【過去レコ40年前】乙部岳〜雄鉾岳 縦走
- GPS
- 176:00
- 距離
- 45.0km
- 登り
- 3,086m
- 下り
- 2,805m
コースタイム
12月30日:C1発6:20→13:55紋内岳分岐→14:40紋内岳→15:15紋内岳分岐→15:45コル手前 C2
12月31日:C2発6:35→8:00突符山→12:25スルカイ岳分岐(899P)→876P14:00→15:50沖沢山南端の岩峰下 C3
1月1日:C3発7:30→9:05沖沢山→12:30元小屋沢山→12:45北電相沼線43号山小屋 C4
1月2日:北電相沼線43号山小屋で悪天候停滞 C5
1月3日:C5発9:50→11:55雄鉾岳→13:25北峰→15:00JP手前コル→16:30ナイフリッジを過ぎた所 C6
1月4日:C6発8:20→10:20割岩→雲石峠15:00
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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写真
感想
メンバー:S藤さん、K藤さん、yamakichiことプチ山キチ。
数年前より渡島半島の分水嶺、乙部岳〜雄鉾岳を歩きたいと思いはじめました。乙部岳〜雄鉾岳間で1000mを越える山は乙部岳のみで、他は1000mに満たない藪山であるが、ひっそりと静かで訪れる人も少ない、そんな山々が私は大好きです。
昨年、計画して出かけましたが、極端な雪不足で黒々とした山を見て入山口で中止していました。
再度計画し、乙部岳〜遊楽部岳で実行しましたが、遊楽部岳までは届かず雲石峠から下山しました。
12月29日
乙部岳の南に延びる尾根に取りつき868P経由で乙部岳へ登る予定でしたが、積雪不足で姫川林道から姫待峠へ登り、そこから乙部岳を往復、縦走して行くことにした。
この林道は、1977年3月に1泊2日で乙部岳と鍋岳を登った時に歩いた事があったので状況は知っていた。
最終人家から3.5km程まで車で入れ、送ってくれたT橋さんの「頑張って下さい!」の声を背に出発した。
曲がりくねって効率の悪い林道登高に、いい加減嫌になった頃、姫待峠と書かれた看板の建つ峠に着いた。
テントを設営して乙部岳に向かう。峠には乙部岳3.4km夏道の表示板があった。
頂上が近くなった時、「お腹空いた」の声で一休み。視界が悪くて判らなかったが、歩き出すとすぐに山座同定盤のある乙部岳頂上だった。こんな近くまで来ていたのなら休まずに登ればよかった。
頂上では、小雪とガスの中で展望も得られずでした。時間もないのでゆっくりせず、シールを外して頂上を後にした。
鍋岳との分岐までは快適な斜面で、今シーズン初スキーを楽しんだ。
757P手前でシールを付け登って行くと暗くなってしまったがヘッドランプも出さずに急いだ。
空腹になりながら、キツカッタ1日を終えた。
12月30日
峠の100m程手前から取りついたが、斜面が急なうえに根曲竹に出だしから一苦労させられた。751Pまでは尾根の状態は良かったが、ここからの下りでは根曲竹が密生していて根曲竹地獄となった。下った所は標高も600mチョットしかなく積雪量も少なく、根曲竹漕ぎが続いた。ラッセルが踝程度なのがせめてもの救いだった。
天気は良く、白い双耳峰の紋内岳を見ながら進み、平坦な所から一登りしたら突符山が目の前に現れた。しかし、突符山への尾根はコの字型となっていて、ここからの直線距離の三倍程の遠回りとなる。
紋内岳手前の850Pの登りは、ブッシュがひどくキックターンも容易ではなく木の枝に掴まって攀じ登って行くしかなかった。藪の連続にうんざりだった。
紋内岳分岐の手前で、岩峰のある沖沢山が見え、その左奥に小さく雄鉾岳が見えていた。
