5.蓼科山 「将軍平に星は輝き・・・・」
- GPS
- 56:00
- 距離
- 15.3km
- 登り
- 1,460m
- 下り
- 1,170m
コースタイム
二日目(8月14日)蓼科山荘−蓼科山荘−大河原峠−双子池−北横岳山頂−坪庭−縞枯山荘(小屋泊)
三日目(8月15日)縞枯山荘−縞枯山−茶臼山−麦草ヒュッテ
天候 | 8月13日:雨 8月14日:晴れ 8月15日:晴れ |
---|---|
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○今回、初めての単独行縦走となりましたが、この時期、多くの登山者が日本アルプスに向いていたせいなのか? 蓼科山荘では客が少なく、ストレスが少なく過ごすことが出来ました。 |
写真
感想
第5座 将軍平に星は輝き・・・・
8月13日、僕は蓼科高原に向かうべくバスに乗っていた。北八ヶ岳の一峰で日本百名山のひとつにも数えられている蓼科山に登るためである。
バス終点の蓼科高原に着いたときは、雨は霧状に降り注いでいた。
僕は山小屋に到着する時間が遅くなるのを防ぐ保険としてゴンドラに乗り、登山口となる御泉水自然園へ向かい、そこから登山を始めた。
登り始めたのが12時からで.ちょっと遅いかな? と思いながらも歩を進めた。
七合目を過ぎたあたりから急勾配の坂が僕を襲う。オマケに雨が相変わらず降っており.休憩場所も木陰などに限定される。
それでも僕は将軍平にあるはずの蓼科山荘を向こうに睨みながら少しづつだけれど登っていった。
そして、蓼科山荘に到着。
ここで空荷にして蓼科山頂へと向かった。ここから山頂までの登山道はさらに急勾配で四つん這いにならないと登れないほどハードであった。
蓼科山頂に到着すると、サッカーグラウンドが一面取れるのではないかと思えるほどの広さと、平坦さに驚いた。その上樹木などなく、あたり一面が無表情なガレ場である。今日の場合、雨に加え、台風なみの強嵐である。三角点も一本の細い標識がなければ見失うところだった。
無事に登頂し、三角点を見つけたところで恒例の「三角点踏み」を行った。この「三角点踏み」は一緒に登った友人がやっているのを真似たのがきっかけで、僕にとっての山頂征服の儀式となってしまった。
これで僕の日本百名山踏破は、伊吹山・槍ヶ岳・富士山・木曽御岳に続き5座目となった。百名山完全踏破まで95座・・・・ 先はまだ遠い。
その後、蓼科ヒュッテでコーヒーを飲んだ後、蓼科山荘に戻りここで宿泊した。ここでは中年の登山グループの方々の仲間に加えて頂き、ワインも御馳走になった。
始めて1人で山小屋に泊まる故の緊張からか? それとも久々に高所に上がったためか? その酔いは早く回り、引き続いてビールを飲もうという気は起こらなかった。
8月14日、3時起床。
前日夜まで降っていた雨は止み、夜空には満天の星が輝いていた。
冬の星座の代表格であるオリオン座やおうし座、すばるなどが見れるのは、山に登り、早起きした者に与えられる特権である。
しかし、それだけではない。折しもベルセウス座流星群の時期だっただけに流れ星も数個ながら流れていた。
「あ!また流れた!」
小屋前の丸太のベンチに寝そべりながら流れ星を数えている問に夜が自みかけていた。
御来光を予感した僕は再び蓼科山頂へ。他の数人の登山者は全て山頂ヒュッテで御来光見ていたため、三角点がある山頂付近は僕が独占という形となった。
朝日が昇ろうとする時、北から霧が麓を覆い隠し始めた。
霧が山頂を覆うのが先か? 朝日が昇るのが先か? ハラハラしながら朝日が昇るのを待った。
空がオレンジ色に染まり、朝日がゆっくりと暖かな光を発しながら昇ってきた。
満天の星空も御来光も97年の北アルプスの一峰である南岳以来だから、妙に感動してしまった。
その後、山荘に戻り、7時出発。大河原峠へと向かう。
ストックが1本壊れ、ここからダブルストックからシングルストックとなる。登山道に前日の雨が流れ、川のように下へ流れていた。だから登山道を下っているというより、渓流を下っているといった方が正しいのかも知れない。
途中で家族連れを中心に登山者にすれ違う。前日はあまり登山者に出会わなかったので、人に会うのが懐かしい感じがして.挨拶にも力が入った。
大河原ヒュッテは下界と天界の入り口といった感じで、道路も通っているし、駐車スペースに車を止めて、山頂へと目指す登山者に出会った。
下界の誘惑に引きこまれるのはまだ早いとばかりに、再び僕は天界へつらなる道を歩き始めた。緩やかな登り坂を登り、双子山を踏破した。そこからしばらく歩いて振りかえると、蓼科山の山頂を覆う霧が晴れて姿を現した。円錐形の山容はかっての活火山の面影を残し、さすがに別名「諏訪富士」といわれることだけはある。
