【1992年夏】燕岳から槍ヶ岳へ縦走
- GPS
- --:--
- 距離
- 36.6km
- 登り
- 2,807m
- 下り
- 2,742m
コースタイム
天候 | 晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
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写真
装備
個人装備 |
派手なキャップ
おろしたてのAKUの登山靴
コールマンのピークワン
シグのアルミボトル
Lowe Alpineの大型ザック
ハイソックス
ピンクの海パン
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感想
高校山岳部の同期のT.T.君と社会人なりたての時に行った表銀座縦走。このときは、同期一の異常な体力を誇るT.T.君と表銀座を二泊三日で歩いた(のだと思う)。やたらと派手なキャップや短パンにバブルの香りが感じられる。また、8月上旬にしては雪が多かったのがプレ温暖化の時代を感じさせるところ。
写真も少なく、記憶を呼び覚ますのに一苦労だ。というのも、このころまでは山に行ってもほとんど写真を撮ったりしなかった。カメラが重かったのもあるが、山の景色を五感に刷り込むことが出来たから。
学生の頃、世間はバブル経済の真っただ中で、登山は流行らないスポーツだった。小屋も今みたいにオシャレな感じは微塵もなく、トイレなんかは原始的で、南アルプスのあたりには恐るべき場所もあった。一泊目の大天井ヒュッテも夏なのにえらく寒かったな・・。どの小屋も、別に予約とかしないで「今晩よろしくお願いします」といって一晩過ごすのが普通だった。
道具も重かった。始めたころはキスリング、家型テント、ホエブスとかスベア(の灯油ストーブ)が現役だった。ドームテントはダンロップ一択。この山行でのストーブはコールマンのピークワンという傑作ガソリンストーブが写真に写っている。このストーブはまだ持ってて、動くよ。当時のカリマーやミレーは本当の輸入品で憧れの道具だった。靴もオール革でぶっとい糸でビブラムが縫い付けられている「山靴」がスタンダード。天気図書いたり、食材背負ってデカい鍋で料理したり、一生懸命やった。EPIのガスコンロとかカップラーメンはご法度。部活だから。
要するに、高校山岳部とは、卓球部や陸上部とストイックにオタク度を競う泡沫運動部だったと思う。
(登山、卓球や陸上をやられた方々、ごめんなさい)
ダサいのがアイデンティティになっていた。大学で山岳部に入らなかったのは柔弱な自分には高校の部活が結構きつかったからであり、また、キャンパスライフが華やかで楽しかったからダサい部活に一線を画す意識があったと思う。大学で山をやらなかったため、技術と体力を高められず「エンジョイ夏山縦走」からなかなか抜け出せなかった。
それでも山の素晴らしさからは離れられずにここまで来た。岩も、ハイマツも、雪渓も、梓川も、今でも変わらぬ美しさを見せてくれていると思う。
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