寄り道にはなるがこの機会を逃してはなかなか登れないだろう紋内岳へ、分岐にザックを置いて向かった。紋内岳頂上からは目指す遊楽部岳がひときわ白く平坦な頂が見え、大いに闘志を掻き立てられた。すぐ目の前には小さな鋭鋒、小鉾岳がごつごつした山容を見せていた。数年前、K藤さんとスキーで登った時の思い出話も出た。
紋内岳分岐から下ってコルの少し手前で、藪地獄の1日を終え、テントを設営した。
12月31日
明るくなるのを待って出発した。歩きやすい尾根を進み突符山に着いた。今日も天気が良く、遊楽部山塊も望むことができ意気が上がる。
761Pの西側からの下りも根曲竹が群生していて一苦労させられた。
コルから一登りして、コンロを出し湯を沸かしてのんびりした時間を取った。
スルカイ岳の分岐(899P)からは、駒ヶ岳、羊蹄山、遊楽部山塊など道南の山々の展望が楽しめた。この山域は日本海と太平洋(内浦湾)に挟まれた細い半島部にあるので、左右に海を見ながらである。内浦湾の弧を描く美しい海岸線と、冬の荒々しい日本海が対照的な顔を見せていた。
行程の遅れからスルカイ岳はパスしたが、その後の悪天候を考えたら正解だったと思う。
沖沢山手前のピークに立っと「ワォー」と声が出てしまう尾根が続いていた。
そこから沖沢山に向かって細い尾根となり、出だしはナイフリッジとなっている。スキーを背負いアイゼンに履き替えて、ロープを出しアンザイレンして40m4ピッチ進んでロープを解いた。更にスキーを背負ったまま膝位のラッセルで沖沢山南端の岩峰下に着いた。
痩せ尾根が更に続いていて、今日抜けてしまうのは無理なので、岩峰下の斜面を削ってテントを張り、年越しの夜を迎えた。
1月1日
起きた時は星空も出ていて風もなく、静かな元旦の朝を迎えるが、出発する頃には雪が激しく降ってきた。
スキーを担いで出発したが木に引っかかって歩きずらく、曳きずって行く。
ラッセルは股下まであり、激しく降る雪の中、痩せ尾根を慎重に進んだ。
痩せ尾根も沖沢山頂上手前で終わり、スキーを履いて沖沢山頂上に立った。少しの間、雪も小降りとなり太陽もチョコットだけ顔を出したが、またすぐに悪くなった。
地図とコンパスを頻繁に使って進行方向を見定め、広い尾根をコルへと下って行った。
新雪が30冂あり、昨日までの浅いラッセルに比べ負荷が増し、短い距離で先頭を交替しながら進んだ。
送電線の下を進んで、平坦で広い元小屋沢山頂上に着いた。
天気は日本海側が悪いが、太平洋側は陽が差している所も有った。
元小屋沢山から少し進むと施錠されていない建物があった。建物は北電の送電線巡視小屋で立派な小屋だった。
まだ先に進んでおきたい気もするが、天気は下り坂で荒天が予想されていたので、無断ではあるが小屋に泊まらせてもらうことにした(下山後、報告とお礼の連絡をいたしました)。
久し振りに畳の上で夕食を食べ、ゆっくりとした気持ちで時間を過ごした。
天気図を取ると、渡島半島のすぐ西に低気圧があり、また、朝鮮半島には発達中の低気圧があって何とも不気味だった。
1月2日
早朝、外へ出てみると風は強いが雪は降っていなかったので、出発準備をして明るくなるのを待った。明るくなるにつれさらに天気は悪くなり、強い吹雪となって、迷わず停滞と決めることが出来た。
テントでの停滞と違い快適だった。テントだったら、テントの除雪作業で忙しく大変だったろうと思った。この小屋で荒天をやり過ごせたのはラッキーでした。
天気図を取ると昨日、朝鮮半島にあった低気圧は988ミリバールに発達して日本海にあり本道に向かってきていた。
1月3日
明け方、目を覚ますと風が吹きまくっていた。もうひと眠りしていると、風が弱まって来たようなので、急いで出発準備をしたが、遅い出発となってしまった。
二日間降り続いた雪で、膝から股下のラッセルとなった。
コルへの下りでは急斜面を直滑降で下るが、スキーが潜ってしまいサッパリ滑らず、また雪崩の心配もしました。
風は弱まったとはいえ、まだまだ強く吹くところもあって、体がよろける時も有った。
広い斜面を黙々とラッセルして雄鉾岳に着いたが、ガスっていて何も見えなかった。
