東松山ぼたん園。やっと来ることができました。
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東松山ぼたん園。やっと来ることができました。
上岡の馬頭尊まで散策できるみたい。雨の日コースのリストに入れましょう。
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上岡の馬頭尊まで散策できるみたい。雨の日コースのリストに入れましょう。
5月6日から無料!
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5月6日から無料!
江戸時代には大流行してあの大岡越前も愛好家だったみたい。午後はその牡丹に翻弄された村名主に会いに行きます。
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江戸時代には大流行してあの大岡越前も愛好家だったみたい。午後はその牡丹に翻弄された村名主に会いに行きます。
大岡越前が欲した浅黄色とはどんな色だったのでしょうか。
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大岡越前が欲した浅黄色とはどんな色だったのでしょうか。
こちらは芍薬か?素人には難しいが、とりあえす葉っぱの形で判別。
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こちらは芍薬か?素人には難しいが、とりあえす葉っぱの形で判別。
何色?薄い朱鷺色かな。
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何色?薄い朱鷺色かな。
これで無料なら文句はないでしょう。
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これで無料なら文句はないでしょう。
花王というだけあってとてもゴージャス!
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花王というだけあってとてもゴージャス!
まだ蕾がある。
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まだ蕾がある。
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この後、団体さんや家族連れがたくさん訪れてきました。牡丹を目に焼き付けて、次の目的地へ向かいます。
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5/7 9:22
この後、団体さんや家族連れがたくさん訪れてきました。牡丹を目に焼き付けて、次の目的地へ向かいます。
所変わって、秩父郡小鹿野町。小鹿神社旧本殿前の駐車地をスタート。
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5/7 11:18
所変わって、秩父郡小鹿野町。小鹿神社旧本殿前の駐車地をスタート。
役場新庁舎の建築も着々と進んでいるようです。その向こうがこれから向かう山域。
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5/7 11:22
役場新庁舎の建築も着々と進んでいるようです。その向こうがこれから向かう山域。
いつもの馬頭尊
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いつもの馬頭尊
「(安永)五丙十一月吉日(1776)/講中/上小鹿野村/下小鹿野村」」
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5/7 11:24
「(安永)五丙十一月吉日(1776)/講中/上小鹿野村/下小鹿野村」」
お隣の馬頭尊も味があります。「文久三亥八月七日」(1863)
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5/7 11:24
お隣の馬頭尊も味があります。「文久三亥八月七日」(1863)
吉田丘陵最高峰の「下小鹿野」山
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5/7 11:26
吉田丘陵最高峰の「下小鹿野」山
巨香(おかの)郷之碑の向こうに一本杉峠、秋葉山方面
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5/7 11:27
巨香(おかの)郷之碑の向こうに一本杉峠、秋葉山方面
まずは『東大門』で腹ごしらえ。わらじかつ丼(900円)。安心安定のお味、ペース配分を考えないと一枚目でごはんが無くなっちゃうよ!
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5/7 11:30
まずは『東大門』で腹ごしらえ。わらじかつ丼(900円)。安心安定のお味、ペース配分を考えないと一枚目でごはんが無くなっちゃうよ!
