小鹿野町役場のお隣にある旧小鹿神社本殿。元はこちらにありました。
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小鹿野町役場のお隣にある旧小鹿神社本殿。元はこちらにありました。
小鹿野市街の愛宕神社。
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小鹿野市街の愛宕神社。
御嶽山座王大権現像がございます。
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御嶽山座王大権現像がございます。
高遠石工藤森吉弥の作といわれています。剥落が進んでいます。
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高遠石工藤森吉弥の作といわれています。剥落が進んでいます。
「文教院」とあります。『廃寺』によると伊豆沢に越生山本坊配下の本山修験の「文教院」があったそうです。
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「文教院」とあります。『廃寺』によると伊豆沢に越生山本坊配下の本山修験の「文教院」があったそうです。
「慶應三(1867)」以下剥落しています。
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「慶應三(1867)」以下剥落しています。
愛宕座跡「明治45年に建設された回り舞台、せり上げ升席を備えた町唯一の興行劇場であった。老朽化のため昭和46年に解体。」さらに『廃寺』によると「医王山常光寺」(十輪寺末)があり、愛宕神社の別当だったみたい。
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愛宕座跡「明治45年に建設された回り舞台、せり上げ升席を備えた町唯一の興行劇場であった。老朽化のため昭和46年に解体。」さらに『廃寺』によると「医王山常光寺」(十輪寺末)があり、愛宕神社の別当だったみたい。
成田横丁の不動尊。本通りの常盤屋さんが成田山から勧請して明治18年に建造。何と母屋と建てた際の余った材で作ったそうです。
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成田横丁の不動尊。本通りの常盤屋さんが成田山から勧請して明治18年に建造。何と母屋と建てた際の余った材で作ったそうです。
彫刻も立派。三匹の龍。
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彫刻も立派。三匹の龍。
これから辿る尾根筋と軍荼利山(最左の峰)
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これから辿る尾根筋と軍荼利山(最左の峰)
こちらが登山口
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こちらが登山口
「瀧上不動尊入口」の石標があります。「昭和七年七月 五十嵐政蔵建之」
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「瀧上不動尊入口」の石標があります。「昭和七年七月 五十嵐政蔵建之」
このあたりの道は明瞭です。
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このあたりの道は明瞭です。
ケスタ地形を横目に登ります。
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ケスタ地形を横目に登ります。
この崖の上に、
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この崖の上に、
何らかのお宮と石仏の台座と台石、その隣には
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何らかのお宮と石仏の台座と台石、その隣には
何時ぞやモンブランさんと見つけた「九頭龍大権現」の石鉾。ちゃんと立っていますね。
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何時ぞやモンブランさんと見つけた「九頭龍大権現」の石鉾。ちゃんと立っていますね。
小鹿野の街並みとそれを取り囲む山々が見えます。ちょっと隠れていますが、毘沙門山、観音山から父不見山方面。
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小鹿野の街並みとそれを取り囲む山々が見えます。ちょっと隠れていますが、毘沙門山、観音山から父不見山方面。
吉田丘陵南端部、中央が最高峰(笑)の下小鹿野山。
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吉田丘陵南端部、中央が最高峰(笑)の下小鹿野山。
瀧上不動尊のお堂。すでに降ろされていますが
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瀧上不動尊のお堂。すでに降ろされていますが
奉納額や絵馬がいくつか残されています。これは参道入り口の石標を建てた方の奉納ですね。
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奉納額や絵馬がいくつか残されています。これは参道入り口の石標を建てた方の奉納ですね。
木々の向こうに両神山と毘沙門山。
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木々の向こうに両神山と毘沙門山。
こんな感じの尾根になっています。
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こんな感じの尾根になっています。
破風山(右)から大前山、天狗山、小峰山の反射板が見えます。
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破風山(右)から大前山、天狗山、小峰山の反射板が見えます。
山頂直下の急登を頑張れば、すぐに軍荼利山(育玉山)とうちゃこです。
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山頂直下の急登を頑張れば、すぐに軍荼利山(育玉山)とうちゃこです。
「吉井」465.24 m四等三角点
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「吉井」465.24 m四等三角点
軍荼利明王の
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軍荼利明王の
石祠の正面上部に「軍荼利明王」
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石祠の正面上部に「軍荼利明王」
側面に「元文三戊午天二月(1738)」
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側面に「元文三戊午天二月(1738)」
「吉田和泉守政重五代 小鹿野住 吉田藤太夫致辰」*吉田政重は北条氏邦家臣。藤太夫は小鹿野村名主。大岡越前に牡丹を納めるもしくじってしまう(御用牡丹事件)逸話あり。
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「吉田和泉守政重五代 小鹿野住 吉田藤太夫致辰」*吉田政重は北条氏邦家臣。藤太夫は小鹿野村名主。大岡越前に牡丹を納めるもしくじってしまう(御用牡丹事件)逸話あり。
「<ウン>(軍)荼利明王」
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「<ウン>(軍)荼利明王」
「享保四(1719)」かなぁ?
