吾妻公園駐車場。かわいいぐんまちゃんのトイレ前をスタート。
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4/23 8:09
吾妻公園駐車場。かわいいぐんまちゃんのトイレ前をスタート。
御同伴はeさん。想定外のツツジが花盛りです。
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4/23 8:09
御同伴はeさん。想定外のツツジが花盛りです。
まずは光明寺の琵琶弾きの弁天様(桐生七福神)にご挨拶。
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4/23 8:12
まずは光明寺の琵琶弾きの弁天様(桐生七福神)にご挨拶。
でも此処の本当の主役は、宝珠型仏塔(室町時代)の弁財天。とても珍しいそうです。
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4/23 8:13
でも此処の本当の主役は、宝珠型仏塔(室町時代)の弁財天。とても珍しいそうです。
東毛三十二番札所光明寺千手観世音堂
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4/23 8:14
東毛三十二番札所光明寺千手観世音堂
御嶽橋を渡ります。
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御嶽橋を渡ります。
墓地との境に参道の石段があります。
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4/23 8:18
墓地との境に参道の石段があります。
その脇には「管谷 不動明王」「千手観世音」「馬頭観世音」の文字塔。(他の銘は未確認)
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4/23 8:18
その脇には「管谷 不動明王」「千手観世音」「馬頭観世音」の文字塔。(他の銘は未確認)
石段の途中にあるある石祠(お稲荷さん?)
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4/23 8:20
石段の途中にあるある石祠(お稲荷さん?)
「元禄十三年庚辰歳」(1700)とあります。
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4/23 8:20
「元禄十三年庚辰歳」(1700)とあります。
遊園地の観覧車が見えます。
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4/23 8:20
遊園地の観覧車が見えます。
こちらがドクロの杖を持つ千手観世音かな?「文久三亥八月吉日(1863)、願主銘」。
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4/23 8:23
こちらがドクロの杖を持つ千手観世音かな?「文久三亥八月吉日(1863)、願主銘」。
不動三尊 火焔光背が目立つ不動明王と、
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4/23 8:25
不動三尊 火焔光背が目立つ不動明王と、
矜迦羅童子
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4/23 8:25
矜迦羅童子
制吒迦童子。
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4/23 8:25
制吒迦童子。
セメント補修され「安政(四)・・」のみ確認できます。
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4/23 8:27
セメント補修され「安政(四)・・」のみ確認できます。
「桐生一心講」の霊神碑と一心霊神堂
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4/23 8:28
「桐生一心講」の霊神碑と一心霊神堂
二の鳥居。その右脇に
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4/23 8:30
二の鳥居。その右脇に
「普賢菩薩」(文政三辰、1820)と
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4/23 8:31
「普賢菩薩」(文政三辰、1820)と
千手観音坐像と
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4/23 8:31
千手観音坐像と
サンショウの向こうに地蔵尊
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サンショウの向こうに地蔵尊
その一段上に「普寛行者」の石塔、
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その一段上に「普寛行者」の石塔、
「安政五戊午仲春吉辰」(1858)
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「安政五戊午仲春吉辰」(1858)
その向こうにはたくさんの石塔が並んでいます。概ね前方に三十六童子の石塔、後列に石神文字塔が並んでいました。
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4/23 8:35
その向こうにはたくさんの石塔が並んでいます。概ね前方に三十六童子の石塔、後列に石神文字塔が並んでいました。
少し離れた角型石柱には「南無三十六童子」、
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4/23 8:37
少し離れた角型石柱には「南無三十六童子」、
「癸酉 明治六年」(1873)と願主銘があります。
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4/23 8:38
「癸酉 明治六年」(1873)と願主銘があります。
「南無阿弥陀仏」名号塔(右)と「大江権現」。奥に三十六童子の石柱が見えます。
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4/23 8:40
「南無阿弥陀仏」名号塔(右)と「大江権現」。奥に三十六童子の石柱が見えます。
「白山宮」「三寶大荒神」「秋葉大権現鎮防火」
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4/23 8:41
「白山宮」「三寶大荒神」「秋葉大権現鎮防火」
「(三笠)山刀利天宮」でしょうか。
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4/23 8:41
「(三笠)山刀利天宮」でしょうか。
「摩利支天」
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4/23 8:41
「摩利支天」
これはなかなか見かけないラキスタ?の「鷲宮大明神」
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これはなかなか見かけないラキスタ?の「鷲宮大明神」
