北アルプス
- GPS
- 110:48
- 距離
- 54.7km
- 登り
- 6,665m
- 下り
- 5,954m
天候 | 前半 晴れ 後半 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
【はじめに】
今年は、下廊下を歩こうと思っていたが、調べてみたところ残雪が多く、毎年秋でないと開通していないことがわかる。いつか行くだろうその日のために、下廊下の出入り口の沢を偵察することにした。また、地図を見ていたら秘湯が2カ所目に止まった。ぜひ、入ってみたいと思った。第1弾は、沢に沿った登山道を歩く、ピークを踏まない秘湯三昧の山行。
毎年、北アルプスを縦走していると、本人が見えないほどの大きなザックを背負っている旅人に出会う。だいたいは、上高地から親不知(日本海)までの長い長い縦走をしている人だ。3000メートル級の山々から、海抜0メートルにゴールした時の気持ちは考えただけでも、その喜びは想像に難くない。自分の体力では一気には無理なので、数年かけて達成しようと、いつからか心に決めた。第2弾山行は、その目標に向かって途切れているポイントを繋ぐ山行にした。
第1弾 欅平 〜 水平道 〜 阿曽原温泉 〜 仙人温泉 〜 仙人池 〜 ハシゴ谷乗越 〜 黒部ダム
【8月2日(月)】
弘前発 寝台特急日本海 20:16発
【8月3日(火)】快晴
魚津着 5:08着 〜 新魚津(富山地方鉄道) 6:00発 〜 宇奈月温泉 5:40着 〜 宇奈月(黒部峡谷鉄道)7:32発 〜 欅平 8:47着 9:00発 〜 水平道 〜 阿曽原温泉 14:15着
黒部峡谷鉄道の宇奈月駅には、ヘルメットをかぶり作業服を着た人たちがたくさん集まっていた。
どうやら関西電力の仕事場に向かうらしい。第1便は工事用車両で、一般のお客さんは乗ることができない。ヘルメット、長靴、杖には熊よけの鈴・・・。そんなに大変なところなのか・・・。今までのアルプス登山とは明らかに違う。ヘルメットを持ってくるべきだったかなと、不安がよぎる。
第2便で欅平まで。北アルプスに初めて登った年に観光で立ち寄ったことがあった。トロッコ列車から眺めた景色は、とっても切り立った峡谷に感じた思い出があったが、たがじょに入っていろいろな経験をしている自分にとっては、もうそれほど刺激的な景色ではなかった。
欅平駅到着。登山口を探す。「阿曽原」の看板があるにはあったが、その前には鉄パイプと立ち入り禁止の札が・・・。どういうことだろう?駅員さんに登山口を聞いてみた。「自己責任の下、慎重に行ってください。」とのこと。えっ???そんなに大変なところなの?またまた、不安が増す。この便で阿曽原まで行くのはどうやら私一人らしい。他は観光客ばかりだった。
鉄パイプを跨ぎ、工事用のアミの階段を登る。そのあとは、あまり手入れされていない道。急登が始まった。とても日差しが刺さってくる今日の天気。一気に汗が噴き出す。
しばらく行くと、「熊に注意」の看板も。予想外のことに呼び鈴を持ってこなかったことを後悔する。なにか代替えできる物はないかと考えながら登る。そうだ、笛があったじゃない。もしものためにもってきておいた笛。熊よけに役立つことになった。ピーピーピー、ピーピーピー、ピピピピピピピと運動会の応援合戦のリズムで笛を吹いていって、自分を励ました。関西電力の鉄塔の脇を何回も通り過ぎた。送電線が山にずっと繋がっている。トロッコに乗っていた作業員たちは、これを登って仕事をしているの?