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「享保四(1719)」かなぁ?
両神山
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両神山
城峯山
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城峯山
下山します。地籍調査のピンテがあります。
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下山します。地籍調査のピンテがあります。
踏み跡があります。
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踏み跡があります。
竹林に石祠
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竹林に石祠
こちらにでました。
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こちらにでました。
これが小判沢集落のまさに小判沢。車道を下ります・
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これが小判沢集落のまさに小判沢。車道を下ります・
秩父札所32番への分岐
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秩父札所32番への分岐
こんせい宮。サッパリお掃除されていますね。
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こんせい宮。サッパリお掃除されていますね。
擁壁の上に神社。この裏手からも軍荼利山へ登れます。
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擁壁の上に神社。この裏手からも軍荼利山へ登れます。
次の目的地は沢をはさんで対岸のこの段丘の上。細い踏み跡があります。その段丘上が
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次の目的地は沢をはさんで対岸のこの段丘の上。細い踏み跡があります。その段丘上が
黄金平という平場。以前は畑だったみたいですが、今はご覧の笹藪になっています。ここを突破すると、
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黄金平という平場。以前は畑だったみたいですが、今はご覧の笹藪になっています。ここを突破すると、
建物の礎石の様なものが残っていました。かつて小番山父明寺(鳳林寺末)というお寺があったそう。
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建物の礎石の様なものが残っていました。かつて小番山父明寺(鳳林寺末)というお寺があったそう。
山際に並んだ無縫塔(住職墓)は揃って倒れていました。
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山際に並んだ無縫塔(住職墓)は揃って倒れていました。
赤平川のすぐ上にこんな広い平場があったとは驚きです。赤鳥居が見えたので行ってみました。
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赤平川のすぐ上にこんな広い平場があったとは驚きです。赤鳥居が見えたので行ってみました。
こんな所に神社があるのも知りませんでした。ワクワクしてきます。
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こんな所に神社があるのも知りませんでした。ワクワクしてきます。
参道はザレた箇所もありました。
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参道はザレた箇所もありました。
怪しげな木橋に倒木、下手なアトラクションよりスリルがあります。ここを越えれば安全そうな道が見えます。
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怪しげな木橋に倒木、下手なアトラクションよりスリルがあります。ここを越えれば安全そうな道が見えます。
吉田丘陵最南端部の信濃石御嶽山。その麓に鳳林寺があります。
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吉田丘陵最南端部の信濃石御嶽山。その麓に鳳林寺があります。
思ったよりも立派な石燈籠(昭和三年三月吉日)がありました。
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思ったよりも立派な石燈籠(昭和三年三月吉日)がありました。
直登の参道の先に、
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直登の参道の先に、
これまた思いもよらない立派な覆屋、額には「琴平太神」とありました。
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これまた思いもよらない立派な覆屋、額には「琴平太神」とありました。
内部には二つのお宮。左が琴平宮でしょう。
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内部には二つのお宮。左が琴平宮でしょう。
かつてはこの石積の上に祀られていたのでしょうか。
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かつてはこの石積の上に祀られていたのでしょうか。
軍荼利山が良く見えました。
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軍荼利山が良く見えました。
ザレた参道を帰るのも嫌なので、尾根筋を辿ってみました。
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ザレた参道を帰るのも嫌なので、尾根筋を辿ってみました。
ハードルのような巨石が横たわっています。普段しない開脚を強いられました(笑)。
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ハードルのような巨石が横たわっています。普段しない開脚を強いられました(笑)。
こちらの尾根を下ってみました。
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こちらの尾根を下ってみました。
お墓のある段丘上の平場に降りましたが、その先の下降点が見つかりませんでした。
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お墓のある段丘上の平場に降りましたが、その先の下降点が見つかりませんでした。
仕方ないので山裾を先ほどの父明寺跡の方向に戻りました。自然の堀切
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仕方ないので山裾を先ほどの父明寺跡の方向に戻りました。自然の堀切