首のない行者像。一心行者でしょうか。
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4/23 8:41
首のない行者像。一心行者でしょうか。
右「辨財天」と□□童子?像、「(四)津都村」銘あり。
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4/23 8:42
右「辨財天」と□□童子?像、「(四)津都村」銘あり。
「大日如来」
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4/23 8:42
「大日如来」
倒れている塔もありました。
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4/23 8:42
倒れている塔もありました。
「文殊菩薩」
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「文殊菩薩」
右「恵光童子」と「矜迦羅童子」、その後方に
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4/23 8:43
右「恵光童子」と「矜迦羅童子」、その後方に
「御嶽山日野大権現」
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4/23 8:43
「御嶽山日野大権現」
てっきり不動三尊かと思ったら・・・
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4/23 8:43
てっきり不動三尊かと思ったら・・・
右は、矜迦羅童子みたいですが、
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4/23 8:44
右は、矜迦羅童子みたいですが、
左は制吒迦童子ではなく、ちっちゃい不動明王像みたい。
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4/23 8:44
左は制吒迦童子ではなく、ちっちゃい不動明王像みたい。
そして御嶽三座神の御出ましです。
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4/23 8:46
そして御嶽三座神の御出ましです。
中央は御嶽山座王大権現像。
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4/23 8:46
中央は御嶽山座王大権現像。
頭部は修復されているようです。
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4/23 8:46
頭部は修復されているようです。
威厳のある八海山大頭羅神王像。彫りもいいです。
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4/23 8:46
威厳のある八海山大頭羅神王像。彫りもいいです。
残念ですが左側は一部補修されています
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4/23 8:46
残念ですが左側は一部補修されています
左は三笠山刀利天宮像。鼻が落ちていますが、他はほぼよく残っています。
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4/23 8:47
左は三笠山刀利天宮像。鼻が落ちていますが、他はほぼよく残っています。
甲冑がカッコいいです。
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4/23 8:47
甲冑がカッコいいです。
御嶽山大神も後姿。 両隣とは石材も作風も違うように見えますが・・・
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4/23 8:47
御嶽山大神も後姿。 両隣とは石材も作風も違うように見えますが・・・
三笠山大神の後姿
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4/23 8:47
三笠山大神の後姿
八海山大神の後姿
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4/23 8:47
八海山大神の後姿
三座神の隣に孤独の大神像がもうお一方おりました。首に補修跡。
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4/23 8:47
三座神の隣に孤独の大神像がもうお一方おりました。首に補修跡。
小振りな御嶽山座王大権現像。勺も太刀もお持ちです。
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4/23 8:48
小振りな御嶽山座王大権現像。勺も太刀もお持ちです。
ちょっとマンガちっくでかわゆいです。
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4/23 8:48
ちょっとマンガちっくでかわゆいです。
台石には「明治三拾五年四月拾五日(1902) 桐生町新宿 願主銘」
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4/23 8:49
台石には「明治三拾五年四月拾五日(1902) 桐生町新宿 願主銘」
右「岩戸大権現」(安政三辰年、1856)と出羽三山供養塔「湯殿山/月山/羽黒山」。ここから擁壁下に降りて
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4/23 8:51
右「岩戸大権現」(安政三辰年、1856)と出羽三山供養塔「湯殿山/月山/羽黒山」。ここから擁壁下に降りて
再び二の鳥居方向へ。右「大平大権現」(安政六、1859)と「成田 不動明王」(安政三、1856)
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4/23 8:52
再び二の鳥居方向へ。右「大平大権現」(安政六、1859)と「成田 不動明王」(安政三、1856)
先ほどの一見、不動三尊の前に「矜迦羅童子」文字塔。奥には小っちゃい御嶽山大神。
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4/23 8:52
先ほどの一見、不動三尊の前に「矜迦羅童子」文字塔。奥には小っちゃい御嶽山大神。
虚空護童子
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4/23 8:52
虚空護童子
「戒光慧童子」「羅多羅童子」「吉祥妙童子」「不思議童子」
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4/23 8:53
「戒光慧童子」「羅多羅童子」「吉祥妙童子」「不思議童子」
「波利迦童子」「善爾師童子」「普香王童子」
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4/23 8:53
「波利迦童子」「善爾師童子」「普香王童子」
御嶽山神社(御籠堂)とこれが雪胴?