国道から巡礼道に入ります。庚申塔(昭和二十年二月一日、1945)を左折。
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5/7 11:46
国道から巡礼道に入ります。庚申塔(昭和二十年二月一日、1945)を左折。
白山神社があります。
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5/7 11:47
白山神社があります。
なかなか立派な石祠、銘もうっすらありまが・・・
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5/7 11:47
なかなか立派な石祠、銘もうっすらありまが・・・
「如意輪大士」と2棟の石祠(どちらも大正十五年七月、1926)、石の上の石祠は明治二十七年(1894)
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5/7 11:48
「如意輪大士」と2棟の石祠(どちらも大正十五年七月、1926)、石の上の石祠は明治二十七年(1894)
お地蔵さん?神様?ご近所の方もわからないとのことでした。
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5/7 11:51
お地蔵さん?神様?ご近所の方もわからないとのことでした。
絵になる巨木も
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絵になる巨木も
トンガリ頭は武甲山と小持山
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トンガリ頭は武甲山と小持山
たぶん「明治二十三年」(1890)補修の石燈籠とトタンの覆屋。
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たぶん「明治二十三年」(1890)補修の石燈籠とトタンの覆屋。
その中には巡礼道に相応しい地蔵尊。というのは、
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その中には巡礼道に相応しい地蔵尊。というのは、
「左 三十二ばん江」の道標銘がありました。移設のためか向きが反対になっていますが。
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「左 三十二ばん江」の道標銘がありました。移設のためか向きが反対になっていますが。
「安永四乙未八月上旬(1775) 願主 故明」本来は回国供養塔のようです。
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5/7 11:58
「安永四乙未八月上旬(1775) 願主 故明」本来は回国供養塔のようです。
金園橋から赤平川下流方面、
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5/7 12:00
金園橋から赤平川下流方面、
こちらは上流方面。ご自慢のケスタ地形は葉っぱで隠れ気味。
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5/7 12:00
こちらは上流方面。ご自慢のケスタ地形は葉っぱで隠れ気味。
橋を渡ってすぐが、いつもの取付or下降点。今回は使いません。
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5/7 12:01
橋を渡ってすぐが、いつもの取付or下降点。今回は使いません。
小判沢集落のこんせい宮。たくさんあった‘ごもっともさま’は片付けられていました。
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5/7 12:06
小判沢集落のこんせい宮。たくさんあった‘ごもっともさま’は片付けられていました。
左は文殊峠を経て札所32番に至る巡礼道。直進です。
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5/7 12:09
左は文殊峠を経て札所32番に至る巡礼道。直進です。
左に2基の馬頭尊文字塔。左)明治十九年(1886)、右)大正十二年(1923)
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5/7 12:10
左に2基の馬頭尊文字塔。左)明治十九年(1886)、右)大正十二年(1923)
小判沢の左岸に山道がありました。
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5/7 12:12
小判沢の左岸に山道がありました。
思いのほか歩きやすい道で、テープもあります。崖ルートとは大違いです。
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5/7 12:25
思いのほか歩きやすい道で、テープもあります。崖ルートとは大違いです。
難なく山頂に辿り着きました。
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5/7 12:34
難なく山頂に辿り着きました。
「吉井」465.24m四等三角点。ヤマレコ地図や『新編武蔵風土記稿』では育玉山。
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5/7 12:36
「吉井」465.24m四等三角点。ヤマレコ地図や『新編武蔵風土記稿』では育玉山。
地元の方や探検隊では軍荼利山と呼んでいます。だって「軍荼利明王」の石祠が祀られているんですもの。
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5/7 12:36
地元の方や探検隊では軍荼利山と呼んでいます。だって「軍荼利明王」の石祠が祀られているんですもの。
祠には「元文三戊午天二月吉日」(1738)「吉田和泉守政重五代/小鹿野住/吉田藤太夫□□」。上小鹿野村の名主で、以前紹介した“御用牡丹”に翻弄された人物です。
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5/7 12:51
祠には「元文三戊午天二月吉日」(1738)「吉田和泉守政重五代/小鹿野住/吉田藤太夫□□」。上小鹿野村の名主で、以前紹介した“御用牡丹”に翻弄された人物です。
隣には「(軍)荼利明王」の石塔(享保五?1720)。これも恐らく吉田家で建てた物。一番上にある種字(梵字)を覚えておいて下さい。
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5/7 12:52
隣には「(軍)荼利明王」の石塔(享保五?1720)。これも恐らく吉田家で建てた物。一番上にある種字(梵字)を覚えておいて下さい。
小鹿野の街をひっそりと見守っています。冬枯れの時季なら街並みも良く見えますが、今は新緑で展望はなしです。でもお気に入りの山頂には変わりありません。
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5/7 13:08
小鹿野の街をひっそりと見守っています。冬枯れの時季なら街並みも良く見えますが、今は新緑で展望はなしです。でもお気に入りの山頂には変わりありません。
下山します。まずは伊豆沢右岸尾根縦走ルートへ
