危機一髪、高妻山
- GPS
- --:--
- 距離
- 11.7km
- 登り
- 1,333m
- 下り
- 1,320m
コースタイム
天候 | 曇り・霧・雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
・沢を何度も渡渉。 ・沢を上り詰めた滝に鎖場。その上部に岩肌のトラバース個所に鎖。 ・一不動から山頂までは大小のアップダウンが連続する。 ・山頂への最後の登りは急、かつ長い。 |
写真
感想
6時10分、戸隠牧場を出発しました。空は高曇り、雨の心配はなさそうですが、晴れも期待できそうにありません。緑の濃い林の中の道をしばらく行くと、大洞沢に掛かる木橋を左岸に渡ります。ここからは、流れの中を何度も渡渉しながら次第に沢を詰めて行きます。
途中で単独行の女性が後ろからかなりのスピードで追いついてきました。そして、道を譲る間もなく、風のような速さで、あっという間に後ろ姿が見えなくなりました。追い越す時、ほとんど呼吸の乱れがなかったことにも、驚きました。乙妻山まで行くのだろうと推測しました。実は、こちらも秘かに乙妻山まで足を延ばしてみたいと思っていました。ただ、11時までに高妻山に到達しなければあきらめるつもりにしていました。それにしても、今日は歩き始めから足が重く、足元が定まらない感じがします。
谷の傾斜が次第にきつくなる頃、目の前に滝のように水が流れ落ちるスラブがあらわれ、その脇に鎖が下がっていました。脇を水が流れているので、すべりやすく、緊張を要します。そこを攀じ登ると、また鎖があらわれ、今度は岩肌を横切るトラバースになります。足場がしっかり切ってあるので、鎖を使うことはほとんどなくて済みました。
それにしても、ブヨでしょうか、虫が多いことには参りました。手で顔の前を払いながら進まないと、下手をすると、口や耳の中に飛び込んでくるのです。この季節、ブヨはつきものですが、ここまで大量にがむらがってくるのは、あまり経験がありません。
傾斜がいよいよ急になってきて、尾根も近い雰囲気になって来た時、前方に団体さんが休んでいました。脇を通り抜けようとしたら、
―おいしい水だけど、飲んでいかないの、と声を掛けられました。
話を聞くと、ここから先、水場はないそうです。最後の水場で、水を補給するつもりだったので、声を掛けてもらって、助かりました。氷清水という目立たない表示がありました。水量はさほどではないですが、名前のとおり、冷たくおいしい水でした。
ここをひと登りすると、尾根に出ました。一不動です。小さな避難小屋が立っていて、さっきの団体さんがにぎやかに休憩していました。左に道を取れば、戸隠、右が高妻山です。休まず先を急ぎます。
ここから次のポイントの五地蔵まで灌木の中の尾根道になります。尾根に出たら虫は少なくなると期待していましたが、相変わらず襲ってきます。何度か口の中に入って来たものを、やけくそで食べてみようかとも思いましたが、さすがに思いとどまりました。
一不動からは、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵と、十三仏を祀った石祠を辿りながら峰を行きます。一合目、二合目…よりもこちらの方が、巡礼者になったようで、厳かな気分にさせられます。ただ、四普賢は何故か見逃してしまいました。賢さとほど遠い人間だからでしょう。
五地蔵から七薬師までの下り、そして八観音への登り返しがきつい。しかし、七薬師のあたりでガスが一瞬あがって、高妻山が目の前にガーンという感じで聳え立ちました。かなりの高度感があり、どうも今日は登り始めから調子が良くないので、心が折れそうになります。
右手にまだ谷に雪を抱いた妙高・火打の連山を見ながら、一歩一歩登ります。九勢至からの登りは、長く急峻で、登っても登っても、前方に急坂があらわれます。下って来た人に、つい、
―頂上まであとどれくらいですかね?と尋ねずにはいられませんでした。
―ここを登りきると、あとは緩やかになりますよ。もうすぐですよ、という言葉に励まされ、足を運びます。
