西穂高岳

- GPS
- 56:00
- 距離
- 14.8km
- 登り
- 1,134m
- 下り
- 1,959m
コースタイム
1/3 西穂山荘6:00-14℃ 出発7:26-7:44丸山-8:38独標(一人撤退)-9:09ピラミッドピーク-10:00西穂高岳-11:00独標-11:30西穂山荘着 西穂山荘発12:25-14:40沢15:00(道迷いを確信引き返し)-16:17ビパーク決定 宿泊場所へ電話連絡-17:00登山道尾根直下でツエルト設営終了EL1930?(泊)
1/4 8:08ビパーク場所-9:10西穂高登山口着-9:13田代橋東屋9:25-10:07大正池ホテル10:45-11:26釜トンネル11:45
| 過去天気図(気象庁) | 2012年01月の天気図 |
|---|---|
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
松本BT 8:35(始発)-10:00平湯温泉 2,300円 予約不要 平湯温泉10:40-11:14新穂高ロープウェイ 850円 予約不要 新穂高ロープウェイ 11:30-12:00 西穂高口 1,500円 (復) 釜トンネル入口 タクシー 松本まで 14,000円ぐらいらしいが特別割引 12:00-13:00 |
| コース状況/ 危険箇所等 |
西穂高山荘から上高地へ下りる登山道は、宝水辺りで両側の沢へ迷いやすいと地図にでているが、本当に迷ってしまった・・・。 ルート図はyahooでフリーハンドでひいていますので、正確ではありません。 西穂山荘から上高地へ下りる道には電線と思われる黒い線が走っています。それを追えば下山できるようです。 今回お話できたすべての方へ みなさん優しく接してくださってとてもうれしかったです。これからはもっと慎重に山を楽しんで行きたいと思っています。また北アルプスに行きますのでよろしくお願いいたします。 相澤病院救命救急センター 365日24時間対応 松本駅よりタクシー700円 頬の凍傷でお世話になりました。 松本 弁慶 とうじそば 1,500円(2人前から)とってもおいしかった ビパークのことを少し .好灰奪廚農庵 ◆.張┘襯函.薀ぅ撻1 の底の紐を結ぶ ◆.好肇奪をのばして取っ手を雪につきさし、ツエルトの頭の輪をひっかける 竹ペグは新雪のため効かず、ストックとピッケルで4隅を固定 ぁ.好痢璽轡紂次Ε▲ぅ璽鵑覆匹漏阿 ァ.張┘襯箸硫爾剖筌泪奪箸鬚靴(これがとてもよかった) Α|綛めるものを全て着て、靴もスパッツもつける А.スストーブを弱火でつける ─/綸のお湯を沸かしなおし、アルファ米とサンマを食べる ラジオでニュースをきく 雪を溶かし、コンビニおしぼりで濾して翌日のお湯を作る 荷物はゴミ袋に入れて、ザックをマットとして上半身に 防水バッグに衣類と空気を入れて下半身のマットにする もうひとつのツエルトをかけ布団としてかけて眠る 寒くなるたびに、起きてガスストーブをつける 5:30起床 アルファ米 かがんでいるので食事が進まない 着すぎたものを脱いで、ザックを詰めなおし、出発 基本的に個人装備のため全て2組あるのが役にたった ガスは250 1個で間に合った |
写真
感想
12月上旬におこなわれたたがじょ忘年会で松本出身のYさんから冬の西穂高岳の情報を仕入れ、急遽、西穂高岳に行くことになった。Oさんに声をかけたらOKのこと。Yさんのアドバイスをもとに山行に計画を立てた。
新穂高温泉 〜 ロープウェー 〜 西穂高山荘 〜西穂高独標・西穂高ピストン 〜西穂高山荘 〜 上高地 〜 釜トンネル となった。
自分の中では、ロープウェーで往復と考えていたので、上高地への下山は一段レベルアップの山行で、不安と楽しみが入り混ざっていた。
