ドンロドリゴ上陸地
慶長14年(1609年)9月30日前フィリピン諸島長官ドンロドリゴが任期満ちてメキシコに帰ろうとルソンのマニラ港からスペイン帆船サンフランシスコ号でメキシコのノビスパンのアカプルコ港へ向う途中、暴風雨にあいこの海岸に座礁した。
夜半317名の乗組員が上陸したが岩和田村の人々はこれを暖かく迎え手厚く保護し幕府の指示が下るまでの37日間当地の大宮寺に滞留させた。
1
5/4 7:42
ドンロドリゴ上陸地
慶長14年(1609年)9月30日前フィリピン諸島長官ドンロドリゴが任期満ちてメキシコに帰ろうとルソンのマニラ港からスペイン帆船サンフランシスコ号でメキシコのノビスパンのアカプルコ港へ向う途中、暴風雨にあいこの海岸に座礁した。
夜半317名の乗組員が上陸したが岩和田村の人々はこれを暖かく迎え手厚く保護し幕府の指示が下るまでの37日間当地の大宮寺に滞留させた。
4月20日〜5月31日まではメキシコ公園付近は工事のため通行止め。迂回する必要があります。
ただし、ゴールデンウィーク(GW)中(4月28日〜5月7日まで)は通行可能。
0
5/4 7:49
4月20日〜5月31日まではメキシコ公園付近は工事のため通行止め。迂回する必要があります。
ただし、ゴールデンウィーク(GW)中(4月28日〜5月7日まで)は通行可能。
日西墨交通交通発祥記念碑メキシコ記念公園
0
5/4 7:55
日西墨交通交通発祥記念碑メキシコ記念公園
1609年、フィリピンからメキシコへ向かうスペイン船が嵐に会いこの地に難破し乗員多数が村民に救助され、翌年、徳川家康によって無事本国へ送還された。これが三国修好の契機となった。この史実を記念し碑が建てられた。
1
5/4 7:56
1609年、フィリピンからメキシコへ向かうスペイン船が嵐に会いこの地に難破し乗員多数が村民に救助され、翌年、徳川家康によって無事本国へ送還された。これが三国修好の契機となった。この史実を記念し碑が建てられた。
メキシコ記念公園からは外房の海辺が見渡せます。
御宿から勝浦方面の景色
1
5/4 7:57
メキシコ記念公園からは外房の海辺が見渡せます。
御宿から勝浦方面の景色
記念公園の突端にこのような銅像がありました。
1
5/4 7:57
記念公園の突端にこのような銅像がありました。
岩和田漁港
0
5/4 7:58
岩和田漁港
メキシコ記念公園から下ってきました。
0
5/4 8:00
メキシコ記念公園から下ってきました。
御宿海岸
1
5/4 8:03
御宿海岸
月の沙漠像
童謡「月の沙漠」は、学生時代この地に遊んだ加藤まさをが大正12年にこの砂浜をモチーフに作詩したものといわれている。
近くで撮ると砂漠にいるみたい。
3
5/4 8:10
月の沙漠像
童謡「月の沙漠」は、学生時代この地に遊んだ加藤まさをが大正12年にこの砂浜をモチーフに作詩したものといわれている。
近くで撮ると砂漠にいるみたい。
御宿駅
No17 御宿海岸を歩くみち 走破。
0
5/4 8:18
御宿駅
No17 御宿海岸を歩くみち 走破。
国道128号を走り、No18のスタート地点へ向かいます。
この間、歩道幅が狭い車道を行くので注意が必要です。
勝浦市に入りました。
市公認キャラクター・カッピーがお出迎え。
1
5/4 8:35
国道128号を走り、No18のスタート地点へ向かいます。
この間、歩道幅が狭い車道を行くので注意が必要です。
勝浦市に入りました。
市公認キャラクター・カッピーがお出迎え。
No18のスタート地点へ到着。
この先の路地を左に入ります。
0
5/4 8:44
No18のスタート地点へ到着。
この先の路地を左に入ります。
しばらく海沿いの港町沿いを進みますが、勝浦市役所から海辺の稜線へ向かいます。
0
5/4 9:14
