鳳凰三山テン泊・前篇(ラッセル及ばず地蔵手前で敗退)


- GPS
- 28:32
- 距離
- 23.9km
- 登り
- 2,006m
- 下り
- 1,983m
コースタイム
6:15夜叉神の森 - 7:15夜叉神峠 - 8:35杖立峠 - 9:20焼け跡 - 10:05苺平 - 10:35南御室小屋(テント設営・昼食)12:00 - 13:00砂払岳 - 13:20薬師岳小屋 - 13:35薬師岳 - 14:20観音岳 - 14:35地蔵手前(撤退) - 15:00観音岳 - 15:30薬師岳 - 15:55砂払岳(写真撮影)16:40 - 17:20南御室小屋(テント泊)
【2日目】
7:30南御室小屋 - 8:10苺平 - 8:40焼け跡 - 9:10杖立峠 - 10:00夜叉神峠 - 10:40夜叉神の森
天候 | 1日目 快晴 2日目 吹雪〜雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
石川から山梨までの道中はところどころ雪が降っていた。 特に高山〜安房トンネル付近は雪が積もっており気温も氷点下でスタッドレス必須。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
■コース状況 【夜叉神の森〜杖立峠】 危険個所なし。 【杖立峠〜南御室小屋】 段々雪が増えてきます。 この日は多分小屋番さんのトレースがうっすらと残っていました。 アイゼン不要。 南御室小屋のテン場はひざ下くらいまで積雪あり。 スコップがないと整地できないレベル。 なお、この日は自分以外に人気はなし。 【南御室小屋〜稜線】 急な坂があるのと雪の量が増えてくるので自分はアイゼンを着けました。 ところどころ吹き溜まりがあり、ラッセルを強いられます。 この日はトレースなし。 【砂払岳〜地蔵岳手前】 風が強いせいか雪がない場所と吹き溜まりのどちらかです。 大抵登山道が吹き溜まりとなっているためラッセルでかなり体力と時間が奪われます。 この日はトレースなし。 ■ドコモ電波状況 基本的に甲府盆地寄りは電波が入ります。 南御室小屋は小屋番さんがいる時なら電波増幅器?かなにかで敷地内でも電波が入るらしいが、通常は×。 ■テント装備 夜はかなり冷え込みます。 (温度計は所持していなかったが水を出しておいたら30分くらいでバリバリに凍るレベル) ・シュラフ ・・・ イスカエア810 ・シュラフカバー ・ダウンジャケット ・ダウンパンツ ・湯たんぽ ・ホッカイロ ・ニット帽 以上の装備でかなり快適に12時間寝てしまいました。(-_-;) |
写真
感想
日本百名山の著者である深田久弥はその中でこう言っている。
「日本人は大ていふるさと(故郷)の山を持っている。山の大小遠近はあっても、故郷(ふるさと)の守護神のような山を持っている。
そして、その山を眺めながら育ち成人して故郷を離れても、その山の姿は心に残っている。
どんなに世相が変わってもその山だけは、昔のままで“あたたかく”故郷の人を迎えてくれる。
私の故郷の山は白山(はくさん)であった。」
自分にとっての故郷の山は「八ヶ岳」と「鳳凰三山」だと思う。
山梨に生まれ育ち、八ヶ岳、鳳凰三山、富士山に囲まれながら生活してきた。
幼い頃は鳳凰三山の向こうにアメリカがあると信じていた。
今でこそその山の向こうには日本が誇る白峰三山があることはわかっているが、子供の頃から狭い甲府盆地で暮らしていると高い頂の向こうには未知なる世界が広がっている気がしていた。
そしていよいよそれをこの目で確かめる日が来た。
果たして鳳凰三山の向こうにはアメリカがあるのか!?(笑)
今住んでいる石川を前日の夜に出発し、上高地をかすめながら松本経由で韮崎に向かう。
寒気が居座っていたせいでこの時期にしては恐ろしい雪の量だ。
たまたま前週末にスタッドレスに履き替えてあったことが幸いし、雪道も問題なく走ることができた。
朝6時に夜叉神の森を出発し、南御室小屋を目指す。
今回の山行目的は次の5つである。
1.鳳凰三山の向こう側を確認する。(笑)
2.稜線から夕陽を撮る。
3.鳳凰三山でテン泊する。
4.オベリスクに登る。
5.甲府盆地の夜景を撮る。
結論からするとオベリスクと甲府盆地の夜景は失敗に終わった。
南御室小屋まではおそらく小屋番さんのものと思われるトレースがうっすらと残っており、積雪量もそれほど多くなかったためアイゼンなしに歩くことができた。
南御室小屋に到着すると、予想を超えた雪の量だった。
テン場でひざ下くらいの量。
スコップを持ってきてよかった。
30分くらいかけて整地を行い、その上にテントを張る。
そして特筆すべきは、自分の他に誰もいなかったことだ。
人気の鳳凰三山で天気は快晴。
この条件ならそれなりに人と会うことを想定していたが、南御室小屋だけでなく、その日は結局誰とも会わなかった。
