淡輪駅9:06発。淡輪は前回の帰り道に通ったくらいで、なにも知らないのだが海遊びのできる住宅地として近い将来発展しそうな土地のように思える。
しかし、古い町並みも残っている。駅近くにある住宅の土塀。石をうまく使っていて、デザイン的にもおもしろそうだ。
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3/15 17:02
淡輪駅9:06発。淡輪は前回の帰り道に通ったくらいで、なにも知らないのだが海遊びのできる住宅地として近い将来発展しそうな土地のように思える。
しかし、古い町並みも残っている。駅近くにある住宅の土塀。石をうまく使っていて、デザイン的にもおもしろそうだ。
すばらしい野原。宅地跡か畑が放置された跡みたいではあるが・・・・
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3/22 9:08
すばらしい野原。宅地跡か畑が放置された跡みたいではあるが・・・・
そこからすぐ、水路を渡った所にあるお地蔵さん。
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3/22 9:09
そこからすぐ、水路を渡った所にあるお地蔵さん。
南海の踏み切りを渡ったところにあるお地蔵さん。ちゃんと手入れがしてある。
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3/22 9:10
南海の踏み切りを渡ったところにあるお地蔵さん。ちゃんと手入れがしてある。
古墳の傍を通る。宇度墓古墳、淡輪ニサンザイ古墳ともいうようだ。5世紀後半に築造された全長約170mの前方後円墳という。垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の墓とされ、陵墓参考地となっている。
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3/15 16:56
古墳の傍を通る。宇度墓古墳、淡輪ニサンザイ古墳ともいうようだ。5世紀後半に築造された全長約170mの前方後円墳という。垂仁天皇の皇子・五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の墓とされ、陵墓参考地となっている。
古墳を過ぎたところにまたしてもお地蔵さん。お地蔵さん自体はあたらしいもののようだった。
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3/15 16:54
古墳を過ぎたところにまたしてもお地蔵さん。お地蔵さん自体はあたらしいもののようだった。
9:35、山間部に入っていくと正面に飯盛山がみえるようになった。
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3/22 9:35
9:35、山間部に入っていくと正面に飯盛山がみえるようになった。
9:50、西谷寺に到着。ここが飯盛山の登山口になっている。これより少し北(下)には電話ボックスとトイレがあるし、さらに少し下には自動販売機もある。ボクは2回ともジュースを補給し、トイレも拝借した。よいハイキング基地だ、ありがたい。
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3/22 9:47
9:50、西谷寺に到着。ここが飯盛山の登山口になっている。これより少し北(下)には電話ボックスとトイレがあるし、さらに少し下には自動販売機もある。ボクは2回ともジュースを補給し、トイレも拝借した。よいハイキング基地だ、ありがたい。
西谷寺建武地蔵の横から大福山への道が続いている。なかなかゆったりと登る落ち着いた山道だ。
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3/22 10:07
西谷寺建武地蔵の横から大福山への道が続いている。なかなかゆったりと登る落ち着いた山道だ。
■二代橋の祠10:15
10分ちょっと歩くと、祠がある。何の祠かは分からない。
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3/15 15:44
■二代橋の祠10:15
10分ちょっと歩くと、祠がある。何の祠かは分からない。
祠の横にある小岩にも注連縄が巻かれている。
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3/22 10:13
祠の横にある小岩にも注連縄が巻かれている。
さらに15分くらい遡ると、小滝が連続するようになる。
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3/22 10:36
さらに15分くらい遡ると、小滝が連続するようになる。
ナメ滝状になって流れるくだる水流を上から眺めたところ
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3/22 10:38
ナメ滝状になって流れるくだる水流を上から眺めたところ
流れの上には祠が見える(10:38)
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3/22 10:38
流れの上には祠が見える(10:38)
祠の横には金剛童子像だろうか?石像と石碑。
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3/15 15:20
祠の横には金剛童子像だろうか?石像と石碑。
祠を覗いてみると小さな像が安置されていた。
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3/22 10:40
祠を覗いてみると小さな像が安置されていた。
脇にある石像
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3/22 10:42
脇にある石像
ここからみちはやや急になるがジグザグに登るので息が切れることはない。急坂を過ぎると休み場があった(10:57)真新しい竹でベンチが作られていた。
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3/22 10:57
ここからみちはやや急になるがジグザグに登るので息が切れることはない。急坂を過ぎると休み場があった(10:57)真新しい竹でベンチが作られていた。
自然石でなにか石碑のようなものが作られていた。芸が細かい。
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3/22 10:58
自然石でなにか石碑のようなものが作られていた。芸が細かい。
よい道
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3/22 10:59
よい道
尾根を巻くようにして登っていくとヤマザクラも満開だ。
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3/22 11:00
尾根を巻くようにして登っていくとヤマザクラも満開だ。
道が小さな谷を巻くところに祠があった。鬼子母神と書いてある。
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3/22 11:06
道が小さな谷を巻くところに祠があった。鬼子母神と書いてある。
■11:08ー11:20信浄院の参道入口に着いた。
前回、足痛のためパスしたところだ。鉄山氏の案内板には「葛城二十八宿行所 飯盛山信浄院(法華道場)」と明記してある。ぜひ立ち寄らなければ。
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3/22 11:08
■11:08ー11:20信浄院の参道入口に着いた。
前回、足痛のためパスしたところだ。鉄山氏の案内板には「葛城二十八宿行所 飯盛山信浄院(法華道場)」と明記してある。ぜひ立ち寄らなければ。
広場のあちこちにお参りする場所がしつらえられていた。妙法・・・・・と彫られた大きな石碑
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3/22 11:10
広場のあちこちにお参りする場所がしつらえられていた。妙法・・・・・と彫られた大きな石碑
その脇には金剛童子らしいい石像の胸から上が安置されている。
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3/22 11:11
その脇には金剛童子らしいい石像の胸から上が安置されている。
その横の石段を上ると、露頭岩に直接「岬■神」と彫られた岩があった。■が読めないのだが、岬龍神だろうか?
