北穂高〜雪崩から奇跡の生還
- GPS
- 56:00
- 距離
- 33.0km
- 登り
- 1,712m
- 下り
- 1,710m
コースタイム
- 山行
- 5:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:30
- 山行
- 4:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:00
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:00
天候 | 1日目:曇りのち吹雪/2日目:晴れ/3日目:雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
4/30日は晴天も前日に降った50cm余の積雪が雪崩の巣となって、太陽が高くなってからはとても登れるような状況ではありませんでした。気温が高くなってから遅く強行した自分も撤退するタイミングも最悪でした。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
長袖インナー
ハードシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
雨具
ゲイター
マフラー
ネックウォーマー
バラクラバ
毛帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
サブザック
アイゼン
ピッケル
ビーコン
スコップ
ゾンデ
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
調味料
飲料
水筒(保温性)
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
針金
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ナイフ
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
ヘルメット
|
---|---|
備考 | ■これで雪崩から助かったもの... ・ヘルメット(後ろから氷の塊に突き飛ばされて転倒しても顎と鼻の裂傷だけで済んだ) ・ザックに入れたダウンウェア(浮袋のような役目で雪崩の上面に浮くことができたのかも) ・ピッケルリーシュのアクセサリーカラビナ(雪崩の中ではピッケルがアンカーになるので危険だと聞かされていたので、力がかかるとすぐに壊れるアクセサリー用のカナビナに交換していたが大正解であった) ■持っていけばよかったもの... ・ビーコン ・ゾンデ棒 |
感想
GW前半は未踏の北穂高へ!
3月に西穂を制覇して、少し自信過剰になっていたと思います。
西穂は確かに岩だらけの稜線歩きで、足元踏み外せない緊張感がありました。
比べれば北穂(南陵)は体力勝負。
先行者のステップが切られていれば、足を置いて行くだけで稜線までたどり着けます。
コンディションさえ良ければ...
計画は3日間で、涸沢に2泊。
2日目に北穂のピストンの予定。
前日は仕事に終われて残業から、深夜出発を余儀なく徹夜でドライブして沢渡入り。
バスで上高地に入ったら、登山届を提出してトレッキング開始。
横尾で上部積雪30cmの知らせが...まあ、この時期冬に戻ることはよくあるので、気にせず横尾橋を渡ります。sガレを過ぎるとカールまでは、ほぼ一直線の直登ルート。
しかも、時折吹雪いて来ました。
なんとかカールに着いて、テントの場所を決めるとシャベル片手にせっせと整地。
風か強そうなので、壁はテントの高さの半分以上にします。すでに整地だけで体力消耗。
吹雪の中でのテント設営に苦労しました。
この日は夜まで、ずっと吹雪。
ようやく風が止んだのは21時頃。
深夜は満点の星空でした。
そして、運命の2日目。
風が収まって寝付けたのが深夜だったので、朝寝坊してしまい、目が覚めた時にはすでにモルゲンの真っ最中。
すでに北穂に向けて登り初めている人多数。
自分もそそくさと準備を済ませて、6時に出発。
涸沢山荘の手前でこの日GWの特別警戒で長野県山岳救助隊の方々から、雪崩への注意を受けます。
思えばこの時は他人事のようにしか感じていませんでした。
北穂は南陵と東稜ルートが有りますが、冬道は明確なルートが切られているわけではありません。先行者が付けたトレースとステップを頼りに北穂山荘直下の稜線まで登ります。
天気は最高!
しかもTシャツでもOKなほど気温が高く、明け方は締まっていた雪もみるみる腐って行きます。
ちょうど半分くらい登ったころだったと思います。時刻は7時過ぎくらい。南陵ルートの夏道あたりで最初の雪崩が発生。誰も通らないルートなので被害はありません。しかし、ここから恐怖の雪崩バーゲンセールの始まりです。
ここからほぼ5〜10分置きくらいでどこかしらで雪崩が発生。GWの北穂は雪崩の巣だとは聞いていましたが、ここまでとは思いませんでした。
しかも上部に行くほどに雪崩が近くなって行きます。すぐ脇の数m横が流れて行ったり、時にはとっさにトラバースして避けていました。
そんなときに脇を登っていた人が雪崩に流されて50mくらい滑落。
幸いにも手を振って無事を知らせています。
これを見ていた、自分の前の人が撤退を決断。
自分もこの先は登れても降りれない可能性が高いので撤退を判断。
しかし、ちょうど雪崩のピークの時間帯で、もう少し雪崩が落ちきるまで待った方が良かったのが正直な感想です。
ん?どこで待つ?^_^;
撤退と決まればその場に長居は無用です。
ザックに入れたヒップソリで高速下山。
しかし、シリセードやったことある人はわかると思いますが、重力に従って滑ると必然的に谷の方に吸い寄せられます。
雪崩の通り道だと言うのに...