テン場で昼食を採り、薬師岳を目指して出発する。
雪の量が増えてきたので小屋から上はアイゼンを装着した。
稜線手前くらいから吹き溜まりが多くなり、ラッセルを強いられるシーンが増えた。
稜線は風が強いせいか、雪が全くない場所と、膝くらいまで雪がある吹き溜まりのどちらか一方という極端な状態になっていた。
そして登山道は皮肉にも吹き溜まりになっていることが多く、ラッセルが求められた。
それでも稜線からの景色は絶景だった。
北岳、間ノ岳、農鳥岳の白峰三山はもちろん、富士山、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、奥秩父の山々や北アルプスまでまさに360度の大パノラマが待っていた。
そして信じられないことに稜線も無人。
観音岳を過ぎ、地蔵岳を目指して暫く歩いたがラッセルで時間がかかったことと疲れにより止むなく撤退を決断。
地蔵岳のオベリスクと甲斐駒ヶ岳に後ろ髪を引かれながら来た道を引き返すことに。
砂払岳まで来たところで夕陽を待つ。
30分くらい待ったところでその日のクライマックス。
周りの山々が全て赤く染まる。
場所を変えながら、方角を変えながらシャッターを切る。
できればそのまま甲府盆地の夜景も撮りたかったが、寒くなってきたのであきらめてテン場に引き返す。
南御室小屋に着くと辺りは真っ暗。
林の中なので静寂に包まれていた。
こういうシチュエーションに自分一人というのは贅沢なような少し怖いような。
他にひとりくらい居てくれた方がよかったかも・・・
テントの中は寒く、水もすぐに凍ってしまった。
それでも備えあれば憂いなし。
これでもか、というくらいの重装備でシュラフに入ると暗く静かなことがプラスに作用し、何と12時間も熟睡してしまった。
次の日、テントを雪が叩きつける音で目が覚めた。
林の中にも関わらずすごい風の音が聞こえる。
天気予報で分かっていたが、やはり吹雪だ。
最初から2日目は下山のみ、と決めていたので想定内だった。
むしろ雨よりもテントの撤収を考えるとやりやすかった。
長居は無用、ということですぐに下山開始。
標高が下がるにつれて風も弱まり、雪は雨に変わっていった。
夜叉神峠を過ぎると、今回の山行で初めて人と会った。
たった1日だが、人と会うのがずいぶん久しぶりな感じがした。
地蔵岳に行けなかったこと、甲府盆地の夜景が撮れなかったことが心残りだが、「近いうち」にリベンジすることを誓おう。
(もしかすると翌週には行ってしまうかも・・・)
後編に続く・・・たぶん
はじめまして、pasocomと申します。
レコの最初から読んで「石川から山梨までの道中は・・」とありましたので、遠方からわざわざ大変だなあ、など思いつつ読んでいたら、「自分にとっての故郷の山は「八ヶ岳」と「鳳凰三山」だ。」との下りでびっくり。
プロフィールを確認させて頂いたところ山梨出身なのですね。
私も一時東京におりましたが、やはりふるさとの山と言えば富士山、八ヶ岳、茅ヶ岳などなど。Sanchan33様には猛烈に共感するところです。
小さい頃から周りを山に囲まれていましたから、東京のような四方八方が平らな所に住んでいると何かとても「縁からこぼれちゃいそう」な「不安定」な感じがしたものでした。
私は、そんないい環境があったにもかかわらず、いい年になるまで山に登ろうなどとは思わず、今になって山梨の山を中心に登り始めたところです。
鳳凰もとても良い山ですね。鳳凰から眺める白鳳三山や甲斐駒の姿は一級品でしょう。
アメリカは見えなかったでしょうが、このような絶景を見られたのですからうらやましい限り。
決して「途中敗退」などではないと思います。
pasocomさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
pasocomも甲斐市にお住まいなんですね。
(すみません、住んでいたのが20年も前なので甲斐市がどの辺りかよくわかっていません)
私も小学生の頃は竜王寄りの甲府に、その後は山梨市に住んでいました。
なので、小学生の頃見ていた八ヶ岳や鳳凰三山は強烈に記憶に残っています。
私が山を始めたのも、そういう環境で育ったにも関わらず登山をしてこなかったことに対する悔恨の情による所が大きいです。
(学生時代は松本に住んでいたのでなおさら・・・)
室生犀星(石川県出身(笑))の詩に
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
という一節がありますが、たまに帰るとその山々の素晴らしさに気付かされます。
初めて石川に来た時は山に囲まれていないので方角がわからなかったです(笑)
冬になると日本海側は天気が悪くなるので、山梨方面の山に遠征する機会が増えると思います。
お会いすることがあればよろしくお願いします。
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