記録ID: 1156434
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
北陸
越中国『呉羽丘陵』〜呉羽山から城山(白鳥峰)さらに杉谷まで縦走〜
2017年06月11日(日) [日帰り]
![情報量の目安: S](https://yamareco.org/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 08:46
- 距離
- 23.5km
- 登り
- 537m
- 下り
- 538m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:03
- 休憩
- 3:43
- 合計
- 8:46
6:52
9分
多目的広場
7:01
7:06
14分
五福広場
7:20
7:37
10分
民族民芸村
7:47
7:54
1分
長慶寺
7:55
8:09
2分
五百羅漢
8:11
8:13
4分
金刀比羅宮
8:17
8:21
3分
呉山「飛天」
8:24
8:33
7分
桜の広場(三角点)
8:40
8:42
4分
高王白衣観音
8:46
8:50
1分
呉羽山展望台
8:51
8:53
2分
御野立所
8:55
8:58
16分
富山歌塚
9:14
9:16
3分
七面堂
9:19
9:21
3分
稲荷社
9:24
9:37
7分
四等三角点「峠茶屋」
9:44
9:48
4分
浅田の丘
9:52
9:54
24分
城山東駐車場
10:18
10:20
4分
NHKテレビ送信所
10:24
10:40
1分
展望台
10:41
10:48
8分
しらとり広場
10:56
11:06
9分
白鳥城址(城山山頂)
11:15
11:16
21分
鳥城址南駐車場
11:37
11:40
8分
のぞみの丘
11:48
11:52
20分
金太郎の森
12:12
12:22
8分
古沢塚山古墳
12:30
12:36
12分
古沢神明社
12:48
12:51
20分
御鷹台
13:11
13:28
1分
杉谷古墳
13:29
13:44
23分
富山大学附属病院
14:07
14:19
3分
富山市ファミリーパーク
14:22
14:27
8分
ガラスアートヒルズ富山
14:35
14:37
3分
城山西駐車場
14:40
14:43
9分
古沢用水の分水点
14:52
15:04
3分
吉作ナシ畑
15:07
15:09
18分
呉羽選果場
15:27
15:28
10分
峠茶屋
15:38
多目的広場
___【 今回のコース 】___
呉羽丘陵五福峠(※1)が、今回の山行(丘陵の縦走と周回)の開始地点になります。比較的最近出来た(2011年完成)多目的広場(※2)の駐車場に車を停めました。まず、北側に位置する『呉羽山』を周回してから、南の『城山』、さらに、『杉谷』まで南下しました。復路は、丘陵の西麓に広がる梨畑を通り抜けて、元の多目的広場に帰還しました。
※1:県道44号線が通る峠です。県道の「峠茶屋‐五福8区」間で、呉羽丘陵が南北に分断されています。江戸時代までは、茶屋町から南に上がった場所(稲荷神社の参道口)が、旧北陸道の峠(明神峠)でした。近世になり、五福で丘陵が切通され、現代の県道44号線が通る五福峠になりました。
※2:正式名称は、『城山公園呉羽丘陵多目的広場』です。
(開始):多目的広場−五福広場−民族民芸村−長慶寺−五百羅漢−金刀比羅宮−呉山「飛天」−桜の広場−防災−国土交通省−高王白衣観音−呉羽山展望台−御野立所−富山歌塚−県道44号線−七面堂−稲荷社−四等三角点「峠茶屋」−浅田の丘−城山東駐車場−電波塔群−展望台−しらとり広場−白鳥城址(城山山頂)−白鳥城址南駐車場−のぞみの丘−金太郎の森−古沢塚山古墳−古沢神明社−御鷹台−杉谷古墳−富山大学附属病院−富山市ファミリーパーク−ガラスアートヒルズ富山−城山西駐車場−古沢用水の分水点−吉作ナシ畑−呉羽選果場−峠茶屋−多目的広場:(帰投)
呉羽丘陵五福峠(※1)が、今回の山行(丘陵の縦走と周回)の開始地点になります。比較的最近出来た(2011年完成)多目的広場(※2)の駐車場に車を停めました。まず、北側に位置する『呉羽山』を周回してから、南の『城山』、さらに、『杉谷』まで南下しました。復路は、丘陵の西麓に広がる梨畑を通り抜けて、元の多目的広場に帰還しました。
※1:県道44号線が通る峠です。県道の「峠茶屋‐五福8区」間で、呉羽丘陵が南北に分断されています。江戸時代までは、茶屋町から南に上がった場所(稲荷神社の参道口)が、旧北陸道の峠(明神峠)でした。近世になり、五福で丘陵が切通され、現代の県道44号線が通る五福峠になりました。
※2:正式名称は、『城山公園呉羽丘陵多目的広場』です。
(開始):多目的広場−五福広場−民族民芸村−長慶寺−五百羅漢−金刀比羅宮−呉山「飛天」−桜の広場−防災−国土交通省−高王白衣観音−呉羽山展望台−御野立所−富山歌塚−県道44号線−七面堂−稲荷社−四等三角点「峠茶屋」−浅田の丘−城山東駐車場−電波塔群−展望台−しらとり広場−白鳥城址(城山山頂)−白鳥城址南駐車場−のぞみの丘−金太郎の森−古沢塚山古墳−古沢神明社−御鷹台−杉谷古墳−富山大学附属病院−富山市ファミリーパーク−ガラスアートヒルズ富山−城山西駐車場−古沢用水の分水点−吉作ナシ畑−呉羽選果場−峠茶屋−多目的広場:(帰投)
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
大方の富山県民は、呉羽山と言えば、呉羽丘陵全体をイメージしています。そのため、峰々の山頂がどこなのかは、意識されていません。今回私は、『呉羽丘陵=呉羽山+城山(白鳥城址)』〜の2峰を登頂するつもりで、北の呉羽山から南の城山方面に縦走しました。縦走に利用したルートは、「呉羽山頂道路(仮称)」+「城山スカイライン」〜および、これら2本の道路をジグザグに縫うように横切る「散策路(尾根散策コース)」です。また、縦走の最後は、丘陵の南端に位置する「杉谷古墳」でした。〜と言うことで、 〜呉羽山から城山(白鳥峰)さらに杉谷まで縦走〜 〜というサブタイトルを付けました。 ※:白鳥城址のある城山は、かっては「白鳥峰」と呼ばれていました。 ___【 呉羽丘陵について 】___ 2つの峰を中心とした丘陵地帯です。分かりやすくすれば、呉羽丘陵=呉羽山(標高80m)+城山(標高145m)〜です。 しかし、富山県の地図をバードビューで見ると、話が違います。「牛岳」の北麓に呉羽丘陵の根っこがあり、神通川河口近くの「牛ヶ首神社」まで丘陵が続いているとすると〜総延長が22kmほどにもなります。 別の見方では、丘陵の南端が、『古沢用水』で分断される部分(杉谷と友坂の境界)とする事も出来ます。北端は、「牛ヶ首神社」のある松木とします。この神社の前後で、北流してきた『牛ヶ首用水』は西の射水市方向に向きを変えています。つまり、呉羽丘陵の南端から城山の西側のラインが、『古沢用水』に仕切られています。また、もう1本の『牛ヶ首用水』が、南東端から城山・呉羽山の東側のラインを通り、丘陵の北端に覆い被さるように「用水の流れ」によって、丘陵と平野部が区切られています。〜この見方だと、呉羽丘陵の長さは、約8kmになります。 −−−< 名前の由来について >−−− 飛鳥時代(律令時代の初期)まで遡ります。古代中国「呉の国」の機織り(ハタオリ)の技術者であるところの渡来人『クレハトリ(呉織)』の方々が、ここ越中国にも渡って来ました。山の名が、『呉織(クレハトリ)』に由来し、さらに周辺の地名にも影響しました。 仝皹山の由来:私の想像では〜、クレ・ハトリ(呉織)の山→クレハ・トリの山→クレハの山→『呉羽山』〜です。 ◆仝淙,陵獲茵Щ穫爾涼鰐召良抻鎧垳淙 覆瓦佞)の由来は〜、呉織(クレ・ハトリ)→呉・服部→呉服・部→呉服(ごふく)→御服→『五福』〜です。 富山の由来:「富山」という地名の由来は〜、かつて越中国の国府のあった現・高岡市(伏木)から見ると、神通川流域(現・富山市内)は、呉羽山の外側に位置しています。山の外→外山(ソトヤマ)→トヤマ→富山(とやま)〜です。 ___【 アクセス 】___ スタート地点の五福に行くには、県道44号富山高岡線を利用することになります。また、遠方から北陸道を進んで来た場合、富山ICで下りると渋滞に巻き込まれる恐れがありますので、富山西ICで下りることをお勧めします。 −−−< 北陸からのアクセス >−−− 北陸道を富山西ICで降ります。県道41号線を北上、交差点「古沢」で右折し、県道62号線を東に進み、呉羽トンネルをくぐる。トンネルを出て、交差点「安田」で左折、県道59号線を北上、交差点「五福8区」を左折。県道44号線(富山高岡線)を600m進むと駐車場があります。左右に、呉羽丘陵多目的広場の駐車場/呉羽山公園五福広場の駐車場〜があります。 −−−< 「五福」からスタートします >−−− 県道44号線の交差点「峠茶屋」から交差点「五福8区」の区間のより、呉羽山と城山(呉羽丘陵南側3分の2の地区)が分断されています。「峠茶屋−五福8区」間の約1kmには、信号(横断歩道)がありません。県道44号線は交通量が多く、「呉羽丘陵多目的広場」側(城山側)と「呉羽山公園五福広場」側(呉羽山側)を相互に横断するのは、危険です。今回、私の山行では、「多目的広場」側に駐車しました。