しばらく海沿いの港町沿いを進みますが、勝浦市役所から海辺の稜線へ向かいます。
官軍塚
戊辰の役末期の明治2年1月3日夜、熊本藩兵350人を乗せた船が、市内川津沖の岩礁地帯で難破し、130数人の死者を出しました。地元川津では総出で救助にあたり遭難者を埋葬供養したのがこの官軍塚です。この船は熊本藩主細川韶邦(よしくに)が函館五稜郭で榎本武揚鎮圧に苦しむ実弟の津軽藩主津軽承昭(つぐあきら)を救援するため、横浜で米国汽船を雇い出発させたものです。なお、官軍塚碑は昭和44年2月8日、百年忌を記念して建立されました。また、川津津慶寺(しんけいじ)には遭難者の過去帳と熊本藩兵埋葬の碑が残されています。
1
5/4 9:27
官軍塚
戊辰の役末期の明治2年1月3日夜、熊本藩兵350人を乗せた船が、市内川津沖の岩礁地帯で難破し、130数人の死者を出しました。地元川津では総出で救助にあたり遭難者を埋葬供養したのがこの官軍塚です。この船は熊本藩主細川韶邦(よしくに)が函館五稜郭で榎本武揚鎮圧に苦しむ実弟の津軽藩主津軽承昭(つぐあきら)を救援するため、横浜で米国汽船を雇い出発させたものです。なお、官軍塚碑は昭和44年2月8日、百年忌を記念して建立されました。また、川津津慶寺(しんけいじ)には遭難者の過去帳と熊本藩兵埋葬の碑が残されています。
官軍塚ではツツジが綺麗でした。
1
5/4 9:27
官軍塚ではツツジが綺麗でした。
磯では釣りをしている人たちが見えます。
0
5/4 9:30
磯では釣りをしている人たちが見えます。
勝浦灯台
外房で最も東に突き出た「ひらめきヶ丘」は海抜70m、眼下は遥か太平洋。この丘上に建つ白色八角形の勝浦灯台は、北の犬吠埼灯台や南の野島崎灯台と並んで県内を代表する灯台であり、外洋航路の安全に重要な役割を果たしています。
大正6年2月に竣工し3月1日には初めて光がともされました。灯光は21m。光度は14万燈光の白色閃光。毎秒221kmで、実に千葉〜東京間を照らし続けています。
また、この丘上から望む日の出は県内随一とも称され、勝浦湾の落日と並び雄大であり絶景です。
1
5/4 9:35
勝浦灯台
外房で最も東に突き出た「ひらめきヶ丘」は海抜70m、眼下は遥か太平洋。この丘上に建つ白色八角形の勝浦灯台は、北の犬吠埼灯台や南の野島崎灯台と並んで県内を代表する灯台であり、外洋航路の安全に重要な役割を果たしています。
大正6年2月に竣工し3月1日には初めて光がともされました。灯光は21m。光度は14万燈光の白色閃光。毎秒221kmで、実に千葉〜東京間を照らし続けています。
また、この丘上から望む日の出は県内随一とも称され、勝浦湾の落日と並び雄大であり絶景です。
風光明媚な海沿いの稜線の道を進みます。
1
5/4 9:36
風光明媚な海沿いの稜線の道を進みます。
途中の山々では藤の花が綺麗でした。
1
5/4 9:39
途中の山々では藤の花が綺麗でした。
八幡岬公園へ到着。
鵜原方面の展望。遠く海中公園が見えますね。
0
5/4 9:44
八幡岬公園へ到着。
鵜原方面の展望。遠く海中公園が見えますね。
八幡岬公園は勝浦城の跡なんですね。
早速階段を登りました。
0
5/4 9:44
八幡岬公園は勝浦城の跡なんですね。
早速階段を登りました。
登ったら神社がありました。
勝浦城址
勝浦城は、天文11年(1541年)の頃、勝浦正木氏の初代、正木時忠が入城。それ以前は、真里谷武田氏の砦のようなものであったろうと言われています。その後、二代時通、三代頼忠の居城となります。しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉により安房里見氏が領地の一部を没収されると、里見氏と親交のあった勝浦城主正木頼忠も城を明け渡し、安房に逃れます。なお、頼忠の娘は、後に徳川家康の側室(お万の方)となり、紀州徳川頼宣と水戸徳川頼房をもうけます。高名な水戸光圀(黄門)は、お万の方の孫にあたります。また、絶壁を布を伝わって下りたという「お万布ざらし」伝説は、神社裏の断崖絶壁が舞台です。
