昨夜は雨が降っていたようですが、よいお天気になりました。でも主役の両神山はちょっと雲をかぶっています。
4
10/20 5:41
昨夜は雨が降っていたようですが、よいお天気になりました。でも主役の両神山はちょっと雲をかぶっています。
ダリア圓をチラ見
4
10/20 6:00
ダリア圓をチラ見
諏訪大明神の夫婦杉。案内板によると、諏訪社は狩猟、農耕、武の神と言われ、秩父地方にある多くは中村氏、薄氏など丹党一族の氏神として祀られた、とあります。
2
10/20 6:00
諏訪大明神の夫婦杉。案内板によると、諏訪社は狩猟、農耕、武の神と言われ、秩父地方にある多くは中村氏、薄氏など丹党一族の氏神として祀られた、とあります。
いつもの無料Pからスタート、まずは両神神社里宮にご挨拶していきます。修験時代は当山派の観蔵院という寺院でしたが、神仏分離で当社と勢至堂に分かれたようです。
2
10/20 6:34
いつもの無料Pからスタート、まずは両神神社里宮にご挨拶していきます。修験時代は当山派の観蔵院という寺院でしたが、神仏分離で当社と勢至堂に分かれたようです。
早速、お犬様がお出迎えしてくれます。
4
10/20 6:35
早速、お犬様がお出迎えしてくれます。
デフォルメちっくなお顔がいいですね。
3
10/20 6:35
デフォルメちっくなお顔がいいですね。
定点観察している『秩父 志ら藤』(近藤銘醸)の酒樽、旧両神村にあった蔵元でしたが。平成16年(2004)に廃業したみたい。
2
10/20 6:36
定点観察している『秩父 志ら藤』(近藤銘醸)の酒樽、旧両神村にあった蔵元でしたが。平成16年(2004)に廃業したみたい。
「両神山」安全登山を祈願しました。
2
10/20 6:37
「両神山」安全登山を祈願しました。
日向大谷登山口から望む逸見ヶ岳。甲源一刀流逸見氏が武芸の鍛錬を行っていたそう。
2
10/20 6:38
日向大谷登山口から望む逸見ヶ岳。甲源一刀流逸見氏が武芸の鍛錬を行っていたそう。
登山口から西沢を渡るとまもまく鳥居があり、脇の御堂には観蔵行者像(慶應三年、1867)と
3
10/20 6:41
登山口から西沢を渡るとまもまく鳥居があり、脇の御堂には観蔵行者像(慶應三年、1867)と
三十六童子丁目石の一丁目石「矜羯羅(コンガラ)童子」があります。
arasawa
1
10/20 6:41
三十六童子丁目石の一丁目石「矜羯羅(コンガラ)童子」があります。
arasawa
首無しの普寛行者像(明治二十三年,1890)奉納者は下小鹿野の普寛元講社。ちなみに信濃石御嶽山麓の普寛堂には当講社の「御嶽大神」塔があります。
1
10/20 6:46
首無しの普寛行者像(明治二十三年,1890)奉納者は下小鹿野の普寛元講社。ちなみに信濃石御嶽山麓の普寛堂には当講社の「御嶽大神」塔があります。
一心行者像「一心開運講」(鉢形町)
2
10/20 6:52
一心行者像「一心開運講」(鉢形町)
覚明行者像
2
10/20 7:01
覚明行者像
かつて草刈ボランティアをした七滝沢コースは相変わらず通行禁止のままです。直近の通過は封鎖になる前の2020年4月19日
1
10/20 7:03
かつて草刈ボランティアをした七滝沢コースは相変わらず通行禁止のままです。直近の通過は封鎖になる前の2020年4月19日
その七滝沢を渡ります。
1
10/20 7:04
その七滝沢を渡ります。
荒沢不動尊像
1
10/20 7:12
荒沢不動尊像
もうすぐ座布団十枚!
4
10/20 7:16
もうすぐ座布団十枚!