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4/23 8:57
御嶽山神社(御籠堂)とこれが雪胴?
さらに裏手には、一心霊神碑(昭和46年)と一心霊神堂
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4/23 8:57
さらに裏手には、一心霊神碑(昭和46年)と一心霊神堂
逞しい狛犬
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4/23 8:58
逞しい狛犬
昭和41年4月吉日
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4/23 8:58
昭和41年4月吉日
新築記念碑(昭和44年)「星移り年古れば神域社殿も荒廃す・・・」身につまされる碑文です。
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4/23 8:59
新築記念碑(昭和44年)「星移り年古れば神域社殿も荒廃す・・・」身につまされる碑文です。
上方の危なそうな岩陰に何かあるようです。行ける所まで行ってみましょう。
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4/23 9:01
上方の危なそうな岩陰に何かあるようです。行ける所まで行ってみましょう。
途中、倒れて土に埋まっている石塔がありました。2009年当時にあった愛染明王は有りませんでした。まさか土の中?移設されたのならいいのですが・・・
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4/23 9:02
途中、倒れて土に埋まっている石塔がありました。2009年当時にあった愛染明王は有りませんでした。まさか土の中?移設されたのならいいのですが・・・
首のない行者像も見えます。
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4/23 9:03
首のない行者像も見えます。
下から見えた石造物はあの岩の庇にあるようです。
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4/23 9:03
下から見えた石造物はあの岩の庇にあるようです。
「秋葉山・・/弘化に未十一月・・(1847)/現二十一世・・」当時の光明寺住職でしょう。
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4/23 9:04
「秋葉山・・/弘化に未十一月・・(1847)/現二十一世・・」当時の光明寺住職でしょう。
こちらも2009年にはお顔があり、普寛行者とのことです。
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4/23 9:05
こちらも2009年にはお顔があり、普寛行者とのことです。
「御嶽山/八戒山/三笠山」三座神碑(明治十四年、1881)
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4/23 9:06
「御嶽山/八戒山/三笠山」三座神碑(明治十四年、1881)
大岩の庇に近づきました。
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4/23 9:07
大岩の庇に近づきました。
石塔には「奉勧請大龍神」
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4/23 9:08
石塔には「奉勧請大龍神」
そして不動明王座像。嘉永元年(1848)
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4/23 9:09
そして不動明王座像。嘉永元年(1848)
さらに岩場を登ってみます。
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4/23 9:12
さらに岩場を登ってみます。
もうすぐ頂上部だと思われます。
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4/23 9:18
もうすぐ頂上部だと思われます。
眺めの良い所に出ました。
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4/23 9:18
眺めの良い所に出ました。
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4/23 9:18
eさんも頑張って登ってきます。
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4/23 9:19
eさんも頑張って登ってきます。
岩場の最上部には「御嶽山座王大権現」
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4/23 9:21
岩場の最上部には「御嶽山座王大権現」
eさんに撮ってもらったアングル。
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4/23 9:21
eさんに撮ってもらったアングル。
岩々が終わって一安心のeさん。山頂部へ向かいます。
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4/23 9:23
岩々が終わって一安心のeさん。山頂部へ向かいます。
御嶽山(観音山、岳山)山頂には二つの石祠。右が御嶽のもの。
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4/23 9:24
御嶽山(観音山、岳山)山頂には二つの石祠。右が御嶽のもの。
左は「千手観世音/白山妙理大権現/土地護伽藍神」、光明寺の奥の院。曹洞宗本山永平寺の影響を受けているようですね。
2
4/23 9:24
左は「千手観世音/白山妙理大権現/土地護伽藍神」、光明寺の奥の院。曹洞宗本山永平寺の影響を受けているようですね。
「この地は千二百余年の昔より観音様の聖地として奥院が奉安されて居りました。今ここに再興申し上げます/平成二年元旦/三十世良栄代」
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4/23 9:25
「この地は千二百余年の昔より観音様の聖地として奥院が奉安されて居りました。今ここに再興申し上げます/平成二年元旦/三十世良栄代」
かつては修験の道場だったようです。
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4/23 9:25
かつては修験の道場だったようです。
山頂から少し藪々した所を下って吾妻山主要ルートに合流します。
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4/23 9:27
山頂から少し藪々した所を下って吾妻山主要ルートに合流します。
あたりにはツツジが満開で咲き誇り、以後下山まで各所で鮮やかなお花を楽しむことができました。