0
5/4 9:45
登ったら神社がありました。
勝浦城址
勝浦城は、天文11年(1541年)の頃、勝浦正木氏の初代、正木時忠が入城。それ以前は、真里谷武田氏の砦のようなものであったろうと言われています。その後、二代時通、三代頼忠の居城となります。しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉により安房里見氏が領地の一部を没収されると、里見氏と親交のあった勝浦城主正木頼忠も城を明け渡し、安房に逃れます。なお、頼忠の娘は、後に徳川家康の側室(お万の方)となり、紀州徳川頼宣と水戸徳川頼房をもうけます。高名な水戸光圀(黄門)は、お万の方の孫にあたります。また、絶壁を布を伝わって下りたという「お万布ざらし」伝説は、神社裏の断崖絶壁が舞台です。
お万の方像
1
5/4 9:48
お万の方像
八幡岬公園(勝浦城址)
三方を海に囲まれた要害であるこの地には勝浦城があった。徳川家康の側室で水戸光圀の祖母にあたるお万の方の像が立ち、城址周辺は公園になっています。
1
5/4 9:49
八幡岬公園(勝浦城址)
三方を海に囲まれた要害であるこの地には勝浦城があった。徳川家康の側室で水戸光圀の祖母にあたるお万の方の像が立ち、城址周辺は公園になっています。
勝浦灯台が見えます。穏やかな海だ。
1
5/4 9:49
勝浦灯台が見えます。穏やかな海だ。
公園内にはこんなトレイルもありました。
0
5/4 9:51
公園内にはこんなトレイルもありました。
公園内は遊具も充実。家族連れやヨガをやっている人で賑わっていました。
1
5/4 9:54
公園内は遊具も充実。家族連れやヨガをやっている人で賑わっていました。
勝浦漁港
GWなので、食堂や朝市通りは人で賑わっていました。
1
5/4 10:01
勝浦漁港
GWなので、食堂や朝市通りは人で賑わっていました。
カッピービジターセンター
勝浦郵便局の前、ホテル三日月付近にビジターセンターがありました。レンタル自転車を貸し出しているようですね。
近くの駐車場は満車で、道路には渋滞が発生していました。
0
5/4 10:08
カッピービジターセンター
勝浦郵便局の前、ホテル三日月付近にビジターセンターがありました。レンタル自転車を貸し出しているようですね。
近くの駐車場は満車で、道路には渋滞が発生していました。
勝浦駅に到着
No18 荒磯のみち 走破
0
5/4 10:13
勝浦駅に到着
No18 荒磯のみち 走破
No19 理想郷をたずねるみち の出発地点まで国道128号線を走ります。
今日は観光列車が運行していました。
0
5/4 10:18
No19 理想郷をたずねるみち の出発地点まで国道128号線を走ります。
今日は観光列車が運行していました。
途中の串浜の海岸でトンビと戯れている人がいました。
0
5/4 10:24
途中の串浜の海岸でトンビと戯れている人がいました。
スタンドアップパドル・サーフィン
1960年代、ワイキキのビーチボーイズらによって、大きなサーフボードの上でオールを使い漕ぐ乗り方が生まれた。
長距離を移動する事も可能であり、波や風の無いフラットな海水面でも楽しめる事から、ハワイでは子供から高齢者まで許容範囲の広いマリンスポーツとして注目されている。不安定なボードの上に乗ってバランスを取ることにより、股、太もも、首、ひざ等が鍛えられ、エクササイズ効果がある事も魅力の一つとされている。
1
5/4 10:25
スタンドアップパドル・サーフィン