「ああ、あの山に俺は登ったんだな」
と感動を新たにした僕であった。
大河原ヒュッテから双子池までルートがしっかりしていて、難なく双子池に到達。雄池、雌池2つからなるこの池は波音1つ立てない神秘的な匂いを漂わせ、暫し見とれた僕であった。
ここからが単独登山の成功へのターニングポイントとなる。双子池から亀甲池までの登山道は倒木あり、土砂崩れありのハードな登山道と化していた。
所々に木や枝に巻き付けている赤いテープを見失ったら遭難しかねない状態だった。赤いテープを頼りに歩を進めた。
双子池で追いぬいた中年の3人の観光客が亀甲池に向かっていた様子で、それを証拠に彼らの喋り声が僕の耳に届いていた。
ああ、この人たちも亀甲池に向かうんだなと思い、
「この先の道はハードです。気を付けて下さ−い!」
と注意を呼びかけた。
やっとの事で亀甲池に到着。先ほどの観光客も無事に到着された様子である。
亀甲池は大小の岩が亀の甲羅のように池の中に点在している事が、その名の由来らしい。僕は、これからハードになるであろう、北横岳への登山道に備え、亀甲池を眺めながら長めの休憩をとった。
思った通り亀甲池から北横岳までの登山道はハードであった。
コースがハッキリとしていない上に登り坂がハードだ。
僕は小刻みに休憩を取りつつ、目印の赤いテープをたどりながら北横岳へと目指した。
山林を抜け、稜線に出て間もなく歩いた所が北横岳の山頂だ。
山頂は土俵よりやや広めかなという広さで、こちらの方が人が多かった。その登山客の他に、一般の観光客の姿もあった。ここからの登山道は今まで通ってきたハードな登山道とは打って変わって、比較的解り易いコースだ。
北横岳ヒュッテから中腹まで下ると、麓には沢山の観光客が! こんなに人を見たのは久しぶりだったりので何があるのか興味が沸いてきた。その向こうには今日の宿舎である縞枯山荘の青い三角の屋根が見える。その麓に来てみて解ったのだが、ここは坪庭という名勝地で、ロープウェイも引かれている関係上、一般の観光客も楽に来られる様になっているという訳である。
ところで坪庭は8千年前に北横岳が噴火し、その時に出来た溶岩の上にハイマツなどの高山植物が生えていて、正に自然が織り成す庭園となっていた。
その向こうには明日登る事になる縞枯山が見える。葉が茂っていて青々としている部分と木が枯れていて白くなっている部分がほぼ交互にある(これを縞枯現象と言う)珍しいものである。
先ほど、北横岳の山頂を踏んだ時には、昔そこが活火山であった面影などなかった。
でも、坪庭や縞枯山の縞枯現象を眺めているうちに、かってこの一帯が活火山の地域であった事を今に伝えているんだなと思った。
と同時に日本という国は火山大国である事を改めて患い知らされたのであった。
このあたりが気に入ったので勢い余って園内を2周もしてしまった。
その後、今日の宿舎の縞枯山荘に到着した。
カンテラの灯火の下で昨日飲めなかったビールを飲んだ。ハードなコースを乗り切った事を1人祝杯をあげた。
う〜む、山小屋にカンテラ、そしてその下で酒を飲む僕。我ながら絵になる(?)光景だ。と自分1人で酔い知れつつビールを飲んだ。
8月15日、朝から深い霧が立ち込め2日連続での満天の星と御来光は拝めず、そううまくは行かないよな。
出発は7時45分と遅め。霧が立ち込め、まるで夢の中にさまよっている錯覚に陥る感情の中、縞枯山頂へと目指す。
登山道はほぼまっすぐに山頂に向かっており、その代わり急登である。
どうも蓼科連峰の山々はまっすぐに登山道が設けられ、その代わり急登という登山道が多いみたいだ。山頂と呼ぶには狭い縞枯山山頂を踏破し、その後は青々とした樹木と枯れて白くなった樹木を縫い結ぶ針の様に僕は登山道を歩いた。
茶臼山に到着しても霧は晴れず、遠くは見えない。
しかし、編枯山の縞枯現象は何とか見る事が出来た。後は下ってゴールの麦草ヒュッテに行くだけ。
しかし、登山道がぬかるんでいて思ったより、下山するのに手間取る。
それでも、下界の入り口である麦草ヒュッテにゴールを果たし、着替えを済ませ、理想的に11時45分のバスに乗る事が出来た。それで安堵したのか?バスの中では爆睡モードで目が覚めれば茅野駅に着いていた。
こうして全体的に見渡しても理想的な形で単独登山が成功した。
この単独登山は、水はタダではもらいにくい事、当面の課題であった早発早着がちゃんと出来た事、その他色々と勉強になった。
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