていることが多い。
先に入った小学生の集団が道を塞ぐ形で休んでいて、これから昼食だと言う。先に行かせてもらって潅木帯を抜け、大岩の道にかかる頃,ガスが降りてきて小さな水滴が顔をぬらすようになる。
10:45,風も強く寒くなってきたので雨具を着けるために小休止する。同55発。
雪渓を抜けて乗鞍岳の草原に入る手前で後続を待つ。岩陰に身を寄せても天狗原から吹き上げる強烈な風が冷たく寒い。一番悪い所で休む羽目になってしまった。
その寒さの中で目にとまったタカネバラのいつにもまして濃い赤。あの花色を撮りたかったが、動く気力が湧かなかい。
11:55発。巨岩の上や脇を登る。Reyとsinoは小さい体で必死に岩によじ登る。足場の選び方が分からず、近視眼的に足元ばかり見ていて時々とんでもない方にそれてしまうことがあるので、赤や黄色のペイントで岩につけられた◎印や⇔を辿り、×印の方に行かないようにと教えながら一緒に登って行く。真剣に大岩と取り組んでいる姿が頼もしく、次第に様になって行く。
広島の美人姉妹は大岩にやや手こずりながらも順調に登って来ている。妹の@kiは中学生の頃,一度このコースを登っているが、今回は不慮の怪我によるブランクからの復帰を賭けた山行であり、Tomokoは自らも憧れの白馬岳を目指しつつ妹をサポートする。もちろん2人は4 人の子ども達を見守り、援助する存在でもある。
その2人とSabuに小さな2人を託して雪渓下までを急いで12:17,雪渓下着。雪の量と渡渓点の位置は例年とほぼ同じ。同22,渡ってガラ場を登り、同30,乗鞍岳の草つきの下で休憩。一緒に来た中・高校生の2人と共に、離れてしまった一行を待つ。Nozomiは4回目のアルプスで何ら動じることなく、飄々とした足運びでついて来る。Moeは3年ぶりの登山でアルプスは初めてだがしっかりした足どりが逞しい。
天狗原から吹き上げる風は雪渓を通って冷たく、それが次第に強くなる。風を避けるものが何もなく、一番悪い場所を選んでしまったと臍を噛みながら待つ。
やや離れた草つきの際に赤いタカネバラの花を見る。いつもより濃い花色が気になったがカメラを出すのが億劫になっている。何しろ寒いのだ!
10分後にTomoko&@kiが来る。さらに10分後の12:50,Sabuが小学生2人を連れて登って来る。全員がこの日の最難関を突破した。
12:55,小学生2人がSabuに連れられて到着したのと入れ替わりに立ち上がる。下からの風がますます強く冷たくなり、ガスが立ち込めてケルンも見えない中,風に押されるように進む。
13:03,ケルン横を通過。一瞬,風がピタリと止み、次いで西よりの強風に変わった。これが台風の風と思われた。大池方面は濃いガスで何も見えない。
前に抱いたアタックザックが邪魔になってただでさえ歩きにくい大池沿いの岩場道がよけい歩きにくく、先ずは荷を降ろすことを優先させるべく先行し、13:35に大池山荘に着く。
先に着いた尾沢さんが下山するのを見送っている所へmoeとnozomiが到着。次いで姉妹が着く。その後にsabuの姿が現れたが、ReyとシノSinoの姿がないので迎えに行き、少しだけ遅れていた2人を連れて14:00に大池に着く。
広いテン場には1つだけテントが張られており、その横に場所を確保すべく荷を降ろすと、中から顔を出した男性が『手伝いますよ』とさわやかに声をかけてくれた。あまりにも風が強くて2人では無理なので『全員揃ってからやりますので・・』と丁重に礼を言って一先ず休憩小屋に入る。
夕食はリッチに
今回の荷揚げはここまでなので食事を少しでもリッチにするために多少無理をして生ものを運んだ。即ち、キュウリ大4本,刻みキャベツ,茹でたコマツナ,卵6個,焼きアナゴ3本と刻みアナゴ2P,ミョウガ4個etc・・で、その大半は4日夜のチラシ寿司に使う。
自炊小屋でもある休憩室に陣取ってキャベツとキュウリを食べ、コーヒー,ココア,紅茶でくつろいだ後、テント張りにかかる。風は収まるどころか強くなる一方で、これ以上待っても好転する気配がない。