信号のないところで県道44号線を(危険を承知で)横断して、呉羽山を周回したあと、再び、五福峠で44号線を横断し、城山方面にいどみました。 ___【 周辺の国道・県道・市道 】___ ● 富山県道44号富山高岡線:富山市から高岡市に至る県道です。以前は、国道8号だったので、今でも、『旧8(きゅうはち)』という愛称で呼ばれています。この44号線は、もともと国道8号の一部として作られていましたが、1976年に富山高岡バイパス完成したため県道に変更されました。 ● 国道8号線:新潟市から京都市へ至る国道です。呉羽丘陵の北部側(富山市北部)では、バイバスとして機能しています。富山−高岡のバイパス部分は、「旧8」と同様に『新8(しんぱち)』とも呼ばれています。 ● 呉羽山頂道路(仮称):車で呉羽山山頂に登れる車道は、安養坊(あんようぼう)、峠茶屋(茶屋町)、八ヶ山(はっかやま)の3ヶ所から登っています。通称『呉羽山頂道路』という名前で、1本にまとめてみましょう(私の個人的な意見です)? ● 城山スカイライン:五福の多目的広場のスカイライン入口に「白鳥城址」の方向を示す標識があります。終点は、はっきりしていません。始点から、スカイラインが南進しますが、白鳥城址南駐車場辺りから、北方向に下り始めます。そして、吉作の梨畑を通り抜け、「JAなのはな呉羽選果場」のある場所で、県道9号線にぶつかります(T字路)。この呉羽選果場のある交差点(吉作交差点の西側にあるT字路)をスカイラインの終点と考えたいです(私見です)。 ___【 ルート上の展望所・駐車場 】___ 北から順に、駐車のある広場(展望所)を挙げてみました。また、城山スカイラインでは、これらの駐車場とは別に、駐車スペース(非常駐車帯)がいくつもあります。 桜の丘(※1)、呉羽山公園駐車場、呉羽山展望台(※2)、呉羽山公園五福駐車場(県道44号線沿い)、呉羽丘陵多目的広場駐車場(※3)、城山東駐車場、しらとり広場(※4)、白鳥城址南駐車場、古沢神明駐車場 ※1,2,3,4:〜の場所にはトイレが附属していますが、桜の丘(※1)と呉羽山展望台(※2)のトイレの場所が判りにくいです。 ※3:2011年に、新たに造られました。独立した一つの公園に見えるのですが、『広場』にされています。広域的には、城山公園内の「呉羽丘陵多目的広場」とされています。 ___【 牛ヶ首用水 】___ 17世紀中頃に造られた用水です。神通川氾濫に悩まされていた流域の婦負郡(現富山市)、射水郡(現射水市)の村役人たちが、用水開削と新田開発を加賀藩に願い出たのが始まりです。神通川の上流を流れる(支流である)山田川と井田川から取水して完工しました(30年以上を要した)。用水は、婦中町、金屋、寺町、五福、八ヶ山〜と流れ、射水平野に注がれています。 「牛ヶ首用水」の工事では、八ヶ山が最大の難所になりました。責任者の一人「八町村善左衛門」の枕元に「牛嶽大明神」が立たれ、『寝牛の首をここに埋めろ』〜と告げられたといいいます。南の「牛嶽大明神(牛岳山頂)」と北の「牛ヶ首神社(呉羽丘陵の北端付近)」が、この時につながりを持ちました。 呉羽山丘陵が、「牛岳」の麓から伸びて来ていると考えると、呉羽丘陵の東側の裾野に通された「牛ヶ首用水」は、川の水よりも「牛岳−呉羽山の流れ」汲んでいるのかも知れません。 約半世紀後、古沢野(呉羽丘陵の南西側の裾野)でも、先人の造った「牛ヶ首用水」にならい、「古沢用水」を造りあげました。「古沢用水」は、呉羽丘陵の西側を通され、呉羽山の西麓の「吉作」辺りまでを潤すようになりました。 ___【 ルートの周囲にある三角点 】___ ● 三等三角点「呉羽山」:標高71.22m、呉羽丘陵北部(呉羽山頂より北)の桜の広場に所在します。 ● 四等三角点「峠茶屋」:標高75.05m、多目的広場から尾根道(散策ルート)を西に約400m進んだ所に所在します。 ● 一等三角点「越城山」:標高145.13m、城山山頂(白鳥城址)にあります。 ● 三等三角点「杉谷」:標高83.17m、杉谷丘陵の富山大学杉谷キャンパスの裏(東側)に所在します。「杉谷古墳の道」の途中にあり、古墳に囲まれています。 ___【 呉羽丘陵に建つ通信施設 】___ アンテナ塔は、8本も聳え立っています。NHKさんは2本持ちです。またFMとやまさんは、富山テレビ放送のアンテナ塔に相乗りしています。以下に、北から順に挙げました。 ● 富山県防災行政無線呉羽山中継所:呉羽山「桜の丘」の近くに建っています。すぐ隣には、国土交通省の施設が建っています。 ● 国土交通省呉羽山無線中継所:防災行政無線の隣りにあります。パラボラアンテナ付の施設です。 ● 富山県警呉羽山無線中継所:城山側にある標高121mのピークに建っています。寺町付近から丘陵を見上げると、一番高く見える部分になります。2つのパラボラが付いていて、それぞれ、富山県警察本部(富山市新総曲輪)と大師ヶ岳(氷見市、二上山丘陵の峰)がある方向に向いています。 ● KNB北日本放送呉羽テレビ送信所:しらとり広場から北東250mにあるピークに建っています。隣には、NHKの施設上がります。 ● NHK富山放送局呉羽テレビ送信所:KNBの施設と隣接しています。アンテナ塔が2本建っています。2塔を有するのはNHKだけです。 ● TUTチューリップテレビ呉羽テレビ送信所:しらとり広場から北210mに位置しています。 ● BBT富山テレビ放送/富山エフエム放送(FMとやま)・呉羽テレビFM送信所:TUTの50mほど南側で、しらとり広場のすぐ北側に建っています。富山テレビとFMとやまの共同施設です(後から、「FM」が「テレビ」に相乗りしてきました)。 ___【 観光スポット 】___ ● 富山市民俗民芸村:博物館や資料館・美術館など、9施設を集積した文化施設群です。この村は、呉羽丘陵北東麓の安養坊に所在します。 〔餌資料館、売薬資料館、L鰻盜臂鹸曄↓や撒躾諭覆燭むらぎゅうじん)記念美術館、ヌ鰻欖曄↓ζ芸館、Ч邑纏駑全曄↓┐箸笋淌攷遊噌房、茶室円山庵、管理センター ● 五百羅漢(長慶寺):民俗民芸村の北側に隣接しています。住所は、五艘(ごそう)です。 ● 富山県埋蔵文化財センター:呉羽丘陵北西麓の茶屋町に所在します。「呉羽山公園都市緑化植物公園」の南側に位置します。県立図書館、県公文書館、県営富山弓道場が集合しています。 ● 北代(きただい)縄文広場:呉羽丘陵北麓の北代に所在します。縄文時代中期からの大集落跡(国の史跡)です。展示施設の「北代縄文館」があります。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
___【 コースの状況等 】___ ● 丘陵北部の「呉羽山」側のコースは、比較的分かりやすく、危険箇所はありません。 ● 南部の「城山」側の尾根散策コースは、スカイラインとは何度も交差しています。また、ルート自体も入り組んでいて分かりにくくなります。特に、白鳥城址南駐車場から先のルート(南部の金屋、西金屋、古沢)は、色々な(歴史探訪周遊コースなど)道が、複雑に絡み合っています。 |
その他周辺情報 | ___【 コース近くの温泉 】___ 呉羽山の温泉(呉羽山温泉)は、無くなってしまいましたが、いくつかの秀逸な人工温泉が、城山と丘陵周辺にあります。 ● 呉羽ハイツ 住所は、富山市吉作で、城山スカイラインの途中にあります。白鳥城址(城山山頂)の200mほど北で、5本立ち並ぶ電波塔の西側に位置しています。 ・泉質:トロン温泉(人工温泉) ・営業時間:午前11時00分〜午後9時00分 (土日祝日は午後3時00分まで) ・休館日:無休 ・入浴料:640円 ・宿泊料金:一人1泊2食11,000円〜 ● 光明石温泉呉羽の湯 2014年12月にオープンしました。富山市呉羽町の呉羽消防署前です。呉羽丘陵多目的広場から、高岡方面側に2kmの所に所在します。 ・泉質:光明石を使用した人工温泉(銭湯) ・営業時間:9時00分〜24時30分 ・休館日:無休 ・入浴料:420円 ・その他:食事処なし ● 旧・呉羽山温泉「富山観光ホテル」(跡地) すでに閉館しています。所在していた場所は、茶屋町の「豊栄稲荷(とよさかいなり)神社」の隣でした。現在は取り壊されて、更地になっています。惜しいかな本物の温泉(源泉温度が低く加温ありの単純温泉)でした。2016年5月、56年の歴史に幕を下ろしました。石川県にあった「金沢ヘルスセンター(1998年に閉館・動物園は移転)」と同時期に、富山県で建てられた、県内唯一の「いわゆるヘルスセンター」的施設でした。はたして、跡地の利用は、いかに.. |
写真
< 今回の山行ルートのマップ >
呉羽丘陵多目的広場駐車場からのスタートです。北部の『呉羽山』を周回したあと、南部の『城山』を縦走しました(尾根散策コース)。南端に位置する「杉谷古墳」を見た後は、下の車道を歩いて、多目的広場駐車場に戻りました。
呉羽丘陵多目的広場駐車場からのスタートです。北部の『呉羽山』を周回したあと、南部の『城山』を縦走しました(尾根散策コース)。南端に位置する「杉谷古墳」を見た後は、下の車道を歩いて、多目的広場駐車場に戻りました。
< 呉羽山公園・城山公園 >
呉羽山公園内の各所は、呉羽山公園八ヶ山広場(旧八ヶ山園地)、呉羽山公園都市緑化植物公園、呉羽山公園五福広場〜というような名称になります。呉羽山の稜線を通る車道があり、ここでは仮に「呉羽山頂道路」と呼ばせていただきます。一方、城山公園の稜線を通る道は、「城山スカイライン」です。