急登を登り切ったら、いよいよ水平道の始まり。もともとは人の入れぬ渓谷であったが、戦前黒部ダム建設のために測量機材等を運ぶために人力で渓谷を削り、丸太を架けて作った道である。
途中途中に送電線の点検路が枝分かれしていた。やっぱりあの作業員の人たちもここを歩いているんだな。水平道は、思ったよりも広く、人一人は余裕で歩ける幅。脇は切り立って下には黒部川が見えているものの、それほど恐怖感はない。水平だから楽チンだと最初は思っていたが、だんだん飽きてきた。山は登ったり下ったり、変化があるから楽しいのだと再認識。
水平道で一番やばいと思っていた150メートルのトンネルに着いた。ライト・防水対策必要と地図に書かれてある。木で四角に枠組みされた入り口を少し覗いてみる。冷気が出てひんやりして、真っ暗だ・・・。足下は、水が流れている。今までの汗がいっぺんに冷や汗に変わる。大澤さんから借りた隧道探検をしている人の体験記が頭の中に浮かんできた。何か見えたらどうしよう・・・。対岸にある出口を確認して、あそこまで我慢すればいいんだ。大丈夫、何にも出ないし見えやない。大きく深呼吸をしたあと、思い切って突入する。予想以上に真っ暗。ライトの明かりは青白く、不気味さを増すばかり。地面は少し斜めになっていて、片方に水が溜まり歩きやすいように工夫されているようだ。真っ直ぐではないので、先が見通せない。上からは水がしたたり落ちてくる。これもまた不気味さを誘う。ちょっとよろけて左側の壁にぶつかった。もう早く出たい、出たい、出た〜い。そればかり思ってスピードを増す。150メートルってこんなに遠かったっけ?7分ほどの歩きがとっても長く感じられた。出口の光が見えたときには、藁にもすがる想いであった。水は少なかったが、焦って歩いたからだろう。ズボンが汚れてしまった。
折尾ノ大滝が見えた。あまりの暑さから靴を脱いで水浴びした。ここでは、砂防堤が作られていて、またその下のトンネルを歩く羽目になる。でも、直線だし短いし少し光も入っている。足下の水はさっきより多めだが、ライトをつけず大股でガシガシ歩いた。
水平道が終わり、下り出したら阿曽原温泉小屋が見えた。
阿曽原小屋のご主人が、「明日はどこまで行く?」と尋ねた。計画では、真砂沢ロッジまでだった。でも、すぐに却下された。なぜかというと、私の古い地図には載っていない新しい雲切新道という道を行くらしい。古い道は雪崩で毎年崩壊してしまうので、仙人谷の南側にこのご主人が新道を3年前に作ったのだそうだ。その道は、急登で古い道より1時間30分ほど多くかかるとのこと。また、明日行く仙人谷の沢は雪渓がまだたくさん残っており、登山道が途中で埋まっていて、迷いやすく通常より時間がかかるのではないかとのことだった。二股に出たら右に行きたくなるけど小さな左の沢に入ること、どこのポイントで沢を横切ればよいかなど、詳しく教えてくれた。とても的確でありがたかった。
まずは、早速温泉に入りに行った。男女1時間交替で、とても気兼ねなく入れるので女性にとっては嬉しい限りである。お湯は無色透明。パイプから出る沢水で汚れたズボンを洗う。景色が開けていてとても眺めがいい。気に入った。
この日の泊まり客は、5人。私を抜かせば全員常連さんらしい。そしてみんな反対側(仙人池)からやってきた。夜は宴会の仲間に入れてもらう。
ご主人の佐々木泉さんは、黒部峡谷が好きで山岳警備隊を辞めて小屋を引き継いだらしい。阿曽原小屋は雪崩のため、毎年秋には取り壊し、春にまた組み立てる小屋だ。話を聞いていると、とても熱血漢で情にもろい人みたいだ。だから、常連さん達も毎年この小屋にやってくるのだろう。
どうやらご主人は、私が真砂沢ロッジまで行くのがかなり心配らしい。途中の仙人池ヒュッテに泊まることをやたらと勧める。私は知らなかったのだが、仙人池には雑誌などでも有名なおばあちゃん、志鷹静代さんがいるらしい。そして、何よりも見て欲しいのは仙人池に映る裏剱らしい。「素通りでは見れない山がある。朝には朝、夕方には夕方しか見れない山があるんだ。そんなに急いで行ってどうする。ぜひ、仙人池ヒュッテに泊まって、裏剱見てこいや。それから、ばあちゃんに会って女としての人生を学んでこい。」私は、そのアドバイスに素直に従うことにした。
