経ヶ岳(横川から)
- GPS
- 15:46
- 距離
- 28.3km
- 登り
- 1,592m
- 下り
- 1,600m
コースタイム
- 山行
- 8:53
- 休憩
- 1:21
- 合計
- 10:14
- 山行
- 4:01
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 4:31
天候 | 晴れ、高曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
黒沢山への登山道は消失している模様 |
その他周辺情報 | 1998年竣工のかやぶきの里は入浴500円 |
写真
装備
個人装備 |
簡易ハーネス+メット
フェルト地下足袋
シュリンゲ+ビナ+ 確保器
防寒具
カッパ
シュラフカバー
マット
水筒
その他沢個人基本装備(ナイフや灯り地図磁石)
|
---|---|
共同装備 |
タープ
ナベ
焚き付け+ライター
|
感想
土曜は沢渡周辺の半日コースの沢を行って、こっちに移動、林道終点で泊まって日曜に日帰りで経ヶ岳横川沢→黒沢下降を考えていたけど、直前に土曜朝こっちに入ることに変更。してよかった。思ったよりも時間のかかる沢で、日帰りで周回はできなかった。というか、何かと弾む話にタバコ休憩が多すぎて時間がかかった。あるのかないのかよくわからなかった黒沢山への夏道もコル以降は消失していた。松とフジ公の臨機応変の状況把握と計画修正判断はさすが見事。
* * *
金曜は東京からバスで来た藤原さんをうちに呼んで晩飯。ほぼ一年ぶり、家族とは数学やダンキチさんやアフリカの話で盛り上がる。翌朝ウチの車で1時間。横川終点のキャンプ場前で岐阜から来た松と合流。横川は、以前から気になる閉じた流域で、途中には感じの良い村落がずっと奥まで伸びている隠れ里なのだ。脇には大江山なんて山もあり平家の落人村落じゃないか、などと思う(証拠はない)。横川から未踏の経ヶ岳なんて、松ならではの計画だ。
林道を進み下降予定の黒沢谷二股近くに晩の食料と寝袋と鍋をデポ。ずっと林道を進む。対岸の右岸は美しい層理面の断崖が続く。谷が向きを変え大滝を超える頃林道がずたずたになり沢に入る。ズタズタ林道の下のズタズタ沢だが、1690の二股を過ぎると一変、苔に覆われた美しい岩溝の沢をスルスル登る。傾斜帯最後には大岩壁にかかるスラブ滝を見て脇を巻いて登ると傾斜が落ちて源頭は笹原になる。背をこす丈だが、太さも無いし、まあ中級のヤブコギ。例によってスネにアオタンを2つ作る。足元が見えなくて倒木にスネキックしたりする。
地形図にはまだ載って無いけどすでに人気の権兵衛峠ルートの夏道に当てると、何人かと会った。山頂は伐倒してあって展望は良いのだが、やや霞んでいる。松本平も雲で南半分しか見えない。でもこの山頂は、家のあたりからいつもずっと見ているのだ。またひとつ、松本から見える未踏峰に登ることができた。しかも横川から。
日が長いとはいえ山頂を出る時間はかなり遅い。この先の登山道(印)の情報が薄いのでどんなものだか。分岐を過ぎてコルに着く頃には、さっきの源頭みたいな笹薮に覆われ道は「ピンクテープ」のみとなった。道がない以上、さっき登った沢に下るほうが良いと判断、傾斜も崖もなさそうなので下降する。長時間行動で速度も落ちてきたので、1690m二股で泊まることにする。寝るのに良いところと薪も豊富だった。
晩飯は下に置いてきたけど、朝飯のマルタイラーメンは持って来ちゃっていた。小さいから置いて来忘れた。小さい食器鍋で三回に分けて作って温まる。非常用のウール下着と目出帽を着込み、カッパを来て湯たんぽを足に絡ませシュラフカバーに入りタープを張る。薄着の松は寒くて眠れず、12時前から起きだして焚き火に当たっていた。2時くらいには皆焚き火に戻ってウトウトする。薪が多くて良い場所だった。明け方、松のザックからもう一袋マルタイラーメンを発見。このかさばらなさが、ピンチ食として最適だ。また作って食べる。