呉羽山公園内の各所は、呉羽山公園八ヶ山広場(旧八ヶ山園地)、呉羽山公園都市緑化植物公園、呉羽山公園五福広場〜というような名称になります。呉羽山の稜線を通る車道があり、ここでは仮に「呉羽山頂道路」と呼ばせていただきます。一方、城山公園の稜線を通る道は、「城山スカイライン」です。
< 1本につなげて欲しい >
県道44号線の[茶屋町−五福]間で丘陵が分断されています。呉羽山側には、呉羽山頂道路(仮称)。城山側には、城山スカイラインが通っています。五福峠で県道44号線の上に架け橋(跨道橋)を架けて、1本の『呉羽丘陵スカイライン(仮称)』を完成させたいな〜(私の妄想)。
県道44号線の[茶屋町−五福]間で丘陵が分断されています。呉羽山側には、呉羽山頂道路(仮称)。城山側には、城山スカイラインが通っています。五福峠で県道44号線の上に架け橋(跨道橋)を架けて、1本の『呉羽丘陵スカイライン(仮称)』を完成させたいな〜(私の妄想)。
< 電波塔は8本あります >
仝防災行政無線呉羽山中継所、◆々馘攜鯆名文皹山無線中継所、 県警呉羽山無線中継所、ぁ)牝本放送呉羽テレビ送信所、ァNHK富山放送局呉羽テレビ送信所(電波塔2本あり)、Α.船紂璽螢奪廛謄譽啗皹テレビ送信所、А”抻灰謄譽喨送/FMとやま・呉羽テレビFM送信所
仝防災行政無線呉羽山中継所、◆々馘攜鯆名文皹山無線中継所、 県警呉羽山無線中継所、ぁ)牝本放送呉羽テレビ送信所、ァNHK富山放送局呉羽テレビ送信所(電波塔2本あり)、Α.船紂璽螢奪廛謄譽啗皹テレビ送信所、А”抻灰謄譽喨送/FMとやま・呉羽テレビFM送信所
< 山行(丘陵の周回)後にドライブ >
〜しました。大峪城跡(旧五福小学校跡地)−西富山駅−白鳥神社−安田城址−市役所展望塔−牛ヶ首神社−呉羽山公園八ヶ山広場−北代縄文広場〜いずれも、『呉羽丘陵』にまつわる名所です。
〜しました。大峪城跡(旧五福小学校跡地)−西富山駅−白鳥神社−安田城址−市役所展望塔−牛ヶ首神社−呉羽山公園八ヶ山広場−北代縄文広場〜いずれも、『呉羽丘陵』にまつわる名所です。
< 呉羽山山頂周辺 >
丘陵の北端にある「八ヶ山(はっかやま)」から南西方向に縦走する車道が通っています。民芸村からの道と合流して、峠茶屋に下っています。これらの車道部分を「呉羽山頂道路(仮称)」〜と呼ばせていただきました。
丘陵の北端にある「八ヶ山(はっかやま)」から南西方向に縦走する車道が通っています。民芸村からの道と合流して、峠茶屋に下っています。これらの車道部分を「呉羽山頂道路(仮称)」〜と呼ばせていただきました。
< 白鳥城址から杉谷古墳まで >
「尾根散策コース」は城址を通り、一旦、南側にある駐車場にでます。山道を南進して、『御鷹台』で終点になります。今回は、北陸道を跨ぎ(鷹の橋を渡り)、『杉谷古墳の道』を周回して、帰路につきました。
「尾根散策コース」は城址を通り、一旦、南側にある駐車場にでます。山道を南進して、『御鷹台』で終点になります。今回は、北陸道を跨ぎ(鷹の橋を渡り)、『杉谷古墳の道』を周回して、帰路につきました。
< 6月11日の朝日 >
午前5時過ぎに出発しました。能越道を南下し、県境PA(七尾と氷見の境界)に立ち寄りました。新潟側の日本海から、日が昇っています。今の時期が最も北側から太陽が昇ってきます。冬の時期だと、劒岳の辺りから、お日様が昇ります。
午前5時過ぎに出発しました。能越道を南下し、県境PA(七尾と氷見の境界)に立ち寄りました。新潟側の日本海から、日が昇っています。今の時期が最も北側から太陽が昇ってきます。冬の時期だと、劒岳の辺りから、お日様が昇ります。
< 牛ヶ首用水土地改良区 >
呉羽山の東側に沿って「牛ヶ首用水」が流れています。その水は、婦中町、金屋、寺町、五福、八ヶ山〜と流れ、射水平野に注がれています。17世紀のことです、下村(現・射水市北東部)、八町村(現・富山市八町地区)、小竹村(現・富山市呉羽町北部)の村人たちが、団結して用水を作り上げました。ちなみに、『土地改良区』とは、土地改良法に基づく法人です。愛称は「水土里(みどり)ネット」です。
呉羽山の東側に沿って「牛ヶ首用水」が流れています。その水は、婦中町、金屋、寺町、五福、八ヶ山〜と流れ、射水平野に注がれています。17世紀のことです、下村(現・射水市北東部)、八町村(現・富山市八町地区)、小竹村(現・富山市呉羽町北部)の村人たちが、団結して用水を作り上げました。ちなみに、『土地改良区』とは、土地改良法に基づく法人です。愛称は「水土里(みどり)ネット」です。
< 南東方向に呉羽丘陵 >
「牛ヶ首用水土地改良区」の前から撮影しました。丘陵の手前に新幹線の高架が見えています。ここから見て、呉羽ハイツのある城山の方向と交差する新幹線高架の下から『小竹貝塚』が発掘されました。また、画面左側の呉羽山方向側の新幹線高架のそばに「北代(きただい)縄文広場」があります。
「牛ヶ首用水土地改良区」の前から撮影しました。丘陵の手前に新幹線の高架が見えています。ここから見て、呉羽ハイツのある城山の方向と交差する新幹線高架の下から『小竹貝塚』が発掘されました。また、画面左側の呉羽山方向側の新幹線高架のそばに「北代(きただい)縄文広場」があります。
< 呉羽駅 >
「あいの風とやま鉄道線」の駅です。元々、北陸本線の一部でしたが、2015年3月に、北陸新幹線(長野・金沢駅間)開業の際、JR西日本から経営分離され、「あいの風とやま鉄道」に生まれ変わりました。呉羽山の最寄りの駅は、こちらの「呉羽駅」と、JR高山線「西富山駅」の2駅になります。
「あいの風とやま鉄道線」の駅です。元々、北陸本線の一部でしたが、2015年3月に、北陸新幹線(長野・金沢駅間)開業の際、JR西日本から経営分離され、「あいの風とやま鉄道」に生まれ変わりました。呉羽山の最寄りの駅は、こちらの「呉羽駅」と、JR高山線「西富山駅」の2駅になります。
< 何本あるのか? >
呉羽山にある県防災行政無線と国土交通省の物は、アンテナの高度が低くて、ここからは見えませんでした。左から順に〜県警呉羽山無線中継所、北日本放送、富山放送、チューリップテレビ、富山テレビ放送(FMとやま兼用)〜です。
呉羽山にある県防災行政無線と国土交通省の物は、アンテナの高度が低くて、ここからは見えませんでした。左から順に〜県警呉羽山無線中継所、北日本放送、富山放送、チューリップテレビ、富山テレビ放送(FMとやま兼用)〜です。
< 呉羽丘陵多目的広場 >
〜に到着。2011年に、新しく出来た広場です。県道44号線を挟んで、「呉羽山公園五福広場」がありますが、多目的広場のほうが何かと便利なので、ここを出発点としました。城山スカイラインの入口に入って20mの所が、多目的広場の入口です。
〜に到着。2011年に、新しく出来た広場です。県道44号線を挟んで、「呉羽山公園五福広場」がありますが、多目的広場のほうが何かと便利なので、ここを出発点としました。城山スカイラインの入口に入って20mの所が、多目的広場の入口です。
< 白木峰、金剛堂山、牛岳 >
ここからも、富山南部の名峰が見えます。南西方向の「牛岳」(方位216°、距離23km)が、ぎりぎり視野に入っています。先月、私は牛岳に登ってきました。
● 越中国『牛嶽』〜下見のドライブと本番の周回登山〜
2017年5月18日〜 21日
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1060409.html
ここからも、富山南部の名峰が見えます。南西方向の「牛岳」(方位216°、距離23km)が、ぎりぎり視野に入っています。先月、私は牛岳に登ってきました。
● 越中国『牛嶽』〜下見のドライブと本番の周回登山〜
2017年5月18日〜 21日
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1060409.html
< 呉羽丘陵多目的広場ビジターセンター >
夜間も使用可能な、きれいなトイレが備わっています。センターの後方には、小さなトンネルが口を開いています。このトンネルから、城山スカイラインの下をくぐり、尾根散策ルートの山道に上がることが出来ます。
夜間も使用可能な、きれいなトイレが備わっています。センターの後方には、小さなトンネルが口を開いています。このトンネルから、城山スカイラインの下をくぐり、尾根散策ルートの山道に上がることが出来ます。
< Kureha Hills Multipurpose Field,Visiter Center >
トンネルが、尾根散策コースに上がる道の入口です。『七面堂』への近道です。私は、このあと、呉羽山に登り、県道44号線の五福峠を横断するルートで『七面堂』に行きました。
トンネルが、尾根散策コースに上がる道の入口です。『七面堂』への近道です。私は、このあと、呉羽山に登り、県道44号線の五福峠を横断するルートで『七面堂』に行きました。
< 富山県道44号富山高岡線 >
県道44号線は、元々は国道8号線でした。後から出来たバイパスに国道の座を明け渡しました。『旧8(きゅうはち)』と呼ばれ親しまれている県道です。この旧8は、いつも交通量が多く、道路の横断が大変です。
県道44号線は、元々は国道8号線でした。後から出来たバイパスに国道の座を明け渡しました。『旧8(きゅうはち)』と呼ばれ親しまれている県道です。この旧8は、いつも交通量が多く、道路の横断が大変です。
