室堂から立山博物館・魚津埋没林博物館・入善沢スギ+宇奈月温泉散策
- GPS
- --:--
- 距離
- 12.9km
- 登り
- 115m
- 下り
- 115m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
写真
感想
立山室堂から始発バスで9時過ぎ立山駅へ、予約したタクシーで立山博物館を見学、立山曼荼羅や立山地域の地質・地形の形成史などの展示を見る。富山・立山黒部などの地質地形形成史の展示は今回、立山博物館・魚津埋没林博物館、富山市科学博物館などで見ることができたが、いずれも興味深いものだった。また立山博物館では目玉の立山信仰の歴史、修験道や曼陀羅などの展示があったが、撮影できないのは残念だった。立山博物館を出てタクシーで閻魔道(廃仏毀釈で破壊された修験道盛んな時代の中心地「芦峅寺」の唯一の名残のお堂)を見学、千垣駅から魚津に出る。魚津では駅前の観光案内所でチャリを借り、埋没林博物館を訪ねる。埋没林は黒部川扇状地の末端の海岸付近で繁栄したスギ林周辺の湿地が泥炭層で埋まり、さらに砂礫層の堆積で衰退し、海岸浸食で一部が改訂で露出したもののようだ。、魚津に関係する地質や岩石、北アルプス隆起などに関する展示も面白い。繰り返し訪れる氷期と温暖期に関する高山と海底における証拠などの他、埋没林および蜃気楼に関するビデオも見学、埋没林はこれから訪問する入善の沢スギとの関連も展示していた。その後首位中展示室と感想展示室を見学し、再びチャリで今度は天神山にある魚津市民俗歴史博物館まで30余り走る。途中片貝川を渡る。天神山の標高は162m、博物館はその中腹にあり、山頂付近には弥生から中世までの遺跡もある。歴史民俗資料館は主に民俗資料が収蔵され、吉田記念郷土館の方に考古資料が収蔵展示されている。今回は吉田記念郷土館のみを見学。赤土の中の旧石器時代の石刃から近代までの資料が展示されている。中心は縄文時代で早期から晩期の風土記と東北や中部高地文化との交流、早月上野遺跡などから出土した石棒や独鈷以西、土偶や石刀、石剣などの祭祀具が多数展示されている。また糸魚川に近いためか、早月上野遺跡のヒスイ製装身具などの他、三製品もあることから製作遺跡でもあるようだ。こうした文化は古代に至るまで継続していたかもしれない。数日前に朝日町の埋文KANで話を聞いたり展示を見た境A遺跡は古代の浜山玉作り遺跡を思い出す。また天神山遺跡では中世城だけレ\でなく弥生高地性集落かと思われる土器も出土し、長い天神山の歴史を示している。戦国時代には上杉川と織田軍との戦闘の歴史も刻んでいるようだ。
展望室には寄付者のYKK吉田工業に関する展示もあり、地方文化の一面を垣間見る。館を出て再びチャリで魚津駅まで戻りチャリ返却、電車で入善駅に向かい、杉沢の沢スギ自然館を見学、魚津埋没林よりさらに古い8千~1万年前の海底林に関する興味深い展示を見る。温暖期の縄文海進時代に全盛を誇った縄文クリ文化ーその森林にはハンノキやヤナギ類など。1万年前の入善海底林にその片鱗が見られる貴重なものだ。さらに湿潤温暖な気候の中でスギ林が成長し、弥生時代以降の主要な木材資源になる。その当初のスギ林には海岸付近の低地のスギ林があり、魚津海底りにゃ現存する貴重な入善町杉沢の沢スギがあった。大半の湿地性の低地スギ林は開拓などで消滅し、わずかに残った沢スギを見ることができ、貴重な顕件だった。ここkららはタクシーで黒部川を渡って新黒部駅まで進み、宇奈月温泉まで鉄道で移送、宇奈月温泉奥の遊歩道を散策し、電気記念館を見学して、富山に戻る。今回は時間がないのでトロッコには乗れなかったが、いずれ欅平から剣沢方面を歩きたいものだ。富山に戻り、宿舎にチャックインしてから路面電車で上本町にむかい、Tookate自転車ショップで一晩チャリを借りる。自転車は様々なタイプを選べるが、今回は時間がないので慣れたクロスバイクを借りる。チャリでホテルに戻る途中、中華夕食。ホテルではランドリーで機械が一台しかないので選択感想が終わるまで大変だった。
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