薄川右岸の道と十八丁目石(利車毘童子)
1
10/20 7:16
薄川右岸の道と十八丁目石(利車毘童子)
これは以前見つけるのに難儀した自然石の十九丁目石(法挟護童子)、徒渉手前にあります。
。
1
10/20 7:19
これは以前見つけるのに難儀した自然石の十九丁目石(法挟護童子)、徒渉手前にあります。
。
ダイモンジソウではなくジンジソウというらしい。
4
10/20 7:33
ダイモンジソウではなくジンジソウというらしい。
八海山大頭羅神王像、木曽御嶽五神の一神
4
10/20 7:40
八海山大頭羅神王像、木曽御嶽五神の一神
意波羅天宮像、こちらも木曽御嶽五神の一神、石像は超レアです。奉納は「江戸築地 皆歸講」の方々
3
10/20 7:51
意波羅天宮像、こちらも木曽御嶽五神の一神、石像は超レアです。奉納は「江戸築地 皆歸講」の方々
弘法之井戸のお大師様(一心誠講の建立)。貴重な霊水です。
1
10/20 7:58
弘法之井戸のお大師様(一心誠講の建立)。貴重な霊水です。
清滝小屋、昨夜は宿泊の方が多かったみたいです。
1
10/20 8:07
清滝小屋、昨夜は宿泊の方が多かったみたいです。
清滝不動三尊像、主尊の不動明王像の背面には「天保十二年丁丑年四月吉日(1841) 柏沢住願主 岩田清重」
2
10/20 8:10
清滝不動三尊像、主尊の不動明王像の背面には「天保十二年丁丑年四月吉日(1841) 柏沢住願主 岩田清重」
左脇侍の矜迦羅(コンガラ)童子
2
10/20 8:10
左脇侍の矜迦羅(コンガラ)童子
右脇侍は制吒迦(セイタカ)童子
1
10/20 8:10
右脇侍は制吒迦(セイタカ)童子
珍しく清滝にポタポタ水気がありました。
1
10/20 8:11
珍しく清滝にポタポタ水気がありました。
中段の岩棚に日本武尊像(慶應二丙寅四月吉日,1866)が祀られていますが、本日はここから御挨拶。
2
10/20 8:12
中段の岩棚に日本武尊像(慶應二丙寅四月吉日,1866)が祀られていますが、本日はここから御挨拶。
滝壁の左下部から結構な水がしみ出ていました。一応、清滝での滝行ということにしておきましょう(笑)
3
10/20 8:13
滝壁の左下部から結構な水がしみ出ていました。一応、清滝での滝行ということにしておきましょう(笑)
鈴ヶ坂
1
10/20 8:17
鈴ヶ坂
横岩
1
10/20 8:35
横岩
両神神社本社
1
10/20 8:45
両神神社本社
狛犬は “お犬様(狼)”です。「慶應二年丙寅 九月吉日(1866)」
3
10/20 8:46
狛犬は “お犬様(狼)”です。「慶應二年丙寅 九月吉日(1866)」
秩父地方のお山の神社に多くみられる御眷属信仰でお犬様(狼)が神の使い「大口真神」と崇拝されています。
3
10/20 8:46
秩父地方のお山の神社に多くみられる御眷属信仰でお犬様(狼)が神の使い「大口真神」と崇拝されています。
日本武尊御神詠「筑波嶺をはるかへだてて八日見し 妻恋ひかぬる小鹿野の原」(慶應二年丙寅四月吉日、世話人は清滝の尊像と同人物)、同首の歌碑が昨日の龍頭神社、そして下小鹿野の小鹿神社にもあります。
1
