富士の日の出、朝食は
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富士の日の出、朝食は
カレーひもかわうどんにしてみました。
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カレーひもかわうどんにしてみました。
これかわ向かう高突山と左に龍王山、
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12/21 10:12
これかわ向かう高突山と左に龍王山、
明神山とその背後に両神山。
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12/21 10:11
明神山とその背後に両神山。
小鹿野町総合運動公園Pをスタートし、黒海土橋で赤平川を渡ります。橋上から明神山と両神山。キレイな桜が咲いていたのは此処だったんですね。
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12/21 11:00
小鹿野町総合運動公園Pをスタートし、黒海土橋で赤平川を渡ります。橋上から明神山と両神山。キレイな桜が咲いていたのは此処だったんですね。
案内図には「音明山」とあります。稲荷神社があるようなので行ってみましょう。
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12/21 11:07
案内図には「音明山」とあります。稲荷神社があるようなので行ってみましょう。
大きなイチョウの木の根元に井戸がありました。
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12/21 11:12
大きなイチョウの木の根元に井戸がありました。
思った以上に立派な稲荷神社でした。後でG地図を見たら「黒司稲荷神社」とありました。確かに社殿内の写真を見返したらその提灯がありました。
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12/21 11:13
思った以上に立派な稲荷神社でした。後でG地図を見たら「黒司稲荷神社」とありました。確かに社殿内の写真を見返したらその提灯がありました。
石燈籠「石間 新井市五郎」、紀年銘は無いようでした。
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12/21 11:16
石燈籠「石間 新井市五郎」、紀年銘は無いようでした。
拝殿には龍などの見事な彫刻
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12/21 11:16
拝殿には龍などの見事な彫刻
おキツネの彫り物と天井画、屋内にはさらにびっしりな天井画がありました。
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12/21 11:18
おキツネの彫り物と天井画、屋内にはさらにびっしりな天井画がありました。
拝殿左手の斜面に江戸期の石祠「文政元寅年八月吉日(1818)、當所濱田新左衛門」、
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12/21 11:20
拝殿左手の斜面に江戸期の石祠「文政元寅年八月吉日(1818)、當所濱田新左衛門」、
境内社かな。建屋内には三柱の神が祀られているようです。同じくG地図では「諏訪神社」とありました。
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12/21 11:23
境内社かな。建屋内には三柱の神が祀られているようです。同じくG地図では「諏訪神社」とありました。
石燈籠は意外に古めで「寛政十一己未年七月吉日(1799)」、「石寄進 岩殿沢 勘左衛門」ともありました。ということは岩殿沢石かな。
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12/21 11:23
石燈籠は意外に古めで「寛政十一己未年七月吉日(1799)」、「石寄進 岩殿沢 勘左衛門」ともありました。ということは岩殿沢石かな。
このあたりの赤平川右岸にはこんな平地があったのですね。正面に横瀬二子山と武甲山の頭。寺に向かう近道らしいのがあったので行ってみると、
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12/21 11:27
このあたりの赤平川右岸にはこんな平地があったのですね。正面に横瀬二子山と武甲山の頭。寺に向かう近道らしいのがあったので行ってみると、
とても立派な宝篋印塔がありました。
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12/21 11:31
とても立派な宝篋印塔がありました。
「下薄村 世ハ人・・・文化十五年戊寅初秋(1818)造立之」
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12/21 11:32
「下薄村 世ハ人・・・文化十五年戊寅初秋(1818)造立之」
「武斑疉齋 失畑庄 □常□ 下薄村 小鼻山延命寺 現住快秀 院代春山 吉隼詐因 爲法印快□ 念佛講中」
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12/21 11:33
「武斑疉齋 失畑庄 □常□ 下薄村 小鼻山延命寺 現住快秀 院代春山 吉隼詐因 爲法印快□ 念佛講中」
そして、何と力士の彫刻が施されていました!行司さんらしき方とその上は土俵でしょうか。
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12/21 11:34
そして、何と力士の彫刻が施されていました!行司さんらしき方とその上は土俵でしょうか。
「白川」関と
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12/21 11:35
「白川」関と
「錦木」関、現在の錦木関の何代前のお相撲さんでしょうか。両関の視線のやり取りが絶妙ですね!
