陽の当たる鷹ノ巣山、岩璧が目立ちますね。
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12/5 9:14
陽の当たる鷹ノ巣山、岩璧が目立ちますね。
駐車場から程なく九十九谷登山口。2基の道祖神は平成のもの。集落には奇特な信仰が残っているようです。水場もありました。
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12/5 9:39
駐車場から程なく九十九谷登山口。2基の道祖神は平成のもの。集落には奇特な信仰が残っているようです。水場もありました。
ガードレールの再利用
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12/5 9:43
ガードレールの再利用
谷筋の道を登ります。
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12/5 10:01
谷筋の道を登ります。
尾根に出て、まずは鷹ノ巣山を目指します。
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12/5 10:07
尾根に出て、まずは鷹ノ巣山を目指します。
もうすぐです。
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12/5 10:09
もうすぐです。
鷹ノ巣山767m。狭い山頂はグループの方が休まれていました。
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12/5 10:12
鷹ノ巣山767m。狭い山頂はグループの方が休まれていました。
上底瀬の分岐に戻って、尾根道を進みます。
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12/5 10:14
上底瀬の分岐に戻って、尾根道を進みます。
岩場を下降する途中、対面の岩上に石塔を見つけました。できるだけ近寄ると銘らしきものがあるようでした。
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12/5 10:19
岩場を下降する途中、対面の岩上に石塔を見つけました。できるだけ近寄ると銘らしきものがあるようでした。
下底瀬への下降とは下部が崩落しているようで×印がありました。
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12/5 10:24
下底瀬への下降とは下部が崩落しているようで×印がありました。
左に九十九谷を見ながら登ります。
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12/5 10:28
左に九十九谷を見ながら登ります。
左に落ちたらまずアウト。右にかろうじてステップがありました。
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12/5 10:28
左に落ちたらまずアウト。右にかろうじてステップがありました。
?振り返ると〜こんな感じ。
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12/5 10:31
?振り返ると〜こんな感じ。
崩れた石祠がありました。「天狗 山神 /大蔵院」の銘あり。
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12/5 10:33
崩れた石祠がありました。「天狗 山神 /大蔵院」の銘あり。
上底瀬の集落と
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上底瀬の集落と
大屋山方面
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12/5 10:46
大屋山方面
ピークに石祠があるようです。
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12/5 10:56
ピークに石祠があるようです。
ここが観音岩の分岐でした。
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12/5 10:57
ここが観音岩の分岐でした。
石祠には「明治五申年五月朔日(1872)/願主銘」とあり、
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12/5 10:57
石祠には「明治五申年五月朔日(1872)/願主銘」とあり、
さらに「刀利天」宮のものだと判明してテンション上がります。
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12/5 11:03
さらに「刀利天」宮のものだと判明してテンション上がります。
ウキウキ気分で進みます。眺望も最高です。
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12/5 11:03
ウキウキ気分で進みます。眺望も最高です。
岩峰に抱かれるように不動寺が見えました。
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12/5 11:08
岩峰に抱かれるように不動寺が見えました。
観音岩の基部に着くと、裏(北)側の岩窟には多くの石仏が点在していました。
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12/5 11:09
観音岩の基部に着くと、裏(北)側の岩窟には多くの石仏が点在していました。
こんな風に、
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12/5 11:12
こんな風に、
あんな所にも。
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12/5 11:12
あんな所にも。
かつては三十三体あったそうですが、残念ながら風化も進んでいるようです。
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12/5 11:13
かつては三十三体あったそうですが、残念ながら風化も進んでいるようです。
此方はよく見ると大日様でした。
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12/5 11:20
此方はよく見ると大日様でした。
岩を東側から回り込んで南面に出ると、岩棚に石祠がありました。怖いので銘があるかどうかは確認できませんでした。
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12/5 11:22
岩を東側から回り込んで南面に出ると、岩棚に石祠がありました。怖いので銘があるかどうかは確認できませんでした。
観音岩880mこのあたり(五老峰)の最高点。
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12/5 11:25
観音岩880mこのあたり(五老峰)の最高点。
西上州ふたりぼっち!
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12/5 11:25
西上州ふたりぼっち!