焚き火と寸眠で恢復して出発。クマのうんこだらけの荒廃林道を抜け、熊にやられていないかちょっと心配だったシャウエッセンの入ったデポ荷物を回収した。ここのクマは節度ある良心クマだ。やっぱり人の来ないエリアに居るクマはむしろ良いクマが多い。問題クマは人とのコンフリクトが多いルートだ。
キャンプ場の下にある蛇石という天然記念物を訪れる。美濃帯という中生代の粘板岩層に貫入した閃緑岩帯に、更に細く貫入している石英脈が美しい。長さ50mにわたり河床で見られる。松もフジさんもこういうのは大好物だ。横川で松と分かれ茅葺きの里という巨木の梁の温泉施設でふろ、天そばなどを頂いてフジさんを塩尻駅に送る。やはり眠い。1時間足らずの松本まで運転途中でひと眠り休んで帰宅。
奈良井川を源流へと溯って辿り着いたひと月前の中アの茶臼山で、同行のヨネヤマさんが北に見える経ヶ岳には登っていないと言う。次、ソレ行きますか。源頭の緩傾斜部分が興味を惹く北面の沢を登路として今回、藤原先輩にもお声掛けして沢登りで山頂を目指した。
計画の段でその横川の名を目にし、ここがあの「蛇石」のある場所と気付いて縁を感じた。中学生時分に随分と熱心に眺めた図鑑『日本の天然記念物/地質・鉱物/岩脈』の筆頭ページに現れるその茶色の岩脈は印象的だった。今回、それを目にすることも叶った。
6/8(土);蛇石のゲートでお二人と合流して林道を歩き出したのが6時半で、黒沢谷出合に泊り道具と酒をデポして軽装で上流を目指した。林道しばらくは良かったものの、廃棄された林道は野茨込みのヤゲ(小灌木)と尖った崩落岩の二重苦で、人為の果てのその歩き難さといったらない。それも果てるといつもの自然の路(by 大島亮吉)である沢歩きに転じて人心地ついた。横川大滝沢、総じて何もない。何も無いからつまらない、そうでないところが沢登りの懐深さで、私は意外にそんな沢歩きが嫌いではない。地図からの予想の通り、今の西暦年辺りの標高に垂れた25mの滝が唯一の華で、これを落ち口目掛けてビシリ高捲いた。穏やかな源頭部で休憩するが、頻度とその時間は多く長いのがオヂサン山行らしく、経ヶ岳の山頂についたのは14時前だった。平野の展望はあったものの、先月の茶臼山、将棋頭山は霞の中だった。下降予定の黒沢谷だったが、黒沢山までの登山道も笹に埋もれて不明瞭、選択肢の消去法でつい先ほどの大滝沢支流へと下降した。この時期、陽は長いとはいえ体力まで長らえるわけでなし、行きに見送った支流出合に平坦地を見つけてそこを泊地とした。酒の無いのが寂しいけれど、沢音と焚いた火を前にして藤原さんのアフリカ話なぞに耳を傾けた。
6/9(日);シュラフカバーのみのタープ泊で、流石に冷えてほとんど眠れなかった。未明に起き出して、豊富な薪をいいことに大火を焚いて横でゴロ寝してウトウトした。藤原さんも同じくで、そこへいくとヨネヤマさんは厳冬期鷲羽岳でのビバーク時同様に「寝られたヨ〜」というからやはり強ぇ。拉麺分け合って食べて、とっとと下り出した。沢から崩壊林道、そして平坦道へと歩く道すがら、尻上がりに面白みを増す藤原さんの駄話に二人して大笑いしているうちにゲートに着いた。荷を置いて本命の「蛇石【じゃいし(重箱読み!)】」見物へ。見下ろした横川の河床に玢岩の茶色の岩脈が蛇の如く走っているのを見て感激した。幅も長さも想像よりも随分と大振りだった。積年の思いを果たし、撫で摩って愛でた。ここのキャンプ場は無料というので、Hな大学理学部地質学鉱物学科卒の奥様をお連れして藤原さんは再訪することだろう。お二人と別れてからの木曽路の眠々ドライブこそが、本山行の核心だった。
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