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4/23 9:34
あたりにはツツジが満開で咲き誇り、以後下山まで各所で鮮やかなお花を楽しむことができました。
色もいろいろ
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色もいろいろ
お花は全くの想定外。
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お花は全くの想定外。
グッドタイミングでした。
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4/23 9:38
グッドタイミングでした。
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4/23 9:41
このお花は? ツクバネウツギと判明。
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4/23 9:45
このお花は? ツクバネウツギと判明。
関東ふれあいの道のようです。
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4/23 9:46
関東ふれあいの道のようです。
第一男坂を登る快調なeさん。牛歩の私では付いていけません。
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4/23 9:54
第一男坂を登る快調なeさん。牛歩の私では付いていけません。
eさん、あやうくトンビにさらわれそうになるの図
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4/23 9:59
eさん、あやうくトンビにさらわれそうになるの図
トンビ岩からの眺め
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4/23 9:59
トンビ岩からの眺め
この白瀧神社と本日予定の白瀧神社(御嶽)は別物のようです。
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4/23 9:59
この白瀧神社と本日予定の白瀧神社(御嶽)は別物のようです。
ツツジの回廊がツヅク
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4/23 10:04
ツツジの回廊がツヅク
ヤマブキソウかな。
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4/23 10:15
ヤマブキソウかな。
第二男坂
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4/23 10:17
第二男坂
吾妻山。山頂付近は常連さん、一日に何度も往復されたり、鳴神に向かう猛者さん達の社交場になっていました。
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4/23 10:26
吾妻山。山頂付近は常連さん、一日に何度も往復されたり、鳴神に向かう猛者さん達の社交場になっていました。
吾妻耶神社の祠みたいです。
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4/23 10:29
吾妻耶神社の祠みたいです。
鳴神山まで8.6kmもある。カッコソウも咲き始めたという。
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4/23 10:31
鳴神山まで8.6kmもある。カッコソウも咲き始めたという。
山頂からの眺め。足利方面。
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4/23 10:37
山頂からの眺め。足利方面。
眼下は水道山、御嶽山かな。市街地の向こうは八王子丘陵と金山も見えている感じ。
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4/23 10:37
眼下は水道山、御嶽山かな。市街地の向こうは八王子丘陵と金山も見えている感じ。
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4/23 10:37
さえずりの主を探すeさん
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4/23 10:43
さえずりの主を探すeさん
こちらの尾根は人気も少なくとても静かでいい感じでした。
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4/23 11:00
こちらの尾根は人気も少なくとても静かでいい感じでした。
しかもこちらもツツジ満開
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4/23 11:04
しかもこちらもツツジ満開
分岐の道標では「みたけ」と読んでいます。
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4/23 11:06
分岐の道標では「みたけ」と読んでいます。
木の根元に二つの石祠が並んでいました。屋根は新しいようでしたが本体はどちらも「本宿村」の願主数名と
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4/23 11:07
木の根元に二つの石祠が並んでいました。屋根は新しいようでしたが本体はどちらも「本宿村」の願主数名と
「元禄三年庚午七月吉日」(1690)。チョークの跡がありましが、
ライトを駆使して何とか判読できました。
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4/23 11:17
「元禄三年庚午七月吉日」(1690)。チョークの跡がありましが、
ライトを駆使して何とか判読できました。
種子があるので仏教系の神様が祀られているのかな。
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4/23 11:15
種子があるので仏教系の神様が祀られているのかな。
フレッシュグリーンに鮮やかな赤、今だけですね。
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4/23 11:31
フレッシュグリーンに鮮やかな赤、今だけですね。
しばらくすると何か建物があったらしい平場になりました。
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4/23 11:40
しばらくすると何か建物があったらしい平場になりました。
聖観音の「御月待供養塔」がありました。「享保十二天丁未天十月吉日(1727)願主銘」
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4/23 11:43
聖観音の「御月待供養塔」がありました。「享保十二天丁未天十月吉日(1727)願主銘」
毛むくじゃらの蔓はアイビー?