10/20 8:46
日本武尊御神詠「筑波嶺をはるかへだてて八日見し 妻恋ひかぬる小鹿野の原」(慶應二年丙寅四月吉日、世話人は清滝の尊像と同人物)、同首の歌碑が昨日の龍頭神社、そして下小鹿野の小鹿神社にもあります。
両神御嶽神社(旧本山寺派修験金剛院)本社
1
10/20 8:47
両神御嶽神社(旧本山寺派修験金剛院)本社
こちらも当然狛犬はお犬様です。
4
10/20 8:48
こちらも当然狛犬はお犬様です。
こちら(右)はオス君のようですね。
3
10/20 8:48
こちら(右)はオス君のようですね。
社内には御嶽山座王大権現像。元来は現在、大日様の居られる所に祀られていたみたい。
3
10/20 8:49
社内には御嶽山座王大権現像。元来は現在、大日様の居られる所に祀られていたみたい。
神社から少し進んだ所に大日如来立像
2
10/20 8:50
神社から少し進んだ所に大日如来立像
現在この大日様のある台座を取り囲む(かつては座王大権現像のあったであろう)石組背面には「當郡日尾村 石工 黒沢三重郎」銘があります。ちなみに昨日の「新井三十郎」と同一人物で、札所31番に石造仁王像、西御荷鉾山の不動明王像などの石工さんです。
2
10/20 8:51
現在この大日様のある台座を取り囲む(かつては座王大権現像のあったであろう)石組背面には「當郡日尾村 石工 黒沢三重郎」銘があります。ちなみに昨日の「新井三十郎」と同一人物で、札所31番に石造仁王像、西御荷鉾山の不動明王像などの石工さんです。
奥社の石祠、確かにそのすぐ横に会った帝釈天像がないように見えます。でも、祠に後方に
2
10/20 9:12
奥社の石祠、確かにそのすぐ横に会った帝釈天像がないように見えます。でも、祠に後方に
いらっしゃいました帝釈天像。安心しました。ただ皆様のレコに、やはり放られたものが再びここに戻されたと記されたものがありました。
4
10/20 9:12
いらっしゃいました帝釈天像。安心しました。ただ皆様のレコに、やはり放られたものが再びここに戻されたと記されたものがありました。
山頂直下に落ちていた「入山講」銘のある台座台石が何方かによって引き上げられていました!お疲れ様でした。
3
10/20 9:13
山頂直下に落ちていた「入山講」銘のある台座台石が何方かによって引き上げられていました!お疲れ様でした。
山頂の標柱。以前の写真を見ると、帝釈天像はこの隣に立っていました。
2
10/20 9:13
山頂の標柱。以前の写真を見ると、帝釈天像はこの隣に立っていました。
「両神山」1723.01 m二等三角点
3
10/20 9:13
「両神山」1723.01 m二等三角点
左から雁坂嶺、破風山、木賊山、甲武信岳、三宝山〜金峰山
5
10/20 9:14
左から雁坂嶺、破風山、木賊山、甲武信岳、三宝山〜金峰山
木賊山、甲武信岳、三宝山をアップで。
4
10/20 9:14
木賊山、甲武信岳、三宝山をアップで。
3
10/20 9:14
龍頭山(龍頭神社奥宮)方面
2
10/20 9:14
龍頭山(龍頭神社奥宮)方面
両神山の紅葉の向こうに武甲山!
7
10/20 9:17
両神山の紅葉の向こうに武甲山!