< 「呉羽山公園五福広場」に下ります >
この五福峠の前後500mの区間(県道44号線)には、横断歩道や信号がありません。私も含めて皆さん、危険を承知で、[五福広場−多目的広場]の間を行き来するため、ここで県道を横断しています。おまわりさんは車両の取り締まり(ネズミ捕り)に熱心ですが、無謀な歩行者にはあまり関心が無いようです。
この五福峠の前後500mの区間(県道44号線)には、横断歩道や信号がありません。私も含めて皆さん、危険を承知で、[五福広場−多目的広場]の間を行き来するため、ここで県道を横断しています。おまわりさんは車両の取り締まり(ネズミ捕り)に熱心ですが、無謀な歩行者にはあまり関心が無いようです。
< 牛ヶ首用水 >
〜まで下りました。五福広場を200mほど縦断しました。広場の上には「五福駐車場」、下の入口には「五福広場下駐車場(仮称)」があります。(※:かってに、名称を付けさせていただきました。)
〜まで下りました。五福広場を200mほど縦断しました。広場の上には「五福駐車場」、下の入口には「五福広場下駐車場(仮称)」があります。(※:かってに、名称を付けさせていただきました。)
< セイヨウノコギリソウ(西洋鋸草) >
キク科ノコギリソウ属。ヨーロッパ原産です。あちらでは昔は、「兵士の傷薬」と呼ばれ、血止め薬として使われていたらしい。現在では、ハーブティーとして利用されています。
キク科ノコギリソウ属。ヨーロッパ原産です。あちらでは昔は、「兵士の傷薬」と呼ばれ、血止め薬として使われていたらしい。現在では、ハーブティーとして利用されています。
< 民俗資料館 >
茅葺きの民家が利用されています。「富山市民俗民芸村民俗資料館」とお呼びするのは長ったらしいので、資料館と呼びたいところですが、ここ民俗民芸村には、「売薬資料館」、「考古資料館」と他にも2ヶ所、資料館がございます。
茅葺きの民家が利用されています。「富山市民俗民芸村民俗資料館」とお呼びするのは長ったらしいので、資料館と呼びたいところですが、ここ民俗民芸村には、「売薬資料館」、「考古資料館」と他にも2ヶ所、資料館がございます。
< オオムラサキツユクサ(大紫露草) >
ツユクサ科ムラサキツユクサ属。同科他属の「ツユクサ(露草、ツユクサ科ツユクサ属)」と名前が似ていますが、このオオムラサキツユクサとは花も葉も似ていません。
ツユクサ科ムラサキツユクサ属。同科他属の「ツユクサ(露草、ツユクサ科ツユクサ属)」と名前が似ていますが、このオオムラサキツユクサとは花も葉も似ていません。
< 売薬資料館 >
「富山売薬」300年の歴史関係の資料が展示されています。後方には、別館「旧・密田家土蔵」があります。土蔵の前には、たくさんの生薬が栽培されています。説明文が、標示されていて勉強になりました。
「富山売薬」300年の歴史関係の資料が展示されています。後方には、別館「旧・密田家土蔵」があります。土蔵の前には、たくさんの生薬が栽培されています。説明文が、標示されていて勉強になりました。
< ここ旧・桜谷村の出身 >
〜でした。篁牛人(たかむらぎゅうじん)は、呉羽山の東側に位置する桜谷村大字石坂村(現・富山市石坂)生まれです。昭和の日本画家(特に水墨画)です。渇筆(かっぴつ)画法が特徴の「竹林虎(ちくりんこ)」などが代表作です。
〜でした。篁牛人(たかむらぎゅうじん)は、呉羽山の東側に位置する桜谷村大字石坂村(現・富山市石坂)生まれです。昭和の日本画家(特に水墨画)です。渇筆(かっぴつ)画法が特徴の「竹林虎(ちくりんこ)」などが代表作です。
< シモツケ(下野) >
バラ科シモツケ属。道ばたに咲いていました。これは木の仲間(木本)です。同科他属の「シモツケソウ(下野草、バラ科シモツケソウ属)と似ていますが、シモツケソウは草本です。
バラ科シモツケ属。道ばたに咲いていました。これは木の仲間(木本)です。同科他属の「シモツケソウ(下野草、バラ科シモツケソウ属)と似ていますが、シモツケソウは草本です。
< 民芸館 >
〜は、一段下にある〜民芸『合掌』館に名前負けしています。切妻造(きりづまづくり)になっていますから、下の「民芸合掌館」に負けないよに〜民芸『切妻』館〜としては如何でしょうか?ちなみに、この民芸館は『平入り』の切妻造です。
〜は、一段下にある〜民芸『合掌』館に名前負けしています。切妻造(きりづまづくり)になっていますから、下の「民芸合掌館」に負けないよに〜民芸『切妻』館〜としては如何でしょうか?ちなみに、この民芸館は『平入り』の切妻造です。
< 真っ直ぐ先の >
〜「長慶寺」に向かいます。左手に曲がる道は、呉羽山山頂に上がる道です。車で山頂に登れる車道は、ここ安養坊(あんようぼう)の他、峠茶屋(茶屋町)、八ヶ山(はっかやま)の3ヶ所から上がれます。
〜「長慶寺」に向かいます。左手に曲がる道は、呉羽山山頂に上がる道です。車で山頂に登れる車道は、ここ安養坊(あんようぼう)の他、峠茶屋(茶屋町)、八ヶ山(はっかやま)の3ヶ所から上がれます。
< 陶芸館 >
『妻入り』の切妻造です。これは『アズマダチ』〜と呼ばれる様式です。しかし、正面玄関が西を向いているのは、合点がいきません?『東(あずま)建ち』なので、てっきり東向きのお屋敷かと思いました?
『妻入り』の切妻造です。これは『アズマダチ』〜と呼ばれる様式です。しかし、正面玄関が西を向いているのは、合点がいきません?『東(あずま)建ち』なので、てっきり東向きのお屋敷かと思いました?
< この地で剃髪(ていはつ) >
〜して恭順の意を示しましました。秀吉の家来になり、丸く収まったかに思えましたが、さらに3年後(1588年)、切腹を命じられてしまいました(口惜しや)。
〜して恭順の意を示しましました。秀吉の家来になり、丸く収まったかに思えましたが、さらに3年後(1588年)、切腹を命じられてしまいました(口惜しや)。
< 考古資料館 >
富山市は市町村合併をへて、県南東部の山岳地(旧大山町の薬師岳など)を手に入れました。海辺近くの貝塚や、高山にある山岳信仰の遺構など、0から3000mまでの高低差のある考古学的遺産を引き継ぐことになりました。この資料館で、その事が勉強できると思います。
富山市は市町村合併をへて、県南東部の山岳地(旧大山町の薬師岳など)を手に入れました。海辺近くの貝塚や、高山にある山岳信仰の遺構など、0から3000mまでの高低差のある考古学的遺産を引き継ぐことになりました。この資料館で、その事が勉強できると思います。
< 村の最北部 >
〜にやって来ました。道の先が峠のように見えています。民俗民芸村の一番高い場所になります。右手に茶室「円山庵」、左手には、信行寺に上がる階段、土人形工房、管理センターです。
〜にやって来ました。道の先が峠のように見えています。民俗民芸村の一番高い場所になります。右手に茶室「円山庵」、左手には、信行寺に上がる階段、土人形工房、管理センターです。
< センダン(栴檀) >
センダン科センダン属。『栴檀は双葉より芳し』という故事がありますが、栴檀と白檀が取り違えられています。諺に出てくる栴檀は、「ビャクダン(白檀、ビャクダン科ビャクダン属)」のことです。
センダン科センダン属。『栴檀は双葉より芳し』という故事がありますが、栴檀と白檀が取り違えられています。諺に出てくる栴檀は、「ビャクダン(白檀、ビャクダン科ビャクダン属)」のことです。
< 曹洞宗「長慶寺」 >
山号は「佉羅陀山(きゃらださん、からだせん)」です。ネットでは法羅陀山(ほらださん)という誤記されていることがあります。この説明文によると、佉羅陀山は地蔵菩薩の浄土のお名前だそうです。
山号は「佉羅陀山(きゃらださん、からだせん)」です。ネットでは法羅陀山(ほらださん)という誤記されていることがあります。この説明文によると、佉羅陀山は地蔵菩薩の浄土のお名前だそうです。
< 劔(つるぎ) >
発音が似ているので、『鶴喜(つるき)』と言う「うどん屋さん」を思い出してしまいました。昔から富山市役所そばにあります。以前は、信州そばのお店でしたが、いつの間にかうどん屋に転向されています。なんでも眼鏡にかなった「信州そば粉」が手に入らなくなったらしいです。
発音が似ているので、『鶴喜(つるき)』と言う「うどん屋さん」を思い出してしまいました。昔から富山市役所そばにあります。以前は、信州そばのお店でしたが、いつの間にかうどん屋に転向されています。なんでも眼鏡にかなった「信州そば粉」が手に入らなくなったらしいです。
< 長慶寺・五百羅漢の謂われ >
このあたりは桜谷村でした。1786年にこちらの長慶寺が開山しています。江戸後期、廻船問屋「黒牧屋善治郎」さんが、佐渡の石工に造らせた石仏を並べたのが、五百羅漢の始まりです。羅漢 (らかん)=阿羅漢 (あらかん)は、聖者を意味しています。私は、世を生き抜いた人々を聖者に見立てた石仏のように感じました。
このあたりは桜谷村でした。1786年にこちらの長慶寺が開山しています。江戸後期、廻船問屋「黒牧屋善治郎」さんが、佐渡の石工に造らせた石仏を並べたのが、五百羅漢の始まりです。羅漢 (らかん)=阿羅漢 (あらかん)は、聖者を意味しています。私は、世を生き抜いた人々を聖者に見立てた石仏のように感じました。
< 山号・寺号額 >
・最初の4文字=「佉羅陀山」(山号)
残りの3文字は「寺号」のはずですが〜
・5文字目=長(簡体字の長)
・6文字目=喜+部首「こころ」(慶と同意?)
