津軽半島脊梁山脈横断完遂 〜大倉岳・袴腰岳〜
- GPS
- 17:02
- 距離
- 30.8km
- 登り
- 1,088m
- 下り
- 1,066m
コースタイム
- 山行
- 7:28
- 休憩
- 0:48
- 合計
- 8:16
- 山行
- 8:04
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 8:14
天候 | 【1日目】晴れ時々雪 【2日目】曇り時々雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2018年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
5:18発弘前→6:00着青森 6:15発青森→6:46着蓬田 【2日目】 15:21発津軽中里→16:05着津軽五所川原 (ストーブ列車) 18:56発五所川原→19:43着弘前 (暴風雪によりJR五能線運休、バス代行) |
コース状況/ 危険箇所等 |
【1日目】蓬田〜大倉岳周辺〜C1 ・蓬田駅から少し歩いた林道は、周囲が田んぼであったため吹き溜まりができていた。吹き溜まりの尾根はしっかりと固まっていたため、つぼ足でも大丈夫だった。 ・北海道新幹線の高架線を越えた後からは積雪量が多くなるので、スノーシューやワカンの装着が必要である。 ・大倉岳登山口までは、登山口や沢の標識が点在している。(写真参照) ・大倉岳登山口から大倉岳周辺までには、木に巻かれたピンクテープが多数見られた。 ・大倉岳避難小屋は閉鎖中。 ・避難小屋から先は、風当たりが強く雪庇に注意が必要である。 【2日目】C1〜袴腰岳〜津軽中里 ・1日目と同様に木々の少ない尾根上は風当たりが強く雪庇に注意が必要である。 ・袴腰岳東壁上部にはクラックが見られたため、雪崩に注意が必要。 ・木の枝に巻かれたピンクテープが見られた。 ・袴腰岳から母沢沿いの林道までは細くて低い木々が密集している箇所がある。 ・登山道から林道までは母沢を越える必要があり、注意が必要。(写真参照) ・林道は車が通った形跡が全くなかった。山側斜面からの雪の崩落に注意が必要。 |
その他周辺情報 | 津軽鉄道のストーブ列車には普通運賃の他、追加400円が必要。車内では焼いたスルメを食べて楽しむことができる。 五所川原市内にあるホテルサンルート五所川原(駅から徒歩5分ほど)の日帰り入浴(430円)を利用した。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
長袖インナー
ハードシェル
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
防寒着
雨具
ネックウォーマー
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
サブザック
行動食
非常食
飲料
水筒(保温性)
地図(地形図)
コンパス
笛
ヘッドランプ
予備電池
常備薬
保険証
携帯
サングラス
タオル
ナイフ
ストック
輪カンジキ
|
---|---|
共同装備 |
ビーコン
スコップ
ゾンデ
調理用食材
調味料
コッヘル
ツェルト
ポール
テント
テントマット
シェラフ
GPS
MSR
ラジオ
天気図用紙
スノーソー
ファーストエイドキット
|
感想
私たちは、津軽に住み、弘前大学山岳部と名乗りながらも津軽の山々を完全には理解していない。昨年、白神山地核心地域や岩木山、八甲田を中心とした山行を数多くこなしてきたが、大学近辺の864mピークや久渡寺山以外の低山を歩く機会は少ない。これは、県外の名の知れた山域に目を奪われたり、薮によって日数の限られる冬山山行に限定されることが要因であると考えられる。今回の山行では、山岳部としてあまり足を踏み入れたことのない津軽半島の山々に焦点をおいてJR津軽線の蓬田駅から津軽鉄道の津軽中里駅まで1泊2日で歩くことにした。
実はこの津軽半島横断計画は、ちょうど1年前に計画されて途中の大倉岳避難小屋で撤退したものとほぼ同じ内容である。私は、今年度の春に入学したため、前述の事実は最近まで知らなかったが、冬が近づくにつれて前部長からこの話を徐々に聞くことができた。陸奥湾側から上がり、低山ではあるが山脈を越えて、日本海側の津軽平野へ下りる...なんだが夏合宿で経験した北アルプス縦走(撤退)に似ていて冒険要素があってワクワクした。さらに、下山後は津軽鉄道のストーブ列車に乗って冷えた体を暖めるという特典付きのこれ以上ない素晴らしい計画であった。そのため、このまま津軽半島横断計画を放置するのはもったいないと思い、山岳部1年目で不安は山ほどあったが、前部長に相談しながら、入部後に身につけた知識や技術を活かしてCLを務めることになった。前回の計画内容を洗い流して、鳥海山に続くリベンジマッチと銘打ち津軽半島脊梁山脈横断完遂を計画して、これを実施した。また、同時に今年度の春休みから計画されている春合宿の1つ八幡平縦走の強化合宿としての役割も兼ねている。