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3/22 11:12
その横の石段を上ると、露頭岩に直接「岬■神」と彫られた岩があった。■が読めないのだが、岬龍神だろうか?
WEBを探していると、元来岩屋があったようなのだが、崖崩れで埋まってしまったようだ。少し修復を試みた石積みの脇に、元来あったらしい石碑がかろうじて残っている。
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3/22 11:14
WEBを探していると、元来岩屋があったようなのだが、崖崩れで埋まってしまったようだ。少し修復を試みた石積みの脇に、元来あったらしい石碑がかろうじて残っている。
七大龍王と鬼子母神
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3/22 11:15
七大龍王と鬼子母神
登っていくと、かなり広い大地に、大きな建物があった。大まかに2棟に別れていて生活感もあり、ここに泊まり込んで修行するのかと思った。
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3/22 11:18
登っていくと、かなり広い大地に、大きな建物があった。大まかに2棟に別れていて生活感もあり、ここに泊まり込んで修行するのかと思った。
■11:27、飯盛山へ分岐する尾根に到着。
修験の巡行道を、まずは札立山に向かう。巡行道といっても、その縁はあまり感じられず、平坦なハイキングロードだ。見晴らしはあまりない。
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3/22 11:27
■11:27、飯盛山へ分岐する尾根に到着。
修験の巡行道を、まずは札立山に向かう。巡行道といっても、その縁はあまり感じられず、平坦なハイキングロードだ。見晴らしはあまりない。
不動山?
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3/22 11:35
不動山?
■11:50-12:08、開けた送電鉄塔で昼食。あたりはやはり常緑樹が多い。
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3/22 12:08
■11:50-12:08、開けた送電鉄塔で昼食。あたりはやはり常緑樹が多い。
P316の急坂を下ると、眺望が開けてきた(12:14)
ここからは飯盛山の送電鉄塔が見えた。
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3/22 12:14
P316の急坂を下ると、眺望が開けてきた(12:14)
ここからは飯盛山の送電鉄塔が見えた。
大福山付近をちょっと拡大
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3/22 12:14
大福山付近をちょっと拡大
少し角度を変えて・・・・
一番左手は、淡輪の奥の、御座の池北にある土取り場(石とり場?)の跡だろう。そうすると、俎石山と大福山ははっきり見えないが、大福山直下の送電鉄塔と、その手前のP372あたりが大きく見えているのは?大福山は結構遠い。
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3/22 12:15
少し角度を変えて・・・・
一番左手は、淡輪の奥の、御座の池北にある土取り場(石とり場?)の跡だろう。そうすると、俎石山と大福山ははっきり見えないが、大福山直下の送電鉄塔と、その手前のP372あたりが大きく見えているのは?大福山は結構遠い。
尾根に出ると平坦な道が続く。そこはヤマザクラの花盛り(12:23)
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3/22 12:23
尾根に出ると平坦な道が続く。そこはヤマザクラの花盛り(12:23)
平坦な巡行道
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3/22 12:30
平坦な巡行道
もうヤマツツジが咲いていた。
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3/22 12:34
もうヤマツツジが咲いていた。
モチツツジ。寒い日があったせいか、つぼみが傷んでいた。
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3/22 12:35
モチツツジ。寒い日があったせいか、つぼみが傷んでいた。
■札立山三角点(12:46)
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3/22 12:57
■札立山三角点(12:46)
山頂にはベンチがしつらえられていた。しかし、木々が生い茂ってきて見晴らしはあまりよくない。
正面の道を東に行けば見返り山経由大福山。
ここから南、鳴瀧不動や平井峠に行くのも行者道だろう。
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3/22 12:53
山頂にはベンチがしつらえられていた。しかし、木々が生い茂ってきて見晴らしはあまりよくない。
正面の道を東に行けば見返り山経由大福山。
ここから南、鳴瀧不動や平井峠に行くのも行者道だろう。
地蔵尊の標石。地蔵尊はどこへ・・・
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3/22 12:57
地蔵尊の標石。地蔵尊はどこへ・・・
■あいかわらず平坦な道を歩いて、すぐに、東札立山に到着(13:05)