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5/7 13:11
下山します。まずは伊豆沢右岸尾根縦走ルートへ
ツクバネウツギ
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5/7 13:12
ツクバネウツギ
まずハイカーに出会うことのない静かな尾根歩き。
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5/7 13:15
まずハイカーに出会うことのない静かな尾根歩き。
主要?ルートは意外の藪がないんですよ。
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5/7 13:25
主要?ルートは意外の藪がないんですよ。
謎の建造物の痕跡
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5/7 13:28
謎の建造物の痕跡
伊豆沢右岸尾根縦走ルートは更に南下しますが、今回はここから西に向かう破線ルート方面へ、しかしこの道は歩いたことあるので、
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5/7 13:30
伊豆沢右岸尾根縦走ルートは更に南下しますが、今回はここから西に向かう破線ルート方面へ、しかしこの道は歩いたことあるので、
そこからすぐに北上する支尾根を歩いてみます。
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5/7 13:33
そこからすぐに北上する支尾根を歩いてみます。
こちらも歩きやすい尾根でしたが、
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5/7 13:36
こちらも歩きやすい尾根でしたが、
暫くすると尾根の左(西)側に有刺鉄線があらわれました。
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5/7 13:42
暫くすると尾根の左(西)側に有刺鉄線があらわれました。
さらにここを少し下ると、
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5/7 13:48
さらにここを少し下ると、
ちいさなタワ上の平地がありました。
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5/7 13:50
ちいさなタワ上の平地がありました。
突如、尾根は藪で前進不能状態になりました。破線のある右(東)方面に下ると。
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5/7 13:54
突如、尾根は藪で前進不能状態になりました。破線のある右(東)方面に下ると。
道形がありました。
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5/7 13:59
道形がありました。
安心するもその道も藪々になった後、
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5/7 14:01
安心するもその道も藪々になった後、
此方へ出ました!畑仕事の方とお話をして、「小判沢から歩いてきました」というと、
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5/7 14:06
此方へ出ました!畑仕事の方とお話をして、「小判沢から歩いてきました」というと、
「道があるんかい」と驚かれていました。後は小鹿野の街まで車道歩きです。
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5/7 14:08
「道があるんかい」と驚かれていました。後は小鹿野の街まで車道歩きです。
主はスッポリ抜け殻でした。文化二年(1805)
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5/7 14:09
主はスッポリ抜け殻でした。文化二年(1805)
曇っていますが城峯山が見えました。雨だと思っていたのでラッキーな山行でした。
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5/7 14:10
曇っていますが城峯山が見えました。雨だと思っていたのでラッキーな山行でした。
こちらにも文字塔の馬頭尊。左)昭和十三年(1938)、右)明治十五年(1882)
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5/7 14:12
こちらにも文字塔の馬頭尊。左)昭和十三年(1938)、右)明治十五年(1882)
吉田丘陵南端の峰々、(仮称)小鹿野北アルプス。左が下小鹿野山、一番右が信濃石御嶽山。
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5/7 14:21
吉田丘陵南端の峰々、(仮称)小鹿野北アルプス。左が下小鹿野山、一番右が信濃石御嶽山。
ここが瀧上不動尊入口。石標は隠れてて見えませんね。
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5/7 14:23
ここが瀧上不動尊入口。石標は隠れてて見えませんね。
伊豆沢橋より赤平川上流方面、風殿大橋と天狗山(伊豆沢左岸尾根北端)。遠景に毘沙門山も見えます。
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5/7 14:26
伊豆沢橋より赤平川上流方面、風殿大橋と天狗山(伊豆沢左岸尾根北端)。遠景に毘沙門山も見えます。
こちらが元祖わらじカツ丼の『安田屋』さん。夕方は5時から。
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5/7 14:33
こちらが元祖わらじカツ丼の『安田屋』さん。夕方は5時から。
小鹿野の街中からの軍荼利山
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5/7 14:35
小鹿野の街中からの軍荼利山
いつものお不動様。無銘ですがとってもいい感じ。
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5/7 14:38
いつものお不動様。無銘ですがとってもいい感じ。
ときわ屋さんの建築の際に残った材で作ったということですが、とても立派。成田山が勧請されているようです。
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5/7 14:39
ときわ屋さんの建築の際に残った材で作ったということですが、とても立派。成田山が勧請されているようです。
お隣の愛宕神社。往時は境内の一画に愛宕座(芝居小屋〜映画館)がありました。
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5/7 14:41
お隣の愛宕神社。往時は境内の一画に愛宕座(芝居小屋〜映画館)がありました。
このような石碑も。
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このような石碑も。
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5/7 14:42
