奥穂南稜 取り付きミス撤退 (コース状況に明神岳取り付き点一言メモ)
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- GPS
- 32:00
- 距離
- 9.7km
- 登り
- 1,017m
- 下り
- 1,002m
コースタイム
5:30 上高地
8:30 岳沢小屋着 ヘルメット、ハーネス装着
9:00 岳沢小屋発
10:00ごろ 滝沢扇沢分岐の尾根(間違った場所)に取り付き
12:00ごろ コル通過
14:00ごろ 正規ルート合流直前の急斜面で撤退決定
15:00ごろ コルまで撤退、扇沢側を懸垂下降
16:00ごろ 近道失敗、ビバーク決定
10月25日
6:30 起床(ツエルト撤収)周囲凍結等偵察
9:30 日差しによる岩の乾燥を待って下山開始
10:30 取り付き点まで下山
11:30 岳沢小屋着
12:30 岳沢小屋発
15:00 岳沢登山口
15:20 上高地
天候 | 10月24日 日中快晴、夜雨 10月25日 明け方から夕方まで快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2015年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
上高地発新宿行き行きのバスは中央高速の渋滞で新宿着が11時を回ることもあります。今回は10:10着でした。お住まいによっては終電を逃した時の対策も必要です。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
道間違えしているため参考になりませんがいくつか気がついたことをメモします。 南稜のアプローチには雪渓がありますが今回の登山で雪渓は融けて崩壊しており、雪渓を上った後にいい場所で岩側に乗り移るという困難が無いようです。したがって、天候が今回のように安定して積雪が始まっていなければこの時期は南稜を登るのに最も適した季節だといえます。紅葉とセットにするなら、もう2週間くらい前でしょうか。 取り付きは「滝沢大滝手前の左手の小ルンゼ」(日本山岳体系)です。筆者は何を勘違いしたかそのはるか手前、大滝と小滝(滝沢と扇沢)で挟まれた尾根の末端から取り付いてしまい、壮絶な急斜面の藪漕ぎの前に継続を断念しました。下山後に反省してみると、滝沢の奥には大滝があって沢の装備でなければ上れないからその手前であろうと考えたようです。また登るべき谷筋から明確に見えてましたから、その手前で取り付くならこの尾根の末端だろうと判断したようです。実際は件の滝は取り付き点よりもさらに右側の滝沢をつめた先にあります。ただし今回の登山では水は枯れておりました。 まず尾根の末端は2-3mくらいの岩を上ってから藪の中に入りました。ここで壮絶なハイマツの藪をこぐと小ピークを乗り越え、小さなコルに着きました。小さなコルからは草つきの急斜面を2回ほど登るとハイマツの急斜面になり、ここを登はんに成功すると上部に岩稜に飛び出し、それに沿うことによって一般の南稜ルートに合流できるものと思われましたが、筆者はこのハイマツの急斜面を上りきれず撤退となりました。驚いたことに撤退点では飴の包み紙やペットボトルの空き瓶が落ちていて、このルートを強行突破しているつわものもいるようです。 コルまではほぼ来た道を忠実にたどりましたがコルからが思案のしどころでした。 ここからふもと方面に向かって、右手が小滝の最奥部(扇沢側)。左手が大滝の取り付き部分よりさらに手前の崖です。この大滝側の崖は崖を向かって右手(岳沢)方向へは草付きが伸びております。斜度は結構あるのと、下りきったところが崖のようにも見えました。一方小滝側は、懸垂下降1ピッチ(クライムダウンではざれていてかなり危険)とクライムダウン数メートルで小滝最奥部(扇沢)へ降りてしまいました。大滝と同じ地形を頭に描き(また実際に下からはそのようにも見える)滝まで下りればあとは流に沿って歩けばいいと考えたからです。しかし小滝(扇沢)は実のところ何段もの滝(崖)からなっており、このルートで下っていくには何回も懸垂下降する必要があるのではと感じました。