大峰山(過去レコです)。
- GPS
- 32:00
- 距離
- 11.4km
- 登り
- 1,181m
- 下り
- 1,162m
天候 | 雨。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
左程の危険個所はありません。 |
感想
2008年5月の第4週末、手近な百名山ということで大峰山に登ることにした。朝6時に出発の予定を立てたが、登山口の行者還トンネルまでは4時間程度と見て、11時から登り始めれば3時までには弥山小屋に着くだろうと、出発を1時間遅らせて7時にした。7時に出発する時、ナビを合わせると到着予定時刻は1時半となっている。5時間半かかることになり、これではちょっと遅すぎるかな、でも日も長くなったので明るいうちには着くだろう。長良川の右岸堤防道路は信号が少なく、車は良好に流れ、到着予定時間を30分ほど短縮する。桑名東ICから乗った東名阪自動車道は、亀山からは一般国道になるが高速道路並みに飛ばし、針ICを出た時には到着時間は11時半と、2時間短縮していた。ナビは国道からはずれ、誰も通らない山道を案内し、両側から伸び出している木の枝が車を擦り、これでまた到着時間が遅れるのではないかと心配する。行者還林道に入るとガスが出始め、電灯の無い真っ暗な行者還トンネルの中は、白いガスが充満して何も見えない。恐怖のトンネルを出て、登山口に到着したのは11時10分であった。霧雨が降っているのでカッパにスパッツ、レインハット、さらにザックカバーを着け、ゆっくりと仕度を整える。トンネルの横にさらさらと流れる滝があり、小壷谷の渓流に流れ落ちている。小壷谷は川迫川、天の川、やがて熊野川となって熊野灘に注ぐ、屈指の流域面積を誇る大河の始まりである。駐車スペースにはバスが一台、乗用車が数台、その内の一台、奈良ナンバーのビッグホーンのスモールランプが点いているがどうしようもない。天川方面からタクシー二台に分乗してきた人達がいる。この時刻、この人達も小屋泊まりだろう、少なくとも今日はわたし以外にも泊り客はいそうである。
11時半、「世界遺産、大峯奥駆道、弥山登山口」と記された立派な案内のある登山口に入る。数年前、行者還道で登山者がクマに襲われたと報道されていたので、腰に着けた鈴とカウベルを勢いよく鳴らしながら進む。道の脇にマムシグサ、おそらくミミガタテンナンショウであろう、まだ若いせいか緑色の仏炎包である。木の吊橋を渡ると、いきなり根っ子の階段の急な尾根道となり、両側の谷は渓流となって流れている。道端にはミヤマカタバミが群がっているが、陽が当たらないためみんな半開きの状態である。じきに汗が吹き出てくる。登山道に白い花びらがパラパラと落ちている。見上げるとシロヤシオが一杯花を咲かせ、薄緑の若葉が雨に濡れて輝いている。シャクナゲが赤い花を咲かせている。一口に赤と云っても、ピンク色から濃い紅色まで様々、同じ株から違う色の花が咲いているのが不思議だ。シロヤシオもシャクナゲも惜しむことなく咲き誇り、ブナの明るい若葉とあいまって、新緑の季節を彩っている。大きな段差を、ヨイコラショッと這い上がる。40分程登ったところでひと休み。シロヤシオに混じってムシカリがティアラのように白い花を咲かせている。大岩を跨いだように根を張る大木、その生命力の強さに驚かされる。もうひと登りして稜線に出ると、「奥駆出合」とある。「←行者還岳/山上ヶ岳」、「→弥山」と記された広い平坦な尾根道、成る程ここなら走って行く事も出来る。倒木の幹を輪切りにしたものが4個並んで、腰掛けとなっている。絶好の休憩場所ではあるが、先程休んだばかりなのでここはそのまま通過する。根っ子ごと倒れた木、途中からベキッと折れた木、苔むした倒木にミヤマカタバミが、蝶々の群れがとまっているように咲いている。ブナの幹には地衣類が付き、灰白色の独特の斑紋を呈しているが、岩も全く同じ模様である。うっすらともやのかかった中、若葉の明るく輝くうす緑と、灰白色の幹と岩、この2色が微妙なコントラストを呈し、日本画の世界に入り込んだような気分になる。ハウチワカエデかオオイタヤメイゲツか、いずれにしてもカエデ科の木だろう、これまた新緑の葉が空を蔽い、ブナの間で密生している。紅葉の頃はさぞかし見事だろうと思われる。立ち枯れたブナの幹が剥がされ、白い地肌に真新しいクマの引っ掻き跡がある。思わず、腰の鈴とカウベルを振り鳴らす。コバイケイソウの群落、花の時期にはまだ早い。緩やかな尾根道を登りきると、「弁天の森、石休の宿跡、標高1600m」と書かれた立て札がある。