白山(釈迦新道〜加賀禅定道)
- GPS
- 56:00
- 距離
- 28.1km
- 登り
- 2,452m
- 下り
- 2,818m
コースタイム
- 山行
- 7:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:00
- 山行
- 4:57
- 休憩
- 1:41
- 合計
- 6:38
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
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写真
感想
両白山地はその裾野が石川・富山・岐阜・福井の4県にまたがっており、秘境めいた登山道が多いにも関わらず、交通の便が悪く長いアプローチが必要なため、南北に延びる縦走路は一般大衆にあまり登られていない。今回歩いた道もその1つの加賀禅定道である。この道は平安時代に開かれた信仰の道であるが、昭和初期までは廃道であった。しかし、昭和62年に眺望と豊かな自然に恵まれた歴史深い道として整備された全長18kmのきわめて新しい登山道である。所有する昭和58年測量の25,000分の1の地形図には道が掲載していなかった。そこで、今回はエアリアマップを便りに歩いた。
11月1日(日) ◎一時●のち晴れ
市ノ瀬よりも約100m上の釈迦新道に通ずる林道の入り口ゲートまで車で送ってもらった。この時期はゲートが閉まっていて釈迦新道登山口まで約50分の林道歩きを強いられる。季節柄、山菜や茸取りのおじさんが少なからず山に入っているらしくゲート前には車が数台並んでいた。登山口では「釈迦新道登山口」の看板の前で写真を撮って出発する。例年より色は悪いが紅葉の林の中の登山道をゆっくりと登る。白山釈迦岳(2053m)の手前まではブナ−ミズナラの緩やかな台地状の林が続き急登はない。時折フィーフィーとウソが鳴いている。釈迦岳に近づくと高木帯を脱し白い木肌のダケカンバ帯に入る。中腹のダケカンバの広がりは白山の魅力の一つである。途中雨がぱらついたが大したことはなくそのまま歩き続けた。この登山道では初めての急登らしい道を登り白山釈迦前岳に到着。ここからは登ってきた登山道付近がすべて見下ろせる。縦走路は釈迦岳のピークを通らずピークと池の間をぬっている。何も考えてなかったのでピークを踏まずに通過する。白峰から続いている青柳新道(難路)との合流点付近に、草の根から滴り落ちている清水があり、喉を潤す。うまい! 次第に風が強くなり、やや肌寒く感じた。ハイマツ帯に入った道をゆっくり2ピッチ歩くと主稜線上の七倉の辻(2500m)に到着する。ここは水はないが広くて景色がよく、強い西風が遮れる地形となっているので今夜はここでテントを張る。夜には空が晴れ上がって翌日は好天かと期待させられた。
11月2日(月) ◎のち晴れ 風強
夜中は放射冷却のため冷えた。金沢でこの秋最低の12℃だったらしい。2500mの七倉ではテントがバリバリ凍りついた。テントを出ると辺りには降霜があり、1歩踏み出すとサクッとした足の裏の感触があった。ラジオの天気予報は南の風で石川県地方は気温が高く晴れのよい天気と言っていた。南風の場合は確かに下界はフェーンのために気温が上昇し太平洋側に比較して天気はよいが、2500mの低温の高地では湿気を多く含む南風は凝結してガスとなり非常にやっかいである。ある程度覚悟して七倉のベースを離れて御前峰へ向かうが、予想通り大汝との鞍部で視界の悪い強風に包まれた。強風のため口からはいた唾が地面に落ちずに白い闇の中に飛んで消えてゆく。御手水鉢は完全に凍っており、付近の低木の枝の1本1本が白く、辺りは雪が降る直前の初冬の風景であった。1時間弱で大汝峰山頂(2684m)に到着。石囲いの中で風を凌ぐ。大汝の南側もすさまじい風であったが、池巡りコースに入ると御前峰の影になって風がほとんど無くなる。池はガスって見えなかったのでひたすら山頂を目指す。標高が高くなるにつれて次第に足元に積雪が現れる。9:55に山頂(2702m)に到着。積雪約5cm。ほんとは真っ白な雪で包まれた山頂を見たくてやってきたのだが、温暖な秋だったために付近は岩と雪の斑模様であり、ちょっと残念である。夏によく写真を撮った「霊峰 白山山頂」の木製立て札がこの時期は強風のため傾いていた。毎年立て直すのであろう。白山神社に20円の賽銭を落とすと、ご利益があったのか下山直前に一瞬だけガスが晴れて辺りが見えた。ほんの一瞬であるが室堂の白山荘前には2人位人がいるように見えた。反対側の剣が峰や紺屋が池、大汝峰はやや長めにはっきり見ることができて非常にラッキーであったが、またすぐに白闇の世界となった。賽銭を1000円くらい与えればよかったろうか...。帰りは風が強いと思われる室堂方面には行かずに元来た道を引き返した。