見晴らしは札立山よりこちらのほうが良い。和歌山方面がよく見える。
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3/22 13:05
■あいかわらず平坦な道を歩いて、すぐに、東札立山に到着(13:05)
見晴らしは札立山よりこちらのほうが良い。和歌山方面がよく見える。
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3/22 13:05
チェックを忘れたのだが、ここが鳴瀧峠だった気がする(13:15)
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3/22 13:15
チェックを忘れたのだが、ここが鳴瀧峠だった気がする(13:15)
巣箱のあるピーク(13:21)
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3/22 13:21
巣箱のあるピーク(13:21)
■見返り山着(13:38)
古名は「金剛童子山」というらしい。修験の山だ。
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3/22 13:56
■見返り山着(13:38)
古名は「金剛童子山」というらしい。修験の山だ。
ここは紀州方面の見晴らしが抜群だ。広い山頂にはベンチがたくさんある。
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3/22 14:03
ここは紀州方面の見晴らしが抜群だ。広い山頂にはベンチがたくさんある。
紀州方面
2016年04月03日 22:50撮影
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4/3 22:50
紀州方面
紀州方面から登ってきた人なら、確かに、来し方を見返ってしまうだろう。
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3/22 13:38
紀州方面から登ってきた人なら、確かに、来し方を見返ってしまうだろう。
北のほうをみると・・・
左から、大福山、懺法が岳、井関峠、雲山峰手前のピーク、地蔵山。右の方にちょこんとトンガリを出しているのが雲山峰か?
2016年04月03日 22:52撮影
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4/3 22:52
北のほうをみると・・・
左から、大福山、懺法が岳、井関峠、雲山峰手前のピーク、地蔵山。右の方にちょこんとトンガリを出しているのが雲山峰か?
■14:05、もうこんな時間だ。雲山峰は当然あきらめて、井関峠から降りることにする。とりあえず大福山に向かう。
大福山への道もすばらしい。
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3/22 14:06
■14:05、もうこんな時間だ。雲山峰は当然あきらめて、井関峠から降りることにする。とりあえず大福山に向かう。
大福山への道もすばらしい。
■14:12、奥辺峠。峠らしい峠で好ましい。
ここで紀州側から登ってきたハイカーに出会う。見返り山方面に歩いて行かれた。
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3/22 14:13
■14:12、奥辺峠。峠らしい峠で好ましい。
ここで紀州側から登ってきたハイカーに出会う。見返り山方面に歩いて行かれた。
お地蔵さんあり
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3/22 14:13
お地蔵さんあり
拡大してみると・・・・地蔵さん自体は新しいもののようだ。
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3/22 14:12
拡大してみると・・・・地蔵さん自体は新しいもののようだ。
ここからも平坦な道が続いている。
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3/22 14:13
ここからも平坦な道が続いている。
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3/22 14:28
14:35、大福山へ600mという看板を過ぎたあたり、小さな尾根を越す。
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3/22 14:35
14:35、大福山へ600mという看板を過ぎたあたり、小さな尾根を越す。
14:43、鉄塔分岐を過ぎると大福山直下の大福山地蔵尊。
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3/22 14:43
14:43、鉄塔分岐を過ぎると大福山直下の大福山地蔵尊。
ここにもベンチが置かれ見晴らしがよかった。
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3/22 14:44
ここにもベンチが置かれ見晴らしがよかった。
14:46、さて大福山への分岐着。
ここは俎石山、井関峠への分岐になっている。
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3/22 14:46
14:46、さて大福山への分岐着。
ここは俎石山、井関峠への分岐になっている。
古い石祠に新しい観世音菩薩がお祀りされている。大福山は本来、麓の本恵寺の奥の院で、ここに観音様がお祀りされていたという。
