65.高妻山「登るなら今しかねぇ!」
- GPS
- 09:26
- 距離
- 11.6km
- 登り
- 1,405m
- 下り
- 1,425m
コースタイム
天候 | 晴れなれど山頂一帯は濃霧に包まれる |
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過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
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コース状況/ 危険箇所等 |
難所は何といっても、一不動手前の滑滝と帯岩の鎖場。足跡が窪んでいるとはいえ、水で滑りやすく慎重に通過した。 五地蔵山から山頂まで小刻みにアップダウンが続く。九勢至を過ぎた狭くて急勾配の登り坂が続き、ここが一番の頑張りどころ。 帰りは五地蔵山から弥勒新道を下るが、木の根と滑りやすい土質で意外と苦戦を強いられた。しかし、下山道として利用する登山者は多かった。 |
その他周辺情報 | 戸隠キャンプ場の設営料は1500円(クルマ不利用・テント持込)設備は水場が随所にあり、ゴミは分別して捨てれば引き取って貰える。ただしファミリーキャンプ対象のキャンプ場なので、山小屋と併設されたテント場をイメージすると面食らうのかも知れない。山ヤにとっての就寝時間が19〜20時以降でも、まだバーベキューや花火を楽しんでいる利用者もいるので、その点は覚悟した方がいいかもと思う。 |
写真
装備
備考 | 反省点は下り坂で膝を痛めてしまい、膝を鍛えることは勿論だが、膝サポーターや靴底の張替の必要性を強く痛感した。そのため、予定していた時間より遅れてしまい、バス停前の売店でバッチを買おうとしたが売切れで戸隠山のものしかなかった。持っていったものの使わなかったり役に立たなかったアイテムも結構あったので見直す必要もあるし、パッキングも我流なのでシーズンオフにこれも見直したいと思った。スマホを充電する充電器も改めて検討したいと思う。 今のままでは幌尻岳や平ヶ岳などは無理だと思う。もっと鍛えなくては。 |
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感想
第65座 「登るなら今しかねぇ!」
8月は異常気象が続いて愛知県では一ヶ月の半分が雨だった。ヤマレコの日記でも日本アルプスの山々に登る計画を立てながらも、連日の雨で断念せざるを得ないという日記を読みながら、9月は天気は安定するのだろうか? 台風が来ないだろうか? そんなことを思いながら次の登山の計画を立てていた。
今回登る山は信濃の名山、高妻山。前回の会津駒ヶ岳でいい感じで登れたし大丈夫だろうと踏んで計画を立てた。それに今は就職したとはいえ、身分はパート従業員。そんなに遠くへは登れない。9月の三連休は天気が安定しているらしく、この時に登山にいくことに決定。その中で、天気が良さそうな13日に戸隠キャンプ場で一泊、翌14日にアタックと決めた。
9月13日早朝、僕の乗ったワイドビューしなのは乗客が多く、指定席エリアでも立っている乗客もいた。長野駅からバスで戸隠キャンプ場に向かうのだが、途中、戸隠神社にも停車するので観光客も多かった。路線バスの座席はほぼ埋まった状態で発車。その大半は戸隠神社で降車し、キャンプ場に着いた時は僕を含めて数人程度だった。
バス停前の売店兼受付で受付を済ませて、キャンプ場へ向かうとたくさんのファミリー用テントが張られていた。受付のスタッフ曰く、アウトドア用品主催のイベントがあるのだという。それだけではなく、天気のいい今こそキャンプをしたり、バーベキューをするべしとばかりに多くの家族連れがファミリーテントやバーベキュー、少し離れた牧場で馬や牛やヤギなどの動物に餌をあげたり触れ合ったりしていた。
僕もわずかな空間を見付けテントを張った。この時点で14時であった。キャンプ場内の売店でビールを買って、取りあえず乾杯。日が沈む18時頃までには夕食を済ませようと思って、しばらくしてから夕食作りに入った。今日のメニューは永○園の煮込みラーメンの素を使ったラーメン鍋にした。肉はスライスしたチャーシューやワンタン、野菜は切ったものを袋に入れたものを保冷剤と共に保冷バックに入れて持って来た。味はなかなかなものだったが、麺よりも先にワンタンを入れたので、食べる時に形がなくなっていたのは失敗かなと思った。