そうと決まり、二人で目標に向かって、行動した。
まず、「流転」さんの雪山遭難対策訓練に参加した。3分の1救助システムを教えていただいた。2日間にわたる訓練だったが、Oさんは飲み込みが早く、てきぱきと作業をこなしていて脱帽だった。私は本当に物覚えが悪いなと反省した。
そして、ザイルやら、山ラジオやら、ビーコン、ゾンデ棒など、雪山に必要なものを買い揃えた。たぶん、これを読んでいる方は、「そこから〜〜〜?」と思っていることでしょう。そうなんです。いつもたがじょのメンバーにおんぶにだっこの私たち。でも、自分たちだけで行きたいと思ったので、ここからなんです。
結局、慌てて決まった山行だったので、ザイルが間に合わず、O谷さんからザイルとスノーバーを借りていくことになった。
装備を詰めると、ものすごい量・・・。これ、背負うの?と自問自答。
1月1日 元旦
Oさんとの待ち合わせ場所の新青森駅へ向かう。が、相談した結果、ヤマレコなどの直前の写真からなどでも積雪があまりないようだったので、ザイルとスノーバーをOさんの車へ置いていくことにする。背伸びせず、自分たちの身の丈にあった山行、つまり無理だったら独標までにしようと決め、出発する。
いつもは一人で向かう北アルプスで移動はあきてしまうが、今回はOさんと一緒なのでおしゃべりがつきなかった。
長野駅で1時間弱待ち時間があったので、善光寺へ初詣へ行こうと提案する。ところが、元旦の昼過ぎだったので、長蛇の列が・・・。お賽銭も到底届かない距離から無事に山行できることを祈って、タクシーに乗り込み、滑り込みで電車に乗った。松本泊。
1月2日
新穂高行きの一番バスに乗り込んだ。松本はぜんぜん雪が無かったが、釜トンネル付近からは雪が積もり始めていた。平湯温泉のバスターミナルではけっこうな量だった。それでも青森と比べればかわいいものだった。本当に雪が少ない。今年の青森は12月でも1月並みの積雪量で、雪かきにおわれる毎日だった。
新穂高に着き、いよいよオーバーズボン・ジャケットを着込む。吹雪いていて景色は見えない。ロープウェーには、観光客に混じり、数組の登山客が乗っていた。
西穂高登山口駅に降り立つと、とても寒い。雪はさらさらと水分が少なくて、雪玉を作っても固まらない感じの雪。歩くと埋まって、斜面が登りづらい。途中でアイゼンをつける。さくさくと登れて、コースタイムよりだいぶ早く山荘に着いた。テント泊も数組いた。宿泊者は27人ほどで、思ったより少なかった。ロープウェー往復で日帰りピストンする人も多いようだ。
一日中吹雪きだったが、夜には星もちょっと見えたので、明日の天気に期待しながら眠りについた。
1月3日
6時に朝食を摂り、7時25分に出発と、ゆっくりしすぎた。ほとんどの人が小屋からいなかった。丸山からは稜線となるので、風がきつく感じバラクラバをつけた。独標までも行かず、もう引き返してくる人もいる。青森育ち、そして何よりたがじょで毎週山に登っている私たちにはこれくらいの風は、たいしたことの無いように感じた。どんどん進む。途中で厚い雲から太陽もぼんやりと見え始めた。感謝の言葉しか浮かばない。「ありがとう。」何度も言いながら進む。それにしても雪が少ない。風が強いだけ。だんだんと独標やピラミッドピークも姿を現してきた。
独標には、2番手に着いた。思いの外あっさりと着いてしまった。Oさんと喜びを共にし、写真を撮ってもらう。私はすぐさま、先行者を追いかける。Oさんもできれば後からいくかもしれないと言って、別れた。「行こうよ。」と誘ったが、まだ独標でゆっくりとしたいとのことだった。あめっこを私の口に入れてくれ、体力を案じてくれた。ありがたい。