先程の石祠はあんな感じの所に。左奥は四ツ又山。
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12/5 11:27
先程の石祠はあんな感じの所に。左奥は四ツ又山。
蓮華を持って微笑する観音様。
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12/5 11:30
蓮華を持って微笑する観音様。
もう一つ石祠がありました。右側に「明治六癸酉年十一月吉日」(1873)、小沢村、大日向村の世話人銘、
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12/5 11:32
もう一つ石祠がありました。右側に「明治六癸酉年十一月吉日」(1873)、小沢村、大日向村の世話人銘、
左に「先達 行正院/当所講中」とありました。2棟の石祠は御嶽のものでしょうか。
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12/5 11:35
左に「先達 行正院/当所講中」とありました。2棟の石祠は御嶽のものでしょうか。
展望良好です。西の大屋山方面から北へ、
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12/5 11:37
展望良好です。西の大屋山方面から北へ、
観音岩から歩いた尾根とトヤ山方面
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12/5 11:37
観音岩から歩いた尾根とトヤ山方面
ゴシュウ、秋葉山と妙義、榛名の遠景
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12/5 11:38
ゴシュウ、秋葉山と妙義、榛名の遠景
そして鹿岳と四ツ又山。赤城の今日は雲がないようです。奥白根の雪頭も見えました。
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12/5 11:39
そして鹿岳と四ツ又山。赤城の今日は雲がないようです。奥白根の雪頭も見えました。
何かありそうな感じだったので幕岩方面に足を進めましたが、
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12/5 11:52
何かありそうな感じだったので幕岩方面に足を進めましたが、
何もなさそうなので戻りました。
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12/5 11:53
何もなさそうなので戻りました。
目前は富士浅間山でしょうか。
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12/5 11:56
目前は富士浅間山でしょうか。
戻り道の途中から観音岩。駐車場から逆回りにスタートした方が登られているようでした。
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12/5 12:06
戻り道の途中から観音岩。駐車場から逆回りにスタートした方が登られているようでした。
いよいよ馬の背へ。この時はまだ余裕でしたが・・・
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12/5 12:17
いよいよ馬の背へ。この時はまだ余裕でしたが・・・
鷹ノ巣山から登ってきたルートがよくわかります。
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12/5 12:20
鷹ノ巣山から登ってきたルートがよくわかります。
見晴台は岩場を右に巻いてから、ちょこっと戻ります。
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12/5 12:22
見晴台は岩場を右に巻いてから、ちょこっと戻ります。
まずは風化の著しい如意輪観音像と
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12/5 12:25
まずは風化の著しい如意輪観音像と
不動明王の種子“カンマン”部分が残った碑がありました。
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12/5 12:27
不動明王の種子“カンマン”部分が残った碑がありました。
ドーハンの後光が差しました。「御嶽」銘が確認できました。その他に「万延二年酉三月吉日(1861)/願主銘」
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12/5 12:28
ドーハンの後光が差しました。「御嶽」銘が確認できました。その他に「万延二年酉三月吉日(1861)/願主銘」
そして見晴台の頂上部。石祠が見えます。
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12/5 12:37
そして見晴台の頂上部。石祠が見えます。
これがおそらく御嶽神社のものだと思いますが、これ以上は無理でした。
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12/5 12:38
これがおそらく御嶽神社のものだと思いますが、これ以上は無理でした。
さらにchiiさんは「怖くない」と言っていましたが、騙されたみたい(笑)。この岩場を越えるのに、行こか戻ろか暫し逡巡しました。
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12/5 12:50
さらにchiiさんは「怖くない」と言っていましたが、騙されたみたい(笑)。この岩場を越えるのに、行こか戻ろか暫し逡巡しました。
意を決して降りた梯子。「これは本当に信用できるのか」と恐る恐る・・・
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12/5 12:54
意を決して降りた梯子。「これは本当に信用できるのか」と恐る恐る・・・
一段去ってまた一段・・・
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12/5 13:00
一段去ってまた一段・・・
岩峰(たぶん日東岩)と赤い屋根の不動寺。
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12/5 13:00
岩峰(たぶん日東岩)と赤い屋根の不動寺。
馬の背、手すりがあっても結構怖かったです。
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12/5 13:01
馬の背、手すりがあっても結構怖かったです。
振り返り
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12/5 13:03
振り返り
端正な稲含山。
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12/5 13:04
端正な稲含山。
黒滝峠。安堵のシルエット。
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12/5 13:07
黒滝峠。安堵のシルエット。
寺務所に御朱印帳を託して参詣します。
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12/5 13:14
寺務所に御朱印帳を託して参詣します。
黄檗宗黒滝山不動寺、境内案内図。
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12/5 13:18
黄檗宗黒滝山不動寺、境内案内図。
味のある雰囲気の山門
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12/5 13:19
味のある雰囲気の山門
山門前には「不許葷酒入山門」の石柱と地蔵尊、そしてその後方には
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12/5 13:19
山門前には「不許葷酒入山門」の石柱と地蔵尊、そしてその後方には
何と普寛行者像ではないですかっ!何故此処に?
