聖岳(過去レコです)。
- GPS
- 56:00
- 距離
- 20.6km
- 登り
- 2,527m
- 下り
- 2,517m
天候 | 降ったり止んだり。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2005年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
ヒル多し。 |
写真
感想
中高年山歩きの会で聖岳に行くことになった。ふもとの便ケ島(たよりがしま)の聖光小屋(せいこうごや)で前泊し、翌日は聖平小屋で泊まる2泊3日の予定である。平成17年7月22日、午後2時に自宅を出発し、中央道飯田から三遠南信自動車道矢筈トンネルを経てR152を下り南信濃村に入る。上島トンネルの手前に登山口案内板があり右折して山道を登る。山道を14kmほど行って「北又渡」の橋を渡り、さらに5km程先の光橋を渡るとまもなく易老渡の駐車場である。その先2km程の所に本日の宿泊先である聖光小屋がある。小屋の戸を開け中に入り声を掛けると管理人らしき人が出てきて、いかがわしそうに小生を見る。「今晩泊まる山歩きの会のものだ」と云うが、「そんな予約は入っていない」と云う。「じゃ、堀井と云う名前で予約してあるかもしれない」、「岐阜のパーティー」と色々云うが「そんな予約は入っていない」の一点張りである。弱ったことになった、どうしようかと考えていると、リーダーの堀井さん(七十歳)がKさん(六十八歳)とFさん(七十歳の女性)を同乗させて到着した。堀井さんが6月頃に文書で申し込んだと説明すると、何だかそんな事があったような気がすると態度が変わりようやく泊めてくれることになった。本日宿泊するわれわれのグループはこの4人だけで、あとの人達は明朝9時にここに集まり、総計13人になるとの事である。部屋はがら空きで、宿泊者はNHKの元アナウンサーの明石さんたち3人だけである。彼らは「小さな旅」という番組の製作のため聖岳に登るそうだ。夕食後、食堂で明石さんもまじえて日本酒で宴会をし、酔っぱらって9時には寝床につくが、雷が鳴り雨が屋根をたたく音で寝付かれない。翌朝4時に管理人に叩き起こされ、朝食をしていると玄関で話し声がする。易老渡の向こうで土石流があり道路が通れなくなっているとの事である。色んな事が頭をよぎる。堀井さんは今日来る人達に連絡をとろうとするが、携帯電話は圏外となって使いものにならない。小屋の衛星を使った電話で連絡がとれ、とりあえず道路が通れないという情報だけ入れることが出来た。そうこうする内に夫婦連れがやってきて、「タクシーで崩壊場所の手前まで来て、そこから1時間ほど歩いて来た」と云う。管理人も「経験から云うと、今日中には片付ける事が出来るでしょう」と云うのでひと安心。雨も止み、来るか来ないかわからない人達を待っていても仕方が無いと、われわれ4人は6時に小屋を出発した。
「聖岳方面 登山口入口」と書かれた看板のある階段を登ると、森林鉄道の名残りの林道に出る。トンネルがその面影をしのばせる。遠山川沿いの平らな林道を40分程歩いて西沢渡に至る。西沢には荷物を運ぶための鉄製の立派な篭が渡され、最大重量150kgとある。昨夜の雨で川は増水しており、歩いて渡るには危険である。人が乗ってはいけないとは記されておらず、荷物だけでは勿体無いと、まず小生とFさんが乗り込み、ロープを引いてゴーゴーと流れる沢の上を渡る。実に快適で新鮮な体験を無料で味わえる。ついで堀井さんとKさんが同乗して渡る。西沢渡からは樹林の中の急登をジグザグに登ると、崩れかけた営林署の小屋がある。中をのぞくと使っている形跡はないが、避難小屋にはなるだろう。カラマツ林の中、ジグザグの急登が続き息が切れる。30分程の間隔で休みをとる。昨晩、小屋の管理人が「雨が降ったのでヒルが沢山出るので注意して下さい」と云っていたが、早くもFさんの背中に一匹発見、これを振り払う。Fさんの休む間隔が短くなり、Fさんは堀井さんにまかして、小生とKさんは先に進む。暗い森の中、樹齢何百年というシラビソの大木がゴロゴロと倒れている。道を塞ぐように倒れているものは、通る所だけチェインソーで切り開かれているが、あとは倒れるままにされている。倒れて日が経たないものから、苔むした古いもの、そして腐りかけのものまで、やがて土に還る自然のサイクルが見えて来る。急登の間にはなだらかな道もあり、心臓を落ち着かせる事が出来、時折り葉っぱから落ちる水滴が頬を濡らし心地よい。昨夜小屋で一緒に飲んでいたガイドが、ものすごい荷物を背負ってゆっくりと登っているのを追い越す。ガイドというよりボッカというほうが正しいのかもしれないが、彼は68歳である。明石さんたち3人が休んでいるのも追い越しひたすら登る。