アコンカグア (7大陸最高峰3座目・悪天候により途中撤退)
- GPS
- 464:00
- 距離
- 85.5km
- 登り
- 5,130m
- 下り
- 5,114m
コースタイム
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 12:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 12:30
- 山行
- 2:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:00
- 山行
- 5:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:00
- 山行
- 4:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:00
- 山行
- 7:00
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 8:00
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 6:00
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 7:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 4:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:00
- 山行
- 4:00
- 休憩
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- 合計
- 4:00
- 山行
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- 休憩
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- 合計
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- 山行
- 0:00
- 休憩
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- 合計
- 0:00
- 山行
- 2:30
- 休憩
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- 合計
- 2:30
- 山行
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- 休憩
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- 合計
- 0:00
- 山行
- 8:30
- 休憩
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- 合計
- 8:30
- 山行
- 0:00
- 休憩
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- 合計
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- 山行
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- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 5:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
天候 | 晴れ、上部は強風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
飛行機
ブエノスアイレス〜メンドーサ間はアルゼンチン航空 メンドーサ〜登山口まではInka Expedicionesの送迎車 |
コース状況/ 危険箇所等 |
BC(ブラザ・デ・ムーラス)までは特になし BC〜C2までは急登だが、アイゼン、ピッケルの必要なし |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
長袖インナー
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
雨具
ゲイター
ネックウォーマー
バラクラバ
毛帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
サブザック
アイゼン
ピッケル
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
水筒(保温性)
食器
地図(地形図)
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
カメラ
ポール
テントマット
シェラフ
ヘルメット
|
---|---|
共同装備 |
ビーコン
スコップ
調理用食材
調味料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
調理器具
ライター
地図(地形図)
ナイフ
カメラ
テント
|
感想
キリマンジャロ登山直後から計画していたアコンカグア登山。
約4年間お金を貯めたりトレーニングを欠かさず行い、時期としては当初の予定通り挑戦することができました。
本当は間にエルブルース登山をする予定でしたが、政治的な事情で行くのは延期され、7大陸3座目はブランクありきの状態で7000m近い山への挑戦となりました。
結果としては、6000m近くまで登って登頂のチャンスを伺ってましたが、強風続きで無念の撤退となりましたが、国籍も年齢も性別も違う10名以上のメンバーと一緒になって登頂を目指し、いい仲間と巡り会えたと思います。
(チームの中で日本人はおろかアジア人は自分1人だけでしたが)
今までの登山の中で一番お金と時間がかかりましたが、それに見合うような経験はできたと思います。
とはいえ、撤退理由が悪天候のみだったので、近いうちにまたリベンジしたいと思います。
以下は、メモを参考の感想となります。
12/30
この時点でメンバー9名、ガイド2名。
Penitentesを出発し、AM11:00トレッキング開始。
PM3:00 Confluenciaに到着
12/31
朝、少し頭痛あり。富士山の8合目ぐらいの標高で早くも高山病かと焦る。
この日はアコンカグアが一望できるポイントまでトレッキング。
最高地点は約4000m。若干きつかった。
1/1
元日。この日はプラザ・デ・ムーラスまでのトレッキング。
道中何度もムーラ達が荷物を運んでいました。
ムーラのおかげで我々が登山できるのである。感謝。
それにしても、ムーラの糞は定期的に掃除しているのだろうか。それだけが疑問である。