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12/21 11:35
「錦木」関、現在の錦木関の何代前のお相撲さんでしょうか。両関の視線のやり取りが絶妙ですね!
車道の途中に出ました。この上に駐車スペースがあります。かつて寺子屋があった碑があります。
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12/21 11:42
車道の途中に出ました。この上に駐車スペースがあります。かつて寺子屋があった碑があります。
石燈籠(無銘)と「日本廻國供養」塔「天下泰平 國下安全 下薄村 行者□□」紀年銘ありましたが、写真と取り忘れました。
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12/21 11:43
石燈籠(無銘)と「日本廻國供養」塔「天下泰平 國下安全 下薄村 行者□□」紀年銘ありましたが、写真と取り忘れました。
前回は本堂の左手から登りました(結構大変でした)が、今回は右手の尾根筋から取り付きました。すぐに住職の墓地がありました。
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12/21 11:49
前回は本堂の左手から登りました(結構大変でした)が、今回は右手の尾根筋から取り付きました。すぐに住職の墓地がありました。
適当に斜面を登ると、尾根の方に石祠(無銘)がありました。こちらのルートの方が楽ちんでした。
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12/21 11:53
適当に斜面を登ると、尾根の方に石祠(無銘)がありました。こちらのルートの方が楽ちんでした。
そのまま尾根筋を登ると、ちいさなタワがありました。
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12/21 11:57
そのまま尾根筋を登ると、ちいさなタワがありました。
前回はあのタワーのような萬霊塔の方から登りました。
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12/21 11:58
前回はあのタワーのような萬霊塔の方から登りました。
小鹿野の街と屏風のような吉田丘陵南端部(仮称:小鹿野北アルプス、笑)、遠景は左に皆野アルプス、右に笠山などの奥武蔵の峰々
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12/21 12:01
小鹿野の街と屏風のような吉田丘陵南端部(仮称:小鹿野北アルプス、笑)、遠景は左に皆野アルプス、右に笠山などの奥武蔵の峰々
下小鹿野山〜信濃石御嶽山、背後に笠山、堂平山
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12/21 12:01
下小鹿野山〜信濃石御嶽山、背後に笠山、堂平山
この先で前回のコースに合流しました。山頂方面は右ですが、少し左に下ってみます。
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12/21 12:06
この先で前回のコースに合流しました。山頂方面は右ですが、少し左に下ってみます。
眼下に運動公園と黒海土橋、VANさんも確認できました!そしてもう少し下ると、
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12/21 12:08
眼下に運動公園と黒海土橋、VANさんも確認できました!そしてもう少し下ると、
私の記憶が正しければ…崩壊した石祠がありました。
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12/21 12:10
私の記憶が正しければ…崩壊した石祠がありました。
先程の分岐に戻り尾根筋を登ると、まさに極上の♪冬の散歩道
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12/21 12:19
先程の分岐に戻り尾根筋を登ると、まさに極上の♪冬の散歩道
北からの尾根(参道?)と合流する所に石燈籠があります、屋根が手前に落ちています。
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12/21 12:27
北からの尾根(参道?)と合流する所に石燈籠があります、屋根が手前に落ちています。
「奉納 石尊大権現/天明二(乙)寅六月(1782)/當所願主 斉藤和右衛門」、(乙)は壬の誤りだと思います。
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12/21 12:27
「奉納 石尊大権現/天明二(乙)寅六月(1782)/當所願主 斉藤和右衛門」、(乙)は壬の誤りだと思います。
新旧の石祠、右の方が古そうですが、無銘です。
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12/21 12:30
新旧の石祠、右の方が古そうですが、無銘です。
左は「奉納 石尊大明神/昭和十二年四月吉日 共有者一同」、少なくとも戦前ぐらい前までは雨乞をしていたのでしょうね。
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12/21 12:30
左は「奉納 石尊大明神/昭和十二年四月吉日 共有者一同」、少なくとも戦前ぐらい前までは雨乞をしていたのでしょうね。
現在はNHK、民放大手5社、そしてTV埼玉の電波乞のお山になっているようです。
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12/21 12:33
現在はNHK、民放大手5社、そしてTV埼玉の電波乞のお山になっているようです。
「大名山」標高=472.53 m三等三角点、山名標柱には「明神山」、案内板にあった「音明山」はかつて“音明山清松寺”があったことに因んだものみたいです。
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12/21 12:36
