当然のことながら駒形登山口のPは満杯。路駐の列に加わりました。そのお陰げいくつかの石仏に遭遇。こちらは不動尊(文政六未年、1823)かな。
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4/28 6:47
当然のことながら駒形登山口のPは満杯。路駐の列に加わりました。そのお陰げいくつかの石仏に遭遇。こちらは不動尊(文政六未年、1823)かな。
皆さんは当然鳴滝山へ向かいますが、一人だけ別方向へ。駒形登山口ですので駒形山へ登ってもよろしいでしょうか(笑)
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4/28 6:52
皆さんは当然鳴滝山へ向かいますが、一人だけ別方向へ。駒形登山口ですので駒形山へ登ってもよろしいでしょうか(笑)
急登&岩々していますが特に問題なし。ただ下方にPがあるので、落石させないように注意しました。
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4/28 6:55
急登&岩々していますが特に問題なし。ただ下方にPがあるので、落石させないように注意しました。
計画から暫く経ってしまったので、岩穴にあるという石仏、失念していました(残念)
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4/28 7:04
計画から暫く経ってしまったので、岩穴にあるという石仏、失念していました(残念)
駒形山かな。特に山名を示す物はなし。
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4/28 7:21
駒形山かな。特に山名を示す物はなし。
あれが目指す蚕影山だと思います。
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あれが目指す蚕影山だと思います。
林道が見えてきました。
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4/28 7:33
林道が見えてきました。
林道を少しばかりあるいて、ここから取り付きます。
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4/28 7:39
林道を少しばかりあるいて、ここから取り付きます。
あっという間に一つ目の蚕影山にとうちゃこしました。その先に見える706峰がかっこいい、また後で歩きにきましょう。
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4/28 7:43
あっという間に一つ目の蚕影山にとうちゃこしました。その先に見える706峰がかっこいい、また後で歩きにきましょう。
なかなか立派な石祠、屋根の正面に「蚕影山/明治廿三年寅旧三月(1890)/當組中」
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4/28 7:45
なかなか立派な石祠、屋根の正面に「蚕影山/明治廿三年寅旧三月(1890)/當組中」
次は祠の後ろに見える十二山を目指します。
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4/28 7:51
次は祠の後ろに見える十二山を目指します。
この後訪ねる鳴神山、もちろんお目当てはあのお花です。
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4/28 7:54
この後訪ねる鳴神山、もちろんお目当てはあのお花です。
南尾根の切通の擁壁の切れ目から這い上がりました。
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4/28 8:06
南尾根の切通の擁壁の切れ目から這い上がりました。
情報がなかったので少し不安でしたが、とても歩きやすい尾根でした。
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4/28 8:16
情報がなかったので少し不安でしたが、とても歩きやすい尾根でした。
そして十二山「萱立」797.16 m三等三角点、山名板は“すかいさん”
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4/28 8:32
そして十二山「萱立」797.16 m三等三角点、山名板は“すかいさん”
青空にツツジ
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4/28 8:35
青空にツツジ
広々とした尾根の鞍部
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4/28 8:39
広々とした尾根の鞍部
石祠は少し離れた所にあります。
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4/28 8:59
石祠は少し離れた所にあります。
「十二山/大正十四年一月吉日(1925)」
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「十二山/大正十四年一月吉日(1925)」
「小平中」
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4/28 9:00
「小平中」
長い登りの前にハープタイムにしました。
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4/28 9:30
長い登りの前にハープタイムにしました。
鳴神山が見えました。
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4/28 9:43
鳴神山が見えました。
鳴神への縦走路の尾根に乗ったようです・
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4/28 9:49
鳴神への縦走路の尾根に乗ったようです・
恐らくこちらが本日の最高点だと思います。
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4/28 10:23
恐らくこちらが本日の最高点だと思います。
もうすぐ山頂のようです。
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4/28 10:29
もうすぐ山頂のようです。
子繋山973m、ナイスな展望地でした。山名板等はないようでした。
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4/28 10:30
子繋山973m、ナイスな展望地でした。山名板等はないようでした。
少しだけヤセ尾根も
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4/28 10:32
少しだけヤセ尾根も
アカヤシオが頑張っていました。