ヒップソリも緩斜面にて、進まなくなったところで自分的には雪崩の危険地帯から脱出したつもりでした。
そんなときに後ろから雪崩の叫び声。
振り向くとかなり大粒の雪の塊が凄い勢いで迫ってました。トラバースで避けられるだけの猶予はありません。
とっさに背中を丸めて対衝撃姿勢を取ります。
ド〜ン!!!
まるで車に跳ねられたような衝撃と共に前方に突き飛ばされ、上から容赦なく氷の塊が覆い被さってきます。
ああ〜これは死んだな...と、今までの人生が走馬灯のようにフラッシュバックしました。マジに...
どのくらい流されたかわかりませんが、動いているスピードが速い事は、体を覆い被さっている氷の振動から分かります。
ならば動いているうちにいぬかきでもがいていると、顔が雪崩の上面に上がりました。
さらに上半身まで起こせると、一気に体ごと雪崩の上面に出すことが出来ました。
しかし、体は上面に浮いても雪崩自体は動いています。
私を乗せたまま、滑り落ちること数百m。
船の着岸のように尻の下で完全に動きが止まるとこを確認できた時には、すでに涸沢小屋の真横まで流されていました。
デブリを横切って完全に安全地帯まで避難できると、私が流されているところを見ていた方々と無事を称え合いました。
ガッツリ握手して、よう助かった!
マジに涙が出そうになりました。
だけど上流で最初に流された私を見ていた目撃者からは下流で無事に脱出できたかどうかなんて分かりません。
涸沢小屋で生還の祝杯を上げていると、なにやらさっきまで私が乗っていたデブリ付近で、山岳救助隊がビーコンとゾンデ棒で埋没者捜索初めています。
慌てて戻って事情を説明しました。
他にも巻き込まれた人は全員無事で、確認取れていなかったのが私だけだったようです。
遭難者が安否確認をしなかったせいで、救助隊の皆様に余計な捜索をさせてしまい、大反省です。
目撃情報も100%では無いので、結局午後まで捜索は続けられていました。
本当にご苦労様です。
昼飯を食いにテントに戻ると、さらに情報が錯綜。まだ埋まっている人が居るとか、誰か死んだとか、北穂沢を指差して皆呟いています。
当事者だと言い出しずらくなって、そのままテントに潜り込みます。
命拾いしたのを実感すると、急激な睡魔。
そのまま夕方まで爆睡。目が覚めると今日起きた事は夢だったような錯覚に陥ります。
でも、すべて自分の身に起きたことは現実であり、今もこうして生きているのも事実です。
山の神に感謝します。
目か覚めて、重大な問題を抱えていることにも再認識します。
実は雪崩に巻き込まれた時に左足を捻られました。脱出直後はアドレナリン出ていたので気にならなかったのですが、落ち着くと猛烈な膝の痛み。
救助隊の方にも足を引きずっていることを心配されて救助要請を勧められたのですが、その時は「這ってでも下山します!」と虚勢を張りました。
しかし、現実にはとても冬山テント泊(しかも2泊)装備背負って上高地まで下山できる気がしません。
ヒュッテのトイレ行くにも一苦労。
不安な夜を過ごします。
そして3日目。
4時に起きて撤収開始。
5時過ぎには涸沢を出発しますが、案の定亀の足。どんどん抜かされます。
何しろ左膝が全く曲がりません。でも、骨には異常無いので、まっすぐにしている分には片足で体重を支える事は出来ます。
慎重に半歩ずつ段差を降りながら5時間かかって横尾着。
ここまでくれば本当に這ってでもいつかは上高地まで戻れます。
しかも坂が少ないので膝が曲がらなくても両足で歩けます。
結局トータル9時間で上高地着。
終バスには余裕で間に合いました。
この3日で起きたことは、私の山人生の上で貴重な体験になったと思います。
これで冬山嫌いになったかと言うとNoです。むしろ足が治ればすぐにでもリベンジに登りたい気分。
反省することは多かれど、後悔はありません。