女座山の普寛霊神碑(右)と御嶽三座神(太元講、明治二己巳年,1869)「御獄山国常立尊(くにのとこたちのみこと) 八海山國狭槌尊(くにのさたちのみこと) 三笠山豊斟渟尊(とよくむのみこと)」
2
10/20 9:18
女座山の普寛霊神碑(右)と御嶽三座神(太元講、明治二己巳年,1869)「御獄山国常立尊(くにのとこたちのみこと) 八海山國狭槌尊(くにのさたちのみこと) 三笠山豊斟渟尊(とよくむのみこと)」
山頂は混雑しているので、眼下の赤岩尾根を愛でながらお団子休憩です。
4
10/20 9:21
山頂は混雑しているので、眼下の赤岩尾根を愛でながらお団子休憩です。
龍頭神社奥宮方面にも進ぜましょう。
4
10/20 9:21
龍頭神社奥宮方面にも進ぜましょう。
赤岩尾根、
4
10/20 9:27
赤岩尾根、
八丁峠方面、
3
10/20 9:27
八丁峠方面、
浅間山は浮島の如く
3
10/20 9:28
浅間山は浮島の如く
東岳方面の紅葉
4
10/20 9:28
東岳方面の紅葉
両神の山肌と御荷鉾山、♪オドケた顔してバババーン〜は見えないみたい。
1
10/20 9:28
両神の山肌と御荷鉾山、♪オドケた顔してバババーン〜は見えないみたい。
毘沙門山に城峯山
3
10/20 9:29
毘沙門山に城峯山
八ヶ岳遠望
1
10/20 9:29
八ヶ岳遠望
龍頭山(奥宮)遥拝
1
10/20 9:31
龍頭山(奥宮)遥拝
秩父側の尾根筋が素晴らしい!
3
10/20 9:38
秩父側の尾根筋が素晴らしい!
小鹿野市街と吉田丘陵の真上に笠山〜堂平山が位置しています。あれ?あそこを歩いているのはNimaさん御一行かな?
1
10/20 9:38
小鹿野市街と吉田丘陵の真上に笠山〜堂平山が位置しています。あれ?あそこを歩いているのはNimaさん御一行かな?
下山途中、小鹿野二子山。ちょうど股峠の真上にオドケた顔が見えます!
3
10/20 10:13
下山途中、小鹿野二子山。ちょうど股峠の真上にオドケた顔が見えます!
清滝小屋の隣に立つ両神山小鹿野講の参籠所、小屋よりも旧い歴史があります。
1
10/20 10:29
清滝小屋の隣に立つ両神山小鹿野講の参籠所、小屋よりも旧い歴史があります。
果たして復旧する予定はあるのでしょうか?
1
10/20 10:31
果たして復旧する予定はあるのでしょうか?
意波羅天宮の横顔
2
10/20 10:47
意波羅天宮の横顔
八海山大頭羅神王の獅子冠
2
10/20 10:56
八海山大頭羅神王の獅子冠
不動尊の光背は迦楼羅炎と呼ばれ,まさしくカルラ天の吐く火炎を表しています。口ばしがよく目立っています。ちなみに小鹿野町の十輪寺には石像では唯一といわれる笛を吹く迦楼羅天像があります。
2
10/20 11:23
不動尊の光背は迦楼羅炎と呼ばれ,まさしくカルラ天の吐く火炎を表しています。口ばしがよく目立っています。ちなみに小鹿野町の十輪寺には石像では唯一といわれる笛を吹く迦楼羅天像があります。
日向大谷に戻りました。
3
10/20 12:00
日向大谷に戻りました。
下山途中、いつもの両神登山とは雰囲気の違う若い女性の方が数組いらっしゃいました。街歩きの延長のような方もいらしゃったので少し心配になりました。
1
10/20 12:02
下山途中、いつもの両神登山とは雰囲気の違う若い女性の方が数組いらっしゃいました。街歩きの延長のような方もいらしゃったので少し心配になりました。
八日見神社(両神神社)に無事下山の御礼参り。でしたが、この後勢至堂に向かう途中の橋が滑るはぐらつくはで一番怖かったです(笑)
2
10/20 12:07
八日見神社(両神神社)に無事下山の御礼参り。でしたが、この後勢至堂に向かう途中の橋が滑るはぐらつくはで一番怖かったです(笑)