ここからは緩やかな下りとなり、下りきった鞍部が「聖宝(しょうぼう)の宿跡」である。聖宝は理源大師という偉い坊さんで、ここには金属製の修験者の坐像があるが、おそらく聖宝のつもりであろう。テカテカと光る少々不気味な像で、誰が置いたものか作者のセンスが疑われる。世界遺産の山には似つかわしいものではなく、すぐに撤去した方がいい。先程休憩中にわたしを追い抜いていった6人グループがいる。登山口までタクシーでやってきた人達で、ガイドの女性と中高年の男性5人。この人達を先にやり、わたしはゆっくりと後に続く。鞍部からは「聖宝八丁」と呼ばれている急登が始まるが、左程のものでもなく、時々吹く風が頬をなで、気持ちよい。木製の立派な階段が整備されており、見上げれば延々と続いていてウンザリ。鉄の階段を上ると弥山小屋の屋根が見え、鞍部から1時間弱で小屋に到着。ザックを小屋の前にデポし、鳥居をくぐって頂上に向かう。鳥居の横には、「皇太子殿下行啓記念」と彫られた御影石の柱が、誇らしげに立っている。シラビソ、トウヒの立ち枯れ、白骨化した林の中の道を行くと、あっという間に立派な神社の建つ弥山頂上に着く。神社の前の鳥居は、わたしの好きなシンプルな神明鳥居、山奥の神社はこうでなくっちゃ。弥山神社は天河神社(天河大辨財天社)の奥宮で、修復工事が行われたばかりの、木の香りがする真新しい神社である。来月の15日には、修復工事竣工記念奉祝大祭がここで行われることになっているが、ひと足先に参拝する。
小屋に戻って宿泊手続きをする。200名収容出来る大きな小屋であるが、今日の宿泊客は30名程度。個室のエクストラ料金3000円のところを2000円にまけてくれた。2階の「釈迦ヶ岳」という部屋に案内され、早速ビールを飲む。足りずにブランデーを追加し、5時からの夕食前に出来上がってしまった。食堂での夕食、隣りの若いカップルは外人さんと日本人のお嬢さん。上手な英語で話している。お嬢さん、当然わたしとは日本語で話しをするがイントネーションがアメリカ的、アメリカ生まれかと聞くと、モンゴル人だと云うのでビックリ。夕食時にもビールを飲んで、早々と眠りにつく。ピュウピュウ、ビュウビュウ、ゴーゴー、外では嵐が吹きまくり、雨が窓を叩く。夜中に何度か目を覚まし、明日は八経ヶ岳はやめて下山するだけにしようとか、この嵐では帰ることもできないかもしれない、とか考えながらウトウトと夜を明かす。
翌朝は6時から朝食。おかずは納豆、のり、お味噌汁。隣りの外人さんのカップルは、カップコーヒーを飲みながらご飯だけ食べている。部屋に戻ってザックを詰め、身支度を整え、7時前に外に出る。雨は降っているが風は大分弱くなっている。これなら八経ヶ岳に行けそうだ。ザックは小屋に置いたまま八経ヶ岳に向かう。登山道は水の通り道、丸太で土留めされた部分はダムとなり、勢いよく流れている。大分下って鞍部から登り始めると、柵が張り巡らされ扉が閉まっている。ん?と思って扉を引くと簡単に開く。オオヤマレンゲを鹿から守るために、ネットで保護されているようだ。肝心のオオヤマレンゲはまだ咲いていず、蕾さえも無い。保護柵から出て八経ヶ岳の頂上に到着。360度の展望が開けているが、どこを見ても真っ白、目の前の弥山さえ見えない。ここもトウヒ、シラビソの立ち枯れが目立つ。長居は無用、一応目的は達したので、昨日のタクシーグループの6人が登ってきたのを期にわたしは下山。弥山小屋に戻ってザックを背負い、昨日登ってきた道を引き返す。風もおさまり、雨も小降りとなった中、根っ子に乗り上げて滑らない事だけを考え、慎重に下る。40名の団体さんとすれ違うのを待ちながら聞くと、広島のアイツーリストだと云う。その後も東京のツアー、広島の中国新聞のツアー、名古屋のアミューズ、その他諸々、団体さんの多いこと。奥駆出合までノンストップ、輪切りのイスに腰を下ろして一休み。この先は根っ子の多い急坂、ひと足ごと足場を選びつつ、ゆっくりと慎重に下る。トンネル手前の登山口に帰り着いた時は、登山靴は勿論のこと、ズボンの裾まで泥だらけだった。昨日はさらさらと流れ落ちていた滝は、今日はごうごうと音を立ててしぶきを上げていた。
入之波温泉五色湯で汗を流し、ゆっくりと昼食を食べて岐路についた。日本でも屈指の豪雨地帯、雨が降るのは当たり前。さすが世界遺産、雨に輝くブナやカエデの新緑、満開のシロヤシオ、シャクナゲ、ムシカリの花、苔むした倒木、いにしえからどれだけの人が歩いただろう、これぞ日本の山と呼ぶにふさわしい大峰山であった。
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