安倍奥・安倍川左岸尾根縦走《山梨百名山》


- GPS
- 02:38
- 距離
- 53.8km
- 登り
- 4,070m
- 下り
- 4,921m
コースタイム
- 山行
- 6:23
- 休憩
- 0:51
- 合計
- 7:14
- 山行
- 10:28
- 休憩
- 1:43
- 合計
- 12:11
天候 | 1日目晴れ時々曇り、2日目晴れ時々曇り、3日目晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
下山口:JR草薙駅 |
写真
感想
1日目(4/29): 梅ヶ島温泉8:54〜前大光山 晴れ時々曇り
安倍奥八紘嶺は、平成18年アツラ沢の頭から七面山まで縦走した時に登頂して以来10年振りだ。南アルプスから連なる縦走路を繋げるためにはスタートはこの山にしなければならない。静岡駅前のホテルに泊まり始発のしずてつジャストラインバスに乗って梅ヶ島温泉に入った。2年前に数匱蠢阿凌慧腸浩瑤泙任詫茲燭今回初めて最奥の温泉まで来た。これから登山では温泉に入れないのが残念だ。同じバスを降りた登山者は3人、豊岡梅ヶ島林道をショートカットして登山口に到った。
尾根に取付くとジグザグに付けられた登山道を標高差400m登ると、サカサ川に沿って大迂回してきた林道が寄ってきて駐車場も備えた第2の登山口に到った。車は1台だけ置かれていた。再び尾根道を歩き150m程標高を上げると安倍峠方面の分岐が現れた。本来稜線に乗ったところで分岐する筈なのだが、余り考えもせずザックをデポし空身で八紘嶺へのピストンに向かった。静岡・山梨県境稜線に達してすぐ“富士見台”に達すると、同じバスだった男性が休憩中だった。見える筈の富士山は雲に隠れて姿が見えないので通過した。
標高差300m余りの登りで八紘沢ノ頭に達するが展望もないので通過した。八紘嶺(1,918m)は今山行の最高峰で、例年ならまだ雪があって当たり前の時期だが、周りの山にも白いものは一切見えなかった。3等三角点「白崩」があるが展望はなく、バスのもう一人の小父さんが先に来て休憩中だった。これから七面山に向かうと云って
いた。6分の滞在で折り返し富士見台に戻ってくると富士山が姿を現していた。この山域から富士山は直線距離で7勸未靴なく申し分ない。
林道登山口から登ってきたと思しき登山者が数組あり、結構人気の山のようだ。分岐に戻るまでに稜線を行く道を探してきたがどうやら稜線通しの道は失われているようだ。分岐点で昼食を取り指導標に従って行くとうまい具合に小さな谷を横断すると水が出ていた。この先稜線に水場はなく先は長いが3ℓ確保し自宅から持参のものと合わせると5ℓとなり肩に食い込み歩みの速度はガクンと落ちた。巻き道から稜線に戻る所でも稜線に道はなく、やはり稜線道の廃道は決定的なようだ。
安倍峠の手前で豊岡梅ヶ島林道に飛び出すと広い駐車場とトイレがあり、車が3台止められていた。駐車場の先には林道ゲートがあり、一般車は此所までのようだ。林道を歩き安倍峠に達すると女性二人が寛いでいた。一人は山やのようで草薙駅を目指すと云うと共感してくれた。反対側尾根の取り付きは源流の谷を少し下った所でこの場所に「安倍峠1,488m」の表示があったが、場所も標高も違っていた。1,488mは安倍峠手前の標高点の高さで峠は少し上で1,420m程度だ。
登り返しは厳しく標高差200mを登り詰め二つ目のピークに到るとバラの段(1,647m)で2等三角点「安倍峠」が置かれていた。西面の展望が良く富士山や毛無山が美しかった。大きなアップダウンもなく稜線を南下するとワサビ沢ノ頭(1,611m)に到るが展望のない山で山頂標識を撮っただけで通過した。大笹ノ頭(1,672m)へは一貫した登りで2.5万図には二重稜線の西尾根に登山道が描かれているが東の稜線に道が付いていた。山梨県側が身延町から南部町に代わるとすぐに大笹ノ頭に達した。山頂からの展望は得られず、少し先に進むと展望地があり、これから向かう稜線上に大光山や十枚山を望むことができた。東側には単独峰として優雅な篠井山(1,394m)が佇んでいた。