当山派修験観蔵院の墓碑、右「傳法阿闍梨 前大先達 両山法印/文久三癸亥年十二月廿六日(1863)」左「傳燈阿闍梨 前大先達 両傳(法印)/明治二十年亥十月廿八日寂(1887)」
1
10/20 12:09
当山派修験観蔵院の墓碑、右「傳法阿闍梨 前大先達 両山法印/文久三癸亥年十二月廿六日(1863)」左「傳燈阿闍梨 前大先達 両傳(法印)/明治二十年亥十月廿八日寂(1887)」
二十二夜塔
1
10/20 12:14
二十二夜塔
勢至尊は降ろされていると思います。
2
10/20 12:15
勢至尊は降ろされていると思います。
脇のお地蔵様?は倒れちゃっています。
2
10/20 12:15
脇のお地蔵様?は倒れちゃっています。
修験寺院観蔵院は明治の神仏分離で両神神社とこちら勢至堂に分かれたようです。この後擁壁に縁から車道に降り、駐車場に戻ってゴールです。
1
10/20 12:15
修験寺院観蔵院は明治の神仏分離で両神神社とこちら勢至堂に分かれたようです。この後擁壁に縁から車道に降り、駐車場に戻ってゴールです。
帰りの道すがら出原の湧水。
1
10/20 12:36
帰りの道すがら出原の湧水。
R140に向かう建造沿いにある「近藤酒店」の建物、大正時代の建築
2
10/20 12:56
R140に向かう建造沿いにある「近藤酒店」の建物、大正時代の建築
ずっと旧銀行か官公庁の建物だと思っていましたが、あの『秩父志ら藤』の蔵元だったとは!現在の所有者は秩父ワインさんのようです。
3
10/20 12:56
ずっと旧銀行か官公庁の建物だと思っていましたが、あの『秩父志ら藤』の蔵元だったとは!現在の所有者は秩父ワインさんのようです。
『ななたき』さんが大繁盛で、『国民宿舎両神荘』でランチしようと思ったら(以前はカレーもありました)現在はランチ営業はしていないとのこと。屋内ボルダリング施設のなった神怡舘と四阿屋山
1
10/20 13:02
『ななたき』さんが大繁盛で、『国民宿舎両神荘』でランチしようと思ったら(以前はカレーもありました)現在はランチ営業はしていないとのこと。屋内ボルダリング施設のなった神怡舘と四阿屋山
R299を尾ノ内渓谷に向かいます。赤平川の小さな赤い吊り橋と両神山、時々何かのロケ撮影をしていたりします。
1
10/20 13:13
R299を尾ノ内渓谷に向かいます。赤平川の小さな赤い吊り橋と両神山、時々何かのロケ撮影をしていたりします。
つい先程まであの頂にいたんですね。
1
10/20 13:14
つい先程まであの頂にいたんですね。
そして昨日例大祭だった龍頭神社。今回は改めて日本武尊御神詠歌碑(本日二基目)を拝見にきました。正面には「筑波嶺をはるかへだてて八日見し 妻恋ひかぬる小鹿野の原」、
1
10/20 13:29
そして昨日例大祭だった龍頭神社。今回は改めて日本武尊御神詠歌碑(本日二基目)を拝見にきました。正面には「筑波嶺をはるかへだてて八日見し 妻恋ひかぬる小鹿野の原」、
『りょうかみ双書3両神山』には「明治一〇年」とありますが、背面には「明治十九年十一月吉日」、
1
『りょうかみ双書3両神山』には「明治一〇年」とありますが、背面には「明治十九年十一月吉日」、
さらに「権訓導 高野東平(頼)」とあります。東平氏は龍頭神社十七代神職(社掌)です。
1
さらに「権訓導 高野東平(頼)」とあります。東平氏は龍頭神社十七代神職(社掌)です。
尾ノ内渓谷駐車場手前に「八日見神水」
1
10/20 13:35
尾ノ内渓谷駐車場手前に「八日見神水」
水量はまあまあです。
1
10/20 13:36
水量はまあまあです。
龍頭山(奥宮)を見上げます。
4
10/20 13:57
龍頭山(奥宮)を見上げます。
ブタさんストーブをテーブルにお借りして、
1
10/20 14:05
ブタさんストーブをテーブルにお借りして、
『カフェ・グリチャミ』開店です!