1960年代、ワイキキのビーチボーイズらによって、大きなサーフボードの上でオールを使い漕ぐ乗り方が生まれた。
長距離を移動する事も可能であり、波や風の無いフラットな海水面でも楽しめる事から、ハワイでは子供から高齢者まで許容範囲の広いマリンスポーツとして注目されている。不安定なボードの上に乗ってバランスを取ることにより、股、太もも、首、ひざ等が鍛えられ、エクササイズ効果がある事も魅力の一つとされている。
No19 理想郷をたずねるみちをスタート
風光明媚な入り江の奇岩がある海岸沿いの道を走ります。
1
5/4 10:41
No19 理想郷をたずねるみちをスタート
風光明媚な入り江の奇岩がある海岸沿いの道を走ります。
尾名浦海岸
海蝕と風化によってできた洞がある。別名「めがね岩」とも呼ばれ、湾内の景観を一層盛り上げている。
2
5/4 10:44
尾名浦海岸
海蝕と風化によってできた洞がある。別名「めがね岩」とも呼ばれ、湾内の景観を一層盛り上げている。
海中公園もGWで賑わっていましたね。
0
5/4 10:52
海中公園もGWで賑わっていましたね。
海中公園
0
5/4 10:52
海中公園
海の博物館
0
5/4 10:52
海の博物館
鵜原海岸
ここから鵜原駅まで行ってNo19のコースを走破。
1
5/4 11:05
鵜原海岸
ここから鵜原駅まで行ってNo19のコースを走破。
おせんころがしの案内板
鵜原駅からまた国道128号線を走り、行川アイランド駅付近の「おせんころがし」まで来ました。ここからNo20 海と森をつなぐみちがスタートです。
0
5/4 12:12
おせんころがしの案内板
鵜原駅からまた国道128号線を走り、行川アイランド駅付近の「おせんころがし」まで来ました。ここからNo20 海と森をつなぐみちがスタートです。
おせんころがしからの太平洋。
強欲な父親の代わりに領民に断崖から落とされたおせんの悲話が伝えられている地。
1
5/4 12:12
おせんころがしからの太平洋。
強欲な父親の代わりに領民に断崖から落とされたおせんの悲話が伝えられている地。
おせんころがしの石碑
1
5/4 12:12
おせんころがしの石碑
"おせんころがし"までの道すがら。
舗装路だけど、景色が珍しくて思わず撮影。
1
5/4 12:12
"おせんころがし"までの道すがら。
舗装路だけど、景色が珍しくて思わず撮影。
大沢港
1
5/4 12:20
大沢港
海沿いをいく道路。釣り客やアワビやサザエの密猟者が多そうな感じ。一般車は入ってこないほど道路幅は広くない。
1
5/4 12:22
海沿いをいく道路。釣り客やアワビやサザエの密猟者が多そうな感じ。一般車は入ってこないほど道路幅は広くない。
誕生寺仁王門
建治2年(1276年)10月日蓮誕生の地を記念して建てたもの。境内には宝物殿・祖師堂・誕生堂・方丈などがある。
1
5/4 12:41
誕生寺仁王門
建治2年(1276年)10月日蓮誕生の地を記念して建てたもの。境内には宝物殿・祖師堂・誕生堂・方丈などがある。
誕生寺境内
GWの割には、人は少なめ。
0
5/4 12:42
誕生寺境内
GWの割には、人は少なめ。
日蓮聖人御幼像
0
5/4 12:43
日蓮聖人御幼像
誕生寺祖師堂
日蓮聖人像を安置する祖師堂
1
5/4 12:43
誕生寺祖師堂
日蓮聖人像を安置する祖師堂
誕生寺を跡にして、山手の内浦山県民の森を目指します。
途中にあった「長所」という変わったバス停
0
5/4 13:17
誕生寺を跡にして、山手の内浦山県民の森を目指します。
途中にあった「長所」という変わったバス停
林道奥谷線へ突入。
だらだらとした坂道がここまで続きました。すでに40kmほど走っているので、走れなくなってきました。
0
5/4 13:35
林道奥谷線へ突入。
