旧三瀬街道から王丸山、それから西山へ
- GPS
- 05:58
- 距離
- 11.9km
- 登り
- 689m
- 下り
- 690m
コースタイム
天候 | 晴ときどき曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
今日は10キロ1000mくらいあるいた気がしたが全然足りてなかったw
めずらしくキクラゲ見つけたのいくらか頂戴してきた
明日ラーメンに入れよう😄
しろっぽい粉ついてたが、洗って食べた
かび臭かったwww
・・‥・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「背振山の西の続きは、肥前国松浦郡玉島川の上、大野の峯より怡土郡雷山の南、井原山の奥、水無山、飯場山、早良郡鬼が鼻杯言える東西の山べ、皆峰の頂きの上筋を以て筑前肥前の境とす」とあるのは、貝原益軒による「筑前国続風土記」。
よって、写真5枚目の飯場山は、浅い歴史のノリと勢いによって命名された山ではないし、筑前と筑後を分かつ、当時の領土制定の重要を担っているのがわかる。
(実は、同じくあまりメジャー山じゃない水無山も・・・。)
国境は多くの血が流れたであろう場所であり、命と引き換えるに値するのが領土だったのだろう・・・まさに一所懸命である。
まあ位置まではわかんないから三角点名のある山がそれかどうかは定かではないが。
ちなみに、「背振山の西に酒盛山有りて、南北に横たわり、」という記述もある。
酒盛山は古文書をよく読むと気象台レーダーがあるピークのことだろうと思う。
唐船岩は太鼓岩のことだとすると整合が取れる。(酒盛山の南西に唐船岩)
しかしながら唐船岩を縦走路上の白砂としてる論文もあり、真偽は不明だ。
はたして筑前国絵図にはP833あたりに酒盛山と記されている。
わたしは、風土記の記述に信を置き、気象台レーダー=酒盛山説を支持するがw
長政公の時代は脊振周辺は稜線で国堺が決まっておらず、太鼓岩から麓まで筑前だったそう😃
BY やわらか晩白柚
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