下廊下のこともいろいろ教えてくれた。また秋に、ぜひ来たいと思った。
【8月4日(水)】快晴
阿曽原温泉 6:18 〜 雲切新道取り付き 7:35 〜 1629ピーク 9:48 〜 仙人温泉 10:30~11:10(入浴) 〜 (迷って引き返す)仙人温泉再発 12:48 〜 仙人ヒュッテ 14:58
仙人池ヒュッテまでなので、ゆっくりの出発となった。なんだか出発するのがとても名残惜しい。みんなで写真を撮って出発する。
1時間ほど歩くと、関電の立派な宿舎があり、高熱隧道に差し掛かった。鉄格子の扉を開けて中に入ると、立派なトンネル。2カ所くらい鉄道のレールを横切った。とても近代的なようでもあるし、懐かしいような、過去と現在と未来が交差するような不思議な気がした。
仙人谷の沢を横切るといよいよ雲切新道。すごい急登だった。佐々木さんが作った丸太の階段や足場を、一歩一歩踏みしめながら、すごい人なんだなあとしみじみ思った。アドバイス通り、ふり返りながら登った。白馬から鹿島槍まで、後立山連峰が一望できた。
1629のピークにやっと着いて一休みしていると、仙人峠からやってきた人たちが次々に、「雪渓に気をつけて。落ちた人いるから。」と忠告してくる。一番最後に出会ったご夫婦の旦那さんが、「雪渓を踏み外して背中から落ちたけど命拾いした。」と言ってきた。顎に貼られた血のにじんだ大きな絆創膏が痛々しい。どんな所なんだろうと不安を抱きながら、下る。今日の歩きで、下りはここだけだった。短い下り・・・。あとは登り登りだった。
仙人温泉小屋に着いた。覗いてみると、誰も入っていないようだ。よし!チャンス!入ることにする。阿曽原温泉よりは小さいが高台にあるので、眺めは最高。ガスで見れなかったが、白馬から唐松岳の展望が楽しめるみたいだ。
さあ、いよいよ、迷いやすいとアドバイスを受けた沢の雪渓に入る。途中で登山道が消えた。なんとなく、このままこの沢を登っていけば登山道がまたありそうな気がする。だんだん登りづらくなったのでアイゼンをつけた。でも、行けども行けども登山道はない。どういうことだ?地図を一生懸命見る。登山道の消えたところまで戻る。また、上がる。そんなことを2回ばかり繰り返した。頭の中がパニックになる。この二股を渡ればいいの?でも対岸に登山道はなさそうな・・・。温泉小屋の人に登山道についての情報を聞かなかったことを後悔する。佐々木さんが言ったことは本当だった。迷ってしまった。もう、どうしようもなく、一旦、温泉小屋まで戻ることにした。戻っておじさんに聞いたら、「仙人池の方から来たものばかりと思っていたら、阿曽原から来たのか。」と言われた。よっぽど阿曽原方面から来る人は少ないらしい。
おじさんから、詳しく話を聞いて、再出発。さっき右に行ってしまった沢ではなく、左の小さい沢に行かなくては行けなかったのだ。佐々木さんがあれほど「右に行きたくなるけど左だから」と、教えてくれたにもかかわらず、右の沢に行ってしまった。ここのことだったのか・・・。自分の読図力の無さに落ち込む。
左の沢に行っても、今度は雪渓を2回横切らなくては行けない。だんだん雪渓が薄くなってきているのがわかる。踏み抜いて怪我をしたのは、この辺かな・・・。そう思うと、慎重になる。右の枝沢に入ったら、もう雪渓はなくなっていた。ほっとする。沢をどんどん登っていき、また左の枝沢に入る。しばらくしたら、丸太の階段がでてきて、ヒュッテが近づいてきたのがわかり、安心する。
ヒュッテに着いたら、佐々木さんから仙人池ヒュッテに私のことが連絡済だったようで、心配してくれていたことに感謝する。予想通り迷っちゃったけどね・・・。
ヒュッテの泊まりは、7人。あずましいなあ。富山出身の女の子と一緒の部屋になった。富山の人たちは剱を誇りに思っていることが、言葉の端々で読み取れる。剱にはあまり興味がなかったけれども、新しい道やポイントなど、いろいろ勉強になった。
