45年ぶりの真実 乾徳山
- GPS
- --:--
- 距離
- 7.5km
- 登り
- 746m
- 下り
- 746m
コースタイム
- 山行
- 4:10
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:10
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
林道のわき見運転 |
その他周辺情報 | 温泉 三冨笛吹の湯 |
写真
感想
前回に投稿した「乾徳山8の字周回春日和」の45年前の写真の場所確定するために今回大平牧場登山道よりトライした。山頂の場所は確定出来たので同じ所から1ショットお願いした。しかし山小屋がどこかは不明、山頂で二人組に当時の小屋で牛乳を飲んだ話をするとその一人も飲んだという。よく聞くと10何年前のことでよく覚えていないとのこと。牛乳と牧場と言えば大平牧場であり当時バス便は大平牧場にはない(今も)。タクシーの相乗りで来たのか覚えていない。途中それらしき廃屋はあれど確定出来ないまま最後の頼み、○○荘を訪ねた。何度呼んでも人影なし。今度呼んで応答がなかったら帰ろうとの思いで大声でこんにちはと叫ぶと、奥からハーイとの声あり。おばあさんが出ていらっしゃった。実は45年前にという話を切り出し当時の写真を見せると、写真を手に取ってああこれは私の家で小屋を出していたとのことであった。エー!その写真に写っている小屋のおばさんは私の姑で、すでに亡いとのこと。45年とはそういうものなのである。約半世紀経てば亡くなるのは当然の輪廻なのである。放牧は綿羊をやってジンギスカンが繁盛したとのこと。当時小屋は国師ヶ原十字路近くに出していたと言う。当時は繁盛してバンガローも出したとのこと。大平牧場から高温殺菌して山小屋へ搬送していたという。子らにも背負わせてここから国師ヶ原まで運んでいたとのこと。S33年から始めて、
小屋番する人もなくS64年で閉めたようである。
登山客は塩山で降りバス車庫で待合し客がいっぱになるのを見計らって徳和までバスを出していたという。私もそれに乗って上がったのだろう。ちょうど良い一息つく国師ヶ原、ここで牛乳を飲んだのだ。前回投稿の廃屋写真がそのようである。
そうだ当時このスタイルで大菩薩の裂石あたりまで行っていたことを思い出した。今考えると往時は大菩薩嶺も遠かったな。朝一番のバスを待っていたような気もするが、いずれにしてもこの辺の山は電車による夜行日帰りの時代だったのである。私はS45年入社登山部に入り乾徳山に行った。カメラはマミヤプレスカメラ6x9で三脚はスリックマスターよく担いで登ったものだ、懐かしい。おばあさんにまた来ますと別れを告げて大平高原を後にした。写っているメンバーは今となっては誰一人消息が知れないのがさみしい限りである。これも45年の風雪であろうか。その中で緋色のレンゲツツジだけは往時と変わらぬ色彩で癒してくれていた。
麗嶺
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