18時に日没し、テントの中で持って来た日本酒をちびりちびりと呑みながら過ごした。外では子供の笑い声が聞こえた。まるで夜はこれからという感じである。明日の高妻山は間違いなく長丁場になるので、夜明けと同時に登山を開始しようと20時頃に就寝した。
14日、3時に起床。キャンプ場内はシーンと静まり返っていた。僕は早速朝食作りに入った。メインは昨日のラーメン鍋の残ったスープにフリーズドライの五目ご飯を投入して雑炊にして食べ、コンソメスープ、エネルギージェル、コーヒーを飲んで、身支度を整え、明かりがある売店前で登山靴の靴紐を締め直し、ゲイターを装着して、準備体操をして5時に出発した。
早朝の牧場は馬も牛もおらず静かに朝を迎えようとしていた。僕は牧柵を潜って登山道へと入った。最初は草原を歩いていたのだが、やがて森の中へと入っていった。大洞沢が流れており、僕はその沢を遡るように登っていった。そしていよいよ、最初の難関ともいうべき滑滝の鎖場に着いた。滝の隣を鎖を使って登るのだが、僕は最初の一本をここで立て、ストックをザックの両サイドのポケットに入れて鎖場に挑んだ。
岩に刻まれた足跡の窪みに足を乗せ、両手には鎖を掴んで一歩一歩登っていく。最初の時にザックにくくり付けたストックの引っかかって難儀した。
「よぉ〜し、落ち着け、落ち着け」
「慌てんな、いいぞ、いけるぞ」
何とか、滝の上部に着いて第一難所突破だ。もう一箇所鎖場があるようだが、どんな難所が待ち構えているのだろうと登っていった。程なくして、滝が流れているのが見えた。不動滝だ。そして大きな岩に鎖がかけられていた。帯岩だ。ここは先の滑滝よりも長い鎖場であった。下から上へ登るのは問題ないのだが、横へトラバースする鎖場が厄介であった。その岩は水で湿っており、滑落する危険性はあった。ここでも
「よぉ〜し、落ち着け、落ち着け」
「慌てんな、いいぞ、いけるぞ」
と自らを励まし、この鎖場も通過した。
ちょっと登った「氷清水」という水場で喉を潤し、冷んやりとした空気を感じながら、7時5分に一不動避難小屋に着いた。ここでは多くの登山者が休んでいた。ここからは、一不動に始まる祠を訪ねる山旅とあって、ここからだ、これからだと思った。ここから五地蔵山までアップダウンが多々あるのだが、この一帯は太古の昔は海底だったらしく、平坦になると化石が落ちているとNHK BSプレミアムで放送された「にっぽん百名山」の中で見知っていて探したのだが、見当たらなかった。
二釈迦は見逃したが、三文殊は発見し、気が付けば五地蔵まで着いていた。8時10分には五地蔵山に到着。この時初めて高妻山を見た。考えていた以上に立派な山だと思った。この辺もアップダウンを繰り返し、高妻山主稜へ近付いていった。七薬師、八観音と祠を通過し、九勢至に着いた。勢至というのは後日調べたら知恵を司る菩薩の名前らしい。ここまでくれば、高妻山主稜も目の前だ。
そして、高妻山主稜に取り付いた。この時点で再びストックをしまって全身を駆使して登っていった。僕はこの「胸突き八丁」な登り坂に苦戦した。「胸突き」どころじゃない、
まさに「胸が破れそう」だ。この登り坂を登り切り、十阿弥陀の銅鏡を見ることが出来た。ここから山頂まで目と鼻の先だ。
10時10分、高妻山山頂に到着。展望は残念ながら霧がかかっていて真っ白だった。晴天であることを期待して登ったのに残念なことである。でも、ここまで登れただけでも良かったと思う。10時45分に下山を開始した。
意外なことに、登って来る登山者が多くて、道を譲って譲られながら下山する。12時に五地蔵分岐まで来た。ここからは弥勒尾根の新道を使って下山した。この登山道も、滑りやすい土質や木の根が露出しており、僕は数回転倒した。そろそろ登山靴の靴底の換え時かななんて思ったりもした。それ以前にここのところ走るのをサボっているという方が近いのかも知れない。
14時45分にキャンプ場に戻った。時間にして9時間40分の登山であった。登山中になかなかうまく降れずに自己嫌悪に陥ったが、それよりも無事にここまでたどり着けたのは良かった。それから、水で塗らしたタオルで身体を拭いた上で着替えて、テントを撤収してバス停で待っているバスに急いで乗り込んだ。
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