・7文字目=峰
〜でしょうか?(間違いかも知れません?)
・最初の4文字=「佉羅陀山」(山号)
残りの3文字は「寺号」のはずですが〜
・5文字目=長(簡体字の長)
・6文字目=喜+部首「こころ」(慶と同意?)
・7文字目=峰
〜でしょうか?(間違いかも知れません?)
< 同じ顔は2体とない >
〜と言われています。参拝され方々がそれぞれ親しかった故人と似たお顔の羅漢様を探しては、その方の名前書き記したタスキを、羅漢さまに掛けられています。さて、中央最上部の天守台のような所に上がります。
〜と言われています。参拝され方々がそれぞれ親しかった故人と似たお顔の羅漢様を探しては、その方の名前書き記したタスキを、羅漢さまに掛けられています。さて、中央最上部の天守台のような所に上がります。
< 富山駅北側 >
〜をズーム。最近、「富山赤十字病院」の隣りに新「富山県美術館」が建てられました。ガラス張りの斬新なデザインの美術館らしいのですが、ここからは見えませんでした。2017年3月25日に一部開館しています。8月6日にフルオープンの予定です。
〜をズーム。最近、「富山赤十字病院」の隣りに新「富山県美術館」が建てられました。ガラス張りの斬新なデザインの美術館らしいのですが、ここからは見えませんでした。2017年3月25日に一部開館しています。8月6日にフルオープンの予定です。
< 極楽浄土は何処に? >
「浄土山」から浄土川(下流では称名川、常願寺川になります)が流れ、雷鳥沢の辺りでは『三途の川』とも呼ばれています。その河原は「賽の河原」です。石を積んでつくられた塔を、近くの「鬼岳」から鬼がやって来て、くずしていくのでしょうか。
「浄土山」から浄土川(下流では称名川、常願寺川になります)が流れ、雷鳥沢の辺りでは『三途の川』とも呼ばれています。その河原は「賽の河原」です。石を積んでつくられた塔を、近くの「鬼岳」から鬼がやって来て、くずしていくのでしょうか。
< 極楽はこちらでした? >
極楽坂山〜瀬戸倉山の山麓にある「立山山麓スキー場」が見えます。3つのスキー場(極楽坂、らいちょうバレー、あわすの)を合わせて、立山山麓スキー場と呼んでいます。
極楽坂山〜瀬戸倉山の山麓にある「立山山麓スキー場」が見えます。3つのスキー場(極楽坂、らいちょうバレー、あわすの)を合わせて、立山山麓スキー場と呼んでいます。
< 金刀比羅宮 >
金刀比羅宮(ことひらぐう)ですが、「琴平宮」とも表記されます。「金比羅・金毘羅(こんぴら)宮」と同系の神社です。お宮さんまでは車道から50mほど小径を下りました。
金刀比羅宮(ことひらぐう)ですが、「琴平宮」とも表記されます。「金比羅・金毘羅(こんぴら)宮」と同系の神社です。お宮さんまでは車道から50mほど小径を下りました。
< トイレは一段下にあります >
尾山三郎先生像の後の崖下に、御手洗があります。明治期の初代富山市長(官選)は「前田則邦」氏ですが、戦後の公選の初代富山市長は、こちらの「尾山三郎」先生です。
尾山三郎先生像の後の崖下に、御手洗があります。明治期の初代富山市長(官選)は「前田則邦」氏ですが、戦後の公選の初代富山市長は、こちらの「尾山三郎」先生です。
< 三等三角点「呉羽山」 >
標高:71.22m。広場の舗装面より10cmほど、三角点の頭が低くなっています。広場として整備するときに、盛り土された所を舗装したので、元からあった三角点の位置が、地下になってしまったのでしょう。
標高:71.22m。広場の舗装面より10cmほど、三角点の頭が低くなっています。広場として整備するときに、盛り土された所を舗装したので、元からあった三角点の位置が、地下になってしまったのでしょう。
< 峠に出ました >
ここで民俗民芸村から上がってくる車道と合流します。この峠は、南東側の「安養坊(あんようぼう)」と北西側の「北代(きただい)」を結んでいます。北代に下る道がありますが、道幅が狭く車両の通行は最徐行です。
ここで民俗民芸村から上がってくる車道と合流します。この峠は、南東側の「安養坊(あんようぼう)」と北西側の「北代(きただい)」を結んでいます。北代に下る道がありますが、道幅が狭く車両の通行は最徐行です。
< 小径を50mほど >
〜下りました。急登でかなり道幅が狭い道ですは、交通標識がありますから、車道になっているみたいです。この道を下まで下り、さらに突き進むと、新幹線の高架をくぐり、北代縄文広場まで出るはずです。
〜下りました。急登でかなり道幅が狭い道ですは、交通標識がありますから、車道になっているみたいです。この道を下まで下り、さらに突き進むと、新幹線の高架をくぐり、北代縄文広場まで出るはずです。
< 「高見ナカ」刀自像 >
この小径の徐行の標識の所に、観音さまの案内が標示されていますが、標識の後方には、刀自(とじ)の銅像があります。大正十四年十月十日、百十四歳まで長生きされた刀自さまです。
この小径の徐行の標識の所に、観音さまの案内が標示されていますが、標識の後方には、刀自(とじ)の銅像があります。大正十四年十月十日、百十四歳まで長生きされた刀自さまです。
< 山頂の近く >
〜に出てきました。右手におしゃれなレストラン、左手に展望台です。山頂は、奥の一段高くなった丘(御野立所)になりますが、木々が茂り眺望がないので、山頂であることが、あまり意識されていません。
〜に出てきました。右手におしゃれなレストラン、左手に展望台です。山頂は、奥の一段高くなった丘(御野立所)になりますが、木々が茂り眺望がないので、山頂であることが、あまり意識されていません。
< シュールな俯瞰図 >
写真を見やすく加工したら、こんな絵になりました。ここは、『立山あおぐ特等席』ですが、その他の数々の特等席が、HP『富山商工会議所とやまTHEねっと』で紹介されています。
写真を見やすく加工したら、こんな絵になりました。ここは、『立山あおぐ特等席』ですが、その他の数々の特等席が、HP『富山商工会議所とやまTHEねっと』で紹介されています。
< 少年佐伯有頼 >
〜は、7世紀末、国司として越中国府(現・黒部市立鷹施中学校あたり)に赴任した父「佐伯有若」に伴われて来ました。彼のその後の人生はどうなってのでしょうか?16年前に立山開山祭が執り行われています。今年は、立山開山千三百十六年になるのでしょうか?
〜は、7世紀末、国司として越中国府(現・黒部市立鷹施中学校あたり)に赴任した父「佐伯有若」に伴われて来ました。彼のその後の人生はどうなってのでしょうか?16年前に立山開山祭が執り行われています。今年は、立山開山千三百十六年になるのでしょうか?
< 偉大な立山 >
7世紀の「高志国」の頃は、『大和朝廷』の支配下の勢力と、朝廷に従わない『蝦夷』との最前線だったかも?想像ですが、「蝦夷」たちを懐柔させるために、『立山開山伝説』が作り出されたのかも知れません?
7世紀の「高志国」の頃は、『大和朝廷』の支配下の勢力と、朝廷に従わない『蝦夷』との最前線だったかも?想像ですが、「蝦夷」たちを懐柔させるために、『立山開山伝説』が作り出されたのかも知れません?