5時間程経ち、トラバースを過ぎるとようやく薊畑分岐点に到着。便ケ島から薊畑分岐まで、「山と高原地図、 塩見・赤石・聖岳」によれば6時間半、「週間百名山、聖岳・光岳」によれば5時間半とある。われわれは後者に近い所要時間で登ったことになる。薊畑に腰を下ろし昼食とする。Fさんにいただいたお粥に持参の生ハムが合って旨い。明石さんたちの到着を待っているNHKの若者が数人おり、聞くと今日は聖岳には登らないという。今頃から小屋に行っても何もすることはないし、どうしようかなと考える。「聖岳 2時間10分」の標識を眺めながら休んでいると疲れもとれ、遅くとも4時までには戻れるだろうとわれわれは頂上に登る事にする。重いザックをデポし、サブザックに雨具と水を入れ、いざ出発。
フキの大きな葉が群生し、葉っぱに鋭いトゲが密生したハリブキもある。足がピリッと痛いので振り返ってみると薊の葉がある。薊畑という地名に納得する。ミヤマトウキ、ヨツバシオガマ、ミネウスユキソウ、マルバタケブキ、イワツメクサ、キバナシャクナゲ、ハクサンフウロ、チシマギキョウ、ミヤマキンポウゲ、イワベンケイ(多分雄株だろう)など、花々が疲れをいやしてくれる。40分程で小聖岳(2662m)に着き、ここで水分を補給する。小雨となり、航空機の音が雷と紛らわしい。しばらく休んでいると雨も止み、雨具を着るのは止める。森林限界で岩の間の砂礫の急登をジグザグにゆっくりと登る。このジグザグが延々と続き、ガスで眺望はない斜面をひたすら登るのだが、背中に重いザックがない分だけ楽ではある。とは云え、足の進みは一段と遅くなり、いいかげん嫌になった頃、あっけなく聖岳頂上に着いた。薊畑分岐から1時間55分であった。まわりの山は何一つ見えず、記念写真を撮りあって早々に下山にかかる。下山途中、ガスが晴れ、上河内岳が大きな姿を現し、反対側には兔岳がこれまた大きな山容を見せてくれたのが唯一のなぐさめであった。下山中も聖岳の山頂はとうとう姿を現す事は無かった。
薊畑分岐に着くと堀井さんとFさんがちょうど迎えにやって来たところで、あとの人達はどうなっているのかわからないと云う。Fさんも堀井さんもヒルに吸われたという話しで盛り上がる。ここで待っていても仕方が無いので聖平小屋まで行くことにする。小屋への道を下っていると、後ろから堀井さんの名を呼ぶ声がする。本日のメンバーの一人で昨晩は下の温泉で泊まり、今朝、崩壊の手前に車を置き、1時間歩いて便ケ島まで来て登ってきた、もう一人はあとから来るという。小屋の外で待っていると、山歩きの会でいつも先頭をきって登るNさんがやってきて、Iさん、KNさん、Oさん、女性のITさん、さらに新人の女性二人も登っていると云う。13名全員がそろう事になった。崩壊手前の林道を重機のすぐ後について来て、1時間ほど重機の作業が終わるのを待って便ケ島まで来たとの事である。皆さんの山登りにかける根性に感心する。小屋の宿泊客も多くはなく、夕食後に宴会をし9時には寝床に入った。夜中に雷が鳴り、どしゃぶりの雨でまた林道が崩壊せるのではと心配しながら眠っていた。
翌朝は雨。全員雨具を着込んで5時半に小屋を出発。小屋から薊畑分岐まで、僅か20分の登りだが案外これがこたえる。雨で眺望もきかないのでもうこのまま下ろうという人もいたが、小聖まではお花畑がきれいだよというと、じゃそこまでは行こうと小生とKさん以外の全員が登ることになった。われわれ二人はそのまま下山することにし、トラバース気味の道を調子良く下り始める。1時間程で足に疲れを感じ、休憩をとる。しばらくするともう登ってくる人とすれ違う。ヒルに吸われたといい、10分ごとに足元を調べると良いと注意してくれる。歩いている分には良いだろうから、このまま西沢渡まで休まずに行こうと話していたが、1時間ほどで再び足に疲れが生じ休憩をとる。それからは30分程で膝がガクガクになり、段差を降りる際そのまましゃがみこむというような、今まで経験した事がない状態になった。西沢の流れの音が聞こえて始めてもう少しだと思いきや、ここからが長く、ヨタヨタと休み休み下り、やっとの思いで西沢渡に到着した。ゴンドラに乗って西沢を渡り、木の枝を拾って杖にしたが、平坦な林道を歩く分には膝は全く問題が無かった。トンネルをくぐり登山口に降り立ち、聖光小屋に帰りついた時は薊畑から3時間45分経っていた。
易老渡の駐車場のすぐ向こう、沢の押し出しによる崩れは取り除かれており、山道を慎重に運転し、無事R152に出た。時間も早いので、15分程逆行し、遠山郷の「かぐらの湯」に寄った。気持ちの良い温泉らしい湯で汗を流し帰途についた。
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