燕岳 宮城ゲートからピストン 中房温泉,燕山荘宿泊
- GPS
- 17:21
- 距離
- 37.1km
- 登り
- 2,927m
- 下り
- 2,922m
コースタイム
- 山行
- 3:51
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 3:52
- 山行
- 4:40
- 休憩
- 0:58
- 合計
- 5:38
- 山行
- 6:15
- 休憩
- 1:02
- 合計
- 7:17
天候 | 1日目 曇り 2日目 小雪 稜線より上は吹雪 3日目 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
帰路 宮城ゲートから穂高駅までタクシー 4400円 15時20分発大糸線→1550松本 16時54分発しなの→19時07分名古屋着、19時17分発のぞみ→19時51分京都着 穂高駅には特急券買える自販機あるので便利 |
コース状況/ 危険箇所等 |
ゲートから着雪あり。アスファルトが出てるところもあるが、最初の変電施設からはずっと雪。ワタクシはチェンスパ履きました。 中房登山口からは12本爪アイゼン必要。稜線から上はトレースも消える感じで苦戦した。ワカンに換えた方がよかったかも。 下山時はトレースバッチリでした。 |
写真
感想
今年も燕山荘チャレンジでの年明けを企てる。去年は1月1日から3日間だったが、今年は1日ずれて1月2日スタート。もう経験者ですねん長い林道歩きも幌尻岳新冠コースで鍛えられましてんラクショーっしょと舐めてかかり返り討ちに逢う。
京都駅07時06分発の新幹線に乗れるよう家を出たのだが、自宅最寄駅でカメラを忘れたことに気がつき、青ざめながら戻る。京都駅でザック担いで冬靴のまま走り、なんとか間に合った。幸先悪し。
去年はアスファルト路面だった宮城ゲート、今年は雪が付いており、最初からチェンスパ装着して出発。網シャツ、ジオラインM.W、U.L.サーマラップジャケットにハードシェルで歩き出したが、暑くてすぐにハードシェルは脱いだ。結局最後までそのまま。
路面の雪は時々途切れたけど、最初の発電施設から先はずっと繋がった。曇り空のもと、黙々と歩く。二回目とはいえ遠いものは遠いのである。去年は猿の群れと出会ったが、今年は居なかった。三回くらい休憩とって15時、中房温泉到着。到着前から雪が降り始め、明日はダメかもなあとボンヤリ考える。
2日目 05時30分起床06時00分朝食。朝食時の燕山荘天気予報で上は吹雪、降雪70cmと伝えられゲンナリする。上まで行けるかどうか悩みつつ7時出発。初っ端からバラクラバに12本爪アイゼン装着したが、暑くなりバラクラバはすぐにポケットへ。合戦尾根をゆるゆる進む。途中薄日が差すこともあったが、基本ずっと粉雪が舞ってる感じ。
合戦小屋でストックからピッケルに持ち変え、ゴーグル装着して出発するも、小屋からの直登で身も心もバキバキにへし折られる。稜線に出たら5分ほど前に登ったパーティーのトレースすらあっという間に消えてしまう世界。目印の竹竿を頼りに進むが、時折トレース外すとズボズボ沈みまくり、嗚呼、これが厳冬期北アルプスの本気なのかと嘆息しても後の祭り。結局合戦小屋から燕山荘までの2區覆爐里貌鷸間かかった。フラフラになって小屋にたどり着きランチパックで腹を満たす。クタクタだったが、横になると高山病になるので談話室でひたすら読書に勤しむ。お陰で?今回は高山病発症せず。横にならない、水分取る、鼻からの深呼吸を心がける、でしのげた。翌日は晴れの予報。どうなるかなと心配しつつ20時頃就寝。
3日目 05時30分起床06時00分朝食。整えて07時00分出発。霧はあるが風はなく穏やかな朝。やがて雲の向こうに突如槍の方が顔を出し、皆で大騒ぎ。もっともワタクシはアイゼンの装着に滅茶苦茶手間取ってしまった。ベルトが全然滑らなかったのよね。凍結してたのかしら。
風もないので山頂を目指す。ザックは担いでいったが、小屋にデポした人が大半。その方がよかったんだろうなと思うけど、靴とアイゼンを一度脱いでまた付けるのが面倒だったのである。
山頂は見えぬまま進んだが、途中から霧が晴れて女王様にお目見えし滅茶苦茶テンション上がる。アホみたいに写真撮りつつ進み、8時頃無事登頂。しばし絶景を堪能する。その後下山するも、何度か足を取られてスリップを期す。足元見たらアイゼンがグラグラ。慌てて締め直す。何かいろいろダメであった。
絶景見ながら9時頃小屋に戻り、あとはひたすら下山。急坂で三度ほどスリップしたが、合戦小屋からは順調に降りられた。昨年はここで何度もスリップしたんだけど雪が少なかったからかな?11時20分頃登山口に降りてアイゼンからチェンスパに換装。タクシーの予約電話を入れて粛々と林道を下る。今年はここがきつかった。足が完全に売り切れて3キロごとに休憩入れてノロノロ進む。14時40分頃なんとか無事下山したが、いやあ、キツかった。やっぱ山頂往復はザックデポすべきだったか?
というわけで、なんとか無事にこなしたけど、いろいろ課題は残る山行となった。もう流石に厳冬期燕岳はおしまいかねどうだろうかねあなたどう思いますか。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
「大願成就」「登山 三十三度」と読めるので、江戸時代に流行った「富士講」のように、信仰の山である「有明山」にも「講」が作られ、三十三度の登山(いわば「修行」)を達成した記念碑的なものじゃないかなあ?
近年のこのエリアでは燕岳が絶大な人気を誇っていますけど,このエリアの歴史についてもちょっと興味を覚えました。
「明治11年(1878)、有明山を御嶽山同様の信仰の山とすべく、3年間かけて巨額の私財を投じ有明神社里宮を復興。以後、約30年間にわたり、その付随施設整備のため一生を捧げました。明治13年には、御嶽教と同様に「有明講」を起こし、日夜伝導教化に務め、講数800、講員3,200、信仰者3万520余戸、信徒10万人となり、地方宗教界の一王侯の観がありました。」(安曇野市の先人たちより)
とあります。
石碑も「有明講」に関するものだと思います。有明山神社にも同様の石碑があるそうです。
この時期に建てられた有明山神社の「祐明門」は、彫刻が見事なものでした。
一見の価値があると思います。
地方史というのは,深いですね。長野県の山にお世話になっている者として,今後も興味を持ち続けられたら,と思います。有明神社にも改めて一度訪れてみます。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する