< 呉仁館 >
コーヒーギャラリーサロン呉羽山頂「呉仁館」さまは、おしゃれです。何となく、キトキト富山を感じさせます。古来より、佐伯有頼の伝説にならい成長した少年たちが、今の富山を育んでいるのかも。
コーヒーギャラリーサロン呉羽山頂「呉仁館」さまは、おしゃれです。何となく、キトキト富山を感じさせます。古来より、佐伯有頼の伝説にならい成長した少年たちが、今の富山を育んでいるのかも。
< 昭和天皇の歌碑 >
「雄山神社前立社壇(まえだでしゃだん)」=中新川郡立山町岩峅寺(いわくらじ)一番地〜にある歌碑の御製と同じ歌です。碑文の和歌は、昭和天皇御製『立山の御歌』です。昭和天皇(皇太子の時)が大正 13 年 11 月 3 日、陸軍大演習統監のさいに詠まれた御歌です。
「雄山神社前立社壇(まえだでしゃだん)」=中新川郡立山町岩峅寺(いわくらじ)一番地〜にある歌碑の御製と同じ歌です。碑文の和歌は、昭和天皇御製『立山の御歌』です。昭和天皇(皇太子の時)が大正 13 年 11 月 3 日、陸軍大演習統監のさいに詠まれた御歌です。
< 大正天皇の歌碑 >
大正天皇が明治 42 年 10 月 1 日(皇太子の時)、富山県を訪問されたときに、漢詩を詠まれました。その後、この場所を「御野立所」と呼ばれ、漢詩『登呉峪魁 の一部を歌碑として建立されました。
大正天皇が明治 42 年 10 月 1 日(皇太子の時)、富山県を訪問されたときに、漢詩を詠まれました。その後、この場所を「御野立所」と呼ばれ、漢詩『登呉峪魁 の一部を歌碑として建立されました。
< 富山歌塚へ >
〜上がります。車道を道なり進むと、「豊栄稲荷(とよさかいなり)神社」の前を通ります。さらに下ると、旧・富山観光ホテル跡地の手前で、西方向に道が曲がり、茶屋町に出ます。今回は、左手の「呉羽山頂遊歩道(今回の散策ルートの一部)」に進みます。
〜上がります。車道を道なり進むと、「豊栄稲荷(とよさかいなり)神社」の前を通ります。さらに下ると、旧・富山観光ホテル跡地の手前で、西方向に道が曲がり、茶屋町に出ます。今回は、左手の「呉羽山頂遊歩道(今回の散策ルートの一部)」に進みます。
< 佐伯宗義像、聖徳隆興碑 >
佐伯宗義(さえきむねよし)は、富山地方鉄道と立山黒部貫光の創業者です。戦後の国会議員も務めました。現在の『立山アルペンルート』があるのも、彼のおかげです。
佐伯宗義(さえきむねよし)は、富山地方鉄道と立山黒部貫光の創業者です。戦後の国会議員も務めました。現在の『立山アルペンルート』があるのも、彼のおかげです。
< 甲州身延山の『七面大明神』 >
〜が由来です。明治の初めのことです。神を信じる「七面堂」、仏を信じる「長久院」〜の両者が交わる事を禁じられました(廃仏毀釈=神仏分離)。両者が破壊された後、再建されたのは、この「七面堂」と、少し離れたところにある「稲荷社」でした。
〜が由来です。明治の初めのことです。神を信じる「七面堂」、仏を信じる「長久院」〜の両者が交わる事を禁じられました(廃仏毀釈=神仏分離)。両者が破壊された後、再建されたのは、この「七面堂」と、少し離れたところにある「稲荷社」でした。
< 明神峠 >
〜です。旧北陸街道が通っていたところです。茶屋町(旧・三茶屋)と五福(旧・呉服郷)を結んでいました。近代には、「呉羽新道(※1)」が開かれ、この峠の通行が少なくなりました。現代では、丘陵が切通され、道路(※2)が通されました。また、この場所には、稲荷社の参道口があります。
※1:峠茶屋−五福峠−五福踏切−五福三区−五福一区〜のルートです。
※2:通されたのは国道8号線でしたが、現在は県道44号線(旧8)になっています。
〜です。旧北陸街道が通っていたところです。茶屋町(旧・三茶屋)と五福(旧・呉服郷)を結んでいました。近代には、「呉羽新道(※1)」が開かれ、この峠の通行が少なくなりました。現代では、丘陵が切通され、道路(※2)が通されました。また、この場所には、稲荷社の参道口があります。
※1:峠茶屋−五福峠−五福踏切−五福三区−五福一区〜のルートです。
※2:通されたのは国道8号線でしたが、現在は県道44号線(旧8)になっています。
< ハルジオン(春紫菀) >
キク科ムカシヨモギ属。素朴な花も綺麗です。同属の「ヒメジョオン(姫女菀)」とそっくりです。ハルジオンは、蕾が下に垂れ下がることと、茎に空洞があることが、ヒメジョオンとの大きな違いです。ハルジオンは春の早い時期から咲き始め、夏に枯れてしますので、成長期間が短くなっています。秋まで咲いているヒメジョオンと比べると、茎が弱々しくなるのだと思います。
キク科ムカシヨモギ属。素朴な花も綺麗です。同属の「ヒメジョオン(姫女菀)」とそっくりです。ハルジオンは、蕾が下に垂れ下がることと、茎に空洞があることが、ヒメジョオンとの大きな違いです。ハルジオンは春の早い時期から咲き始め、夏に枯れてしますので、成長期間が短くなっています。秋まで咲いているヒメジョオンと比べると、茎が弱々しくなるのだと思います。
< 固有の名称のない展望台 >
丘陵にある展望台は、「桜の丘の展望所」、「呉羽山展望台」、そしてここの3ヶ所です。この展望台には、特に名称がありません。『しらとり展望台』〜とお呼びしましょう(仮称・自分かってに付けました)。
丘陵にある展望台は、「桜の丘の展望所」、「呉羽山展望台」、そしてここの3ヶ所です。この展望台には、特に名称がありません。『しらとり展望台』〜とお呼びしましょう(仮称・自分かってに付けました)。
< 呉羽ハイツ >
人気の施設です。1週間前に近くを通った時は、満車で、路上駐車も見られました。その時は、こちらでの日帰り入浴を諦めました。(2017年6月11日の撮影:1週間前も登りに参りました。)
人気の施設です。1週間前に近くを通った時は、満車で、路上駐車も見られました。その時は、こちらでの日帰り入浴を諦めました。(2017年6月11日の撮影:1週間前も登りに参りました。)
< 5本のテレビ塔 >
〜を一同に揃えました(私は眺めただけです)。5本の内1本は、FMのアンテナも兼ねています(富山テレビの送信所)。(2017年6月11日の撮影:1週間前に撮影しました)
〜を一同に揃えました(私は眺めただけです)。5本の内1本は、FMのアンテナも兼ねています(富山テレビの送信所)。(2017年6月11日の撮影:1週間前に撮影しました)
< 白鳥城址地図 >
東から本丸に進み、西に出ます。経路は、『しらとり広場−東出丸跡−三の丸−二の丸−本丸(天守台)−西一の丸−西二の丸−西出丸−白鳥城址南駐車場』〜です。迷いやすいので、本丸の北側にある「東の丸」や「本丸外郭」の方向には進まない方が良いです。
東から本丸に進み、西に出ます。経路は、『しらとり広場−東出丸跡−三の丸−二の丸−本丸(天守台)−西一の丸−西二の丸−西出丸−白鳥城址南駐車場』〜です。迷いやすいので、本丸の北側にある「東の丸」や「本丸外郭」の方向には進まない方が良いです。
< 白鳥城について >
呉羽丘陵の最高峰「城山」を利用した中世の山城です。天文元年(1532年)、『神保長職(じんぼうながもと)』が、上杉勢との戦いに備えて築城したとされています。天正 13 年(1585年)、『羽柴秀吉』が『佐々成政』を攻めたとき、ここに入城しました。2つの支城である〜「大峪(おおがけ)城」と「安田城」は、この時、秀吉軍のよって造られたとも?
呉羽丘陵の最高峰「城山」を利用した中世の山城です。天文元年(1532年)、『神保長職(じんぼうながもと)』が、上杉勢との戦いに備えて築城したとされています。天正 13 年(1585年)、『羽柴秀吉』が『佐々成政』を攻めたとき、ここに入城しました。2つの支城である〜「大峪(おおがけ)城」と「安田城」は、この時、秀吉軍のよって造られたとも?
< イトラン(糸蘭) >
リュウゼツラン科イトラン属。天守台の正面に、不思議な感じのランの花が咲いていました。この時は、お名前が判りませんでした。後日、富山県中央植物園を訪問しましたら、同園のホール入り口にある噴水の前に咲いているこの花を見ることができ、糸蘭さんだと知りました。
リュウゼツラン科イトラン属。天守台の正面に、不思議な感じのランの花が咲いていました。この時は、お名前が判りませんでした。後日、富山県中央植物園を訪問しましたら、同園のホール入り口にある噴水の前に咲いているこの花を見ることができ、糸蘭さんだと知りました。
< 下から覗かせていただきました >
同科他属の「キミガヨラン(君が代蘭、リュウゼツラン科キミガヨラン属)」とそっくりですが、葉の形状が少し違う(キミガヨランの場合、葉先が垂れ下がっている)みたいです。両者とも、総称として『ユッカ(yucca)』と呼ばれています。
同科他属の「キミガヨラン(君が代蘭、リュウゼツラン科キミガヨラン属)」とそっくりですが、葉の形状が少し違う(キミガヨランの場合、葉先が垂れ下がっている)みたいです。両者とも、総称として『ユッカ(yucca)』と呼ばれています。
< 天測点とは >
〜天文測量を実施するために設けられた基準点です。見ての通りのコンクリート製の台です。測量機器設置するのに使用されました。測量機器の発達に伴い、このような観測台が不要となり、現在は使用されていません。
〜天文測量を実施するために設けられた基準点です。見ての通りのコンクリート製の台です。測量機器設置するのに使用されました。測量機器の発達に伴い、このような観測台が不要となり、現在は使用されていません。
< 白鳥城址南駐車場 >
〜にでました。東にあるものを「城山東駐車場」と名付けられていますが、どうして、ここを「城山(南)駐車場」としなかったのでしょうか?ちなみに、『青少年自然の家』のそばには「城山西駐車場」がございます。
〜にでました。東にあるものを「城山東駐車場」と名付けられていますが、どうして、ここを「城山(南)駐車場」としなかったのでしょうか?ちなみに、『青少年自然の家』のそばには「城山西駐車場」がございます。
< うっかりすると >
〜登り口を見逃してしまいそうです。私は、GPSにルートを入力していたので、迷いませんでした。通常のマップを見ても、正確なルートが判りませんので、注意が必要です。
〜登り口を見逃してしまいそうです。私は、GPSにルートを入力していたので、迷いませんでした。通常のマップを見ても、正確なルートが判りませんので、注意が必要です。
< 西に砺波平野 >
〜が広がっています。富山平野=仝眄省震遏椨呉東平野( 疆彷畔震遏楴与緤震遏↓◆甼控舛良抻格震遏椰契酳震遏砲任后つまり、富山平野=砺波平野+射水平野+富山平野(狭義)+新川平野〜となります。
〜が広がっています。富山平野=仝眄省震遏椨呉東平野( 疆彷畔震遏楴与緤震遏↓◆甼控舛良抻格震遏椰契酳震遏砲任后つまり、富山平野=砺波平野+射水平野+富山平野(狭義)+新川平野〜となります。
< 先輩が手本となりました >
18世紀初頭、古沢野の新田開発のため、山田川(神通川の支流)から取水し、「古沢用水」が造られました。往時は、土の濠と土塀で出来ていましたが、現在の用水路はコンクリートで護岸されています。昭和33年からは、『古沢用水土地改良区』が発足し、維持管理されています。
18世紀初頭、古沢野の新田開発のため、山田川(神通川の支流)から取水し、「古沢用水」が造られました。往時は、土の濠と土塀で出来ていましたが、現在の用水路はコンクリートで護岸されています。昭和33年からは、『古沢用水土地改良区』が発足し、維持管理されています。
< 古沢神明社 >
元々、高木村(呉羽山の北西部に位置)から移り住んできた人々が、古沢村を造り、このお社を祀るようになったみたいです。私は、うっかり、「しんめい(神明)」と「みょうじん(明神)」を混同してしまいました。
元々、高木村(呉羽山の北西部に位置)から移り住んできた人々が、古沢村を造り、このお社を祀るようになったみたいです。私は、うっかり、「しんめい(神明)」と「みょうじん(明神)」を混同してしまいました。
< 古沢用水の発展 >
〜とともに、現在の「神明社」に変遷したみたいです。高木村の「高木神明社」→「古沢用水ほじり宮」→古沢村の「御高並用水守護神明宮」→「古沢神明社」〜と言うことか?