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4/28 10:34
アカヤシオが頑張っていました。
落ちそうなヒトツバナ
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4/28 10:36
落ちそうなヒトツバナ
単独の方とスライド
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4/28 10:41
単独の方とスライド
お天気が良いのでフデちゃんも♪パットさいて(るわ)
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4/28 10:43
お天気が良いのでフデちゃんも♪パットさいて(るわ)
何か鳴神の位置が変!テープに誘導され間違った斜面を下ってしまいました。少し戻って谷筋をトラバースして、
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4/28 10:48
何か鳴神の位置が変!テープに誘導され間違った斜面を下ってしまいました。少し戻って谷筋をトラバースして、
正規ルートの戻ってからの椚田峠850m。「山神」の石祠「文化十四年丑八月吉日(1817)/上仁田山村中」があります。
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4/28 11:07
正規ルートの戻ってからの椚田峠850m。「山神」の石祠「文化十四年丑八月吉日(1817)/上仁田山村中」があります。
そしてカッコソウです。協力金(500円)で一つ残っていた木札をいただきました。その隣は以前ゲットした缶バッチ。
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4/28 11:18
そしてカッコソウです。協力金(500円)で一つ残っていた木札をいただきました。その隣は以前ゲットした缶バッチ。
数は少なめでしたが、綺麗に咲いていました。
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4/28 11:18
数は少なめでしたが、綺麗に咲いていました。
木札のウラはもちろんカッコソウの絵が。
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4/28 11:20
木札のウラはもちろんカッコソウの絵が。
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この後、峠に戻って山頂を目指しました。
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4/28 11:21
この後、峠に戻って山頂を目指しました。
途中の展望地から赤城方面
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4/28 11:36
途中の展望地から赤城方面
ルートから少し離れた所に石祠。
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4/28 11:42
ルートから少し離れた所に石祠。
ヒメイワカガミはもうチョイ先みたい。
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4/28 11:43
ヒメイワカガミはもうチョイ先みたい。
こちらにも生き残りのアカヤシオ
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4/28 11:46
こちらにも生き残りのアカヤシオ
鳴神山神社の石祠
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4/28 11:47
鳴神山神社の石祠
そして仁田山岳979.7m
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4/28 11:48
そして仁田山岳979.7m
数珠つなぎになって桐生岳981.5m山頂。一回りしてそのまま下山しました。
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4/28 11:52
数珠つなぎになって桐生岳981.5m山頂。一回りしてそのまま下山しました。
山頂直下の雷神嶽神社の石造物。手水鉢は「宝暦三稔三月吉日(1753)寄進久方町屋」、お地蔵様は廃仏毀釈で首を落とされたそうです。
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4/28 11:58
山頂直下の雷神嶽神社の石造物。手水鉢は「宝暦三稔三月吉日(1753)寄進久方町屋」、お地蔵様は廃仏毀釈で首を落とされたそうです。
こちらは首が修復されています。神仏習合の雷神岳信仰の御祭神みたいです。とても見にくいですが、台石の背面に、
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4/28 11:59
こちらは首が修復されています。神仏習合の雷神岳信仰の御祭神みたいです。とても見にくいですが、台石の背面に、
「奉建立 鳴神上人地蔵大菩薩」とあります。漢字と仮名が併記されています。「高沢村 清左衛門/願主 新井氏」
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4/28 12:01
「奉建立 鳴神上人地蔵大菩薩」とあります。漢字と仮名が併記されています。「高沢村 清左衛門/願主 新井氏」
2つの石鳥居があり新旧の物だと思ったら、こちらは梅田側桐生岳のものだそうです「願主 高澤村」、“雷神嶽”の額があったそうですが、落下して行方不明とのことです。
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4/28 12:02
2つの石鳥居があり新旧の物だと思ったら、こちらは梅田側桐生岳のものだそうです「願主 高澤村」、“雷神嶽”の額があったそうですが、落下して行方不明とのことです。
その先のもう一つの鳥居は川内側仁田山岳のもの「宝暦四甲戌天卯月吉辰(1754) 奉造立 須永村中 昭和十一年四月修理 須永中 k川内 石工星野熊吉」
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4/28 12:04
その先のもう一つの鳥居は川内側仁田山岳のもの「宝暦四甲戌天卯月吉辰(1754) 奉造立 須永村中 昭和十一年四月修理 須永中 k川内 石工星野熊吉」
こちらには「雷神岳」の額が架かっています。
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4/28 12:04
こちらには「雷神岳」の額が架かっています。
お犬様。神仏分離で雷神岳信仰を神道化する際、武州三峰山を参考にして御神狗を作ったみたい。祭神に日本武尊も列せられているようです。