また完全な岩場なのでハーケンなしでの支点の確保は難しい(ちょうどいい岩があるかどうかの運任せ)に感じました。 幸いトラバースできるフェースに沿って岳沢側へトラバースできました。このフェースはかなりいやらしい角度だった上に、ホールドがなく、ビブラムソールの摩擦に命を預けての行動となりました。実際にはこの時点で日没が近く、このフェースを少し登った草付の斜面でビバークし、翌日フェースに日差しが届いてから行動を再開しました。岩の乾いている場所を用心深く選び、岩壁に落ちている小石を踏んで滑らないように気を使いながら、若干安全な岩だな(といっても幅10cmほど)まで降り、岩棚に沿って下降、同様の戦術を取りながらジグザグに、しかし徐々に岳沢側へ巻き、ようやく自分の今回の取り付き地点に取り付きました。命拾いしました。 岳沢では巨大な浮石が崩れてくることがあるということを常に頭に置きながら、今つかんだ大岩、今足を置いた巨岩が突然崩れることもあることを頭の片隅に置きながら行動してください。これは同様のガレ地、ゴーロの通行にも当てはまります。 最後に今回の登山とは関係ありませんが明神岳取り付き点について。 岳沢から明神に登る時、いわゆる7番「風穴」の標識を目印にします。明神岳を登るので明神岳側を探してしまいがちですが、この標識はふもとから山頂側を見て左側、つまり岳沢側にあります。7番標識の反対側に紐が張ってありますが、ここから登ります。 またこの標識は風穴の手前徒歩1分程度のところにありますので、風穴を見つけたら行き過ぎです。 なお不思議なことに標識側、つまり岳沢方向にも踏み跡が付いていて、ちょっと足を踏み入れててみたい誘惑にも駆られます。 |
写真
装備
備考 | ヘルメット、ロープ50m、ハーネス、エイト環+カラビナ、セルフビレイ用カラビナ+スリング、懸垂支点用捨てカラビナ2個、スリング180cmx2、60cmx2(スリングはもう少しあったほうが撤退時には安心でした)、ピッケル、アイゼン(12本爪)。 テント泊道具一式、ツェルト 土をいためるのでお勧めはできないのですが、草付の急斜面でここぞというときにはピッケルが役に立つので、無雪期でも用意したほうがいいでしょう。 ツエルトとしてはマウンテンダックスのレフュジーツェルト TN-005 を使用しました。ポンチョのようにかぶって使うツエルトです。ところが、これを頭からかぶると足が出てしまい冷えてしまいます。仕方なく首を前に傾けてすごしたのですが、一晩続けたら首を上に向けられなくなってしまいました。下山してから考えた結果、ファスナー部分を横にして長手方向(110cm、写真の使い方だと70cm)にかぶればうなだれなくても足が入るのではということで、今度実験してみます。ただし足を伸ばして寝ると包まることができないので、もう一回り大き目のものを持つ方がいいかもしれません。緊急避難の道具としてはかなり強力で、一晩雨に降られながらすごしましたが、衣服(ゴアテクスの雨具上下を着用)はあまり濡れませんでしたし、明け方ツエルト内の結露が凍結しましたが、自分自身は著しい寒さは感じませんでした。 |
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感想
9/27晩に始まった不調は9/29にかけて悪化の一途をたどり、9/30午後から10/1までは会社を休むほどであった。40度に迫る高熱と下痢で、1週間も経たないうちに体重が3kgも減少した。その後折りに触れて高熱を出し、37度未満の熱に下がったのは翌週の10/6であった。しかも筆者の平熱は36度調度に近く36.7度はまだ微熱であったのだ。微熱と平熱の間は行 ったりきたりを繰り返し、下痢は依然続き、食事がほとんど取れない状態が3週間も続き、最終的に本調子に戻ったのは10/19であった。