〜とともに、現在の「神明社」に変遷したみたいです。高木村の「高木神明社」→「古沢用水ほじり宮」→古沢村の「御高並用水守護神明宮」→「古沢神明社」〜と言うことか?
< 「安田城跡」歴史の広場 >
〜が見えます。3つの寺が固まっている所の後方には、三角屋根の「安田城跡資料館」があるはずですが、陰になっています。この呉羽丘陵周回が終了した後に、「安田城跡」にも訪れてみます。
〜が見えます。3つの寺が固まっている所の後方には、三角屋根の「安田城跡資料館」があるはずですが、陰になっています。この呉羽丘陵周回が終了した後に、「安田城跡」にも訪れてみます。
< 称名滝 >
〜がよく見えました。白糸のような瀑布が綺麗です。しらとり広場近くにある「しらとり展望台(仮称)」では、瀑布が確認出来ませんでした。たぶん、あの時は、滝壺からの水蒸気が、霧を発生させていたのでしょう?
〜がよく見えました。白糸のような瀑布が綺麗です。しらとり広場近くにある「しらとり展望台(仮称)」では、瀑布が確認出来ませんでした。たぶん、あの時は、滝壺からの水蒸気が、霧を発生させていたのでしょう?
< ザグの上りからの眺め >
「二上山」が見えました。二上丘陵の「守山(守山城趾)」、「大師峰(たいしがたけ)」が確認出来ました。二上山山頂の後には、「摩頂山」がありますが、陰に入っています。
「二上山」が見えました。二上丘陵の「守山(守山城趾)」、「大師峰(たいしがたけ)」が確認出来ました。二上山山頂の後には、「摩頂山」がありますが、陰に入っています。
< 駐車場はたくさんあります >
キャンパス内のみならず、丘を下った先にも大駐車場がございます。ここ病院裏の駐車場は、教職員・学生専用のようですが、それ以外の方でも、有料で停められるみたいです。
キャンパス内のみならず、丘を下った先にも大駐車場がございます。ここ病院裏の駐車場は、教職員・学生専用のようですが、それ以外の方でも、有料で停められるみたいです。
< 富山大学附属病院 >
背後には『古墳群』がありますが、正面には、真新しい『建物群』です。2017年で、医薬学部開校42年、付属病院開院38年になります。平成20年から、増改築が行われていて、現在は、新築病院のようになっています。
背後には『古墳群』がありますが、正面には、真新しい『建物群』です。2017年で、医薬学部開校42年、付属病院開院38年になります。平成20年から、増改築が行われていて、現在は、新築病院のようになっています。
< 「いのちが集う里」づくり >
〜を目指しています。『森を元気に、人を元気に、いのちを元気に、地域を元気に』のコンセプトのもと、ファミリーパークと呉羽丘陵が一帯化することを願っているとのことです。
〜を目指しています。『森を元気に、人を元気に、いのちを元気に、地域を元気に』のコンセプトのもと、ファミリーパークと呉羽丘陵が一帯化することを願っているとのことです。
< 今回のルート >
〜を描いてみました。実は、この周回登山の後も、車で、大峪城跡、西富山駅、白鳥神社、安田城跡、富山市役所展望塔、牛ヶ首神社、八ヶ山広場、北代縄文広場〜と周回しました。
〜を描いてみました。実は、この周回登山の後も、車で、大峪城跡、西富山駅、白鳥神社、安田城跡、富山市役所展望塔、牛ヶ首神社、八ヶ山広場、北代縄文広場〜と周回しました。
< ガラス・アート・ヒルズ富山 >
FAの無料エリアを突ききって(西口から北口に)出るつもりでしたが、北口が、判らず、西口に戻り車道を歩いて、こちらの「G・A・HT」に着きました。
FAの無料エリアを突ききって(西口から北口に)出るつもりでしたが、北口が、判らず、西口に戻り車道を歩いて、こちらの「G・A・HT」に着きました。
< 2つの工房を挟んで >
富山市ガラス造形研究所(TIGA=Toyama City Institute of Glass Art)という学校(グラスアート専門教育機関)があります。
富山市ガラス造形研究所(TIGA=Toyama City Institute of Glass Art)という学校(グラスアート専門教育機関)があります。
< 城山西駐車場 >
〜は、実在していました。利用者が少ないため廃止されたのかと思っていました?呉羽丘陵にある駐車場は、北から順に挙げると〜、呉羽山駐車場、五福駐車場(県道44号線沿い)、多目的広場駐車場、城山東駐車場、白鳥城址南駐車場、古沢神明駐車場〜となります(杉谷キャンパスの物は除く)。
〜は、実在していました。利用者が少ないため廃止されたのかと思っていました?呉羽丘陵にある駐車場は、北から順に挙げると〜、呉羽山駐車場、五福駐車場(県道44号線沿い)、多目的広場駐車場、城山東駐車場、白鳥城址南駐車場、古沢神明駐車場〜となります(杉谷キャンパスの物は除く)。
< 分水工 >
〜と呼ばせていただきましたが、2つの水門だけで、正式な分水設備がないので、分水点(ポイント)と呼ぶのが良いかも知れません。たまたま、『古沢用水土地改良区』の方が作業されていましたので、色々教わりました。
〜と呼ばせていただきましたが、2つの水門だけで、正式な分水設備がないので、分水点(ポイント)と呼ぶのが良いかも知れません。たまたま、『古沢用水土地改良区』の方が作業されていましたので、色々教わりました。
< この横道を登って行く >
〜と、尾根散策ルートにぶつかりますが、上の方で通行止めになっています。社会福祉法人「めひの野園」や、
「くれは山荘保養館」などの施設が、この辺りに集合しています。
〜と、尾根散策ルートにぶつかりますが、上の方で通行止めになっています。社会福祉法人「めひの野園」や、
「くれは山荘保養館」などの施設が、この辺りに集合しています。
< 若い梨の果実 >
水に乏しいこの丘陵地帯(用水はここより低い場所に流れています)は、稲作に向きませんでした。明治の終わり頃から、水はけの良さが買われて、梨の栽培が始まりました。
水に乏しいこの丘陵地帯(用水はここより低い場所に流れています)は、稲作に向きませんでした。明治の終わり頃から、水はけの良さが買われて、梨の栽培が始まりました。
< 城山から下ってきている道 >
〜とぶつかりました。城山スカイラインの延長線になります。どの位置が、スカイラインの終点なのか定かではありませんが?とりあえず、左折し、選果場のある所に向かいます。
〜とぶつかりました。城山スカイラインの延長線になります。どの位置が、スカイラインの終点なのか定かではありませんが?とりあえず、左折し、選果場のある所に向かいます。
< JAなのはな呉羽選果場 >
県道9号線にぶつかりました(T字路)。この角に「呉羽選果場」があります。呉羽ハイツの看板は、五福の多目的広場と、このT字路にありますから、『城山スカイライン』の終点は、ここということで手を打ちましょう?
県道9号線にぶつかりました(T字路)。この角に「呉羽選果場」があります。呉羽ハイツの看板は、五福の多目的広場と、このT字路にありますから、『城山スカイライン』の終点は、ここということで手を打ちましょう?
