燧ヶ岳、至仏山登山+尾瀬沼、尾瀬ヶ原 御池から周回の旅 檜枝岐近辺登山 その2
- GPS
- --:--
- 距離
- 44.2km
- 登り
- 2,197m
- 下り
- 2,206m
コースタイム
- 山行
- 9:12
- 休憩
- 2:23
- 合計
- 11:35
- 山行
- 9:13
- 休憩
- 1:47
- 合計
- 11:00
天候 | 霧、曇り、晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
日中早めに降りると檜枝岐のお蕎麦屋にありつけます |
コース状況/ 危険箇所等 |
燧 御池登山道 長めの雪渓登り箇所で、そこそこ斜度がある上に氷気味なので要注意。チェーンスパイクでガシガシいきました。 燧 クボなんてか沼尻に降りる道。山と高原の地図にある通り、本当に悪路です。岩ごろごろの渇れ沢下りになるため、雨後は非常に滑ります。ちょいちょい滑るのは致し方ないにしても大怪我しないように注意。 沼尻~見晴 林間道で登山道と考えれば歩きやすいです。ここは尾瀬沼と尾瀬ヶ原を繋ぐ箇所なので、一般観光客が増えます。あらぬところで渋滞起こしたりして突っ込まないように注意。 見晴~山の鼻 尾瀬ヶ原のメインルートゆえ激混みです。木道二本で、一人ずつしか通れませんが、さらに花を見つけて突然止まる人が多数いるので要注意。また 木道ゆえに足裏に地味にきます。 山の鼻~至仏山 至仏山は蛇紋岩と呼ばれる岩でなり、濡れると非常に滑りやすい性質なため、山の鼻から直登コースは登り専用となっています。が、登る分にはさほど難はありませんでした。下りは厳しいからこそ下りは禁止なのでしょうが。 至仏山~鳩待峠 ここはピストン可能の登山道となっていますが、こちらの下りも小至仏の下 笠ヶ岳への分岐あたりまで、気が抜けません。以降は通常の登山道で、最後の方は樹林帯を歩くと到着します。滑りやすいという蛇紋岩の本領は至仏〜小至仏の稜線歩き。要注意です。 鳩待峠~山の鼻 樹林帯を下るわけですが、この道は尾瀬ヶ原に至る最短コースとあって、峠は人でごったがえします。とともに、前述の一般観光客がかなりを占めますので、道塞ぎなどざらです。 山の鼻~東電小屋分岐 ここは一本道、かつ前日通っている上に激混みでうんざりしますが我慢です。 東電小屋分岐~竜宮分岐 こちらは尾瀬ヶ原のサブコースのため、人が一気に減るとともに、見える植物はむしろ豊富でグッドです。 竜宮分岐~見晴分岐 そこそこ人はいます。 途中の東電小屋は東電の子会社の尾瀬林業などがやっています。東電系の方々ということで強烈な体験談を聞かせてもらいました。例の件でここの方々も従事したとか…。 見晴分岐~温泉小屋~燧裏林道 超がつく穴場です。さっきまでの人はどこに行ったのと言うくらい。燧の巻き道ですが予想より沢のたびのアップダウンが多く、それまでの消耗と相まってかなり苦しいです。御池に近づくと地溏が増えていい雰囲気になります。木道をメインにしているのでしょうが、ところどころ荒れ気味なので注意。 |
その他周辺情報 | 燧の湯 尾瀬御池からの帰り客でごったがえしますが、アルカリ系の柔らかい湯でさっぱり。夕方前に桧枝岐の集落に降りれたのでこの日もおそばにありつけました。 前日の店のお向かいのかどやさんです。前日に行ったまる家の方が美味かったかな…。ここもなかなかだったけど。 |
写真
感想
少年のころ、尾瀬ヶ原には来たことあったが、尾瀬沼含め、他は初めて。当時は鳩待から入って竜宮の群馬、福島県境である沼尻川まで行って引き返したと記憶している。ビジターセンターも入山規制もなかった時代の話。結果的に当時の赤線を一部なぞって繋いだことになる。
さて、登山対象の燧ヶ岳、至仏山は標高差こそ800m程度だが、それぞれのルートで難所があり、歩きごたえがあった。
それゆえにフラットだがとにかく長く、人も多く、日にさらされ、木道ゆえに滑りやすくて足裏に負荷がかかる尾瀬ヶ原の木道歩きが堪えた。西に至仏山、東に燧ヶ岳が対向し、どちらかの山を目指して歩く感じや、だんだんそのお山に近づく感覚、圧倒的な大きさはなかなかによい。ただ、尾瀬ヶ原で見える植物は大概は山の地溏で散々みてきたものが多いのも事実で、初日は尾瀬沼側に行って竜宮まで繋ぐと言う想いがあったのでまだよいが、二日目は似たところを辿ってやや飽きが来たのも事実。
東電小屋からは未知の世界で、楽しむことはできた。御池側の地溏群もコンパクトでいいと思うし、登山中にあるといい息抜きになっていいと思う。
登山以外の要素で想定以上に疲れました。ただ、立派な燧ヶ岳、至仏山、至仏稜線からの利根川源流地帯にその奥の数々の山々。稜線の雲海に包まれる尾瀬ヶ原などなかなかいい眺望も見られ、充実した山行にはなりました。
(16.5.26追記)振り返ると、もう東日本大震災や福島第一のメルトダウンが忘れ去られてつつあるように感じます。しかし、それは東電小屋の方々のように関連会社の人々が懸命の任務を果たし、何事もなかったような状態に戻して下さった。それは社命であり如何に受け入れがたい任務であろうと遂行してくれたからこそであること。そういうことを私は東電小屋で学びました。それがこのリフレッシュ休暇2週間最大の社会勉強であったと表現したわけです。
変に美化する必要はないけど、トップだけを糾弾してお茶を濁すような報道のあり方は違うと思うし、何とかしようと懸命に動く人々にスポットを充て、多くの人々が知ることが必要である。
また、宮古の浄土ヶ浜に行くとその脇ではもう5年になるのに仮設暮らしを強いられている人々が数多おり、復興というものはたかが3年程度で済むものではないことも知らしめられた。
報じられないなら自分の眼で見て感じてくればいいこと。それをできたこともまた、リフレッシュ休暇を有意義に使えたと思っています。
ちなみに奈良俣ダム建設時は至仏山の雪崩に巻き込まれて殉職された方々がいらっしゃるとのことです。ゆえに父は至仏山の仏に至るという名称が嫌だと言っていました。そういう悲劇を想起させるのでしょう。元々は決して悪い意味の名称ではないのでしょうが。
とはいえ、私が群馬の沼田で育つこととなった奈良俣を、至仏〜小至仏稜線から見下ろすことができたことも今回の山行を行って良かったと思います。
あとは利根川源流という大水上山を踏むことですかね。この歳になっても父を越えられる気がしない自分ができる追慕なのかもしれません。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する