1
10/20 14:06
『カフェ・グリチャミ』開店です!
神水珈琲と行動食の菓子パン、そしてゆで栗、昼食は食べ損ねましたが、栗でお腹一杯になっちゃいました。
2
10/20 14:08
神水珈琲と行動食の菓子パン、そしてゆで栗、昼食は食べ損ねましたが、栗でお腹一杯になっちゃいました。
休憩舎に尾ノ内の龍が描かれた一枚板がありました。
3
10/20 14:50
休憩舎に尾ノ内の龍が描かれた一枚板がありました。
紅葉祭のお知らせ。ダリアのフラワーアレンジメントもあるそうです。
1
10/20 14:51
紅葉祭のお知らせ。ダリアのフラワーアレンジメントもあるそうです。
そういう理由だったのですね。
1
10/20 14:51
そういう理由だったのですね。
吊り橋
3
10/20 14:53
吊り橋
一合滝、水量もいい感じです。
4
10/20 14:54
一合滝、水量もいい感じです。
二子山が見えました。
4
10/20 14:59
二子山が見えました。
ダイヤモンド龍頭
2
10/20 15:00
ダイヤモンド龍頭
龍頭シルエット
1
10/20 15:09
龍頭シルエット
キレイな夕景を期待しましたが、そううまくはいきませんね。
3
10/20 15:37
キレイな夕景を期待しましたが、そううまくはいきませんね。
本日三基目の日本武尊御神詠は安積昆斎の小鹿野碑(安政六年乙未十二月,1859)どうやらこれが一番古いようです。昌平黌の安積昆斎による撰文、弟子であった下小鹿野(奈倉)の森為美が建立
1
10/20 15:48
本日三基目の日本武尊御神詠は安積昆斎の小鹿野碑(安政六年乙未十二月,1859)どうやらこれが一番古いようです。昌平黌の安積昆斎による撰文、弟子であった下小鹿野(奈倉)の森為美が建立
日本武尊は東征の戦勝祈願で筑波山に登ると西方に剣の形をした山(両神山)を見つけ、八日間眺めながらたどり着く(八日見山)、その途中道に迷った際、神鹿が現れ道案内をするが小鹿野に至った所で精魂尽きてしまう、尊は憐れんで「小鹿塚」をつくった。
1
10/20 15:49
日本武尊は東征の戦勝祈願で筑波山に登ると西方に剣の形をした山(両神山)を見つけ、八日間眺めながらたどり着く(八日見山)、その途中道に迷った際、神鹿が現れ道案内をするが小鹿野に至った所で精魂尽きてしまう、尊は憐れんで「小鹿塚」をつくった。
歌碑は下小鹿野の小鹿神社参道の入口脇にあります。折角なので参拝いたしましょう。
1
10/20 15:51
歌碑は下小鹿野の小鹿神社参道の入口脇にあります。折角なので参拝いたしましょう。
小鹿神社、現在は紫陽花神社として知られ、祭礼日には歌舞伎の奉納や各種イベントがあります。
3
10/20 15:53
小鹿神社、現在は紫陽花神社として知られ、祭礼日には歌舞伎の奉納や各種イベントがあります。
こちらにも境内社に諏訪神社が祀られていました。
2
10/20 15:53
こちらにも境内社に諏訪神社が祀られていました。
最後は一寸離れた所にある小鹿塚に。かつては古墳があったみたいですが、現在は庭園風になっています。秩父宮殿下の御染筆の「小鹿野」碑(昭和29年)が建っています。
3
10/20 16:02
最後は一寸離れた所にある小鹿塚に。かつては古墳があったみたいですが、現在は庭園風になっています。秩父宮殿下の御染筆の「小鹿野」碑(昭和29年)が建っています。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する