しかしその週末の北アルプスは奇跡的に穏やかな天気が予想され、今年最後のひっそりとした山行きを楽しむには絶好のコンディションが来ているようだ。体は軽く、トレーニングの 身のこな しはほとんど病気前と同様であった。山行きを計画しなければ、山行き前のトレーニング量に戻したであろう(腕立て伏せ10回+フルスクワット30回を10セット)。しかしこれでは疲労がたまるのと、ザックを背負えるかどうかのほうが気になったので、プチボッカトレーニングして体力を確かめることにした。重登山靴をはき、15kgのザックを背負って1時間歩いた。荷物は10kgに感じられた。これならば1泊程度の縦走ならば十分だろうと判断した。結果的にはこの判定は甘かったようだ。なぜなら、本番は20kg背負わなければならないからだ。チェックは20kg以上のザックで試すべきだったのだ。
そのつけは上高地から回ってきた。涸沢まで4時間で歩いた勢いはなく、岳沢小屋までの道、次々と登山 者に追い越された。それでも、飛ばせないことはもともと予想の範囲内だし、息が早く上がることを除けば、体調の異変があったわけでもないのでそれほど気に留めなかった。ややお腹が空き、のどが渇くのが早いような気がしたくらいだった。岳沢までの道では道端に実り残っていた野イチゴや、ブルーベリーのような濃紺の実に元気をもらった。特にこのブルーベリーの様な実は、飴をなめたあとでも味がわかるほどしっかりしたものであった。一体何の実だったのだろうか。
ややばて気味とはいえ、看板のコースタイムどおりに岳沢小屋に到着した。ここでヘルメットとハーネスをつけ、いよいよ南稜挑戦となった。
まず岳沢小屋テント場まで登山道越しに歩いた。昨年の奥穂西穂縦走の際、土砂降りの雨の夜中に下山し、宿泊した場所に到着した。昨年はガスと雪とでよく見えなかったトリコニーがはっきり見えた。トリコニー下の滝沢も良く見える。気になっていた雪渓だが、崩壊していてぐずぐずになっている模様。ピッケルアイゼンは出番はなさそうだ。
テント場から岳沢のがれ地に下り、取り付き点を目指した。滝沢まで行って滝の横を登はんすることは無いと思ったので、岳沢の奥までは入らず、手前の尾根から取り付いて、その 後は沢筋越しにトリコニーI峰まで登れるであろう。踏み跡とは違うと思うが、沢筋に岩(土?)が露出していてあたかも登山道のようになっていた。
途中、単独の方に同行を提案されたのであるが、ご本人には自信がなさそうだし、ここは若干ではあるが登はんを含んだバリエーションルートであるし、自分にはもしものときにレスキューするほどの実力は無いので辞退した。結果的にはこれが奏功し、
同氏は正しいルートをたどってトリコニー方面へ登って行き、自分は藪の前に撤退となった。
さて、その取り付きであるが、最初にゆるい岩壁を3mくらい登って藪に取り付くのであったが、この3mでいきなり難儀した。あと少しが登れず30分くらいは右往左往した末に、何とか力でハイマツの藪に分け入った。この藪が曲者で、高山の強風に鍛えられた枝は用意に自分を通過させてくれず、かといって下をくぐるにはパンパンに膨れた70Lザックが引っかかる。
最初の藪こぎを越えたところで小ピークが見えたときには少し不安であった。あの先に大きなギャップがあったらもう戻るしかないかもしれないのだ。幸いにも細い尾根とつながっていて、さらに草付きの急斜面を通過し、最後にもう一度藪こぎをすれば正しいルートに合流できそうだ。
藪もいやらしいけれど、安定したホールドが取れない草付の斜面もいやらしい、わしづかみの草がごそっと抜ければ滑落だ。
それでもあと少しで正しいルートに合流するところまで言ったのであるが、最後のやぶ漕ぎがどうしても越えられない。途中転んで顔まですりむいてしまった。このままやぶをこぎ続けているとここか稜線近いところででビバークになる。明日は大荒れの天気予報だから できれば今日中に標高の低いところまで戻りたい。悔しいけれど撤退しよう。いまなら岳沢テント場まで戻れるだろう。草付の斜面はピッケルを使って下りていこう。