だらだらとした坂道がここまで続きました。すでに40kmほど走っているので、走れなくなってきました。
内浦県民の森
GWなので、家族連れが多いです。
0
5/4 13:46
内浦県民の森
GWなので、家族連れが多いです。
これまでの海の景色から一変し、山深くなってきました。
0
5/4 13:53
これまでの海の景色から一変し、山深くなってきました。
頑張れば走れなくない傾斜が延々と続く。
地味にしんどいです。
0
5/4 14:07
頑張れば走れなくない傾斜が延々と続く。
地味にしんどいです。
標高を上げると木々の隙間から太平洋が見渡せます。
1
5/4 14:22
標高を上げると木々の隙間から太平洋が見渡せます。
木魂の森休憩所。標高292mだそうです。
展望なし。
0
5/4 14:22
木魂の森休憩所。標高292mだそうです。
展望なし。
あじさいで有名な麻綿原まで1kmですが、今日はそこまでは行く気力がありません。
0
5/4 14:30
あじさいで有名な麻綿原まで1kmですが、今日はそこまでは行く気力がありません。
林道の脇には、所々立派な木々があります。
0
5/4 14:31
林道の脇には、所々立派な木々があります。
関東ふれあいの道の道標がなくて不安になりますが、所々こんな石柱もあります。
0
5/4 14:32
関東ふれあいの道の道標がなくて不安になりますが、所々こんな石柱もあります。
林道奥谷線もここで終了です。
0
5/4 14:35
林道奥谷線もここで終了です。
待ちに待った麻綿原入口。ここまで長かった〜。
0
5/4 14:35
待ちに待った麻綿原入口。ここまで長かった〜。
車両通行止めですが、柵の脇を通って先に進みます。
0
5/4 14:35
車両通行止めですが、柵の脇を通って先に進みます。
ここからは未舗装路、待ちに待ったトレイルだぁー。
0
5/4 14:38
ここからは未舗装路、待ちに待ったトレイルだぁー。
不思議とロードより走れるんだよね。
0
5/4 14:39
不思議とロードより走れるんだよね。
0
5/4 14:41
このルート、「関東ふれあいの道」であるとともに、「房総ふれあいの道」でもあります。
1
5/4 14:48
このルート、「関東ふれあいの道」であるとともに、「房総ふれあいの道」でもあります。
林道の途中には所々景色がいいところがあります。
立ち止まって写真撮影。
1
5/4 14:53
林道の途中には所々景色がいいところがあります。
立ち止まって写真撮影。
清澄寺バス停まであと1.0km
ゴールまでもうすぐだ。頑張れ自分。
0
5/4 14:55
清澄寺バス停まであと1.0km
ゴールまでもうすぐだ。頑張れ自分。
林道脇の景色
やはりトレイルは心が癒されます。
0
5/4 14:56
林道脇の景色
やはりトレイルは心が癒されます。
やっとチェックポイントの清澄寺仁王門が見えてきました。
八重桜が綺麗です。
0
5/4 15:02
やっとチェックポイントの清澄寺仁王門が見えてきました。
八重桜が綺麗です。
清澄寺に到着。
1
5/4 15:03
清澄寺に到着。
清澄寺境内
1
5/4 15:04
清澄寺境内
千年杉
1
5/4 15:04
千年杉
バスで帰れますが、下り基調なので走って安房天津駅まで行くことにしました。
1
5/4 15:14
バスで帰れますが、下り基調なので走って安房天津駅まで行くことにしました。
安房天津駅15:56発に間に合うよう、下りをひた走ります。
何とか電車に間に合いました。
1
5/4 15:30
安房天津駅15:56発に間に合うよう、下りをひた走ります。
何とか電車に間に合いました。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する