途中千蛇が池に立ち寄る。この池は、被いかぶさる万年雪のために水面が露出することがほとんど無いと言われていたが、凍ってはいるがはっきりと水面が見えた。近年の温暖化のため白山の雪渓は他にも消滅しているところが多く、渇水期には深刻な水不足となりやすい。また、このような水環境・温度環境の変化は野生生物に対して少なからぬ影響を与えると思われ、美しい豊富な高山植物がいつまでも保持されるのかは疑問である。帰りは御手水鉢の氷を無理矢理割って水補給をする。七倉で1時間余り休憩の後テントをたたんで長い長い加賀禅定道へ足を踏み入れる。四塚山にはすぐに到着した。ケルンのような石積みの塚が4つならんだ平坦な山頂である。ここに来るのは初めて白山に登った時以来であり、YMTNちゃん、SSI、MKW君の顔が思い浮かんでなつかしかった。道はいよいよ下りとなり、300〜400m程度標高を落とす。下るにつれてガスが無くなり周囲の景色が見えだした。どうやら雲の下に出たらしい。おそらく2300m付近が雲底であり、それより上は雲の中の状態であったのだろう。目の前にはこれから通るであろう稜線がジグザクと連なっており、稜線の右には清浄ヶ原が広がっている。清浄ヶ原は高山にしては珍しい平原であり、昔古白山の噴火によって出た溶岩が流れてできたと言われているらしい。道を下りきると油池という池塘がある。ここからは昨日登った釈迦岳の尾根がくっきりと見える。道は地形図の標記と違い山頂を迂回するように続き、ほぼ崩れた急な木の階段のある笹道の急坂を登ってなだらかな稜線に出る。ここが天池(あまみいけ)である。別山方面にも同名の池があるが、池の名前だけでなく雰囲気もよく似ている。奥長倉非難小屋まで進むつもりであったが、ここは四塚山、清浄ヶ原、そこから落ちる名瀑百四丈の滝の一部が見えるなど景色が気に入ったし、西風はどうにか遮れそうだったので、ちょっと雷は恐いけどこの地に泊まることに決めた。天池のすぐそばには平安時代に修行に用いたと言われる天池室跡の石垣があり、そちらの方が風はしのげるが池のそばがとても気に入ったので、池の奥にテントを張ることにした。池の水はとても澄んでいるので食事に用いた。天気予報では明け方に山沿いで雨が降って風向きが変わると言ってたので心配したが実際それほどでもなかった。
11月3日(火)
予報通り朝は山沿いで雨となった。後に晴れると言ってたのでそれを信じてしばらくテントの中でゆっくりしてたら、やはり9時前に完全に晴れた。ゆっくりテントをたたんで天池を後にする。天池付近のピークを下ると道は小さな平原の中を貫いていた。平原と言ってもアオモリトドマツの林も存在する。しかし、所々は木道になっており池塘が存在することから、湿性の高山植物の宝庫であると思われる。雲ノ平のアラスカ庭園付近に似ており、日帰りでは絶対に来れない地であることから「秘境」と言ってよいのではないだろうか。「秘境」の切れ端の美女坂の頭から見た百四丈の滝は、清浄ヶ原から集まったすべての水を一筋で丸石谷に落下させている。美女坂を下るにつれ「高山」とおさらばして「下界」に少しずつ近づく感がある。2000mを割ると植生も次第に変化してくる。美女坂の途中からは、行く先の尾根筋を目で追うことが出来、尾根の行く末に一里野温泉山頂駅らしき建物が見えた。やはり「下界」である。急坂はなおも続き、丸石谷側は切れ落ちていて危険箇所が多く、プラブーツの私にとってはちょっと恐くて辛かった。奥長倉山の緩やかな山頂を越えてすぐに蒲鉾型の避難小屋があった。2階建ての小屋で結構しっかりしている。小屋の中の大学ノートに一応来た証を残して去る。登山道周辺は山渓の表紙に出てきそうな秋のブナ林となる。ここまで降りて来ると稜線上とは言え、熊の存在が気になる。鈴などは持ち合わせていなかったので、吠えたり手を叩いたりして警戒しながら進む。偽ピークに騙されながら看板の無い長倉山を通過。しばらく歩くと一里野スキー場方面(左)とブナオ山観察舎(右)のしかり場分岐に到着する。ここで2日ぶりに人間に会う。熊が気になっていただけにちょっと安心した。ここからは紅葉のブナ林の中をハイキングし、途中林道を横切ってすぐに一里野温泉スキー場ゴンドラ山頂駅に至る。「加賀禅定道登山口」の看板でザックの写真を撮り、今回の山行は無事終了となった。釈迦新道、加賀禅定道は僕に新たなる白山の一面を紹介してくれた。白山の探求は更に継続する。
ゴンドラ ¥400
一里野温泉 天領(露天風呂)¥700
《服装》
上着:グレーのハイネックポリエステル、赤黒チェックの厚手アクリルシャツ
深緑のフリースジャケット、防水加工した雨具
下着:黒のタイツ、グレーのジャージ、防水加工した雨具
他 :靴下3枚、手袋2枚+ミトン、耳当て、帽子=無(反省)
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