長いルートでした。到着後。軽い高山病あり。
ここでメンバーが4人ほど加わる。
1/2
プラザ・デ・ムーラス(BC)での休息日。
夜、日本から持参した年越しそばを遅ればせながら食べる。
1/3
荷揚げのため、C1まで登る。
自分は上で使用する装備に加えて水を8リットルぐらい背負って荷揚げしました。
少しきつかったです。
下山は富士山の砂走りのような道で降りやすかったです。
ガイドもgoodと言っていたので「Mt Fujiで鍛えたんだ」と言ったら
ガイドに何故か「Mt Fuji」と呼ばれるようになった(謎
この日、アコンカグアに登頂したという日本人の方に出会いました。
その方は最初は強風で登れず、日を改めてC2から登頂したとのこと。
C2からのサミットアタックは、超人的な体力がないと無理だとのこと。
今期はかなり厳しいのかなと実感。
1/4
プラザ・デ・ムーラス(BC)での休息日。
この日、山頂アタックまでのスケジュールについてのミーティングがありました。
この時は天候も問題なく予定通り進んでいくのかなと思ってました。
1/5
いよいよ、BCからC1へ出発する日。BCとはしばしのお別れである。
この日、ヘリがうるさいと思ったら、コンドルの像を運んできました。
C1へ登りは順調でしたが、C1に着いたらものすごくお腹が減り、夕食を何度もお代わりをしました。
1/6
C1→C2への登り
この日は自分の荷物に加えてメンバーの食料を10kg近く追加で運ぶことになり、
標高5000mを超える場所でこの荷揚げはきつかったです。
C2は割と広い場所でした。
1/7
C2休息日。
朝、保温用の水筒に入れていた水が完全に凍って飲めなくなっていました。
保温機能がなくなっている水筒とはいえ、テントの中でカチカチに凍るほどの寒さだったようです。他のメンバーも同じ状態でした。
以後、水筒の水は寝るときは寝袋の中に入れて抱くようにしました。
この日は水場である氷河のくぼみまでトレッキングして水を飲んできました。
C1では何ともなかったのですが、C2では高山病の症状が出ました。
食欲があまりなかったです。
1/8
本来ならばC2→C3まで登る日だったのですが、何時まで経っても出発しないので、ガイドに聞いてみたところ、強風で1/9のアタックは無理とのことでC2に滞在するとのこと。前日にそういう話をしてた気もしますが、英語でうまく聞き取れなかったのかもしれません。この時点では、1/10にC2から、もしくは1/10にC3まで登って1/11の山頂アタックを考えていたようです。
メンバー全員諦めたくない気持ちだったみたいです。
高山病の症状はこの時には良くなっていました。
1/9
この日もC2に待機。
お昼にチキンステーキが出てきました。
この過酷な場所でこんな美味しいものが…と思ったのも束の間。
16:00 ガイドから「この先、予備日も含めて山頂は風速20m以上の強風が吹き続ける(俗にいうビエント・ブランコ)ため、今日中に全員BCまで撤退する」と。
一番聞きたくない言葉でした。高山病と闘いながらここまで頑張ってきたので涙が出てきました。他のメンバーも同じ気持ちだったと思います。
17:30 下山開始。BCに到着したのは20:00になってました。
BCに到着した時に待っていたのがステーキだったのがせめてもの救いでした。
1/10
プラザ・デ・ムーラス(BC)での休息日。
この日にメンバーの2/3は下山しました。
自分も対象だと思って準備していたらガイドから
「○○は明日もう1人のガイドと残りのメンバーと一緒に下山するんだ。今日じゃないよ」
と言われ、渋々滞在することに。
午後、BCを散歩していると、日本人がいるチームに偶然会い、小1時間ほどお話ししました。
(その方たちとは、メンドーサに戻った後、再度お会いしました)
そう考えると、BCに1日余分に残れてよかったかなと思います。
1/11
2週間近くいたBCとも今日でお別れ。
登ってきた道を下りたのですが、覚悟はしてましたがとても長い。
距離でいうと30km近くはあったと思います。
でも少しでも楽しくと音楽をかけながら頑張って下山しました。
一緒に行動したメンバー
言葉がほとんど通じず、名前もほとんど覚えられませんでしたが記憶のある限り記載します。山頂までは行けなかったものの、全員が途中で脱落せず、ずっと行動を共にできました。
メンバー
・ハッサンさん
BCから合流。見た目おそらく中南米系の人。登山歴はメンバーの中では一番あり、デナリ、キリマンジャロ、エルブルースはすでに登頂済み。陽気な人で日本人やアジア人が居たら紹介してくれたりとリーダー的な雰囲気のある人でした。
・マルコスさん
日本の大阪に観光で来たことがあるという人。日本のアニメのTシャツを着ており、かなりの日本好きだという印象でした。登山歴はキリマンジャロにレモショルートから登ったことがあるとのことでした。日本で起きているニュースを見せてくれたりと親切な方でした。
・ダンさん
見た感じ体重が120〜130kgはありそうな巨漢。正直なところ、この体型でアコンカグアに登れるのかと思いましたが、最後までチームの足を引っ張ることなく歩き通しました。話題としては、自分が名古屋あたりの出身だと言うと、三菱が有名だなと言ってました。そっち系の仕事の方なのかもしれません。
・アルゼンチンの男性
名前不明。。彼にとってのアコンカグアは富士山と同じ感覚で祖国で一番高い山に登りたいという思いから参加したのだと思います。C1、C2では同じテントで寝ました。1回水筒の水をぶちまけてしまいすみません。下山まで一緒でした。
・アレクサンドラさん
BCから合流。(おそらく)デンマーク出身の山ガール。28歳。
登山歴はヨーロッパアルプスは制覇済み。
男性が多いメンバーを盛り上げてくれました。
下山まで一緒でした。
・マチルデさん
若手のメンバー。経験は少ないが若さで乗り切るタイプでした。
下山まで一緒で下山後、ホテルでトラブルがあった際にもお世話になりました。
・クリストファー(クリス)さん
メンバーの中では最年長。50歳。
最初の空港到着時から一緒で、前後のホテルでも一緒の部屋でした。
モンベルのウェアを愛用し、長年の登山経験を生かしている感じでした。
・アンデスの女性
名前不明。BCから合流。清楚な方でアコンカグアに向かってお祈りをしていました。
話はできなかったのですが、アンデスの方なら4000m5000mの標高は余裕だったのかなと思います。
他にも数名いましたが、人数が多かったため特徴が思い出せません。すみません。。
ガイド
・アレックスさん
おそらくチームのリーダー。
的確な判断をし、メンバーの体調を見ながらガイドをしてくれました。
サミットアタックは何時になるのかと何度も聞いてしまいすみません。。
・ダリオさん
暇があればマテ茶を飲んでいる小柄なガイドさん。
正直適当な部分もありましたが、C1C2で食事を作ったり陰でメンバーを支えてくれていたと思います。日本に来た際はぜひ富士山にも登って下さい(?
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