山に絶対はありませんが、経験値(失敗の)がむしろリスクを減らして行くことを信じます。
1ヶ月遅れのコメントになりますが、ご無事だったことを喜んでおります。
2年前の2/28に同じように山スキー時に雪崩に巻き込まれ九死に一生を得たものとして唯々おめでとうと言いたいです。
ビーコンは必携ですね。先日、連休中に白馬大雪渓で雪崩事故で行方不明だった人の捜索隊とお会いしましたが、5/20に発見されるまで20日以上かかっていました。捜索隊の方にばず「ビーコンお持ちですか」と聞かれました。
雪崩の遭遇後、雪崩の危険性がある時はヤマレコの投稿者に奨められたエアーバック付のザックで行くことにしています。
一度雪崩に遭うと雪山では常に雪崩のことが頭の片隅によぎります。
当日(4/30)に八方尾根に山スキーに出掛けましたが、雪崩が起きそうなので途中から尾根を滑りゲレンデスキーに切り替えました。
いくら注意しても遭遇しないと限りませんのでいざという時最小限の迷惑で済むよう登山届にルートを明記することとビーコンを携帯することは守っております。
雪崩に遭った時、私も泳ぎました。効果あるような気がします。呼吸ができるように口の周りを手で空間をつくるとの話もありどちらが正解か分かりませんが。
巻き込まれている間も意外に冷静でありませんでしたか。
こんな目に遭っても止められませんね。
お互い、出来るだけ気をつけて楽しみましょう
コメントありがとうございます。
実はエアバッグ内蔵ザックをヒントにザック内にダウン詰め込んで登ってたんですよ。
軽くてカサのあるもの詰め込んでおけばザック自体が浮袋になると思っての対策でしたが、試したその日に実践できるとは思いませんでした。
GWの涸沢は特別に山岳隊が常駐していましたが、GW外せばビーコン持っていたとしてもわかりません。
ビーコンを否定するわけではありませんが、他者の目撃情報と他者のビーコンによる捜索があってからこそ有効な手段であり、偶然と”運”の域は拭えません。
必然にするためにはまだまだ認知度も普及度も低いと思います。
私自身こんなに短時間(夜明け後2Hで気温+12度)でコンディションが悪くなるとは思っても居ませんでしたし、当時は必要性は感じていませんでした。
それは自身が遭難した後でも変わりません。
やはり必要なのは他者に頼らない、セルフレスキューに対する備えだと思います。
それは長く沢屋をやっていた(ビバークは日常茶飯事)私の考えなので、多くの山屋さんから見れば異見かもしれません。
エアバック内蔵ザックは特にセルフに有効な手段だと思います。
何しろ生存率が75⇒97%に上がるんですから、”ほぼ死なない”と思って良いと思います。
あとは”もがく”ことですかね?
流れが止まってしまったら何百kgという雪の中に閉じ込められてしまうのですから、呼吸を確保したとしても延命して数分。
とにかく雪が動いている内にもがいて泳いで上面に”浮く”事が大事だと思います。
特に今回距離にして400m超、1分近く流されていたので、浮いてから流されている時間の方が長かったくらいです。流れる雪崩の上に座りながら他の登山者に「雪崩避けろ〜」とか叫んでました。
実はザックに後付できる汎用エアバックを作れないか、現在メーカーと模索しています。
緊急時に膨らまなくても、最初から膨らまして装着しても良いかもしれません。
危険な場所の時だけ装着して、邪魔になれば空気を抜けば良いのですから。
この経験を糧に、皆がより安全に雪山を楽しめるようなアイデアを模索しております。
幸いにも前十字断裂の重症だった膝は回復に向かっております。
現在リハビリ中ですが、来月になったら低山から徐々に復活したいと思います。
ありがとうございました。
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