1,540mの標高の打たれた鞍部からは80m程の登り返しがあり、安倍の大滝への分岐を過ぎると奥大光山(おくおおぴっかりやま・約1,620m)に達した。この山でも展望は得られず山頂標識を撮っただけで通過した。10分ほど進むと東側が開けた所があり、八紘嶺と安部川右岸の大谷嶺、その間に残雪を負った南アルプス主稜線の赤石岳(3,121m)や荒川中岳を望むことができた。大光山(1,661m)は3等三角点「大光」が置かれているが展望は利かない。普通なら「おおひかりやま」と読むのだろうが「おおぴっかりやま」と読ませる。何ともユニークな山名だ。当初計画ではこの辺りで幕営する予定だったが明日のことを考えてもう少し進もう。西の稜線を下ると静岡市草木に到る。縦走路は少し進んだところで分岐して南の斜面を下り登り返すと約1,630mのピークに到った。特に表示はないが顕著なピークで大光山と奥大光山があるので仮に前光山と名付けてこのピークの西側の平らなところにテントを設営し、一夜の宿を求めた。
2日目(4/30): 前大光山〜穂積神社 霧後晴れ時々曇り
ご来光を期待して3時に起き出したが外に出てみると何と霧、ご来光は断念し明るくなりだした4時46分に歩き出した。南部町の成島に下る道が分岐する苅安峠を越え1卍進むと南部町側が大きく崩れた縁を迂回するように道が付け替わっている。“黒崩”と名付けられた崩壊地で、大谷崩や七面山のナナイタガレ等崩壊が目立つ山域だ。小さなアップダウンを繰り返し徐々に高度を上げるといつしか十枚山(1,726m)に達した。平成15年4月に登って以来13年ぶりの山頂だ。あの日は季節外れの大雪の直後で1m近い新雪を一人ラッセルで登ったことを思い出した。
依然霧は晴れず、前回見えた富士山の展望も楽しむことができず、欲求不満を残したまま十枚峠へと下りに掛かった。十枚峠は嘗て下った六郎木への道と南部町成島への道が分岐している。稜線を南下し下十枚山(1,732m)へは岩交じりの険しい道で県境を少し外れて登山道が付いている。ガスっぽい山頂に達すると2等三角点「下十枚」があり、その向こうに静岡橘ライオンズクラブによるアルミ製の山頂標識が設置され、その日付が「2003.5」と記されていた。前回登山した平成15年4月の翌月に設置されたものだった。下十枚山は別名「天津山」とも呼ばれ今日の最高峰なのだが展望がないのが残念だった。
次の岩岳はピークが二つあり夫々に「岩岳」と記された標識が掲げられていたが北峰は1,682m、南峰は1,652mでどちらも標高点で三角点は設置されていない。展望も得られないが纏わり付いていたガスが無くなり、天気は曇りとなった。10分程下ると展望地がありこの先の仏谷山、青笹山を見通すことができたが青笹山の雲はまだ煩い。地蔵峠(1,414m)へは240m標高を下げると登り返しがきつそうだ。安部川の有東木への道と南部町成島への道が分岐した。
仏谷山(1,504m)山頂は笹原で刈払いがしっかり行われている。3等三角点「地蔵峠」は縦走路から10m程西に入った所にあり道が確保されていた。笹の背丈が高いので展望は今一よくない。長い山頂域を爽快に歩き細島峠へ向けて下り出すと男性が登ってきた。細島峠から登り返すと笹原となり見晴らしの稜線歩きとなった。青笹山は双耳峰で北のピークは“うつろぎ山”と呼ばれる。山頂標識はないが1,558m標高点の山で展望は素晴らしい。振り返ると雲に覆われていた十枚山、下十枚山も完全に姿を現し遠く南アルプスも徐々に雲を払っていた。
青笹山(1,550m)山頂も展望が良く、山梨県の山でよく見るお馴染みの団子串刺しタイプの山頂標識が愛らしい。2年前に歩いた笊ヶ岳から山伏までの稜線が大谷嶺越しに見え、更に後方には残雪の赤石岳や荒川中岳も望めた。此処まで静岡・山梨県境の稜線を歩いてきたがこの先は静岡県静岡市葵区と清水区の境界尾根ということになる。青笹山を下りだすとしっかりしていた笹の刈り払いが中途半端でかなり登山道に被ってきた。途中に3等三角点「浅間原」(1,499m)がある筈だが遂に発見できず30分程歩くと2組の送電線が上空を横切る鉄塔に到った。其処は“浅間原”で一際展望がよい。青笹山を出発するとき登ってきた男性とまた会った。前回は南から此処まで来たので今回は反対方向からきて稜線を繋ぐそうだ。この先の藪は手強いと言っていた。