「大名山」標高=472.53 m三等三角点、山名標柱には「明神山」、案内板にあった「音明山」はかつて“音明山清松寺”があったことに因んだものみたいです。
西側は巡視路になっているので多少整備されていますが、すぐに両神側の里に下ってしまいます。そのまま尾根筋を進むと、
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12/21 12:40
西側は巡視路になっているので多少整備されていますが、すぐに両神側の里に下ってしまいます。そのまま尾根筋を進むと、
伐採地の展望適地、左から伊豆沢尾根、中央に熊倉山、その左に酉谷山、坊主山〜大平山
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12/21 13:00
伐採地の展望適地、左から伊豆沢尾根、中央に熊倉山、その左に酉谷山、坊主山〜大平山
手前右に四阿屋山、その向こうに秩父御嶽山方面、左奥にチョコンと妙法が岳の頭、霧藻が峰、白岩山方面
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12/21 13:01
手前右に四阿屋山、その向こうに秩父御嶽山方面、左奥にチョコンと妙法が岳の頭、霧藻が峰、白岩山方面
中央がこれから向かう高突山、右に下って龍王山、その上は三合落かな。
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12/21 13:01
中央がこれから向かう高突山、右に下って龍王山、その上は三合落かな。
右の肩越しにはるかな両神が見える
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12/21 13:02
右の肩越しにはるかな両神が見える
前回は373峰を踏んでから尾根筋を下って車道に降り、対面の沢沿いの支尾根を登りましたが、今回は一旦沢に降りてから車道に這い上がり、
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12/21 13:24
前回は373峰を踏んでから尾根筋を下って車道に降り、対面の沢沿いの支尾根を登りましたが、今回は一旦沢に降りてから車道に這い上がり、
こちらの巡視路に入りました。
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12/21 13:32
こちらの巡視路に入りました。
巡視路と言えばこの小板の階段、私の短い脚の歩幅にやさしくて有難いですぅ(笑)
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12/21 13:33
巡視路と言えばこの小板の階段、私の短い脚の歩幅にやさしくて有難いですぅ(笑)
先々週歩いた三田川、犬木方面、この下が不整合あたりかな。
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12/21 13:38
先々週歩いた三田川、犬木方面、この下が不整合あたりかな。
登って来た尾根の振り返り、左(三田川側)からの林道が尾根を乗っ越しながら折り返し、右(両神側)へ下って行くようです。
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12/21 13:53
登って来た尾根の振り返り、左(三田川側)からの林道が尾根を乗っ越しながら折り返し、右(両神側)へ下って行くようです。
ここは何となく覚えています。この後高突山のえげつない急登が始まります。
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12/21 14:09
ここは何となく覚えています。この後高突山のえげつない急登が始まります。
一寸一息ついてから、山頂直下にまた急登、名は体を表す里山ですね。
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12/21 14:17
一寸一息ついてから、山頂直下にまた急登、名は体を表す里山ですね。
やっとこさ高突山577M山頂とうちゃこです!
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12/21 14:23
やっとこさ高突山577M山頂とうちゃこです!
お昼は持参してないので、ここでおやつにしました。
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12/21 14:26
お昼は持参してないので、ここでおやつにしました。
この先、龍王山〜寶円寺の未踏区間です。ヤマレコ地図に記載ある一般ルートのようですが、えげつない急坂です。
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12/21 14:36
この先、龍王山〜寶円寺の未踏区間です。ヤマレコ地図に記載ある一般ルートのようですが、えげつない急坂です。
オマケに枯葉が積もっています。自作の枯葉混入防止スパッツが功を奏しました。
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12/21 14:44
オマケに枯葉が積もっています。自作の枯葉混入防止スパッツが功を奏しました。
冬至の名残紅葉
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12/21 14:45
冬至の名残紅葉
紅葉越しに明神山
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12/21 14:48
紅葉越しに明神山
今回初御目見得の城峯山
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12/21 14:51
今回初御目見得の城峯山
でもってここを登ったら、
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12/21 14:50
でもってここを登ったら、
龍王山482Mでした。「八大龍王 大平氏子中/明治廿六年旧七月六日(1893)造立」、日付間違いました!オイルショック!