その言葉通り、道は緩やかになり、ついに十阿弥陀に到達しました。石の祠の後ろに、かつてここにあった阿弥陀如来像の名残の光背というのでしょうか、建っていました。その先の岩稜を辿って間もなく、山頂に到着しました。10時10分でした。
山頂はガスに覆われ、期待した展望は全く得られない状態でした。数人の登山者が休憩している間を縫って、スペースを確保し、昼食にしました。
食事を終えたのが11時前だったのですが、乙妻山は断念しました。それはガスが掛かって展望が全く望めないことと、体力的に余裕がなかったからです。これから乙妻山を往復するのに2時間、そして、その後、あの長いアップダウンの連続する道を下ることを考えると、あきらめるのが妥当だと考えました。
乙妻山の方向からひとりの男性がやってきて、岩の上で休んでいました。乙妻山まで行って来たが、ガスのため展望は全くなかったそうです。かなり疲労した感じに見えました。それに続いて、朝、登山口近くで追い抜いて行った女性があらわれ、ほとんど休憩もせず、下山していきました。驚異の健脚としかいいようがありません。
そのうち雨がしとしと降りだしたので、下山に掛かりました。十阿弥陀からの急坂は、濡れてすべりやすく、嫌な感じでした。足に疲労が蓄積して、頭もぼんやりして、集中力を欠いていたのだと思います。岩場で足を滑らせ、体が一回転して、右側の崖の淵でかろうじて止まりました。下を見ると、岩肌の切れ落ちた断崖で、もう半回転したら、真っ逆様に転落するところでした。足や手も数か所あざができるくらい激しい転倒でした。
その場では、ショックでそれほど恐怖を感じなかったのですが、家に帰り、夜中に目が覚めて、その時の情景が鮮明に何度も蘇り、動機が激しくなるくらいの恐怖を感じ、しばらく眠ることができませんでした。これまでで、一番危機的な転倒で、命拾いしたといっても大げさではないと感じました。
これを契機に、ともかくペースを落とし、一歩一歩確実に足を運ぶようにしました。相変わらず霧が立ち込め、時折雨脚が強くなりますが、そのせいか、登りの時にあれだけまとわりついて来た虫が姿を消したのだけは、助かりました。
五地蔵まで戻った時にはっとしました。このあたりで、弥勒新道との分岐点があるはずで、帰りはそちらに道を取ろうと思っていたのですが、どうやら見逃してしまったようです。今から考えると、あの転倒のショックが尾を引いて、ひたすら足元だけに集中していたせいかもしれません。
戻るのも面倒なので、登りと同じ一不動経由で行くことにしました。一不動の避難小屋で、2組のパーティーが休んでいました。そのうちの1組は、3人とも背中に長いポールのようなものを背負っていました。よく見ると、それは草刈機でした。刈り払いを終えた地元の人達でした。
―刈り払いですか、大変ですね。お疲れ様です、と声を掛けると、
―いや、今日は雨になっちゃて、ちょっと大変でした。
―弥勒新道を下るつもりが、見逃してしまいました。
―五地蔵山の手前の開けたところに標識があるのですが、目に付きにくいですかね。表示をもう少し目立つようにした方がいいかな。
―弥勒新道というのはどんな感じなのですか。
―最初は急な下りですが、かなり時間を短縮できますね。ここを経由するより30分、へたすると1時間は早く下れます。特に雨の時は、ここの沢が増水するので、あちらを下る方が楽ですね、と親切に教えてくれました。
3人に礼をいい、谷を下り始める。彼らのいう通り、沢の水量が、登るときよりも明らかに増えており、沢を渡るのに余計神経を使います。
一不動から1時間余り、木橋があらわれ、ようやく沢と別れを告げます。森の中の平坦な遊歩道になり、やっと緊張から解放されました。牧場には、朝は姿がなかった牛たちが、のんびり草を食んでいるのが、何か遠い夢の中の世界のように感じました。それだけ重い疲労がのしかかっていたのだろうと思います。
家に帰って、一息つくと、体のあちこちに痛みが出てきました。転倒の時の打撲の痛みに加え、足と腕の筋肉痛も相当なものでした。この疲労感は、フルマラソンを走った後に匹敵する、いや、もしかしたらそれ以上のものかもしれないと感じました。
今のところ、乙妻山は果たせぬ夢と終わりそうです。
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