勝負はここから。慎重に急な斜面を下る。雪があまり積もっていないので、岩肌がむき出しの斜面をアイゼンで下るのは、少し怖い。振り返ってもOさんの姿がない。来ないのかな。
夏道のマーキングや鎖がまだ見えていたので、夏山とあまり変わらない感じで歩くことができた。マーキングが雪で消えてしまって稜線に登ってしまったところもあったが、ほとんどは飛騨側をトラバースして、稜線には登らなかった。途中、吹きだまりでルートがわからなくなるところもあった。でも、西穂高が目の前に見えていたので、迷うことなく歩けた。
西穂高岳には一番乗りでき、うれしくて思わず標識に抱きついた。槍も奥穂も見えなかったが、目標が達成できてうれしかった。これくらいの雪だと奥穂までいけるだろうなと思ったが、小屋に置いてきた荷物を背負って縦走となると、また違ってくる。冬の穂高はそんなに甘くない。
止まっているとどんどん体温が下がっていくのがわかる。カメラで自分撮りをしていても、指先が一瞬で冷たくなる。追い越した方が到着し、写真を撮ってもらう。私も撮ってあげようとしたが、うまくボタンが押せずにいると「いいよ。」と言って、早々に戻ってしまった。
天気はどんどんよくなりそうだったが、寒さに負けて私も戻ることにした。風は強いが日差しがでてきて心地よい。
山荘に帰るとOさんが温かいお湯を出してくれ、うれしかった。でも、彼女の頬が黒ずんでいる。凍傷になったらしい。独標から戻る時に飛騨からの寒風でやられたみたいだ。右の頬がとくに広域に黒ずんでいた。薬は塗ったとのことで、痛みもなく大丈夫と言っていたが・・・。
思ったよりも早く山荘に戻れたことに気をよくして、私が考えていたことと同じことをOさんも思っていた。山荘に泊まらず、このまま上高地に今日のうちに下山しようということだ。本当に気が合う。
思い立ったらすぐ行動。山荘に置いておいた荷物をザックに素早く詰め、12時25分には出発していた。Oさんは、山荘の人に登山道の様子を聞いたり、宿(大正池ホテル)の予約の電話を入れてくれていた。
天気はますますよくなり、うらやましい限り。今頃、西穂高にいる人たちは、槍や奥穂が見えているのかなあと後ろ髪を引かれる思いで、山荘を後にする。
Oさんが私の帰りを待っている間、上高地への登山道を確かめてくれていたおかげで、心強かった。
急な下りの樹林帯が続いた。先行者が一人いるらしく、ずっと跡をたどっていった。所々、標識もある。けっこう雪は深いが、トレースのおかげで、らくだった。前方には霞沢岳、左手には穂高連峰。心が躍る。
でも、なんだか、標識が目に付かなくなってきた。怪しいと思いながらも、古びた赤テープがあるので、いいのだろうかとトレース通り進んだ。まだ、水が流れている小さな沢を2つ、靴を汚さないように渡って、なんかおかしい、なんかおかしいと思いつつ、また進んだ。すごい急斜面をシリセードで下って楽しいひとときが終わると、すごい大きな沢が見えた。たぶん、玄文沢だろう。先行者はここも渡っている。
でも、違う・・・。Oさんと相談して、引き返すことにする。あまりにも楽しすぎた急な下りは、大変な登りとなってしまっていた。深雪に膝上まで埋まり、なかなか登れない。もがいてもがいて、疲れた。そして、また相談。登り返すのは大変だから、やっぱり下ろう。その時、先行者が玄文沢を引き返してきた。私たちと同じく、急な登りに四苦八苦しているようだ。声をかけてみる。届いているはずだが、返答がない。絶対聞こえているはずなのに・・・。
そんなこんなで、だいぶ時間のロスをした。もう、覚悟を決めて、正しい登山道まで戻らなくては。火事場の馬鹿力とはよくいったもので、人間、死ぬ気になればけっこうできるものだ。さっきはへこたれて下ることにしたが、もう後ろを振り向かずに上だけ向いて、登った。沢登りをこんなところでやるとは。ザイルがほしい。降ったばかりの柔らかな雪にはピッケルも効かず、そして、あまりにも急すぎて足場が確保できず、登りづらい。枝につかまり、腕の力で登って行く。