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12/5 13:21
何と普寛行者像ではないですかっ!何故此処に?
神紋のある台石には「明治七戌年三月吉日」(1874)。その下の台石には享保六年(1721)の銘。おそらく別の物があったのでしょう。
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12/5 13:23
神紋のある台石には「明治七戌年三月吉日」(1874)。その下の台石には享保六年(1721)の銘。おそらく別の物があったのでしょう。
これだけは覚えていた「魚梆」(開梆かいぱん、魚板)、隠元禅師が渡来の際に伝えたという木魚の原型。
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12/5 13:26
これだけは覚えていた「魚梆」(開梆かいぱん、魚板)、隠元禅師が渡来の際に伝えたという木魚の原型。
不動堂。秘仏の金躰不動明王(伝行基作)が祀られているそうです。
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12/5 13:29
不動堂。秘仏の金躰不動明王(伝行基作)が祀られているそうです。
不動堂の裏手は月西岩の岩肌。
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12/5 13:35
不動堂の裏手は月西岩の岩肌。
その下部は潮音禅師が名付けた天女窟。
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12/5 13:35
その下部は潮音禅師が名付けた天女窟。
黒滝泉弁財天が祀られています。頭上には鳥居と蛇。
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12/5 13:36
黒滝泉弁財天が祀られています。頭上には鳥居と蛇。
手のひらのみの千手観音。これは石工さんにとってはナイスアイデアですね。
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12/5 13:37
手のひらのみの千手観音。これは石工さんにとってはナイスアイデアですね。
石燈籠がまた洒落ています。勝手な妄想ですが、これは“滝の滴”
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12/5 13:38
石燈籠がまた洒落ています。勝手な妄想ですが、これは“滝の滴”
“月西岩の月”
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12/5 13:38
“月西岩の月”
“星中岩の星”
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12/5 13:38
“星中岩の星”
“日東岩の日”にちなんでいるのかな?
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12/5 13:38
“日東岩の日”にちなんでいるのかな?
これは弘法大師爪彫不動。中央に不動明王、右に矜迦羅童子(こんがら)、左に制?迦童子(せいたか)を従えた三尊形式ですね。
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12/5 13:39
これは弘法大師爪彫不動。中央に不動明王、右に矜迦羅童子(こんがら)、左に制?迦童子(せいたか)を従えた三尊形式ですね。
竜神の滝を裏見して、そのまま本堂の裏手を通過すると、
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12/5 13:41
竜神の滝を裏見して、そのまま本堂の裏手を通過すると、
覆屋の中には弘法大師像。台石の正面には「塩澤村中」
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12/5 13:41
覆屋の中には弘法大師像。台石の正面には「塩澤村中」
開山堂がありました。真言密教修験の当地を延宝三年(1676)中興開山した潮音禅師の寿像があるそう。
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12/5 13:47
開山堂がありました。真言密教修験の当地を延宝三年(1676)中興開山した潮音禅師の寿像があるそう。
高遠石工の立派な石灯籠がありました。
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12/5 13:48
高遠石工の立派な石灯籠がありました。
歯を食いしばる邪鬼に、手抜きの邪鬼・・・いいですねぇ。
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12/5 13:49
歯を食いしばる邪鬼に、手抜きの邪鬼・・・いいですねぇ。
堂の裏手は断崖です。
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12/5 13:51
堂の裏手は断崖です。
その岩肌の一画に潮音禅師の霊骨を納めた寿塔がありました。
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12/5 13:51
その岩肌の一画に潮音禅師の霊骨を納めた寿塔がありました。
境内から稲含〜白髪方面の山並み、手前の小沢岳も。
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12/5 14:03
境内から稲含〜白髪方面の山並み、手前の小沢岳も。
御朱印を受け取って、寺務所を出た先に帝釈天と四天王像。