1日目
早朝は大学周辺に住む弘前組(4人)と青森県内の実家に住む川部組(2人)に分かれて行動した。白神山地核心地域の山行並の早起き(午前2:30起床)して、準備後、部室を4:22に出発した。4:58に弘前駅に到着したが、まだ券売機や改札機のシャッターが閉まっていた。5:00頃になるとシャッターが開いて、目立つ荷物を背負いながら始発列車に乗り込んだ。5:18に弘前駅を出発、途中の川部駅で川部組と無事合流した(誰も寝坊しないでよかった...)。6:00に青森駅へ到着し、6:15発の蟹田行へ乗り換えた。
6:46に蓬田駅到着予定だったが、途中で北海道方面からの貨物列車の遅れにより、5分ほど遅れて到着した。蟹田行の車内では車掌さんから「どこにいくの?」「蓬田なにもないよ??」と話しかけられ、蓬田駅構内では警備員さんから大倉岳までの道のりを津軽弁で軽く説明された。津軽の人々のやさしさを再認識した。現地の天気は、曇りではあったが、蓬田駅からは大倉岳がきれいに見えていた。蓬田駅を出て、すぐ左の道をまっすぐいった所の踏切を渡って、ひたすら吹き溜まりのできた田圃道を歩いた。歩いていると雲の隙間から朝日が差し込み、田圃の雪原に反射して一面銀世界だった。ときどき北海道新幹線の高架線方向を見ると、真っ白な世界の中に一筋の緑の光が見えて、少し足が軽くなった。その北海道新幹線の高架線までたどり着くと面白そうという理由で高架線下で小休憩したが、残念ながら新幹線は通過しなかった。その先は登山口までの林道を永遠と歩いた。登山口までは小さな神社や沢の標識、資材置き場があった(写真参照)。前回の山行記録と比ベて、今回は神社の鳥居の半分以上まで雪に埋もれていたため、昨年よりも雪が多いことがわかった。資材置き場を過ぎた直後からスノーシュー、ワカンを装着したが、もう少しはやく装着すれば楽に歩行できたかな?判断が難しかった。これからは、先頭のSLに判断を任すのもありだと思う。装着してからは、少しだけスピードが上がった。結局、大倉岳登山口に到着したのが10:40頃で予定より40分遅れてしまっていた。メンバーの疲労も徐々に溜まってきていた。休憩後、谷のしたまで下りて小川を越えて尾根に取り付いた。尾根の木々にはピンクテープが大きく巻かれていてわかりやすかった。ひたすら尾根を歩いて、避難小屋のある尾根との分岐を目指した。分岐直前の道は急峻であったため、避難小屋方向に向かってトラバースした。尾根上にたどり着くと、閉鎖中の青い避難小屋があった。疲れていた皆に笑顔が見られた。避難小屋から大倉岳の尾根上は木々がなく開けていて風が強く、全身に吹き付けていた。ここで、風邪が治りかけのYDが限界に近づいていた。加えて、天候悪化やC1到着時間の遅れが見込まれたため、目の前の大倉岳には登らず、C1方向に巻いて進行することにした。下りながら尾根上を歩くのは、少し大変だったが、なんとかC1手前の498mピーク下のコルにたどり着いた。気象通報の時間が迫り、メンバーの疲れがかなり溜まっていたため、ここをC1としてテントを設営した。前日に前部長から教わった冬山のテント張りをしっかり実践しようと思っていたが、雪質がさらさらで踏み固めてもブロックがあまり作れなかった。そのため、2つのテント分の面積を定めて深さ70cmほど掘って、風上に雪山を作った後、固めて防風ブロックとした。テント設営が完了した頃にはあたりは薄暗く冷え込んできていたため、早速豚汁を作った。適当に作った豚汁は想像よりもおいしく体全体をあたためて1日目が終了した。
2日目
