南ア・北又渡堰堤前広場から易老渡─易老岳─光岳往復
- GPS
- 14:01
- 距離
- 28.7km
- 登り
- 2,798m
- 下り
- 2,782m
コースタイム
- 山行
- 6:35
- 休憩
- 1:21
- 合計
- 7:56
- 山行
- 4:45
- 休憩
- 1:19
- 合計
- 6:04
天候 | (1日目)曇り (2日目)霧のち晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
三角点─易老岳間を除き、難易度「A」のため歩き易い。 |
その他周辺情報 | 今シーズンはもう芝沢ゲートも易老渡もトイレは当てに出来ないので、国道152号沿いで済ませておくほうが無難。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
半袖シャツ
アームウォーマー
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
靴
ザック
ザックカバー
行動食
非常食
飲料
ライター
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
時計
携帯
タオル
スパッツ
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
サングラス
ポール
テント
テントマット
シェラフ
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感想
深田久弥の『日本百名山』には南アルプスから10座が選定されてるけど、そのうち9座までは2回以上の登頂歴がある私。唯一2回以上の登頂歴が無いのが南アルプス最南の百名山である光岳で、1993年7月に本谷口バス停(木沢梨元)から遠山森林鉄道跡の道を通って北又渡の先まで2時間半かけて歩いたところで小学生くらいの男児を2人連れた登山者のクルマに便乗させてもらい便ヶ島まで行って前泊した後、易老渡まで戻ってから登ってる。南アルプスの百名山には2011年の甲斐駒ヶ岳(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1468815.html)以来登っておらず、久しぶりに南アルプスに行くとしたら仙丈か甲斐駒か…と考えてたけど『お久しぶり度』が高い光岳に、今回29年ぶりに行くことにした。
決行予定日の10月22日・23日は『てんきとくらす』の予報がイマイチで、もう1週遅らせようかとも考えたけど、大鹿村の週間天気予報みたら雪マークがあったので、無雪期登山の装備で行けるのはこの週末までと観念。また、富山からのアクセスに使う東海北陸道は夜間通行止めが翌週から始まるので、金曜深夜に東海北陸道を使うとなると、やっぱこの週末しかない。ということで、10月22日の2時に起床し、クルマで『キャラメルハウス』(自宅)を出発し、小杉I.C.から小矢部砺波J.C.T.─美濃関J.C.T─土岐J.C.T.経由で恵那山トンネルをくぐり、飯田山本I.C.から三遠南信道に入る。最近ネット上で開通予定記事をみた記憶があったので、飯田上久堅・喬木富田I.C.から先はすでに開通してるものと思ってたらまだ未開通で、喬木I.C.まで下道を時折道に迷いながら(苦笑)行く。喬木I.C.から矢筈トンネルで遠山郷に入り、程野に出た。ここまでは前年の奥茶臼山(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3584914.html)へのルートと一緒。国道152号を南下し、上島トンネルの手前から南アルプス登山口の標識のある狭い道に入る(下栗の住民の生活道路なので、敢えて「林道」とは呼ばない)。下栗の集落を抜けると道は北又渡に向かって下りになり、北又渡で橋を渡って遠山森林鉄道跡の林道と合流し、芝沢ゲートを目指す。芝沢ゲートには7時前に到着。しかし、すでにクルマでいっぱい…。仕方なくクルマで2分ほど北又渡方面に戻ったところにある堰堤脇の広場に駐車。先客として熊谷ナンバーのクルマが1台止まってた。弁当喰ってから山靴履いて一旦7:06に出発したけど、タオルを忘れたのに気付き、クルマに取りに戻る。ついでに「半袖Tシャツ+長袖Tシャツ」から「(半袖Tシャツ+アームウォーマー)+長袖Tシャツ」に寒さ対策を増強(苦笑)したこともあり、出発は7:15になった。クルマでは2分だけど、歩くと長い。10分歩いてようやく芝沢ゲートに到着。芝沢ゲートでは登山届を記入したり、トイレを済ませたりした。2基あるトイレのうち1基は満杯のため使用禁止で、残りの1基もほぼ満杯。これから芝沢ゲートに向かうつもりのかたは、トイレは無いものと思ったほうがいいかも。