静岡市下村集落への下山路を分け先に進むとまた笹が被りだし先程の男性が言っていたとおりの様相となってきた。しかし歩行に難渋するほどの藪ではなかった。足元にイワカガミの花が咲き群落を成している。此の辺りのイワカガミは通常のピンク色ではなくすべて真っ白なシロバナノイワカガミだった。展望のない湯ノ岳(1,445m)に達すると長い下りで1,250m位まで標高を下げて見上げると第二真富士山が大きい。右にカーブするように進み真東から斜面に取り付き再び左に回転し第二真富士山(まふじやま1,401m)に到った。2等三角点「苅安」が置かれ少し展望も得られた。それよりも人がいた! 静岡市平野からの登山道があり、それもかなり上まで車で来られるので真富士峠を挟んで第一、第二真富士を登る人が多い様だ。さて今日も何組登ってきているのだろう時刻は11:24、丁度お昼時で皆寛いでいた。後から登ってきた親子連れは女の子が人懐こくて愉快だった。
真富士峠は標高1,240mの切込んだ峠で結構険しい登山道だ。第一真富士山(1,343m)は第二と同じタイプの山頂標識が迎えてくれるが男性が無神経にもその真ん前で休憩中、写真が撮りたいので少し除けてもらった。三角点と山頂標識には配慮してほしいものだ。富士山が雲に隠れてしまい、愛鷹山は霞んでいるが辛うじて確認できる程度になった。南へ歩を進めるともう来る人はなくまた静かになった。静岡市俵峰への道が分岐し暫くは稜線直下を巻いて並走する形となっていた。稜線道を取りP1129辺りでニリンソウやヤマエンゴサク、マムシソウなど今まで見なかった高山植物が見られ春を実感した。
富士見岳(1,078m)に到ると雲が多かった空が再び晴れ富士山も見えるようになった。縦走路の先を見ると竜爪山が相当の距離感をもって聳えている。今日の宿泊地と、水の確保について検討した。この先も稜線では水の確保は期待できない。疲れて来たので栄養補給をして体力を回復し南へと踏み出した。駒引峠(877m)は俵峰と上黒川への道が下って行った。高野に到ると水を求めて稜線道と分かれて穂積神社への巻道を取った。山腹を歩けば水場がある可能性が高いと予想し、もし水が得られなければ明日の縦走は諦めて朝一で竜爪山から曙橋へ下山することにした。巻道がだんだん山懐に大きく食い込みだすと枝沢を何本か横断したが何れも涸れ沢で水はなく、諦めかけてきたころちょろちょろと流れる水を発見、谷側の崖下では湧き出した水がしっかり滴り、容易に3ℓ確保することができた。給水しているとガラガラと落石があり振り仰ぐとニホンカモシカが谷を横断して行った。神社に達する直前の枝沢にも水がありこの水は神社に引水されているようだった。
穂積神社に15:31に到着しテントを張ろうかと思ったが、車で来ることができるのでまだ参拝者があり、ザックをデポし疲れた体に鞭打って、空身で竜爪山2峰をピストンしてくることにした。穂積神社は、嘗ては竜爪権現と呼ばれ竜爪山そのものが信仰の対象だったようだ。標高差は都合400mもあり空身でも堪える。登山道は恐ろしく急でコンクリートやアルミ製の階段が完璧に整備され、登山でないような感じがする。竜爪山は薬師岳(1,051m)と文殊岳(1,041m)からなり鞍部は980mとしっかり縊れている。30分で薬師岳山頂に到ると東海自然歩道の表示があり、穂積神社からの道が東海自然歩道であったことを知った。団子串刺し標識があり、これは山梨県の山だけのものかと思っていたがそうではなかったことを知った。
展望のない山頂を後にし、文殊岳を目指すとやはり鞍部が深く感じた。登り返した文殊岳は1等三角点「竜爪山」が置かれ展望もよかった。静岡市清水の市街が望め漸く旅の終わりの地が見え感慨深い。山頂には文殊菩薩の祠があり花が供えられていた。来た道を引き返すと薬師岳の登り返しはきつかった。1時間17分で往復し神社へと戻ると疲労感が強く余り食欲がない。神社裏のベンチでカレーの夕食を食べ、神社の自動販売機で買った炭酸飲料でのどを潤し、テントに潜り込んだ。
3日目(5/1): 穂積神社〜草薙駅 晴れ