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4/23 11:45
毛むくじゃらの蔓はアイビー?
道標に従い御嶽神社へ向かいます。
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4/23 11:47
道標に従い御嶽神社へ向かいます。
突如、朱色の建物群が現れました。一旦下まで行って社号標を確認します。「奥宮 御嶽山白瀧神社」(s.49.4.7)
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4/23 12:00
突如、朱色の建物群が現れました。一旦下まで行って社号標を確認します。「奥宮 御嶽山白瀧神社」(s.49.4.7)
白い狛犬と天狗さん
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4/23 12:01
白い狛犬と天狗さん
久しぶりの参拝者かな?往時はおみくじもあった模様。
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4/23 12:05
久しぶりの参拝者かな?往時はおみくじもあった模様。
稲荷社もありました。
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4/23 12:06
稲荷社もありました。
さらに進むと
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4/23 12:06
さらに進むと
白衣観音?それとも子育観音?
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4/23 12:06
白衣観音?それとも子育観音?
ここが白瀧?樋の水垢離場と霊神碑、その奥には
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4/23 12:09
ここが白瀧?樋の水垢離場と霊神碑、その奥には
御嶽三座神の碑がありました。背面には「栄神講建之」
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4/23 12:11
御嶽三座神の碑がありました。背面には「栄神講建之」
「御嶽山十二権現 木花咲耶姫之命」その右に「三之池摩利支天 白瀧初春姫之命」左の銘は消されているみたい。その下段には「覚明、普寛、一心、一山」霊神。さらに下方には講員の霊神銘が列刻されています。「宮司銘 建立昭和七年四月吉日」
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4/23 12:16
「御嶽山十二権現 木花咲耶姫之命」その右に「三之池摩利支天 白瀧初春姫之命」左の銘は消されているみたい。その下段には「覚明、普寛、一心、一山」霊神。さらに下方には講員の霊神銘が列刻されています。「宮司銘 建立昭和七年四月吉日」
宿泊施設?平成の初めぐらいまでは使われていたみたいです。
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4/23 12:18
宿泊施設?平成の初めぐらいまでは使われていたみたいです。
帰りは水道山を越えて行きます。
1
4/23 12:41
帰りは水道山を越えて行きます。
ここのツツジも凄い事になっています。
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4/23 12:43
ここのツツジも凄い事になっています。
「ツツジ山」と呼んでらっしゃる方もいました。
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4/23 12:48
「ツツジ山」と呼んでらっしゃる方もいました。
ツツジと桐生市街
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4/23 12:54
ツツジと桐生市街
1
4/23 12:57
ツツジと吾妻山(左)と女吾妻
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4/23 12:58
ツツジと吾妻山(左)と女吾妻
ホントにツツジの事は全然頭になかったのです。
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4/23 13:00
ホントにツツジの事は全然頭になかったのです。
ツツジを満喫して後は下るのみ。だと思ったら、
1
4/23 13:02
ツツジを満喫して後は下るのみ。だと思ったら、
さらに嬉しいサプライズ。白花のイカリソウ。駐車場に戻ってゴールです。
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4/23 13:05
さらに嬉しいサプライズ。白花のイカリソウ。駐車場に戻ってゴールです。
そして桐生のランチは、先日下見をしたyamaonseさん御用達の『伽羅』さんへ。
2
4/23 13:32
そして桐生のランチは、先日下見をしたyamaonseさん御用達の『伽羅』さんへ。
迷いましたが、普段なかなか食べない焼きカレーのセット(1050円)にしました。
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4/23 13:54
迷いましたが、普段なかなか食べない焼きカレーのセット(1050円)にしました。
eさんは王道のオムライス
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4/23 13:57
eさんは王道のオムライス
暑い日になりましたが、食後はやはりホットが一番
2
4/23 14:15
暑い日になりましたが、食後はやはりホットが一番
『レンガ』さんでパンも購入
1
4/23 14:41
『レンガ』さんでパンも購入
所変わって、足利の大岩山毘沙門天
1
4/23 15:36
所変わって、足利の大岩山毘沙門天
纏のリス君。火事から守ってくれたのですね!