芝沢ゲートを7:30に出発。クルマを置いた広場から易老渡までの区間はまるまる29年前にクルマに乗せてもらって歩いていない区間に該当するので、2002年に聖平から便ヶ島まで歩いてる(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2565483.html)のと併せると、本谷口バス停からの「赤線」がつながった(笑)。あの時クルマに乗ってた「穂高くん」が10歳だと仮定すると、今では当時の私より大人になってるハズ。29年という時の重みを感じながら1時間歩いて光橋を渡ると、自転車がたくさん置かれているのがみえてきた。易老渡だ。長時間の林道歩き(といっても1時間だけど)を嫌って自転車でアクセスした登山者が少なくとも10人は居るらしい。「登山届はプレハブ小屋にあります」とあるので、易老渡の橋の前に荷物をデポして、プレハブ小屋をみに行く。「雨やどり処」との看板を掲げたプレハブ小屋の横には簡易トイレがあるので、ここでも用を足す。紙切れだった(苦笑)。
8:49に易老渡の橋を渡り、入山。29年前もここから入山したけど、便ヶ島で前泊してるので、5時台にここを通過してる。易老岳到着まで4時間かかった記憶がある。今回は入山が9時前…と遅いので、易老岳到着が14時を過ぎるようだったら、潔く撤退(易老渡まで下山)のつもりで挑んだ。易老渡から三角点までの区間は難易度「A」なので、歩き易い。電光型にジグザグに登っていくと、木々の間から聖岳と思しき雄峰がみえる。ずっと雲が多くて展望は期待していなかったのでちょっとした御褒美だ。1時間ほどの上りで、地形図上の・1,328 m標高点付近の平坦地に到着。最初は「もう面平に着いたか?」と思ったけど、そうは問屋が卸さない(苦笑)。一旦切れた気持ちをつなぐのは難しく、「ニセ面平」的なこの場所で休憩。
面平を通過した先に「面平↔︎易老岳(11)」という標識が現れた。すぐに「面平↔︎易老岳(12)」も現れ、しばらくはこの標識が現れるのを励みに登っていく。「面平↔︎易老岳(17)」で休憩してると、関西方面からと思しき4人パーティーのお姉さまがたがお喋りに花を咲かせながら私の横を通過してった。「面平↔︎易老岳(18)」を最後にこの標識はみかけなくなり、標高1,900 mで道周囲の植生がガラリと変わる。標高2,000 mのプレートを通過してさらに登り、ソロの女性登山者を追い越す。携帯トイレ用テントが現れたので、ここで休憩。ここで追い抜いた女性登山者が先行してったけど、三角点の手前で休まれてたので、再度私が先行する形になった。聖岳だけでなく上河内岳もみながら上っていくと、三角点に出た。もう易老岳頂上までは近い。三角点と易老岳頂上間の難所を通過し(この区間のみ難易度「B」…苦笑)、右手にこれから向かう光岳をみながら先を進む。「面平↔︎易老岳(18)」以来久々に「面平↔︎易老岳(29)」を確認すると5分の上りで易老岳頂上に出て、主稜線に合流。頂上には登山者が2人居て、うち1人は易老岳頂上を示すプレートが無い!…としきりに気にしてた。また、この登山者は先ほど私が追い抜いた女性登山者の連れだそう。休憩中にその女性も易老岳頂上に無事到着。
易老岳頂上には14時までに到着という目標だったけど、実際には12:43に到着。4泊分の食糧を背負ってた29年前より速いのはあまり自慢にはならないことは解ってたけど、これに気分をよくして三吉平へ向かう。あまり下ると光岳への登り返しが多くなるので心配だったけど、下っても標高2,200 mあたりをキープしながら樹林帯を往く。途中、二重山稜になってる草原は中央アルプスの展望が得られる気持ちがイイ場所。三吉平で休憩後、沢状の石ゴロ地帯を登ってく。携帯トイレ用テントの横を通ってなおも登る。登山者を3人追い抜いたところで水場のある静高平に14:36に到着。この水場が生きてる時には光小屋では水を分けてくれないとのことなので、空いたペットボトルに汲める限りの水を満たす。その間に抜いたばかりの登山者3人が静高平に到着。みんな水汲みに取り組んだ。
静高平からは光小屋まであと20分。そのまま上っていくと、センジヶ原の木道と光小屋がパッと見渡せる箇所に出た。着いた~!…と、心のなかで快哉を叫ぶ。イザルヶ岳分岐を過ぎ、なおも木道を往くと、29年前とは全く別の建屋になった光小屋に15:02に到着。小屋ではテント泊の手続きをして\1,500支払ったけど、小屋閉めが近くアサヒスーパードライ350 ml缶が2本で\1,000の破格値で売られてたので、購入。特価なので、空き缶は自分で持って帰ってくださいとのこと。小屋横からはイザルヶ岳の横に富士山はみえるわ、聖や上河内岳をはじめ南アルプスの山がよくみえるわ…天気予報からあまり期待してなかっただけに、喜びもひとしお。私がここに前に来た1993年は米が不作になって米泥棒が出没する騒ぎになるほど記録的な冷夏の年だったため、景色を楽しむどころでは無かった。こんなに展望がイイ場所だってこと、今回初めて知った!