先行者は、見えない。やっぱりここを登るのは大変だろう。私たちは二人だから心強いけど、一人だと心細いだろうな。でも、大きいザックだったし、ビバークできる装備はもっているだろうとふんだ。
そろそろ陽が傾いてきた。日没までには登山道に出たい。Oさんが、大正池ホテルに事情を説明する電話をしてくれた。携帯がつながったこともラッキーだった。Oさんの落ち着いた話し方でビバークも心配ないとの対応をしてくれて、うれしかった。
それからまた30分ほど登って、稜線(登山道)が見えたので、そこでビバークすることにした。平らなところが無かったが、雪をならしてツエルトを張る面積分だけは確保した。もう陽は暮れて、ヘッドランプを点しながらの作業。一晩寒い夜を過ごすのだから、居心地がよいように、入り口を逆にしたり、高さを確保したり、あれやこれやと試行錯誤。まさかの時のために持ってきていた銀マットも役にたった。
ツエルトの中に入り、まずは、ありったけのものを着込んだ。それから、雪でお湯を湧かした。ほっと一息つく。アルファ米にお湯を入れ、ご飯も食べた。狭いツエルトの中では、かがんだ姿勢で食べにくい。
外は、風も無く穏やかで、本当に穂高なのかな?と思うくらい暖かで静かだった。まるで穂高に守られているような気さえした。自分の置かれている状況を理解しつつも、なんだか幸せな気持ちになった。
Oさんの凍傷の水痘が破れ、汁が出ている。ガーゼをテープで留め、応急処置。買ったばかりの山ラジオからは、槍ヶ岳や奥穂高岳で、救助要請がでているニュースを聞く。私たちもそうなのかな?でも、私たちは自分の居場所もわかるし、明るくなれば自力で下山できるから、違うよと、笑い飛ばした。なるべく悪い方に考えないように、明るくふるまった。
気がかりは、先行者の方だ。一人でどうしているだろう。大丈夫、大丈夫と、言い聞かせる。そこへ、Oさんの携帯に電話が来た。松本警察署からだった。先行者が遭難届けを出したらしく、西穂山荘からOさんの番号を聞いて、現在地を確認するためのものだった。それを聞いたら、余計に怖くなってきた。一緒に行動すればよかったのだろうかと、反省ばかりが頭をよぎる。いったん電話を切り、近くにいないか声をかけてみるよう頼まれる。やってみたが返事はない。ずっと下にいるようだ。再度、電話が来て、とにかく、朝一で、捜索隊がでるそうなので、合流して場所を教えてほしいとのことだった。雪は降っていないので、トレースはまだ残っている。大丈夫。
ガスを消すと一気に寒い。もう一つのツエルトに二人くるまりながら、眠りにつく。でも、寒くて眠れない。1時間おきにガスをつけて、暖まる。ホッカイロもOさんに貼ってあげる。雪面に接する体を右、左と、寝返りをうちながら、時間をやり過ごす。Oさんの足や背中をさすってあげる。朝になれば、明るくなって登山道もすぐそばだから、大丈夫。それほど、不安はなかった。
持ってきたものの中で使わなかったものは、ゾンデ棒くらいだった。また、あればよかったのにと思うものは、シュラフカバーだ。小さいので、ザックの中にしのばせておけば、寒さ対策になったと思う。
ありがたかったのは、警察の方も、その後の西穂山荘の方との電話でも、私たちを遭難者ではなく、一人前のビバーク者として扱ってくれたことだ。とくに警察の方は、情報提供をしてくれたことにすごく感謝してくれて、役に立てたのがうれしかった。
1月4日