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4/28 12:07
お犬様。神仏分離で雷神岳信仰を神道化する際、武州三峰山を参考にして御神狗を作ったみたい。祭神に日本武尊も列せられているようです。
正面から
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4/28 12:08
正面から
「維時昭和四年三月吉日 山田郡梅田村 願主 材木商金田房太郎」
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4/28 12:08
「維時昭和四年三月吉日 山田郡梅田村 願主 材木商金田房太郎」
下山途中の水場
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4/28 12:30
下山途中の水場
路駐した近くにあった青面金剛庚申塔(明治三午年、1870)、ショケラ持ち。隣に
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4/28 13:04
路駐した近くにあった青面金剛庚申塔(明治三午年、1870)、ショケラ持ち。隣に
隣は二十三夜塔(文久三亥年、1863)
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隣は二十三夜塔(文久三亥年、1863)
平久保集落から見上げた蚕影山
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4/28 13:15
平久保集落から見上げた蚕影山
昼食は水沼駅前『はやぶさ食堂』でカツカレーのライス小盛(950円)で満腹に。何故かオマケに珈琲ゼリーが付く。
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4/28 14:23
昼食は水沼駅前『はやぶさ食堂』でカツカレーのライス小盛(950円)で満腹に。何故かオマケに珈琲ゼリーが付く。
水沼駅対岸の細道を戻って穴原薬師堂(みどり市大間々町塩原633)
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4/28 15:04
水沼駅対岸の細道を戻って穴原薬師堂(みどり市大間々町塩原633)
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4/28 15:04
宝永七年(1710)の石燈籠のようですが、とても保存状態が良いです。
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4/28 15:06
宝永七年(1710)の石燈籠のようですが、とても保存状態が良いです。
対の燈籠かと思ったら六地蔵石幢(宝永七年、1710)でした。
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4/28 15:08
対の燈籠かと思ったら六地蔵石幢(宝永七年、1710)でした。
浮彫の地蔵様の彫りも素晴らしい。
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4/28 15:08
浮彫の地蔵様の彫りも素晴らしい。
大黒様、その他にも興味深い石造物がたくさんありました。
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4/28 15:11
大黒様、その他にも興味深い石造物がたくさんありました。
その中でもこの方に逢いに来ました!
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4/28 15:13
その中でもこの方に逢いに来ました!
丸彫りの馬鳴菩薩坐像です。右手に糸枠、桑の葉。左手に蓮華、生糸
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4/28 15:14
丸彫りの馬鳴菩薩坐像です。右手に糸枠、桑の葉。左手に蓮華、生糸
そして蚕卵紙と掃き出しの羽根をお持ちです。
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4/28 15:14
そして蚕卵紙と掃き出しの羽根をお持ちです。
冠は繭玉かな?モスラではないよう。
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4/28 15:14
冠は繭玉かな?モスラではないよう。
台石には「塚谷戸 當所講中十八人/寄進連中 寛政四壬子年六月吉日(1792)」とあります。次は本日2座目の蚕影山へ向かいます。
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4/28 15:16
台石には「塚谷戸 當所講中十八人/寄進連中 寛政四壬子年六月吉日(1792)」とあります。次は本日2座目の蚕影山へ向かいます。
関東ふれあいの道(貴船神社−小平鍾乳洞)の車道から尾根沿いを進んでみどり市高区第二配水池、裏手の山道を行きます。
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4/28 15:47
関東ふれあいの道(貴船神社−小平鍾乳洞)の車道から尾根沿いを進んでみどり市高区第二配水池、裏手の山道を行きます。
麓からも良き見えた伐採地からの展望
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4/28 15:51
麓からも良き見えた伐採地からの展望
蚕影山の山頂(370m)、建物の残骸の中に二棟の石祠。場所は地形図の「大間々町塩原」の文字の「々」の下あたりの峰です。
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4/28 15:54
蚕影山の山頂(370m)、建物の残骸の中に二棟の石祠。場所は地形図の「大間々町塩原」の文字の「々」の下あたりの峰です。
左の祠は雷神社だそうです。右が蚕影社。総本社の御朱印と記念撮影。
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4/28 15:56
左の祠は雷神社だそうです。右が蚕影社。総本社の御朱印と記念撮影。
正面右に「蚕影大明神」、側面「安永二巳年十月吉日(1773)」
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4/28 15:57
正面右に「蚕影大明神」、側面「安永二巳年十月吉日(1773)」
麦畑と穴原薬師堂
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4/28 16:37
麦畑と穴原薬師堂
もしかしたらトウゴクサバノオ?
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もしかしたらトウゴクサバノオ?
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