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12/5 14:09
御朱印を受け取って、寺務所を出た先に帝釈天と四天王像。
馬の背を背にする帝釈天
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12/5 14:10
馬の背を背にする帝釈天
毘沙門天
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12/5 14:10
毘沙門天
梵鐘は戦艦陸奥の羅針盤が合鋳されているそう。「昭和庚申年」(1980)「鋳匠 京都 岩澤徹誠」
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12/5 14:11
梵鐘は戦艦陸奥の羅針盤が合鋳されているそう。「昭和庚申年」(1980)「鋳匠 京都 岩澤徹誠」
星中岩と日東岩でしょうか。
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12/5 14:12
星中岩と日東岩でしょうか。
お経を唱えていただいてから手渡されました。御同伴のぐんまちゃんと南牧村椚石のなんしいちゃんと。
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12/5 14:15
お経を唱えていただいてから手渡されました。御同伴のぐんまちゃんと南牧村椚石のなんしいちゃんと。
黒滝峠の戻り、黒滝山登山口に向かいます。
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12/5 14:24
黒滝峠の戻り、黒滝山登山口に向かいます。
大岩の割れ目に石仏がありました。
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12/5 14:29
大岩の割れ目に石仏がありました。
馬頭観音「安永六酉五月吉日」(1777)でした。
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12/5 14:30
馬頭観音「安永六酉五月吉日」(1777)でした。
擁壁の下山口。林道の工事が進行中のようです。
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12/5 14:37
擁壁の下山口。林道の工事が進行中のようです。
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12/5 14:38
近き山に陽は落ちて、
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12/5 14:47
近き山に陽は落ちて、
藪岩が光っています。いかにも西上州らしい里の風景。
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12/5 14:48
藪岩が光っています。いかにも西上州らしい里の風景。
こちらの登山口入口にも2基の石塔。右:二十三夜塔(元治元年、1864)と御神燈の碑(明治三十五年、1902)
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12/5 14:52
こちらの登山口入口にも2基の石塔。右:二十三夜塔(元治元年、1864)と御神燈の碑(明治三十五年、1902)
駐車場近くに石造物群。左から大黒天、庚申塔3基、大黒天、空の覆屋、*弁財天、*庚申塔
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12/5 15:01
駐車場近くに石造物群。左から大黒天、庚申塔3基、大黒天、空の覆屋、*弁財天、*庚申塔
*(種子)ウ字巳待塔の台石に「弁財天」とあります。紀年銘はないようでした。
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12/5 15:04
*(種子)ウ字巳待塔の台石に「弁財天」とあります。紀年銘はないようでした。
*旧いタイプの庚申塔。「奉納庚申供養二世安楽所」下部に二鶏と三猿がいます。側面に「正徳三癸巳天九月吉日(1713)/上底瀬村」とありました。
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12/5 15:05
*旧いタイプの庚申塔。「奉納庚申供養二世安楽所」下部に二鶏と三猿がいます。側面に「正徳三癸巳天九月吉日(1713)/上底瀬村」とありました。
ここにも猿?沢向こうの畑とやり取りした野猿のようです。現役かどうかは不明。
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12/5 15:23
ここにも猿?沢向こうの畑とやり取りした野猿のようです。現役かどうかは不明。
ゴールしました。結局この日も昼食を食べそびれてしまい、南牧村のソースかつ丼屋さんも閉まってたので、
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12/5 15:24
ゴールしました。結局この日も昼食を食べそびれてしまい、南牧村のソースかつ丼屋さんも閉まってたので、
結局、『東大門』(秩父小鹿野町)で「またぎ豚ぶり」(900円)、秩父名物の豚肉の味噌漬けです。空腹に染み渡りました。
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12/5 17:18
結局、『東大門』(秩父小鹿野町)で「またぎ豚ぶり」(900円)、秩父名物の豚肉の味噌漬けです。空腹に染み渡りました。
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