まだ暗いが、お湯を沸かし、昨晩の残りのご飯を食べる。辺りが明るくなってきた。捜索隊が来たら、すぐ動けるようにてきぱきと撤収作業にかかる。遠くから声がする。先行者の方かなと思ったが、捜索隊の方たちのようだ。声は聞こえていても、それから1時間くらいしてから合流した。住所から連絡先、職業、昨日の過程、いろいろなことを聞かれた。それから、今朝は先行者と連絡がつかないことも・・・。またまた怖くなってきた。
重く暗い気持ちで、登山道を下りる。確かに登山道は細い尾根になって、両側の沢に下りたくなるような道だった。よく道迷いがあるらしい。我慢して尾根を下ると、電線のようなものが上を伝っていて、この通りいけばいいんだなということがわかる。あ〜〜〜。 登山口にはパトカーが。たぶん、昨日、電話してきた警察の方みたいだ。恐る恐る、先行者の安否を聞いてみると、無事に見つかり、自力下山もしているとのこと。二人で声をあげて喜んだ。よかった。
昨日の好天とは違い、今朝はガスがかかって、もう穂高は見えなくなっていた。でも、ありがとう。すごい貴重な体験をさせてもらったと思っています。
大正池ホテルに寄り、ドタキャンしたことを謝り、上高地を後にした。釜トンネルの入り口で写真を撮り、歌声を響かせながら、出口へと向かった。
Oさん、ほんとにありがとうございました。一緒に山行できてよかったです。その他、私たちに関わった方たちに感謝です。
oosawa
















心配してましたよ。
それにしても女性二人で凄いです。
これからの増々のご活躍、期待しております。
出発前、不安で、何度もcitrusさんにも相談しようと思いました。ご心配おかけしました。
西穂に登ることよりも下山が心配でしたが、やっぱりやっちゃいました。
ザイルやスノーバーは置いていって正解でした。
citrusさんは、何回もビバークの経験はおありになると思います。その時の体験談を今度たくさん教えてください。
これからも、ご指導をよろしくお願いします。
私が西穂へ行った時は大雪の年で、槍平で雪崩れのあった年でした。
西穂への登りが一枚岩の様になっていたので苦労しました。
だからザイルは必要と考えていたのですが。今年は雪は少ない様ですね。
写真だけの判断ですがかなり違います。
私達が通過したあと、二組のパーティが西穂の氷板で滑落しています。お一人は死亡です。
morikazuさんは大丈夫と思っていましたがoosawaさんは?と考え心配でした。
下山のルート間違えは気が付いた時点で問題ないと思います。
厳冬期西穂登頂お疲れ様でした。
拍手を沢山送りたいですが、一個でごめんなさい。
そうですね。
雪が少なくて、ラッキーだったと思います。
これが西穂だと思っては、いけないんですね。
ザイルもスノーバーも、ほんとは必要だったんですね。
またチャレンジするきっかけができました。
ザイルワークをちゃんと勉強することにします。
自分のためにも。仲間のためにも。
よろしくお願いします。
ricalojpと申します。
出遅れましたが、西穂高岳登頂おめでとうございます。
お二人のレコをパッと見た時は、「えー、無謀じゃないの」と思いました。
しかしながら、プロフ、山行記録を読ませていただき、「そうなのね」と思った次第です。
citrusさんの仰ってる
>西穂への登りが一枚岩
は、薄氷は割れるし、支点も取れなく厄介です。
ビバーク、参考になりました。
が、こういった山行の場合、計画的テント泊でお願いしたいです。
ricalojp さん 初めまして
アドバイスありがとうございます。
次回はテントで北アルプスいきます。
今夜はとびきりの夜空、こんな空を山の中のテントで見たいなと思いながら、見上げています。
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