1
4/23 15:38
纏のリス君。火事から守ってくれたのですね!
笑う竜頭の手洗石は「延享二乙丑十一月」(1745)
1
4/23 15:39
笑う竜頭の手洗石は「延享二乙丑十一月」(1745)
主のいない仁王門
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4/23 15:40
主のいない仁王門
日本三毘沙門天。
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4/23 15:44
日本三毘沙門天。
寅年は毘沙門天の御縁年
1
4/23 15:45
寅年は毘沙門天の御縁年
1
4/23 17:03
出開帳。拝観料1000円。住職の話もさることながら、今しか会えない毘沙門様に会えて、焼香もできました。
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4/23 17:03
出開帳。拝観料1000円。住職の話もさることながら、今しか会えない毘沙門様に会えて、焼香もできました。
御神木の杉。避雷針の役目を果たして裂けた後も生き続けています。
1
4/23 17:09
御神木の杉。避雷針の役目を果たして裂けた後も生き続けています。
幹にある小さな穴にはムササビがいるそうです。飛んでいる姿はまさにザブトンだそうです。
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4/23 17:09
幹にある小さな穴にはムササビがいるそうです。飛んでいる姿はまさにザブトンだそうです。
ハバネロカレーパンととんがり屋根のパンをいただきました。
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4/23 20:26
ハバネロカレーパンととんがり屋根のパンをいただきました。
修理に出す前の今しか会えないそうです。umiminさん、情報ありがとうございました。
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4/23 20:29
修理に出す前の今しか会えないそうです。umiminさん、情報ありがとうございました。
多くは鬼子母神に抱かれている赤子として。成長した単独の像はおそらく此処だけだとか。彩色とザクロを持って微笑んでいるお顔がとても良かったです。
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4/23 20:34
多くは鬼子母神に抱かれている赤子として。成長した単独の像はおそらく此処だけだとか。彩色とザクロを持って微笑んでいるお顔がとても良かったです。
御朱印(500×2)、御香とお経をあげていただきました。
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御朱印(500×2)、御香とお経をあげていただきました。
近場にこんなところがあるとは!岩々は無理ですが、普通にお詣りできる可愛い御嶽山座王大権現さまに会いに行きたいです。新築記念碑の文は、ほんとうに身につまされますね(涙)
想定外のツツジも満喫出来てよかったですね。
その気持ち、とっても自分の山歩きと重なりました。
大岩山毘沙門天にもお参り出来てよかったです。
私も、やたらと人にすすめては、お参りに行っています。
手水石の竜頭、笑っていますよね。というか、笑いすぎじゃない?と、私も笑ってしまいます。
今日、良くお話しを聞いたところ、今後、全く拝見出来ないのではないそうです。修理から帰ってくると厨子に入ってしまわれますが、毎月一日のおまつりには、厨子の扉が開くのだそうです。しかし、そこからはあまり良く拝見出来ないそうです。勘違いがあり、申し訳ありません。
またのレコ、楽しみにしております!
宮本御嶽山は見応えのある石造物が沢山ありますが、やはり可愛い御嶽山大神、それからリアルな三笠山大神は特にお薦めです。また、光明寺も興味深い石造物が多いみたいなので勉強になると思います。是非訪ねてみてください。
大岩山部沙門天は本当に教えてもらって良かったです。貴重なものを間近で拝見できたり、楽しくお話を伺ったり、また貴重な体験もさせていただきました。
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