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12/21 14:57
龍王山482Mでした。「八大龍王 大平氏子中/明治廿六年旧七月六日(1893)造立」、日付間違いました!オイルショック!
龍王と高突山
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12/21 14:57
龍王と高突山
龍王と両神山
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12/21 14:58
龍王と両神山
龍王山の下りも急坂です。
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12/21 15:04
龍王山の下りも急坂です。
傾斜が緩んだ所に何か建屋がありました。
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12/21 15:10
傾斜が緩んだ所に何か建屋がありました。
此処では何方が祀られているのか分かりませんでしたが、
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12/21 15:11
此処では何方が祀られているのか分かりませんでしたが、
さらに下ると鳥居があり「十二天」とありました。山ノ神を祀ったものと思われます。
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12/21 15:18
さらに下ると鳥居があり「十二天」とありました。山ノ神を祀ったものと思われます。
“南天(難転)の寺”寶園寺境内より四阿屋山
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12/21 15:25
“南天(難転)の寺”寶園寺境内より四阿屋山
秩父十三佛“釈迦如来”のお寺でもあります。
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12/21 15:26
秩父十三佛“釈迦如来”のお寺でもあります。
山門の扁額が「龍王山」でした!
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12/21 15:28
山門の扁額が「龍王山」でした!
参道のドヤ君
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12/21 15:30
参道のドヤ君
こちらの寺号標の山号は「両神山」です。どっちかな?まあどちらも良いですね。
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12/21 15:32
こちらの寺号標の山号は「両神山」です。どっちかな?まあどちらも良いですね。
「両神山」の寺号標と龍王山
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12/21 15:33
「両神山」の寺号標と龍王山
「如意輪大士/天保十三壬寅年□二月吉日建(1842)」
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12/21 15:35
「如意輪大士/天保十三壬寅年□二月吉日建(1842)」
旧中郷橋でしょうか?
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12/21 15:38
旧中郷橋でしょうか?
架橋記念碑に「石工 新井金三」銘、気になる!
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12/21 15:39
架橋記念碑に「石工 新井金三」銘、気になる!
御堂らしき建物と題目塔(昭和26年)と石祠と風化著しい石仏
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12/21 15:43
御堂らしき建物と題目塔(昭和26年)と石祠と風化著しい石仏
出浦市郎左衛門頌徳碑(明治二十五年,1892)。代々世襲で名主を務めた市郎左衛門は幕末の動乱期から明治の激動期に近隣の子供たちに寺子屋の師匠として教育を行う。この碑は門弟たちにより建立された。
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12/21 15:44
出浦市郎左衛門頌徳碑(明治二十五年,1892)。代々世襲で名主を務めた市郎左衛門は幕末の動乱期から明治の激動期に近隣の子供たちに寺子屋の師匠として教育を行う。この碑は門弟たちにより建立された。
権五郎落峠、R299志賀坂方面へ向かう道の辻にある石造物、その先に薬師堂があります。
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12/21 15:50
権五郎落峠、R299志賀坂方面へ向かう道の辻にある石造物、その先に薬師堂があります。
竹内以志女の碑
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12/21 15:51
竹内以志女の碑
「<サ>秩父坂東西國四國供養 文政十二年丑孟冬(1829)作成焉 當所新井(孫)左衛門 同人妻」、ご夫婦で百八十八箇所巡礼したのでしょうか。
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12/21 15:53
「<サ>秩父坂東西國四國供養 文政十二年丑孟冬(1829)作成焉 當所新井(孫)左衛門 同人妻」、ご夫婦で百八十八箇所巡礼したのでしょうか。
石燈籠には「古峯神社御神燈」、近くに古峯社があったのでしょうか。
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12/21 15:56