昨日初めて知った(失礼だが)志鷹のおばあちゃんとご対面。「お茶、もう一杯飲まれんか〜。」「おかわり、なされ〜。」富山弁は、関西弁に似ているところもあるが、とても穏やかで聞き心地がいい。ほとんどの小屋はセルフなのに、おばあちゃんはお茶一つにしても入れようとしてくれる。もう80歳なのに、立ちっぱなしで私たちの相手をしてくれる。お客さんを大事にしてくれているのがわかる。相手の気持ちになって行動する。それに、何に対しても「ありがとう。」の言葉をかける。その人柄がしわ一つ一つに刻まれている。佐々木さんが学んでこいと言ったのは、こういうことか。
私が阿曽原から来たことを知ると、おばあちゃんは、「あんたはへそまがりや。」と言った。ほとんどの人が楽な逆コースを来るからだ。でも、その言葉は褒め言葉として受け止めた。
その夜、小屋の雑誌(山渓)を読んでいたら、おばあちゃんのことが載っていた。1年前に引退してお孫さんに小屋のことは任せたのだが、おばあちゃんめあてに来ていた常連さんたちが激減。それで、今年、カムバックしたらしい。会えた私は、ラッキーだな。
【8月5日(木)】快晴
仙人ヒュッテ 6:03 〜 二股 7:13 〜 丸太橋 8:02 〜 ハシゴ谷乗越展望台 9:40 〜 内蔵助沢出合 10:58 〜黒部川出合 12:50 〜 黒部ダム 14:48 〜 (トロリーバス) 扇沢 15:20
4時半に起き、日の出を待った。もうカメラを構えた人たちがスタンバっていた。ほんのりと裏剱が朱く頬を染めていく。昨日はガスで見えなかったので、姿を見れたことが嬉しい。以前登ったときに見た剱とはぜんぜん違う姿形。鋭く尖った矢が並んだような、のこぎりの歯のような感じ。
池に剱が映っている。鏡池に映る穂高連峰にもうっとりしたが、仙人池に映る裏剱も絵になる。来てよかった。
支度をしていたら、富山の女の子が、「これどうぞ。」と桃とプチトマトを分けてくれた。昨日、ハシゴ谷(タン…富山弁で谷はタンと言うらしい)を下りて扇沢へ出るか、剱沢雪渓を登って室堂へ出るか、だいぶ悩んだ。常連さんからもたくさんアドバイスをいただいた。結局私は、予定通りハシゴ谷を選んだ。人も少なく雪渓が2カ所あって危ないと言われたが、下廊下の出合から黒部川を歩いてみたかったから。だから、今日の道も険しいことを彼女は知っていた。ありがたい。富山の人は、とっても情があってあったかい人たちばかりだった。最後に、おばあちゃんと写真をとって、小屋を後にした。
仙人新道を下ると、剱が大きく見えた。その迫力に圧倒された。三の窓、チンネ、八ッ峰など、今朝みんなが話していたのを思い出した。私には、どこがどこだかさっぱりわからなかったが、とりあえず写真を撮って、帰ってから調べたいと思った。
ほとんどの人は、室堂から入り剱沢雪渓、仙人新道を登って阿曽原に抜けるらしい。二股吊り橋には早めに着いた。鉄の吊り橋だった。ここからも剱がきれいに見えた。剱沢の水量はとても多く、冬の雪の多さがうかがえる。
丸太橋に着いたら、ハシゴ谷乗越に取り付く。細い沢道を歩いていくと、教えてもらったとおり水場があった。脇から水がちょろちょろ流れていて、水を汲む。その後は枯れ沢だった。人があまり通らないと聞いていたが、先行者がいるようだ。「やっほ〜。」と楽しそうな子どもの声がしてくる。丸太で作られたハシゴが数カ所あったが、ぜんぜん大変ではなかった。展望台からの眺めは、木々が邪魔してあまりよくなかった。下っていくと、お孫さんと一緒に歩いている老夫婦だった。この下りは、お年寄りには大変だろうなと思った。
だいぶ下ると、また沢に水がでてきた。もう少しで内蔵助谷の出合の沢だなとわかる。内蔵助谷の沢は巨岩がごろごろ転がっていていた。切り立った山壁を見ながらの歩き。
黒部川との出合に着いた。ここが下廊下の始まりか。黒部川に沿って旧日電歩道が続いている。仕事に使った道なので上り下りはさほどないだろう。高度がない水平道のような感じなのかなと思う。