北峰の手前でアイゼンに履き替え、アンザイレンしてK藤さんが空身で登り、ロープをフイックスして登った。
天気は更に悪くなり視界は奪われてしまった。
この尾根は、5年前に割岩尾根から登っていたので、その時の記憶をもとに、アンザイレンしてスタッカットにて下って行った。2m程垂直の所があって、そこでラストは詰まってしまい飛び降りるということもあった。
新雪の柔らかい雪で、腰まで埋まって下って行った。
JPが見えず、不用意に下ると北壁に出てしまう恐れがあり、空身で少し下って、様子を窺っているとチラッとだけでしたが、JPが見えルートを確認することが出来た。
太いダケカンバを支点に20mの懸垂下降で、JPとのコルに降り、ザックは吊り下げて下した。
JPの右側を捲いて下るが、胸まで埋まるラッセルとなりスコップで雪はねして道つけなどもした。
ラッセルに消耗激しく、時間のみがどんどん進んで行った。
平坦な所へ降りる前に薄暗くなってしまった。斜面の途中の風を避けられる岩陰を整地して何とかテントを設営することが出来た。
すぐ下では、音を立てて風が吹き抜けていた。地獄ラッセルの一日を終え、すっかり暗くなってテントに入った。
1月4日
昨夜、ラジオの故障により天気図が取れず、アマ無線で午後10時の気象通報を録音して送ってもらうことを、N村さんにお願いしていた。6時に送ってもらい、天気図を取った。
津軽海峡に低気圧があり、通過後は冬型の気圧配置となり、雪が降りやすく良い天気は望み薄だった。
残る4日間で遊楽部岳へ縦走して下山するのは無理と判断し、今日、雲石峠から下山と決めた。決めた後も本当に行けないのか?と自問が続いた。
Y山さんに車での迎えも連絡することが出来た。自分はアマ無線はしないが、メンバー2人はアマ無線家なので、その便利さに感心してしまった。
そんなことをしていたので、出発は遅くなってしまった。
今日も、深いラッセルにスコップで除雪しながら進み、アンザイレンしてかん木の生えた急斜面を下った。下りきった所からスキーに履き替えることが出来、漸く昨日からの殺人的ラッセルから解放された。
割岩の手前より東側を捲いて、大きな岩がゴロゴロあり迷路のような所から、広い尾根へと進んだ。コルへの下りは天気が良いのに判りづらく、小さな枝沢がいくつも入り込んでいて、まるでゲームでもしているようだった。
岩子岳、ペンケ岳を見ながらラッセルに息を切らせて進み、雲石峠へ下っている時にY山さん、K込さんが迎えに来ているのが見えた。
迎えの両氏に迎えられ山行を終えた。
遊楽部岳まで行けなかったことが心残りであったが、沖沢山の細い尾根の通過、雄鉾岳の厳しい下りなど、低い山々でしたが十分に手ごたえを感じる山行でした。
40年前を回想しながらの、自己満足なレコを読んで下さった方にはお礼申し上げます。ありがとうございました。
当時の山行報告はこんな感じでした。
2020年4月にヤマレコに公開しました。
コメント
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山行内容に関してはとてもとてもワタシごときがコメントできるようなレベルではありませんが。
割岩-雄鉾岳のレコともども、手書きの美しい概念図、心の琴線がびょんびょん鳴りっぱなしです。
本当に素敵なものを見せていただきました。
ありがとうございます。
myuさんコメントありがとうございます。
見て頂いただけでも感謝しなければならない古いレコを、そのように言っていただき恐縮いたしております。
私もmyuさんのレコを興味を持って拝見いたしております。
最近のものでは、ペンケ岳 南尾根のレコが強く印象に残っております。
素敵な山行をされていますので、レコを楽しみにしています。
ありがとうございました。
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