そして御嶽山座王大権現像(慶應三年、1867)、
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5/7 14:42
そして御嶽山座王大権現像(慶應三年、1867)、
高遠石工の藤森吉弥の作といわれています。吉弥は地元の黒沢三重郎と共に作った札所31番にある日本最大の石造仁王像でも知られています。
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5/7 14:43
高遠石工の藤森吉弥の作といわれています。吉弥は地元の黒沢三重郎と共に作った札所31番にある日本最大の石造仁王像でも知られています。
こちらが『ときわ屋』さんです。
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5/7 14:47
こちらが『ときわ屋』さんです。
こちらは秘伝のタレのわらじカツ丼をいただける『昭和』さん。
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5/7 14:47
こちらは秘伝のタレのわらじカツ丼をいただける『昭和』さん。
その隣が、吉田家の菩提寺である十輪寺の参道入口。
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5/7 14:47
その隣が、吉田家の菩提寺である十輪寺の参道入口。
何と十輪寺にもボタンが咲いていました。
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5/7 14:52
何と十輪寺にもボタンが咲いていました。
そして石仏マニアには知られた石像が並んでいます。
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5/7 14:53
そして石仏マニアには知られた石像が並んでいます。
江戸末期の迦楼羅(カルラ)天。石像は日本で唯一。
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5/7 14:54
江戸末期の迦楼羅(カルラ)天。石像は日本で唯一。
ショケラ持ちの青面金剛
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5/7 14:55
ショケラ持ちの青面金剛
吉祥果を持った鬼子母神、幼子を抱いています。
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5/7 14:55
吉祥果を持った鬼子母神、幼子を抱いています。
このお子が成長して、先日訪ねた大岩毘沙門天の裏仏になっている氷掲羅天童子になります。
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5/7 14:55
このお子が成長して、先日訪ねた大岩毘沙門天の裏仏になっている氷掲羅天童子になります。
吉田家の墓碑。幕末に請西藩士として活躍した吉田柳助のことが刻されているようです。
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5/7 14:57
吉田家の墓碑。幕末に請西藩士として活躍した吉田柳助のことが刻されているようです。
吉田家代々のお墓。それぞれの墓石には、軍荼利山にあった石塔と同じ種子がありました。
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5/7 14:58
吉田家代々のお墓。それぞれの墓石には、軍荼利山にあった石塔と同じ種子がありました。
十輪寺境内から軍荼利山を望む。
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5/7 15:04
十輪寺境内から軍荼利山を望む。
「小鹿野町道路元標」がありました。
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「小鹿野町道路元標」がありました。
郷土銘菓「小鹿野こいし」の背景には二子山。
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郷土銘菓「小鹿野こいし」の背景には二子山。
八阪神社。正保五年(1628)に当時の代官、伊奈半十郎が市の守護神として勧請したそう。
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八阪神社。正保五年(1628)に当時の代官、伊奈半十郎が市の守護神として勧請したそう。
偶然こちらの展覧会に遭遇しました。
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5/7 15:16
偶然こちらの展覧会に遭遇しました。
まさきや(両神薄)
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まさきや(両神薄)
武甲山
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武甲山
文殊様(伊豆沢)
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文殊様(伊豆沢)
摩利支天画像
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摩利支天画像
太田道灌 山吹の里
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太田道灌 山吹の里
妙見菩薩画像
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妙見菩薩画像
聖徳太子孝養像
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聖徳太子孝養像
奥山半僧坊画
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奥山半僧坊画
十三仏画像
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十三仏画像
良いものを見させていただきました。中学校のグランドから軍荼利山方面を仰いでゴールです。
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良いものを見させていただきました。中学校のグランドから軍荼利山方面を仰いでゴールです。
武甲山と軍荼利山のツーショット
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武甲山と軍荼利山のツーショット
小鹿野の街並みを見守る軍荼利山
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小鹿野の街並みを見守る軍荼利山
ながーい話にお付き合いくださりありがとうございました(笑)
なかなか教科書や歴史の表舞台に出ない埋もれた地方の歴史とか伝説などにとても興味が湧きます。高遠石工は私がこの世界?にはまるきっかけになった要因の一つです。ご近所散歩で見つけられるなんてうらやましいです。うらやましいと言えば、近々また佐渡へ行かれるとか。お花レコ楽しみにしております。 godohan
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