寺跡に戻って、同じルートで下山しました。
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寺跡に戻って、同じルートで下山しました。
この上を歩いて来ましたが、これは一般人では降りられません。
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この上を歩いて来ましたが、これは一般人では降りられません。
目前にケスタ地形
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目前にケスタ地形
金園橋で赤平川を渡ります。右岸の本家ケスタ地形。
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金園橋で赤平川を渡ります。右岸の本家ケスタ地形。
巨香郷之碑と小鹿野小学校。その向こうに一本杉峠と秋葉山が見えます。
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巨香郷之碑と小鹿野小学校。その向こうに一本杉峠と秋葉山が見えます。
いつもの馬頭観世音。「下小鹿野村/上小鹿野村」銘があります。
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いつもの馬頭観世音。「下小鹿野村/上小鹿野村」銘があります。
駐車地に戻って赤チャートの上方に武甲山。
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駐車地に戻って赤チャートの上方に武甲山。
そして小鹿野中学校と両神山。ここで前半戦終了。
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そして小鹿野中学校と両神山。ここで前半戦終了。
お昼は小鹿野BP沿いにある『槻川』さん。奮発して特上握り(2500円)にしました。この後、地元の図書館で調べものをしてから、同じ駐車地から後半戦スタートしました。
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お昼は小鹿野BP沿いにある『槻川』さん。奮発して特上握り(2500円)にしました。この後、地元の図書館で調べものをしてから、同じ駐車地から後半戦スタートしました。
十輪寺。「秩父観音札所第十五番本尊安置所」。明治維新の神仏分離で廃寺になった旧15番の本尊が安置されているそうです。
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十輪寺。「秩父観音札所第十五番本尊安置所」。明治維新の神仏分離で廃寺になった旧15番の本尊が安置されているそうです。
金剛力士立像
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金剛力士立像
いわゆる仁王様。
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いわゆる仁王様。
そして、左から鬼子母神像、青面金剛像、そして
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そして、左から鬼子母神像、青面金剛像、そして
石造では日本唯一と言われる迦楼羅天像。笛を吹いています。
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石造では日本唯一と言われる迦楼羅天像。笛を吹いています。
名主さんだった吉田家の墓地にある墓碑。藤太夫の子孫は明治期に国の政策の一環で青森県に移ったみたいです。
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名主さんだった吉田家の墓地にある墓碑。藤太夫の子孫は明治期に国の政策の一環で青森県に移ったみたいです。
天井画
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天井画
昨年の干支のウサちゃん。
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昨年の干支のウサちゃん。
今年の辰さん。
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今年の辰さん。
琵琶弾きの弁天様
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琵琶弾きの弁天様
旦那の毘沙門天
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旦那の毘沙門天
田畑稲荷神社。江戸期(文化、慶應)の石燈籠があります。
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田畑稲荷神社。江戸期(文化、慶應)の石燈籠があります。
お隣にランチした『槻川』さん。看板下のピークが下小鹿野山。
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お隣にランチした『槻川』さん。看板下のピークが下小鹿野山。
真正面に、これから向かう大小屋山(中央)、右に一本杉峠と秋葉山。時計周りに振り返ると、
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真正面に、これから向かう大小屋山(中央)、右に一本杉峠と秋葉山。時計周りに振り返ると、
武甲山、
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武甲山、
伊豆沢尾根、秩父御嶽方面のさらに向こうに和名倉山。
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伊豆沢尾根、秩父御嶽方面のさらに向こうに和名倉山。
そして両神山の眺望です。
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そして両神山の眺望です。
四季の道の道標も随分朽ちてきましたね。
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四季の道の道標も随分朽ちてきましたね。
大小屋山頂風景。陀羅尼経書写塔があります。
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大小屋山頂風景。陀羅尼経書写塔があります。
「大小屋」386.28 m四等三角点。
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「大小屋」386.28 m四等三角点。
山名板もかろうじて残っていました(笑)
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山名板もかろうじて残っていました(笑)
一本杉峠の馬頭尊
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一本杉峠の馬頭尊
馬頭尊
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馬頭尊
一本杉の根っこ。龍みたいです!