そう決めて、コルまで戻ってきた。ここでザックの重さとやぶ漕ぎを勘弁してほしいという怠け心から、来た道を戻らずに楽して降りられないかという考えがわいてしまった。コルから来た道沿いに小ピークへ戻らずに、谷側へ下ってしまおうと考えたのである。右側(扇沢側)はざれた急斜面で危険度は高いけれども1ピッチの懸垂下降で谷底まで降りられそうである。谷底まで降りてしまえば、あとは出合まで歩くだけであるから安全なのではないか。左側(岳沢側)はやぶ気味の斜面が正規ルートの取り付きのほうへ続いているが、先のほうの様子がわからないし、草付の斜面をクライムダウンするのが大変そうだ。
ということで、コルから扇沢側へ下ることにしたのだが、これがとんでもない甘い考えであった。確かに岳沢側は南稜の取り付きの部分まで谷底をまっすぐ歩けることが、過去の記録でわかっていたのであるが、扇沢側はそうした事前情報があったわけではなかった。岳沢側がそういう地形になっていたから、きっと扇沢側もそうなっていただろうという考えに過ぎなかったのだ。
実際に谷底まで降りてみれば、出合まではさらに何段かの滝になっていたのであった。ハーケンを打てればさらに懸垂下降で降りられるかもしれないが、あいにく今回はその用意まではしてこなかった(実は直前まではそれも考えていたが、ゴルジュハンマーではなく普通のピッケルを持ちたかったので見送ったのだ)。
仕方がないから別のルートを探すしかない。コルまで登り返すことも考えたが、幸いにも谷底沿いではなく、緩いスラブを巻いていけば序盤で通ったやぶのほうへ行くことができそうだ。ただし、今やぶをこぎ始めるとやぶの中で日が暮れる。この辺で安全な場所を探してビバークしよう。見上げるとスラブの上に水平な場所があった。あそこまで登り返すことにしよう。そう決めて、早くザックをおろしたい一身でビバーク地へ登った。
ビバーク地は草がが突き出し、小石が散在する緩斜面で、テントを張るには狭すぎ、かつ斜面がきつすぎた。ツエルト泊になりそうだ。でも最初にすることは休憩だ。岳沢小屋を経ってから8時間くらい大休止は取っていない。今回は高速バスで細切れに目を覚ましてしまったので、睡眠時間も短めで眠い。ザックをおろしてから、そのまま草むらに寝転んでしばし仮眠を取った。疲れているときにはこんな劣悪な寝台も天国だった。
とはいえ、このままいつまでも寝ていたら冷え込んでしまう。ダウンジャケットを身に着け、雨具の上下を着込んでいるうちに、雨が降り始めた。ザイルはドライバッグに詰め、ザックにはザックカバーをかけた。ヘルメットにヘッドランプが固定できない。事態が良くわからないまま、とりあえず首にぶら下げて眠ることにした。跡から気がついたが、ヘッドランプを固定する金具が転んだ際に曲がったのだ。もしヘルメットがなければ頭を負傷していただろう。
雨が本降りになった。ツエルトをぽつぽつと雨粒がたたいている。横にもなれなかった涸沢でのツエルト泊(泊とは呼べないかもしれないが)に比べると、今度は斜面であるおかげで背もたれがあり、少しだけ横になることもできた。小さすぎてうなだれないと足がツエルトからはみ出してしまうことが相変わらずの欠点だ。これで明日はまた首が動かなくなる名と思いながらのビバークスタートであった。
前回の涸沢ビバークではまるで寝付けなかったのだが、今回はビバーク地に恵まれていた(?)おかげでまず10時まで4時間ほどは眠ることができた。雨粒がひっきりなしにツエルトをたたく中、4時間も眠れたことは良かったのだが、決して安眠ではない。寝返りを打つとお尻に岩が当たって痛い。再び体育座りに戻りながら、少しずつ自分にとって都合のいいポジションを取ろうとした。むろんここは斜面なので、調子に乗って下のほうにずり落ちていかないように気をつけながら。ツエルトから時々顔を出すと、ガスで星も稜線も見えない。濡れたくないしツエルト内のわずかな暖気を逃がしたくないからあわててツエルトをかぶりなおした。
日曜日は荒れるという予報通り、風が強くなってきた。時折突風が落石のような音を立ててはるか頭上を通り過ぎた、稜線では相当荒れているようだ。この調子だと雪になっているかもしれない。幸いにも、背もたれになっている穂高が突風を引き受けてくれたおかげで、ビバーク地ではツエルトがまくれてしまうような風にあうこともなかった。さらに覚悟していた雨による濡れもツエルトの中にいる限りはツエルト内部の結露による湿り気以上には濡れずに済んだ。ポンチョ程度の布を一枚かぶるだけでもかくも快適に10月の穂高の雨の晩を過ごせるのか。