黒部ダムに向かって歩くと、大きい雪渓が現れた。すれ違ったおじさんは、「崩れ始めているから、巻いた方がいいかも。」と言っていた。どうしようか迷う。とりあえず、巻けるところまで巻いてみよう。たがじょで培った技術を試してみる。岩がなく、草も頼りにならない細いものなので、冷や汗ものだった。根性むき出しで、巻いた。後続のペアが、私に巻いた方がいいか、雪渓を歩いた方がいいか、ジェスチャーで聞いている。私は、雪渓の上を歩いた方が無難だと思った。巻いた方が返って危険だったと後悔した。とは言っても、雪渓も真ん中に亀裂が入り、横沢が入っているところからもかなり薄くなっていて、複雑な融け方をしていた。判断に迷うところだ。
もう1カ所雪渓は残っていたが、そこは大丈夫そうだったので迷わず上を歩いた。
やっと黒部ダム下に着いた。数年前は、あそこから見下ろしていた黒部川。今日は、ダムを見上げている。放水のサイレンを聞きながらダムへと登り返した。最後はトロリーバスの通路に出て、黒部へと到着。トロリーバスに乗って扇沢に着いた。
たった3日の縦走であったが、まだ雪渓がたくさん残っていたため、沢は危険がたくさんだった。ピークを踏まないお気楽山行のつもりだったが、精神的に結構ハードな山行だった。その日は、大町温泉郷まで下りて、汗を流した。
第2弾 扇沢 〜 針ノ木岳 〜 蓮華岳 〜 北葛岳 〜 船窪岳 〜 不動岳 〜 烏帽子岳 〜 高瀬ダム
【8月6日(金)】快晴
扇沢 6:49 〜 大沢小屋 8:11 〜 針ノ木小屋 11:36~12:10 〜 針木岳 13:35~14:35 〜針ノ木小屋 15:10
扇沢からくねくねした工事用車両をショートカットしながら登っていく。第2弾山行は稜線歩きなので、水3リットルを背負ってかなり重い。たくさんの人に追い越されていく。大沢小屋に着いたら、百瀬慎太郎氏の「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」のフレーズが。レンタルアイゼン(4爪)もある。上の針ノ木小屋で返せばいいらしい。
三大雪渓の一つ、針ノ木雪渓が見えてきた。思っていたよりも大きくなさそうだ。ほとんどの人がアイゼンをつけていたが、中にはつけない人も。下りの人はつけずに、スキーのように滑っていた。スキーを履いている人もいた。そこまでして、まだ滑りたいのか。
雪渓が終わると、整備された登山道。登りやすかった。針ノ木小屋は人でごった返していた。今日は、布団1枚に2人と告げられる。第1弾のようにはいかなかった。
疲れているものの、自分への試練として、ザックを背負って針ノ木岳まで登る。雷鳥を見る。天気が崩れるのかな。
頂上からは、黒部湖が大きく見え、その端にダムも見えた。あそこから、ここまで来たんだ。遊覧船が走っている。ガスが晴れるのを待っていると、立山、剱が見えた。
縦走の醍醐味は、なんと言っても、山々をいろいろな角度から見れることだと思う。今まで知らなかった山の表情を見るたび、また山に一歩近づけたような気持ちになれる。
1時間ほどゆっくりして、小屋へと戻った。途中、雷鳴が聞こえ、やばいと思い、足早に下りた。部屋に入ったとたん、すごい雨。セーフだった。
針ノ木小屋は、見た目よりも小さく、いつもはもっと静かな山なのだろうと思う。今日は、たくさんの人が来て、容量オーバーって感じだった。
夕方、雨が止み、ガスが上がっていくと、槍まで見渡せた。この姿を見なければ、北アルプスに来た感じがしない。
【8月7日(土)】曇り
針ノ木小屋 6:43 〜 蓮華岳 7:55 〜 コル 9:17 〜 北葛岳 10:34 〜 七倉岳 12:08 〜 船窪小屋 12:40
今日は余裕があるので、ゆっくりと出発。蓮華岳へ向かう。花崗岩の白い砂利がきれいな山。それに加えて、コマクサが咲き乱れている。登山道の脇で踏まれそうに咲いているコマクサには、石できれいに囲いがされてある。箱入り娘のコマクサ。ロープなんか張られていなくても、みんな登山道からはみ出して写真を撮ったりなんかしていない。そんな優しさが、この美しい登山道が維持されている秘訣だろう。