小屋横の上のテント場は諦め、下のテント場で設営。さっさと夕食を喰って寝ようと思い、米を炊こうとしたら、米が無い! 忘れた…(汗)。非常食のモンベルのリゾッタシリーズが2食分あったので、夕飯と朝食に充てることにした。6時前には床に就いたけど、350 ml缶ビール2本飲んだ後遺症で頻繁にトイレに起きることになった(苦笑)。「(半袖Tシャツ+アームウォーマー)+長袖Tシャツ」のうえにさらにウール入りのシャツとダウンジャケットまで着て、4枚重ねなのに、寒い! まだ7時台なのに真っ暗で、小屋横からは静岡県の市街地の夜景がみえた。翌日の好天は約束されたも同然だと思ってた。翌朝の4時にトイレ行った時もオリオン座が綺麗にみえてたので、晴れを疑う余地は無かった。しかし、5時半にテントから出たら、周囲は真っ白だった…。晴れてた前日のうちに光岳を往復しておけばよかった…と思われるかもしれないけど、こっちは17時ギリギリに光小屋に到着する計画だったので最初からそのアタマが無かった(苦笑)。とりあえず完全空身で光岳頂上を目指す。テン場は上も下もテントでいっぱいで小屋にもそれなりの宿泊者が居るハズなのに、みんな晴れてる前日のうちに往復を済ませたんだろう、5:50に到着した光岳頂上には誰も居なかった。ガスで真っ白でみに行くだけ無駄と思ったけど、念のため展望台に行ったら、南側だけはこれからガスがかかる最中らしく展望が開けてた。
小屋に戻る途中でようやく登山者1人とすれ違い、テントを撤収。風が強くてテントを畳むのに難渋しながらパッキングを終え、歩き出せば暑くなることを見越してダウンジャケットを脱ぎ、6:36にテン場を出発。この真っ白ななか、イザルヶ岳は行くだけ無駄と考え、登頂はパス。静高平も米を炊かなかったぶん水が余ってるので、スルー(苦笑)。三吉平で休憩。続々と登山者が上ってきてすれ違う。霧はどんどん濃くなり、木の枝や葉に付いた水滴が雨粒のようにポタポタと落ち始めるなか、易老岳へ上り返す。意外にアッサリと8:09に易老岳に到着。易老岳頂上の標識は「下のほうにある」という話を思い出し、茶臼岳方面に進んでみると、確かに易老岳頂上の標識があった。
今にも霧雨になりそうな雰囲気なので、他の登山者は半袖Tシャツ姿から上にシャツやら雨具やら着込んでたけど、易老岳頂上から易老渡に向けて出発し、ガスが出てる区間を脱出すると雨の心配は全く無くなった。難易度「A」の道は特に下りが歩き易く、面白いように標高を落としてく。上りの時と同じく、「面平↔︎易老岳(17)」で休憩。ウールのシャツは暑いので、ここで脱いだ。10人くらいの大所帯の中高年ツアー登山とすれ違い、なおも面白いように下ってく。下りは2時間半から3時間を想定してたけど、易老岳頂上を出発してジャスト2時間の10:19に易老渡に到着。下界は晴れてて気温が上がってて、暑い! 長袖のTシャツとアームウォーマーも脱いで、半袖Tシャツ姿になった。『雨やどり処』のトイレを使おうとしたら、鍵がかかってた。これで、トイレは芝沢ゲートまで我慢することになった(苦笑)。林道歩きでも下りは早く、1時間足らずで芝沢ゲートに戻る。使えるほうのトイレに入ったけど…。もうダメだな…(苦笑)。芝沢ゲートを出て、9分でクルマを駐車した広場に戻ったけど、出発した時には私のクルマともう1台しか無かったのに、10台くらいクルマが居てビックリ!
帰りは往きほど急がないので、矢筈トンネルを抜けてから中央道座光寺スマートI.C.に出て、岡谷J.C.T.から長野道に入り、塩尻北I .C.で下りて安房トンネル経由で帰宅。中央道走行中の車窓から南アルプス全山がスッキリみえてたから、下山した後にガスは晴れたらしい(苦笑)。新島々駅前では、上高地の紅葉狩り帰りと思しき観光客たちによる行列もみた(苦笑)。
易老渡から易老岳までの標高差1,400 mという数字にビビらされそうになるけど、殆どが難易度「A」のルートだけあって、歩き易い。『ヤマレコ』には芝沢ゲートから日帰りされたかたの記録も多数載ってるけど、ここなら私でも日帰り出来そう。たぶん、やらないけど…(苦笑)。
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