座ったり寝たりを繰り返しているうちに「部屋」の中が静かになった。うとうとしているうちにツエルトをたたいていた雨がやんだようだ。それと同時に登山靴の先が冷えてきた。期待をこめてツエルトをめくると、夜中にはガスしか見えなかった目の前に、真っ暗な扇沢の稜線、明神の稜線に挟まれて巨大なオリオンが空に出ていた。今日はきっと晴れるだろう。大荒れの天気予報であったが、少なくとも吹雪や雨に打たれながらの下山は免れそうな状況に感謝した。ツエルトをかぶりなおすと氷のかけらがぱらぱらと体に降りかかったが、体はそれほど冷え込んでいない。
根気よく日の出を待った。山に囲まれていて日の出は遅れるのだ。ツエルトが凍るくらいだから、登ってきた緩いスラブもアイスバーン化しているに違いない。アイスバーンといっても薄氷一枚だから、アイゼンの爪は岩で滑るだろう。少なくとも滑落の危険の少ない藪をこぐほうがいいのではないか。ハイマツ帯をトラバースするのがすこぶる大変だから、できれば避けたいのだが。下山のことを考えながらすごした。
六百山、徳本峠のほうが高いから、ようやくモルゲンが始まったのが7時近かった。それでも雲ひとつ無い空をバックに稜線が赤く染まりだすのは有難かった。モルゲンの美しさに見とれると同時に、より安全な下山の可能性に感謝した。
明神岳は白いベールをかぶって冬山の姿に変わっていた。真っ白な冬山も美しいが、降り始めの季節に見られる白と茶の点描の初冬の岩稜もまた美しい。上高地周辺を散策予定というバスで臨席だった登山者は、大正池あたりから青空をバックに白い穂高連峰を満喫することができるに違いない。そして自分は安全に下山することができるだろう。行動を開始しよう。
立ち上がり、ツエルトをたたもうとした。凍り付いていて小さくたためない。まるめてザックの底に押し込んだ。そのザックを覆っていたカバーも堅く凍っていて、こちらは丸めることもできそうにない。ピッケルにも薄くて堅い氷に覆われていた。足許も凍っているに違いない。これだけ天気がいいのだ。行動を開始するのは荷物の氷を融かすほどの日差しを待ってもいいだろう。
まずは温かい飲み物をということで、アルコールストーブでお湯を沸かした。アルストの使い始めのころは、やかんの底がアルコール燃焼に伴って生じる水のせいで結露して揚句に炎が消えるようなことも何度も経験した。試行錯誤の末五徳を工夫した今なら杯2程度の燃料でマグカップいっぱいのお湯を沸かせる程度には使えるようになった。
沸かしたお湯に、たっぷりの黒砂糖を溶かして、じっくりと味わった。マグに砂糖が残っているときにはさらにお湯を継ぎ足した。山にいると無性にほしくなる甘すぎるほど甘く暖かい飲み物に元気をもらった。小説などで出てくる、蜂蜜をたっぷりと入れたレモンティーといった表現に困られた雰囲気が近頃は感覚的に理解できるようになった。黒砂糖湯を飲み、荷物をまとめつつ、辛抱強く日差しが来るのを待った。
暗い谷間に日差しが入り、岩が乾いたのが9時を過ぎていた。その間ハイマツを偵察し、緩いスラブ方面を下見し、スラブに靴の幅ひとつくらいある割れ目に沿って降りていけば、取り付き点方面に何とかつながっていることがわかり、やぶこぎを回避した。ただし割れ目まではホールドンまったくない斜面をビブラムの摩擦だけに命を預けなければならない。靴底に小石ひとつ挟まるだけで滑落だ。足許を慎重に見ながらまず割れ目の段差まで到着した。ひとまずこれで割れ目の先までは安心。割れ目の先に行くと、もう2,3回、ビブラムに命を預ける下降をする。岩がほとんど完全に乾いていたことにどれほど救われたか。最後に取り付き時と同様の軽い斜面をクライムダウンして、何とか岳沢まで加工した。
ここまでくれば岳沢小屋までは一気に下れると思っていたのだが、もうひとつ想定外のことがあった。がれ地を下っていくことで予想以上に体力を消耗したのである。岩ひとつ超えていくにも登り以上に時間がかかったような気がした。ツエルトで一晩うなだれていたおかげで懸念したとおり首が上がらない。快晴の中周囲の景色を楽しむゆとりも感じられなかった。