頂上で、「蓮華の大下りを行くと白いコマクサがある」という情報を聞きつける。わくわくしながら、下りる。遠目で見ても、4,5株固まって生えていたので、すぐわかった。なんだかいいことがありそうな気持ちになる。
蓮華の大下りは、とても長かった。コルから今度は北葛岳。アップダウンが多く、しかも急斜面の岩場だったが、その方が私にとっては楽チンだった。周りの人たちと、抜いたり抜かれたりを繰り返した。みんな北葛には、うんざりという感じだった。
七倉岳を過ぎると、船窪小屋が見えた。船窪岳、不動岳のガレた斜面が否が応でも目に入る。明日は、あの道を通るのか。怖いなあと思った。
船窪小屋には、以前から泊まってみたいと思っていた。ランプで、お母さんの料理もおいしいし、家庭的な小屋だといい評判を結構聞くからだ。
チベットのカラフルな旗がかわいらしさを添えている。到着すると、ウエルカムベジタブルのトマトのプレゼント。うれしそうな顔をしていると、先に到着していたおじさんが、「小屋のご主人と写真を撮れば?」と提案してくれる。今回の山行は、小屋のご主人と縁がある旅だ。仙人ヒュッテのおばあちゃんに劣らないくらい穏やかな笑顔のご主人だった。船窪小屋も雪崩のため崩壊してしまい、この場所に移したそうだ。
中に入ると囲炉裏があった。一息ついていると、ご主人がやってきたので、いろいろお話を聞いた。針ノ木谷古道復活のため、尽力されたそうだ。黒部ダムから沢をたどってくる道。最初、私もその道を考えたが、地図で実線でないため、危険なのかも知れないと思い、やめた。小屋には数人、針ノ木谷古道を登ってきた人もいた。渡渉あり、藪漕ぎありで大変らしく、沢シューズのほうがよいとのことだった。「全身ずぶ濡れだ。」と笑っていた姿が、どこか誇らしげに見えたのは、私だけではないだろう。
船窪小屋のお母さんの料理は、冷凍食品一切なしの全部手作り。テント泊している人も、「ぜひ食べてみたかったんだ。」と、わざわざ食べに来るほどのおいしさだった。
夕方にまた、槍が見えた。昨日より近い。明日はもっと近づけるので、景色を楽しみにして眠りについた。
【8月8日(日)】曇り
船窪小屋 5:22 〜 船窪岳 6:21 〜 第二ピーク 7:24 〜 不動岳 9:38 〜 南沢岳 11:00 〜 烏帽子岳 12:10~12:40 〜 烏帽子小屋 13:05 〜 高瀬ダム15:40
昨日、烏帽子から来たと言う人に話を聞いたが、「見た目はガレていて危なそうだけど、登山道はほとんど樹林帯を歩くので、大丈夫。」と言ったので、安心する。いつも左側にガレ場を見ながら歩いた。それにしても崩壊が進んでいる。
このコースは、メジャーな山を一通り終えた人が、登りに来ることが多い。高くはないけれど、登り下りがきつい。ガスで期待していた景色はぜんぜん見えなかった。
長い樹林帯が終わって南沢岳まできたら、花崗岩の白い砂になり、またコマクサが咲く景色に変わった。なんとなく北アルプス〜って感じに変わった。烏帽子までの道は、岩が地面から生えていていたり、池が点在していたりと、楽園のようにも感じられた。
やった〜!烏帽子岳に着いた。私の目標は上高地から白馬鑓ヶ岳まで繋がったのだ。
山頂では風が強くなってきて、なんか雲行きがあやしいと感じ、意外と早く烏帽子小屋に着いたこともあり、一気に下りることにした。
日本三大急登の一つ、高瀬ダムまで下る。
なぜ、私が欅平から入山したかというと、この高瀬ダムまでの急登を登りたくなかったからだ。それから、針ノ木雪渓は下るより登りたかったから。ただこれだけの気持ちで、みんなが頭をかしげるような第1弾の山行になっただけなのだ。
高瀬ダムにはタクシーが待っていた。七倉温泉に入って、帰郷した。ニュースを見たら、台風が沖縄南西に生まれていた。私にも動物的カンが備わってきたのかな?