昨日頑張ったので最終日の行程は20劼鰺縦蠅靴討い燭若干短くなった。ご来光は見るべくもないので明るくなった5:12歩き出し帆掛山(848m)に登り出した。植林帯の山で単調な登りで山頂に達したが予想通り展望はなかった。山頂標識を写真に収め先に進むと南面が開かれ太陽光パネルが敷き詰められている処に飛び出した。稜線に付いていた登山道がパネル群によって途絶え縁を辿って行った。太陽光が終わると稜線に道が復活しP722の手前まで来ると今度は地図にない林道が横断し切通しで分断されてしまった。
漸く登山道が落ち着き高山(836m)への登りとなった。標高差は140m、八紘嶺以来基本的には下りだが登り返しは侮れない。高山山頂には3等三角点「伊佐布村(一)」があり展望を期待したが植林帯で鬱蒼としていた。直下に送電線が通り展望が良いと案内があったので行ってみると高山南峰の姿が良かった。60m下降し到った高山南峰(約800m)も植林帯で展望はなく、認知されていないのか山頂を示すものもなかった。
標高453mの王峠までは350mもの下降となった。1,900mの高山帯から最早里山の領域まで下りて来たと云うことだ。登山道脇に可憐に咲くホウチャクソウを見つけ心が和むだ。赤い字の指導標には何と「清水猟友会」とあり、鉄砲撃ちの指導標など初めて見た。でも社会貢献されていることには敬意を表して道を進んだ。P486を過ぎ開けた所に飛び出すと其処は茶畑、田んぼや野菜の畑と違い茶畑は高低差に問題ないので山頂付近まで茶畑は拡がっている。そして登山道は茶畑の畔道のような所となっている。エンジンの音がして近づいて行くとご夫婦で茶摘みをしておられた。早乙女姿の手で摘んでいたのは既に過去の話、今は機械で洋服のオジサンおばさんの作業だった。そして奇しくも今日は八十八夜! 立春から88日目なので例年は5月2日だが今年は閏年、将に今日が一番おいしいお茶が摘めるという日だ。それにしても茶摘みは昼間なのになぜ八十八“夜”なのかは前から続く疑問だ。
舗装道路に飛び出すと車が止められ超望遠レンズを付けたカメラを構えた男性がいた。鷹の渡りを狙っているようだった。ネットで調べてみると静岡市葵区平山農道で観測した記事が見られたが将に此処のことだ。暫くこの平山農道を歩くと茶畑で展望が良く、昨日登った竜爪山が存在感を持ち、眼下には新東名道が伊佐布トンネルを抜け北沼上トンネルに入る僅かな明かり区間を俯瞰することができた。茶畑も耕作放棄された畑があり、野生化した茶の木は凄い勢いで成長し密林となり大変な状態になっていた。
再び稜線道に戻り柏尾三角点に向けて稜線を忠実に歩くものと思っていたが登山道は何時しか西側を巻き出して一向に稜線に戻らない。柏尾峠に近づいて来たので三角点だけは立ち寄りたいと尾根の端にザックをデポして這い上がったが標高差が60mもあり結構なものだった。4等三角点「柏尾」(308m)がひっそりとあり稜線ルートの道はあるような無いような感じだった。柏尾峠(約230m)は林道が越え天保3年に建立されたと云うお地蔵さんが祀られ、人々が行き交っていたのだろう、立派な石碑が建っていた。
西側の稜線直下をこの林道が並走し送電線が見えてくると茶畑に飛び出し畦道を歩き帆掛山(304m)に達した。今日最初に登った山も帆掛山(848m)だったが此処にもあった。山頂には2等三角点「大内村」があったが山名はどこにも記載がなく、寧ろ「一本松公園」という名で通っているようだ。東屋もあり展望台として整備されていた。南に1區覆爐罰畍胸(279m)で此処も公園として整備されていた。地元市民の憩いの場として沢山の人が来ていた。籠を背負った男性が二人町内会の行事の準備だといっていたのも微笑ましい。
最後の山も終えて下山に掛かるが途中にある4等三角点「鳥坂」は遂に分からず仕舞いで鳥坂集落に降り立った。此処からはアスファルトの道、懐かしいような思いもあったがやはり足が疲れる。東名高速に沿って歩き草薙駅までの2.7劼歪垢った。駅前のコンビニでアイスクリームとコーラを買って電車に乗り込み、静岡から直ぐに“ひかり”に乗ることができて駅弁とビールで眠りにつき13時には帰宅することができた。
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