2人がテントを抑え、2人がポールを通して何とか形にした後、1人が中に入って子ども達のリュックを風上に置き、また内側の四隅に大き目の石を入れて飛ばされるのを防ぎながら、外からも四つの角をロープで引っ張り、さらに大きな石で固定して2つのテントを張り終える。
風はテントを押しつぶさんばかりにのしかかり、ポールが大きく撓んだりもするが飛ばされる心配はなくなったので、子ども達を中に呼び寄せて休ませる。テントに入ると気分も落ち着いたようで、中から子ども達の笑い声が聞こえるようになる。
16時から夕食の準備。メニューはアルファ米の白飯に各自お好みのレトルト食品と味噌汁,サラダ。サラダは乾燥野菜と海草の水戻しだが、姉妹の手にかかると絶品に変身する。味噌を運んだので汁も具もたっぷりの味噌汁となる。『山に来ると太って帰る・・』とは姉妹の弁だが、実際それはうなづける。
夕方になって風雨を衝いて上がって来る登山者が押し寄せ、テン場にも沢山のテントが並んだ。
嵐の夜,テン場は水浸し
風を背にして左手の方向に目があるとするなら、台風はほぼ真北方向,糸魚川沖の日本海に達しているはずであるから今後は徐々に遠ざかって行くと考えられる。希望的観測ながら、今後,風雨共に弱くなって行くものと楽観して20時頃テントに入る。
長袖シャツの上に雨具を着て横になったが、寒いのでシュラフカバーに潜り込む。それ以上着るものがないので後は寒さに耐えるしかないが、テントの下が水浸しになっているらしく、下からゾクゾクと寒さが上がって来てやけに冷える。体を横にして接地面積を出来るだけ小さくすることで何とか地面からの冷えから逃れようとする。まるで雪山並みで、そのうち体が小刻みに震え始める。
そうこうしているうちにうとうとしたと思った時,突然ライトが点いてSabuが床を照らし、『水が・・・!』と叫ぶ。彼の方が若干下がり気味になっているのが仇になってシュラフに水が浸み込んでいるらしい。一時は、寝るのを諦めて朝まで起きているつもりだと言っていたが、やがて横になり眠ってしまったのか、軽い鼾が聞こえてきた。人間,どんな状況でも眠れるもののようだ。
テントの両サイドを男2人が固め、中の姉妹2人はぬくぬくと、悠々と寝てござった・・。
自分は幾分傾斜の高い方にいるのと、夏はゴアのシュラフカバーしか持たないのが幸いしてか水の浸入はなく、例えぬれてもゴアの合羽を着ているのでそのまま寝るつもりであるが、いつにもまして地面からの冷えが厳しいのに閉口して、3時になったら小屋に逃げるつもりでひたすら時間の経過を待つのみ。それでもいつしかうとうとして目覚めるとまだ23時半で次に目覚めたのがやっと1時。
幸いなことに隣の子ども達のテントからは何の騒ぎも聞こえず、咳き込みやくしゃみもなく無事らしいことが分かり、3時を迎えて中を覗き、何事もなくスヤスヤと眠っているのを確かめて小屋に向かう。
8月4日(土)
決行
3時に自炊小屋に行きすぐにコンロを焚いて湯を沸かし、熱々のココアを流し込んで体を中から温める。落ち着いたところでアルファ米の五目飯と赤飯を湯戻し、フライパンでシシャモとメザシを焼く。昨夜同様,具たっぷりの味噌汁をつくり、納豆を配して朝食準備完了。起きて来た姉妹のサラダを加えておとな達から食べ始める。
雨はやや小降りになり、東側の空に一点だけ明るい部分が見えたが、青空が覗くと言うほどではなく西の空は重い。
風は西から北向きに変わっていて、台風はすでに東に去ったと思われるがあまり衰えていない。高山では台風が去った後も3日くらいは強い風が吹くのですぐに風が止むとは思えないが、問題は雨だ。今のところ小康状態だがこのまま上がってくれることが期待できそうで、早発ちの人はすでに出発の準備に入っている。
5時に子ども達を起こして朝食を摂らせ、6時出発を告げて排便を促す。持って行く物は飲料水1.5ℓ,行動食,非常食,ヘッドランプ,雨具,防寒着,保温着,カメラ等。
こう言う慌しさに慣れない子ども達には1時間以内では少々無理だったかもしれないが、15分の遅れで出発することが出来た。