さらに止めを刺すように、いままで経験の無い右ひざの痛みが始まった。今までも急な段差ののぼりやくだりでひざを痛めたことは何度かあったが、ごく軽微なものであったし。ひざを大きく曲げるような動きさえなければどうということもなかった。ところが今回はがれ地で少しずつ負担がかかっていたのであろう、徐々に右ひざ周りの筋に痛みがたまり始め、小屋に近づくにつれてペースががっくりと落ちてしまった。岳沢小屋へ水を引くホースを右手に眺めつつ、右手先にもう小屋が見えているにもかかわらず大急ぎで歩けないのは焦るし辛かった。ただ忍耐強く一歩ずつ小屋に近づくしかなかった。有難いことに天気はいいし、時間は十分にある。
11時半ごろ小屋に到着した。テラスにいた外国人登山者にいきない"Are you OK?" 私"イエス"すりむいた顔のことを心配してくれた。テーブルでザックをおろしてベンチに座り込んでいると、通りかかった岳沢小屋のスタッフに「南稜から降りてきた人、どうして血だらけなんですか?」と聞かれてしまった。「藪をこいでて転んだので途中で撤退してきたんです。」ここの小屋は登山者に厳しいのだが、自分が南稜から降りてきたことを知っているくらい登山者の動向を見守ってくれているということなのだ。ちなみに血だらけといっても顔が擦り傷だらけということで、見た目ほど深刻な怪我ではない。
黒砂糖をかじり、アミノサプリを飲むといういつもの質素な食事をした。ハーネス、登はん具、ヘルメットをザックに押し込めると、ザックは見る見る巨大化した。空身でも立ち上がるとひざが痛い。これを背負って下山できるのか?というよりもすでに地面にあるザックを膝で担ぎ上げることができなかった。仕方が無いから、歩荷で重量物を背負うときのように、ザックをテーブルの上に置いてから背負うことにした。ここで生まれて初めてロキソニン2錠を飲んだ。
12時半、テーブルに乗せたザックを、1,2度失敗した末に何とか背負って岳沢小屋を出発した。右膝が、特に登りで痛んだ。もうここからは傾斜もそれほどきつくない普通の登山道なのだが、登りのときよりもペースが遅い。このまま途中で歩けなくなるのではないかと思ったが、ロキソニン恐るべし。暫くするうちに痛みが緩和されてきたではないか。これなら下山はできそうだ。
頭の中では、下山して温泉に入れるかの計算を続けた。上高地アルペンホテルは2時半までだからこのペースでは間に合わない。だとすると小梨平の大浴場だな。あそこは温泉じゃないけれどお風呂が清潔でくつろげるのでお気に入りなのだが、この膝の状態では小梨平まで回ってバス停に歩き返すのは無理かもしれない。それでもお風呂には入りたいから2時半までに下山できたら小梨平へ回ろうなどと思いをめぐらす。
ロキソニンは痛みを緩和してはくれるがパワーをくれるわけではない。また鎮痛しているからといって無理をかけるわけにも行かない。下山は普通はいいペースで降りられるものなのだが、登山時よりものろのろと下山を続けた。風穴を過ぎ、このコースではいよいよ安全地帯という木道交じりの森の中の登山道に入ったのだが、足が安定していないので滑らないかと心配しながらの下山となった。
そして、ようやく、岳沢登山口、上高地の遊歩道との合流点に到達した。生きてて良かった。登山口の看板と一緒に写真をとってもらった。上高地には黄葉の名残を惜しむ観光客が元気に散策していた。登山者にも大きい荷物ですねえといわれる70Lザックを背負って、擦り傷だらけの顔で文字通りゾンビのように歩いている登山者は観光客にとっては不気味に見えたのではないか。
河童橋まで戻る手前、梓川の土手に上がると岳沢から吊尾根が良く見える場所がある。登山を終えるに当たりもう一度振り返る。今までに経験のないほどの快晴だ。吊尾根が、奥穂が、奥穂から西穂の稜線がくっきりと見える。山に叱られ、山に守られたような今回の登山に感謝して長い間手を合わせた。
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