編笠、姥の懐、ギボシ、権現、そして
- GPS
- 11:40
- 距離
- 19.1km
- 登り
- 1,807m
- 下り
- 1,805m
コースタイム
- 山行
- 7:04
- 休憩
- 4:26
- 合計
- 11:30
天候 | 朝曇り、昼は晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所はなし。 |
写真
装備
個人装備 |
予備LEDランプ(1)
GPS NV-U37(1)
ガイド地図(1)
コンパス(1)
笛(1)
保険証
jRO会員証(1)
水
ティッシュ(1)
バンドエイド(1)
シップ
テーピング(1)
エマージェンシーシート(1)
雨具
カバー
ゴム手袋(1)
フリース
ジャンパー(1)
ストック
軍手(1)
カメラ(1)
お弁当(1)
|
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感想
本日は、姥の懐に行きます。去年秋には下見をして、トラバースの入り口をのろし場上と決めてました。天気は当初雨予報でしたが、お昼以降は快晴でした。
5:30に観音平出発。天気予報がよくないので、車もまばらです。最初に編笠に登り、姥の懐を確認しようとおもっていたのですが、この時はまだ、雲がとれずあまり確認できず。
10時過ぎにのろし場到着。すこし腹ごしらえをしてから、姥の懐めざしトラバース開始。最初は、草原と苔むした森で、造作もなく進みましたが、直前でハイ松等の低木に阻まれます。下に行っても抜け道なし。上から隙間を見つけて突破。急な草付をくだるが、最後に谷に下りる草付が崖に近く、これは降りるのは無理と断念。しかし、その崖でクモイコザクラらしき花を発見。崖にひっついて写真に収める。
姥の懐は、1時間で収めるつもりが、1時間半以上かかる。12時より登山再開。西ギボシ、東ギボシ、権現と上る。権現でuedaさんの標識を手直しし、最後に源治梯子のほうへ。
こちらはシャクナゲがキレイに咲いていました。これはラッキーと写真ととっていたら、聞き覚えのある爆音が聞こえます。青に赤、山梨県警山岳ヘリ、ハヤテです。赤岳沢を回ります。いまさらヘリでの捜索もないだろうに、なにしてんだろうと思ってみていると、赤岳沢にかなり近づきホバリングをはじめます。こちらからは天狗尾根に隠れて見えなくなります。天狗尾根の蟹の爪より少し下。これは、uedaさんが見つかったに違いない。4分後ホバリングを終え、ヘリは麓に向かいます。私は合掌して見送ります。さらに、もう一度来て、再度ホバリング。地上で作業した隊員を乗せていると推測します。麓に向かうヘリに感謝の言葉を述べます。
権現小屋ではシゲさんとお話できました。姥の懐に行ったことがあるようです。青年小屋では編笠ブレンドのコーヒーを楽しみます。小屋番の方と話しをしているなかで、さきほどのハヤテでの話しをしました。そうしたところ、
・ 青年小屋が開く連休の時から、オーナーの竹内さん(ヒマラヤの経験も持つエキスパート中のエキスパートであることは私も知っていた)がuedaさんの件について動きだした。
・ 昨日土曜の夕方、竹内さんより山梨県警に発見の連絡をして、本日ヘリが出動した。
との情報を得ました。だれがどう発見したとか細かいところはわかりません。調べると、竹内さんは山梨県長坂警察署管内の山岳救助隊隊長でもあります。竹内さんはすでに下山されてましたが、竹内さんに感謝です。
帰りは巻き道を帰り17時過ぎに到着。
本日は、姥の懐に肉薄し、お花も沢山楽しめました。
そしてuedaさんを見送ることができました。
P.S
6/2追記。
・ 発見したのは、竹内さんではないようです。
・ uedaさんとの確認が取れたかどうかは不明です。
・ 5/31は朝、赤岳から権現に向かう方が天狗尾根で滑落死して、ハヤテはまずそちらに出動したという情報があります。天狗尾根からどこに滑落したかは情報がありませんが、赤岳沢への滑落の可能性はあります。
ありがとうございました。
今朝新聞記事でも見ました。
わたしも近いうちに再訪してみようと思います。
DSAさん、こんばんわ。
偶然ではありますが、uedaさんとの縁も深い権現より、uedaさんを見送ることができました。
これでuedaさんもご家族の元に帰ることができ、よかったと思います。
「姥の懐」探索お疲れさまでした。
totoroさんのGPSログをGoogleEarthで表示しながら詳しく拝見しました。
ノロシ場あたりから確かに歩きやすそうな草原らしきものがありますね。
でも、その先でどうしても権現沢を横切らないと「懐」の方へは行けないですね。
こうして見ると昔の人も檜峰神社にお参りするのに「姥の懐」を通過したわけではないんじゃないでしょうね。
(古地図の赤線も懐は通ってないですし・・・)
この岩群は地形的に見ると「胎内くぐり」の岩の並び方向にぴったりですから、権現岳から流れ出た溶岩が近くは胎内くぐりの岩になり、遠くまで飛んだのが「懐」になった感じですね。
さらに思うには「姥」と書くと老女な感じですが、上の方に胎内くぐりがあり、これは「再生(リボーン)」なのだから、その下の岩は「乳母」の方がしっくりします。昔は「乳母の懐」だったのかも(^^)
いままで誰も立ち入ったこともないような場所から撮った写真はみな新鮮でした。「権現小屋」「胎内くぐり」も下から見るとこう見えるのか、と。
でも一度はちゃんと「懐」まで行ってみたいものですね。何か遺構があるかもしれません。
pasocomさん、こんばんわ。
姥の懐近くから見る風景はとても新鮮でした。しかし、最後は権現沢に阻まれて、断念。それから、クモイコザクラが咲いていたのはびっくり。八ヶ岳では地獄谷に咲いていると聞きました。
江戸時代は信仰の対象となっていたので、石碑なり、仏像なり、あるかとは思います。ただ、訪れたことのあるシゲさんに聞いてみましたが、覚えていないということでした。江戸時代は、川をさかのぼって姥の懐まで祈りに来たと聞きましたが、沢を登るのは見るからに難易度は高いです。
シゲさんより姥の語源をちょっと聞きました。昔マリア様の代わりに姥という言葉をつかったようです。シゲさんもまた聞きだそうなので、また聞きの二乗ですが、とすると、”聖母の懐”、となりpasocomさんの解釈と重なりますね。
権現沢があるのと、近くで見るとかなりの断崖です。下から攻めるのは無理そう。攻めるなら上からと思いました。遺構があるなら、てっぺんが怪しそうです。
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