すでにいくつものパーティーが白馬岳を目指して前進しており、早い人は雷鳥坂を登りきっていた。
この時点で1日中雨に降り込められることを予想した人はほとんどなく、従って停滞するパーティーは皆無と思われた。
6:15,白馬岳を目指して出発。幾分弱まったとは言え風はまだ強い。昨夜、その風が真西から吹いていた頃,台風は能登半島沖を通過していたと思われた。
それが北寄りに変わったのは日本海を北上している台風がすでに姫川の沖より北に移動している証しで、その後は次第に遠ざかって行くものと思われ、白馬岳を目指すことを断念させるほどの材料はなくなったと判断して登頂を目指す。
強風下の登高
風は強かったが雨はそれほどでもなく、希望的観測ながら誰もが徐々に回復するだろうという期待を持って歩き始めたと思われ、花を楽しみながら歩く余裕があった。当面の目標を小蓮華岳に置き、9:30までの到達を目指してチングルマやハクサンコザクラ,イワイチョウ,コイワカガミ等の花を楽しみながらゆっくり進む。
NozomiとMoeはしっかりした歩きぶり,寡黙なSinoとは対照的にReyはうるさいほどの元気さがあった。
7:00,小休止5分。風は一向に収まる気配がなく、雨もパラつく中を大池から見える一番高いピークを越えると船窪と呼ばれる二重山稜にさしかかる。二重になった山稜の間の窪地はシナノキンバイの咲くお花畑なので、そこで強風を避けて休ませようと思っていたが、立ち入り禁止になっていて入れず、その先に格好の窪地があるのだが、そこは中高年の集団に占領されていて休むに適した場所が得られない。
7:40,登山道から少しだけ黒部側に外れた岩陰に身を寄せて休む。Reyは相変わらず元気でうるさいくらいだが、Sinoの口数が少なく、足どりが重くて寒そうなのが気になる。
7:55発。ほどなく小蓮華岳と思われるピークの下を通過する。本来なら登山道は小蓮華岳のピークを通っているのだが、山頂付近で崩落があって立ち入り禁止になっており、登山道はピークを避けていつもより下を通っていた。そのことに気づかず通過したことを後で知る。
強風に加えて時折雨が強く降るようになるとSinoの動きがさらに緩慢になり、顔から生気が消えて行った。8:20,立ち止まって1枚余分に着せる。その様子を見ていたReyの口数が急に少なくなる。
8:40,再び歩き始めるがReyまで元気がない。ここまで強風に晒され通しで体温を奪われ、また強度のストレスを受け続けてきているので風を避けて体を温め、緊張と不安を和らげる必要を感じ、風のないスペースを探す。
8:50,思い切って登山道を外れ、信州側に崖を少し下がった稜線の陰の風のないスペースに避難する。
稜線からちょっと下がっただけで黒部側からの風がピタリと止み、そうすると吹き曝しの寒さはどこへ行ったかと言うほどの穏やかさに包まれて、それだけで人心地を取り戻すことが出来る。それがその時点で最も必要なことだった。
Sinoとreyの士気は下がり切っていたが、先ずSinoの体を温めることが先決だった。ぬれてはいないようだったが湿っている下着を着替えさせることにする。女性スタッフと3 人の子ども達がSinoを囲み、1,2の3で下着を脱がせて素早く着せ、その上にシャツとセーター,雨具を着せる。女性スタッフがいてくれたお陰で対応できることだった。
落ち着いたところでSinoとReyのそれからの行程について2人の気持ちを確かめる。
決断の時
決断の時を迎えていた。すでに第1目標の小蓮華岳は超えている。『これから先,どうするかここで決めよう。天候はすぐによくなるとは思えない。この状態がしばらく続くか、もっと悪くなるかもしれない。この天候でここまで来ただけでもスゴイことだから、ここでやめて引き返すことはちっとも恥ずかしいことじゃない。引き返すと言う判断も時には大切なことだ』『白馬岳の頂上までは残り約3分の1,だけど大池まで帰らなくてはならないからそれを加えると残りは3分の2だ。自分の体力,気持ちを考えて、行くか帰るかを決めろ。帰るなら私が一緒に帰る。他の人には山頂まで行ってもらうから、ここで帰っても他の人に迷惑をかけると思わなくていい』と2人に決断を促した。