厳冬期のテント泊は初めてだったが、夏場のときと変わらず普通に寝れた。体の調子もよくメンバーの顔も前日よりはすっきりした様子だった。朝食は前日に雪を溶かして準備しておいた水1.5Lを使った小松菜とベーコン入りの塩ラーメンを作って食べたが、コーンを入れてもよかったかなと思った。テントを片付けるのに少し手間がかかり、予定より30分ほど遅くC1を出発した。日の出6:29とほぼ同時刻であったため、周囲はよく見渡せた。前日よりも少しスピードが速くなり、目的のルート通りに進むことができたので大きな遅れにはならなかった。袴腰岳方向の尾根上を歩くと陸奥湾が見渡せる場所にたどり着いた。昨日と同様に雲の隙間から朝日が差し込んでいたため、海面がきらきら輝いてきれいだった。少し進むと袴腰岳まで0.4kmの標識と白くて大きな袴腰岳が確認できた。あともうちょい。袴腰岳東壁上部に大きくて長いクラックができていたのが確認できた。袴腰岳直前の林は急峻であったため、ジグザクに横切りながら進んだ。頂上直下まで進んだのち、ここでビーコンのスイッチを入れた。山頂に近づくにつれて日本海側からの風が強まり、岩手山の頂上周辺にいるような感じだった。天気が悪く登頂するか迷ったが、雪が止んで晴間が見えてきたため、すばやく登頂した。風はますます強くなり、風下を向きながらしゃがんで耐えていると前方に黄緑色の物体が飛んでいった。後を振り向くとSLのザックカバーがなくなっていた。危ないので、諦めて林のほうへすばやく下りた。あとは下りるのみ。小休憩後、尾根上をいいペースで下っていった。途中から晴れて、津軽平野が弘前方面まで見渡せた。母沢の林道までは、大きな杉の樹林帯で道は狭かった。林道手前までいくと母沢が思ったよりも雪に埋もれて深く、渡れなかった。SLが渡れそうなところを探して、対岸にいった後、いい連携で全員無事に渡ることができた。
「ファイトー!イッパーツ!」
林道周辺には袴腰岳登山口の標識とスノーシュー?のトレースがあった。雪や風が当たらない近くの杉林で昼休憩を挟んだ後、ひたすら林道を歩いた。林道はゆるやかな下り坂で平坦なところに雪が積もっただけなのに、メンバーの元気がなくなっていった...林道にでた安心感からか集中力が切れて疲労が蓄積されていったのかもしれない。永遠に続く林道からかペースが少しづつ落ちていった。トレースがあるもののSLへの負担は大きかったと思う。2日間通して先頭を歩くのは辛く、1人への疲労が大きすぎるので、ときどき先頭を変わるなど工夫が必要だったと感じた。SLが先頭を歩くという固定概念を少しだけ外してみればよかった。林道の終盤にかけてSLが脱水症状ぎみの顔色と雰囲気だったので、水分補給させた。なんとか林道を越えて田圃や神社付近までたどり着いたがペースは変わらず、帰りの列車に遅れる可能性がでてきたため、自分が先頭を歩いて大きな道路まで先導した。そこでスノーシューとワカンを外して、駅までラストスパート!足がとても軽くなったように感じた。中里の街に入ったとたん、ものすごく強烈な地吹雪に襲われ、全身が真っ白になって雪だるまのような状態になった。このときが今回の山行で1番天候が悪かった。なんとか耐えながら歩いていると次第に吹雪が収まり、雲間から青空が見えた。津軽中里駅にやっとの思いでたどり着いたときには、津軽半島横断達成を祝うかのようにみんなの遣り遂げたいい表情を照らしていた。ストーブ列車の最終便にはちょうどよく間に合ってよかった。車内のストーブは想像通りの暖かさでスルメのいい香りがして最高だった。おかげさまで心の底まであたためることができて、下界に帰ってきた安心感と初CLの任務を全うした開放感、厳冬期における津軽半島横断の達成感に満ち溢れていた。
(津軽五所川原に到着した後、駅前のホテルにある温泉へ向かった。下山後の天候悪化は予測していたが、入浴後に乗車する予定だった弘前行のJRが運休して代行バスになるとは予測できなかった...山中だけでなく、下界でも危機管理は必然であることが改めて思い知らされた山行であった...代行バスでは吐きそうになり、今回の山行で1番辛かった...)
なにより全員無事に帰ってこれることができてよかった。頼れる上級生がいないなか、新部長、副部長を中心に津軽半島横断を達成できたことは新山岳部にとって大きな一歩になったと思う。ポケモンのゲームに例えると一気にレベルが10ぐらい上がったときのような経験値であったように感じた。2日間とも2月の冬山とは思えないほど、天候が安定して運も味方してくれてよかった。運も実力のうち、きっと来年度からの山岳部が計画する山行は晴間が広がることでしょう。
しかし、まだまだ実力的には自分も含めて足りないところがいくつも思い当たる。冬山山行での行動の仕方を学び直すきっかけにして欲しい。春合宿の強化合宿としてもいい予行演習になったと思う。津軽半島横断成功したから次は下北半島横断かな?
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若さですね!頑張りましたね。
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