石燈籠には「古峯神社御神燈」、近くに古峯社があったのでしょうか。
そして薬師堂です。
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12/21 15:57
そして薬師堂です。
石燈籠には「奉献 薬師尊」、
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12/21 15:57
石燈籠には「奉献 薬師尊」、
「嘉永五子年仲冬穀旦(1852)建」
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12/21 15:58
「嘉永五子年仲冬穀旦(1852)建」
短めの石塔があったので覗いてみると巳待塔の一部のようです「<ソ:弁財天種子>巳…/宝暦十…」
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12/21 16:00
短めの石塔があったので覗いてみると巳待塔の一部のようです「<ソ:弁財天種子>巳…/宝暦十…」
集会所前の石祠「大正六年八月吉日(1917)建之/坂戸穴部耕地中」
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12/21 16:04
集会所前の石祠「大正六年八月吉日(1917)建之/坂戸穴部耕地中」
竹内いしの墓、説明板。明治の七大孝子の首席に選ばれたそうです。
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12/21 16:06
竹内いしの墓、説明板。明治の七大孝子の首席に選ばれたそうです。
史蹟 竹内以志之墓
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12/21 16:07
史蹟 竹内以志之墓
御霊神社
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12/21 16:15
御霊神社
「奉點 御神燈」とある石燈籠の火袋から四阿屋山。“奉點”は初めてだと思います。
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12/21 16:16
「奉點 御神燈」とある石燈籠の火袋から四阿屋山。“奉點”は初めてだと思います。
「明和七歳次庚寅十一月吉日(1770)」
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12/21 16:16
「明和七歳次庚寅十一月吉日(1770)」
頼朝から逃れた大庭景親(鎌倉権五郎景政の曽孫)与党が当地に落ちのび、八幡大神と始祖景政公の霊を祀ったのが起源だそう。
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12/21 16:18
頼朝から逃れた大庭景親(鎌倉権五郎景政の曽孫)与党が当地に落ちのび、八幡大神と始祖景政公の霊を祀ったのが起源だそう。
拝殿左手の小高い所に小さな御堂といくつかの石造物、その中に大日如来立像が御座いました!早速、秩父大日尊コレクションに加えましょう。
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12/21 16:25
拝殿左手の小高い所に小さな御堂といくつかの石造物、その中に大日如来立像が御座いました!早速、秩父大日尊コレクションに加えましょう。
その御堂前から熊倉山、酉谷山、坊主山の眺め
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12/21 16:26
その御堂前から熊倉山、酉谷山、坊主山の眺め
擁壁上の畑地の隅に馬頭尊(明治二十…)
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12/21 16:33
擁壁上の畑地の隅に馬頭尊(明治二十…)
またもや擁壁上に「両神神社表参…」、こちらは近づけませんでした。以前モンブランさんが見つけた物かな?
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12/21 16:36
またもや擁壁上に「両神神社表参…」、こちらは近づけませんでした。以前モンブランさんが見つけた物かな?
小森川の上に熊倉山と雲取に向かう峰々
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12/21 16:37
小森川の上に熊倉山と雲取に向かう峰々
駐車地に戻ってゴールです。明神山(大名山)と両神山が見えています。
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12/21 16:58
駐車地に戻ってゴールです。明神山(大名山)と両神山が見えています。
黒海戸から大名山、その後に高突山への支尾根を辿るルート、ちょうど計画していたルートでしたので参考になり・・・。だいぶ切れ切れだけど何とかなります
冬場の里山歩きにもってこいですね、お疲れさまでした〜
かつてはここから尾根筋を辿り、天武将尾根経由で両神山頂に立つのが目標でしたが、今となっては叶いそうもありません(笑)
ブツ切れ、本当に申し訳ありません。私自身もとてもストレスになっているので、いよいよスマホかなと思ってはおりますが、そちら関連はつい腰が重くなってしまって…
権五郎落峠は前回はそのまま・373峰の尾根から車道降りて、対面する沢右岸の尾根に取り付いたと思います。ホントに冬枯れの山歩きには最適なコースだと思います。私も近々また奈良尾峠まで歩いてみたいと思っています。毘沙門の絶景が楽しみです。それでは。 godohan
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