【最後に】
北アルプスの沢は、夏でもまだたくさんの雪渓があり、予想以上に大変な目に遭った。稜線歩きよりも景色はいまいちだったが、自分の経験を広げられたことはよかった。
また、三人の小屋主たちとの出会いも、自分にとっては宝物となった。山を、小屋を、守るため、山と一緒に生きてきた人生。私には想像を絶することもあっただろう。山人としての強さと優しさをしみじみ感じた山行だった。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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森かずさん写真も文章もとてもいい。(船窪小屋と一緒の写真のポーズが最高)
コース選びもみんな自分で考えるのがすごいです。
早く一緒にいけるぐらいのレベルになれるといいのだけど、なかなか上達しないね私。
里の温泉は一緒できるので、山帰りに行きましょうね。
読んでたら私も行きたくなりました。
こんにちは。
懐かしく拝見しました。
私も下の廊下は81年10月に行きましたよ。いままでで一番楽しい山行です。
大町から4人で入山、差し入れのおにぎりに当たって私ともう一人が食中毒になり、下痢、発熱、嘔吐で黒四ダムの地下道で一日寝込み、翌日、ふらふらしながら、下の廊下に入って、内蔵助出会いでテントを張ろうとしたら、フライ以外は忘れて来たことに気づき、雨の中フライだけを張って過ごしました。その翌日は体調がよくなったので、天気が回復するのを待って出発し丸山東壁に向かいましたが、緑ルートなんて簡単に抜けれるだろうとなめてかかったのが仇となったのか、遅くなってしまい、大ハングを超えほぼブッシュ帯に入ったところでビバーク、しかし、ツエルトもシュラフも、テント、じゃなくてフライに置いてきたので、唯一あったシュラフカバーに相棒と入って寝ましたが、未明より雪が降り、顔に積もった雪の冷たさに目覚めました。その後、一人が丸山東壁登攀のみで下山、3人で下の廊下を下りましたが、遅くに着いたので、阿曾原小屋の離れの露天風呂(記録の写真にある温泉です)の脇にこっそりツエルトをはって温泉&酒盛後、熟睡。翌朝、小屋の親父に見つかり、烈火の如くに怒られて、逃げるように慌てて出発、その午後に小雨の中、奥鐘山西壁(古典的な紫岳会ルート)に取り付きましたが、土砂降りになり、2ピッチ登ったところでクーロワール状のルートが滝と化し、水圧で登れなくなり、敗退。対岸に渡る(チロリアンブリッジ)のが面倒ということになり、ザックを担いだまま、増水した黒部川に身を投げて、川の流れに流され、いとも簡単に欅平駅の橋の脇につきました。駅のストーブで暖をとって、トロッコで帰りました。
今思っても、もう一度やりたいと思うほど楽しい山行でした。これ以上、愉快な経験はありません。若いからできたのです。学生時代の楽しい思い出です。今思うと、阿曾原小屋の人には悪かったと思います。
また、もう一つ。その翌年の夏合宿は親不知の海岸から出発し、栂池新道〜白馬岳〜針木〜三叉蓮華〜槍〜涸沢の縦走もやりましたよ。3週間くらいかかった。もちろん、オールテント、出発時のザックは45kg以上ありました。これも若かったから出来たのでしょうね。こういう登山をやれるのは、体力と時間がなければ無理ですね。
懐かしくて、よもやばなしを書きました。
青森県から北アルプスに行くのは、時間の制約があり大変ですが、どうかがんばってください。
追記: 吉村昭の「高熱隧道」はこのトンネル工事にまつわる悲惨な話です。日本で初めて証明された「ホウ雪崩」の事も書かれています。次に下の廊下を歩く機会があれば是非読んでいただいたらと思います。暗くなってから歩くのが厭になりますよ。
oosawaさん、kana50さん、ありがとうございます。
また一緒に山行させてください。
pamil88さん、お返事ありがとうございます。
すごい山行をなさっていたのですね。
まだまだこれからもアルプス登ってください。
「高熱隧道」ぜひ読んでみたいと思います。
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