普段,あまり感情を表に出さないSinoであるが、その表情からは相当へばっていることが伺われた。しばらくじっと考えていたSinoはしかし『行きます』と答えた。その返答は『帰らせよう』と思い始めていた自分を戸惑わせたが、それ以上に窮したのはReyだった。
Reyは体力的には限界とは思えなかったが気持ちはいっぱいいっぱいだったのだろう。Sinoが『行く』という決断をしたために、便乗して一緒に『帰る』と言う選択肢を失って追い詰められた。
返答を迫られるとふいに目を真っ赤にして、大きな目よりもさらに大きな涙をポロポロとこぼすのを見て『しめた!』と思った。
Reyに限らず、子ども達は自分をギリギリまで追い詰めることをあまりしない。大変なことになりそうな課題を突きつけられるといち早く身をかわし、おとな達も敢えてそれ以上を求めないからそう言う場面がないのだ。そういう意味では千載一遇の場面を迎えさせることに成功した。
その場にいた全員が固唾を呑んで見守る中、Reyは搾り出すように小さく『い・・くぅ・・』と言った。
1人は無理を承知で体力の壁を乗り越えようとし、1 人は気持ちの弱さを乗り越える決断をした2人の小学生であるが、稜線の登山道に戻ると風も雨も一段と強くなっていた。
登頂
9:10,全員山頂に向かうべく登山道に戻る。風雨ともに一段と強くなっていたが、気持ちのギアを入れ替えた分,いくらか足どりがしっかりしてきた。稜線に戻ってふり返った山の大きさからすでに小蓮華岳を通過していたことにようやく気づく。そうだとするともはや三国境は目の前。そして9:20,三国境に到達。『あと1時間』と励まして通過。
10:10,SinoとReyを先頭にユング・フラウのメンバー全員が登頂。濃いガスで何も見えず、感激はイマイチだが子ども達の顔は明るく、登り切った安堵と充足の表情を見ることが出来た。
10:25,白馬山荘に下ってレストランで休憩。がっしりしたつくりで中はピカピカに磨かれた床に豪華なテーブル,重厚な内壁。そのままでいいと言われても思わず登山靴を脱いでしまう。入り口の近くにストーブが焚かれており、体が自然にそこへ引き寄せられて行く。
熱い飲み物で体を中から温め、ついでに大奮発して食事をとる。ぬくぬくと長居をすると気分が緩んで帰りの道程が心配になるが、今は心身を平常に戻すことが先決である。ストーブにしがみついて離れられない方がむしろあぶない。
存分に休んで11:40出発。大池に向かう。
更なる試練
11:40,一足先に出て山頂で一行を待つ。が、10分後にやってきた中にSinoとReyの姿がなく、先に行ってもらって2人を待つ。12時を過ぎても現れない2人に、焦れると言うより、この先大池まで果たして歩き通せるか・・,と言う不安を感じ、スタッフを先に行かせたことを悔やんだ。
10mもない視界の中にようやく現れた2人はふらふらとおぼつかない足取りで明らかに戦意をなくしているのが見て取れ、他のスタッフが誰もいない中で今度は私自身が決断を迫られる羽目になった。この時,風雨ともに最も強くなっていた。
選択肢は2つ。このまま2人を連れて大池まで帰るか、それとも2人を山荘に残し、翌朝迎えに来て大雪渓から下山するか・・。もう1つ,私も残って明朝早く一緒に大池に戻ると言う選択肢があったのだが、もし2人だけで残ると言えば私も残るつもりだったのでそれは伏せて、前2者の選択を問いかけてみた。
『2人だけ残る・・』と言うことが脅迫になっている面は否定できないので『山小屋には事情を言ってよく頼んでおくから絶対安全だし、明日朝はできるだけ早く来るから』と言い聞かせて返答を待つ。
このまま2人を連れて帰るには風も雨も強すぎたが、2人の答えは『大池に帰る』だった。
『前進』を決めた以上,一刻も早くパーティーに追いつきたかったが、2人を安心させるために普段通りのペースで色んな話しをしながらゆっくり下る。あるいは自分自身の不安を隠すためであったかもしれない・・。