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一本杉の根っこ。龍みたいです!
これが一本杉
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これが一本杉
石塔越しに大平山〜酉谷山〜熊倉山。
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石塔越しに大平山〜酉谷山〜熊倉山。
軍荼利山と雲取方面。
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軍荼利山と雲取方面。
秋葉山とうちゃこ。
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秋葉山とうちゃこ。
夕景のチェアを独り占めする、
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夕景のチェアを独り占めする、
ドーハン君。
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ドーハン君。
伊豆沢馬蹄形尾根の上に和名倉山。雁坂方面に夕陽が落ちました。
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伊豆沢馬蹄形尾根の上に和名倉山。雁坂方面に夕陽が落ちました。
小鹿野市街と軍荼利山を中心にした丘陵部。遠景は武甲山から両神山まで一望です。
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小鹿野市街と軍荼利山を中心にした丘陵部。遠景は武甲山から両神山まで一望です。
両神山
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両神山
大平山
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大平山
小鹿野小学校からの横瀬二子山と武甲山、小持山。
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小鹿野小学校からの横瀬二子山と武甲山、小持山。
イケメン金ちゃん。
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イケメン金ちゃん。
小鹿野町役場にてゴール。ウッディな庁舎に明りが灯って、いい感じです。
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小鹿野町役場にてゴール。ウッディな庁舎に明りが灯って、いい感じです。
今頃に激遅コメで、申し訳ありません。
このレコも札所巡りのときに歩いたところか度々出てきて、色々思い出しながら拝見しました。
小鹿野不動尊の龍の彫刻は繊細かつ迫力ありますね。波間から溢れ出る亀さん達もいい感じで、今年の年賀状にしたかったなぁと思いました。
懐かしい32番への分岐、こんせい様に、擁壁の上の神社。この神社にも時間が押してて寄れませんでしたが、こちらからも別なお山に登れるのですね。
琴平太神の神社のくだりは、鳥居発見からワクワクドキドキ読ませていただきました。意外にも立派な覆屋にたどり着き、びっくりです。
また、斜めで段々になっていたのは、ケスタ地形というのも勉強になりました。
十輪寺の迦楼羅天、以前より白いとこが増えたような、、。こちらも拝見しに行かねばです。しかし、クチバシで笛を吹くっていうのは技が入りそうですね。
スタート地点の町役場には、ラストで明かりが灯って、ほんと、いい一日になりましたね。
「小鹿野路地歩き隊」というのがあるのですね。それも、楽しそうです。
歩き慣れた所と思っていても、新らしい発見ができるのがお散歩の醍醐味ですね。
さすがにこの土日はおとなしくして未完のレコ書きや皆様のレコを拝見して過ごそうと思います(笑)。
迦楼羅天に会いに行くときは、ご近所を案内いたしますので、お声かけくださいませ。それでは。 godohan
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