< 「呉羽梨」の由来 >
生みの親は「土池弥次郎」翁である。大正時代は『長十郎梨』が主力でした。戦時中は、梨の木の強制伐採で、つらい憂き目にあったらしい。現在の品種は、「幸水」、「豊水」、「新高」などです。今では、呉羽梨は全国ブランドになっています。
生みの親は「土池弥次郎」翁である。大正時代は『長十郎梨』が主力でした。戦時中は、梨の木の強制伐採で、つらい憂き目にあったらしい。現在の品種は、「幸水」、「豊水」、「新高」などです。今では、呉羽梨は全国ブランドになっています。
< 旧・五福小学校跡地 >
五福小学校は引っ越しました。2015年 4 月、旧市民病院五福分院跡で新築開校しています。 旧五福小学校が建っている小高い丘が大峪(おおがけ)城の本丸跡です。1585年、『豊臣秀吉』が、富山城主の『佐々成政』を攻めたとき、占領した「白鳥城」の支城として「安田城」とともに築城したとされます。
五福小学校は引っ越しました。2015年 4 月、旧市民病院五福分院跡で新築開校しています。 旧五福小学校が建っている小高い丘が大峪(おおがけ)城の本丸跡です。1585年、『豊臣秀吉』が、富山城主の『佐々成政』を攻めたとき、占領した「白鳥城」の支城として「安田城」とともに築城したとされます。
< JR高山本線「西富山駅」 >
こちらの駅が、呉羽丘陵の最寄りの駅です。多目的広場まで1kmほどの距離になります。あとで、判ったのですが、この駅のあたりに、元々の「白鳥神社」があり、高山本線の開業のため、ここから400mほど南に移され(遷宮)たみたいです。
こちらの駅が、呉羽丘陵の最寄りの駅です。多目的広場まで1kmほどの距離になります。あとで、判ったのですが、この駅のあたりに、元々の「白鳥神社」があり、高山本線の開業のため、ここから400mほど南に移され(遷宮)たみたいです。
< 白鳥神社 >
寺町の県道59号線沿いに所在します。いにしえの世、越の国から天皇に、4隻(せき)の「白鳥」を献上したという。その白鳥捕獲の伝承地が当地であったので、ここに「白鳥神社」が出来ました。
寺町の県道59号線沿いに所在します。いにしえの世、越の国から天皇に、4隻(せき)の「白鳥」を献上したという。その白鳥捕獲の伝承地が当地であったので、ここに「白鳥神社」が出来ました。
< 鳥居が向いている >
〜のは、北西方向です。富山県警の施設が建てられている標高121mのピークがある方向です。真西の方向に山頂(白鳥城址)があるのですが、ここからだと低いピークになって見えます。
〜のは、北西方向です。富山県警の施設が建てられている標高121mのピークがある方向です。真西の方向に山頂(白鳥城址)があるのですが、ここからだと低いピークになって見えます。
< 本丸跡の眺め >
天正13年(1585年)のことです、『羽柴秀吉』が『佐々成政』を討つため越中に攻め入りました富山の役(越中征伐)。先鋒隊の『前田利家』が白鳥城の支城として、ここ「安田城」と「大峪城」を造ったとされます。
天正13年(1585年)のことです、『羽柴秀吉』が『佐々成政』を討つため越中に攻め入りました富山の役(越中征伐)。先鋒隊の『前田利家』が白鳥城の支城として、ここ「安田城」と「大峪城」を造ったとされます。
< 安田城跡の立体模型 >
〜があります。井田川の左岸にこのお城があるので、井田川そのものが、東からの防御の役目を担っていました。富山の役(越中征伐)の折は、ここから北東に位置する「富山城」に籠もっている『佐々軍』と対峙していました。
〜があります。井田川の左岸にこのお城があるので、井田川そのものが、東からの防御の役目を担っていました。富山の役(越中征伐)の折は、ここから北東に位置する「富山城」に籠もっている『佐々軍』と対峙していました。
< 富山市役所展望塔 >
『佐々成政』の居城「富山城」址のそばに立ちそびえる展望塔です。標高は70mほどしかありませんが、360°の視界があるので十分です。『立山あおぐ特等席』の一つに指定されています。
『佐々成政』の居城「富山城」址のそばに立ちそびえる展望塔です。標高は70mほどしかありませんが、360°の視界があるので十分です。『立山あおぐ特等席』の一つに指定されています。
< 牛ヶ首神社 >
〜に着きました。厳密には、呉羽丘陵の北端の「八ヶ山(はっかやま)」から500mほど北東に位置します。ここから100m東に、神通川(河口まで約5kmの地点)が流れています。
〜に着きました。厳密には、呉羽丘陵の北端の「八ヶ山(はっかやま)」から500mほど北東に位置します。ここから100m東に、神通川(河口まで約5kmの地点)が流れています。
< 神社の由緒 >
「牛ヶ首用水」の工事では、八ヶ山が最大の難所になりました。責任者の一人「八町村善左衛門」の枕元に「牛嶽大明神」が立たれ、『寝牛の首をここに埋めろ』〜と告げられたという。
「牛ヶ首用水」の工事では、八ヶ山が最大の難所になりました。責任者の一人「八町村善左衛門」の枕元に「牛嶽大明神」が立たれ、『寝牛の首をここに埋めろ』〜と告げられたという。
< 紀功碑 >
17世紀のことです。神通川氾濫に悩まされていた流域の婦負郡(現富山市)、射水郡(現射水市)の村役人たちが、用水開削と新田開発を加賀藩に願い出たのが始まりです。神通川の上流を流れる(支流である)山田川と井田川から取水して完工しました(30年以上を要した)。
17世紀のことです。神通川氾濫に悩まされていた流域の婦負郡(現富山市)、射水郡(現射水市)の村役人たちが、用水開削と新田開発を加賀藩に願い出たのが始まりです。神通川の上流を流れる(支流である)山田川と井田川から取水して完工しました(30年以上を要した)。
< 丘陵と用水で >
〜いくつの町に分かれています。町名はそれぞれ、「長岡新(ながおかしん)」、「五艘(ごそう)」、「石坂(いしさか)」、「八ヶ山(はっかやま)」です。「牛ヶ首神社」のある所は、「松木」で、こちら側に向かって「百塚」−「石坂」−「八ヶ山」と並んでいます。
〜いくつの町に分かれています。町名はそれぞれ、「長岡新(ながおかしん)」、「五艘(ごそう)」、「石坂(いしさか)」、「八ヶ山(はっかやま)」です。「牛ヶ首神社」のある所は、「松木」で、こちら側に向かって「百塚」−「石坂」−「八ヶ山」と並んでいます。
< 呉羽山風致地区 >
「八ヶ山遊園地」は50年ほど前に廃業。1980年(37年前)には、富山地方鉄道「射水線」は廃線になりました。おかげで?この地の風致が現在まで守られています。
「八ヶ山遊園地」は50年ほど前に廃業。1980年(37年前)には、富山地方鉄道「射水線」は廃線になりました。おかげで?この地の風致が現在まで守られています。
< この公園(八ヶ山広場)の >
〜正確な名称は『呉羽山公園(石坂・八ヶ山・ちびっこ広場)』です。「呉羽山公園都市緑化植物公園」、「呉羽山公園五福広場」と同様で、長ったらしい名になります。とにかく、この辺りも「呉羽丘陵の一部」だということです。
〜正確な名称は『呉羽山公園(石坂・八ヶ山・ちびっこ広場)』です。「呉羽山公園都市緑化植物公園」、「呉羽山公園五福広場」と同様で、長ったらしい名になります。とにかく、この辺りも「呉羽丘陵の一部」だということです。
< 由緒ある「マンホールの蓋」 >
〜を見つけました。富山藩絵師「山下守胤」の作品『富山城下神通川船橋図』がのこの蓋の意匠の元になっています。元の絵図(水墨画)は、富山市郷土博物館(富山城址)に保管されています。神通川船橋の両岸に常夜燈が描かれていますが、実物が現存しています。「松川べり」と「富山県森林水産会館」前に残っています。ちなみに、戦前(富山空襲の前)までは、神通川の本流は、現在の松川の部分を流れていました。
〜を見つけました。富山藩絵師「山下守胤」の作品『富山城下神通川船橋図』がのこの蓋の意匠の元になっています。元の絵図(水墨画)は、富山市郷土博物館(富山城址)に保管されています。神通川船橋の両岸に常夜燈が描かれていますが、実物が現存しています。「松川べり」と「富山県森林水産会館」前に残っています。ちなみに、戦前(富山空襲の前)までは、神通川の本流は、現在の松川の部分を流れていました。
撮影機器:
装備
個人装備 |
小型ザック
キャップ
スマートホン
GPS
一眼レフデジカメ2台(1台は標準ズーム/もう1台は望遠ズームレンズを装着)
予備電池
タオル2本
おにぎり
水2L
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感想
___【 良かったこと 】___
● 天気が良かっただけでなく、大気の状態が良く、遠くの景色も最高だった。
● 呉羽山(丘陵)と、富山の歴史が学べた。
___【 悪かったこと 】___
● たくさん写真を撮り、参考資料もたくさん集めたが、その分整理が大変だった。
● 100m級の低山だけれども、散策・周回したのが、広範囲すぎて疲れた。
___【 最後に 】___
伝説によると、牛岳山頂におわします「牛嶽大明神」のお告げによって完成したともいえる「牛ヶ首用水」と、牛ヶ首用水に続いて造られた「古沢用水」の2本の流れが、呉羽丘陵周辺を潤しています。山があり川があり平野(人里)があり、人々の命と自然の命が集う領域の一つが、ここ「呉羽丘陵」ではないでしょうか。私は今後も、この地(この山)に注目してゆきたいと思います。
___【 近隣の山行記録のリンク 】___
先月、呉羽丘陵の付け根に位置する「牛岳」に登りました。
● 越中国『牛嶽』〜下見のドライブと本番の周回登山〜
2017年5月18日〜21日
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1060409.html
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この記録に関連する登山ルート
無雪期ピークハント/縦走
北陸 [日帰り]
呉羽丘陵縦走(多目的広場−呉羽山−城山−杉谷まで縦走後、西麓を通行して帰還)
利用交通機関:
車・バイク、 電車・バス
技術レベル
1/5
体力レベル
3/5
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