向かい風は気持ちをひるませ、追い風は身体のバランスを崩す。少しでも高度を下げて風圧を和らげたいが、風は相変わらず黒部側から強く吹くので稜線を歩けば吹きさらされる状況は変わらない。風裏に入ろうにも信州側は絶壁である。三国境までのこの下りが、2人にとって一番厳しかったに違いない。
12:52三国境に着く。風を避け、気持ちを風のストレスから一時でも解放するための休憩をとる。
13:03発。その時,すれ違った登山者がかけてくれた言葉が奇跡をもたらした。
救世主
三国境を出発した直後,反対側から登ってきた登山者が『ライチョウをみましたよ!』と声をかけてくれた。この『ライチョウが・・・』の言葉に子ども達は鋭く反応し、『えっ! ライチョウだって,どこどこ?』『見たいィ・・・!』と、今にも駆け出さんばかりだ。
『そうだ! こう言うガスで視界が悪い日にはライチョウが安心して出てくるんだ・・』と言っている目の前に2羽のヒナをつれた1羽のメスと、少し離れた所にもう1羽の若鳥がいるのを発見。『いたッ』と叫ぶと2人がすっ飛んで来た。
子ども達は親子のライチョウに心奪われ、ヒナの後をゆっくりとついて歩く。次々と登ってくる登山者からも口々に『あっちにもいるよ!』と声をかけられ、2人はすっかりライチョウのトリコになった。
突然,前方のガスの中から『おぉ〜い』と呼ぶSabuの声を聞く。声の意外な近さに驚きながらも本隊に追いついたことに安堵し、残り3分の1に到達したことで何とか無事に帰れる見通しを得てホッとする。一行は、登りの時に風をよけて避難したあの崖の棚で待ってくれていたのだ。
レイが『ライチョウがいたんだよ〜!』と興奮気味に叫ぶと『いたいた。さっき見たよ』の返事。
そこは休まず通過して小蓮華の登りにかかる辺りで紅い冠のある固体に遭遇。『ここにもいるよぉ,オスだよぉ〜』と呼ぶと走ってきて『すごぉ〜い,7羽も見たよ・・』とつぶやき、しゃがみこんでそのまま動かなくなった。
ライチョウに魅せれた子ども達にとって、風も雨も寒さももはや脅威ではなく、こうして次々と現れるライチョウに引きずられて子ども達は難局を乗り越えた。
小蓮華を下り、さらに前ピークを過ぎて大池を見下ろす場所まで戻るとようやく雨が上がり、風も幾分弱くなる。山荘前の広場は色とりどりのテントで埋まっていた。
15:10帰着。緊張からすっかり解放された子ども達は大はしゃぎしながら20分後に,スタッフは花を楽しんでさらにその20分後に戻ってきた。
山小屋泊まり
一日中風雨と闘った子ども達に、今夜だけは温かい部屋で寝せてやりたいと言うねぎらいをこめて、子ども達を山荘に泊めることにした。スタッフのテントが使用に耐えられそうにないと言う緊急避難の意味もあった。
夜のメニューは定番となった十目チラシ寿司。この時のためにと持って来た生卵は2個半が割れてしまい、残った3個半で8人分の錦糸卵をつくる。刻みアナゴ,キュウリの千切りにミョウガまで入って豪華版,姉妹の野菜サラダに温かい味噌汁。食後の紅茶,ココアで腹がくちれば後は寝るだけ。
子ども達4人は山小屋に押し込んで放ったらかしにした。Reyが『周りはおじさんばかりで布団を敷く隙間がない・・,』等とぶつくさ言って来たが、何とかなったようだ。
自分はテントは寒いので自炊小屋の隅に翌朝の食材と炊事道具を固めて置き、椅子を2 つ並べてその上で寝る。
この日に狙いを定めたかのような台風5号の襲来に翻弄され、お花畑と360度の大展望の感動を味わうどころか、逆にこれこそが『自然』のありようそのものであることを身をもって知らされた我がユング・フラウの白馬岳登山である。
散々な目に合いはしたが、のっぴきならない場面に立ち、自ら決断し,行動したと言う事実ははかり知れない重みを持つに違いなく、好天に恵まれた山行とは比較にならないほどの得がたい何かを手に入れたと信じたい。
果てしない未来の、いつかどこかの場面でそのことが意味を持つことを願う。
以下別途
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