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3/22 14:53
古い石祠に新しい観世音菩薩がお祀りされている。大福山は本来、麓の本恵寺の奥の院で、ここに観音様がお祀りされていたという。
石碑、祠をまとめると横一列に並んでいる。
要するに、葛城二十八宿経塚の第3番は古文書によって諸説あり、ここ大福山、雲山峰、大福山より来たに少し下った第3経塚旧地、それに墓ノ谷・役行者御母公の墓にあったという説もある(智航・葛嶺雑記)。
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3/22 14:57
石碑、祠をまとめると横一列に並んでいる。
要するに、葛城二十八宿経塚の第3番は古文書によって諸説あり、ここ大福山、雲山峰、大福山より来たに少し下った第3経塚旧地、それに墓ノ谷・役行者御母公の墓にあったという説もある(智航・葛嶺雑記)。
山頂部はベンチも多数置かれ、二方の樹木が切り払われて、見通しはよい。一つは多奈川方面
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3/22 14:54
山頂部はベンチも多数置かれ、二方の樹木が切り払われて、見通しはよい。一つは多奈川方面
和歌山方面
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3/22 14:57
和歌山方面
■少し休憩したあと、第3経塚旧地に行ってみる。さりほどの分岐から3、4分下って行き、巻道になるころ、「第三経塚跡」の案内板があって、ゆくやかな尾根を少し登ると経塚があった。大福山の分岐から5分くらい。尾根の中央、岩が転がっており、岩の間にヒデが置かれていた(15:05)。
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3/22 15:05
■少し休憩したあと、第3経塚旧地に行ってみる。さりほどの分岐から3、4分下って行き、巻道になるころ、「第三経塚跡」の案内板があって、ゆくやかな尾根を少し登ると経塚があった。大福山の分岐から5分くらい。尾根の中央、岩が転がっており、岩の間にヒデが置かれていた(15:05)。
15:05、大福山の分岐まで戻ってきた。足はあまり調子良くない。時々、右ふくらはぎがピリピリする。左は前の筋肉が張っている。こうなると退散しかない。とりあえず井関峠へ。
あれ、ここにも大福山弁天窟の看板があった。弁天窟は大福山から俎石山の間から下るものだと理解しているのだが、ここからも行けるのか?それらしき踏み跡はないけれど?
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3/22 15:11
15:05、大福山の分岐まで戻ってきた。足はあまり調子良くない。時々、右ふくらはぎがピリピリする。左は前の筋肉が張っている。こうなると退散しかない。とりあえず井関峠へ。
あれ、ここにも大福山弁天窟の看板があった。弁天窟は大福山から俎石山の間から下るものだと理解しているのだが、ここからも行けるのか?それらしき踏み跡はないけれど?
■巻道はとらずに、ひと登りして、「せんぽうが岳」に着いた(15:23)。
ここは懺法が岳(西峰)と名前が付いていた。見晴らしはすこぶる良好。
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3/22 15:24
■巻道はとらずに、ひと登りして、「せんぽうが岳」に着いた(15:23)。
ここは懺法が岳(西峰)と名前が付いていた。見晴らしはすこぶる良好。
看板には「籤法が岳(せんぽうがだけ)」と表記してある。「籤法が岳」はすぐ東にも同じ名前のピーク(381m)があり(あるいは、2つのピーク合わせての山塊を「籤法が岳」?)、2006年に、その「籤」が「懺」に修正されたものらしい。そこで、「懺法が岳」。
http://6232.teacup.com/syoutann/bbs/787
たしかに、修験等で、懺悔の修法から来ていると言われればその通りである。しかし、2008年のあるブログ写真には、正しく「懺法が岳」と表示されているのに、今は「籤法が岳」と再修正?表記してあるのはどういうことや?
http://yamacdfuro.blog10.fc2.com/blog-entry-170.html
一方では、ココ、西の「懺法が岳」は「懺法ヶ岳(せんぽうヶだけ)」、東のP381「懺法が岳」は「籤法ヶ岳(くじほうヶだけ)とする意見もある。2008年のあるブログ写真にも、林野庁の案内図に、西は「懺法が岳(せんぽうがだけ)」、東は「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」とある。地元の方のサイトにも、「昔からこういわれてきた」とあった。ココ西の「懺法ヶ岳」はたしかに修験の行所になっているので、「懺法ヶ岳(せんぽうヶだけ)」でよいだろう。でも、東の「懺法ヶ岳」は修験の山と関係がないのなら、「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」でもよい気がする。東のP381「懺法が岳」が、つい最近まで「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」と呼び慣らされてきた理由があるのだろう。その理由も知りたいところだ。ボクは地名については地元主義だからね。
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3/22 15:23
看板には「籤法が岳(せんぽうがだけ)」と表記してある。「籤法が岳」はすぐ東にも同じ名前のピーク(381m)があり(あるいは、2つのピーク合わせての山塊を「籤法が岳」?)、2006年に、その「籤」が「懺」に修正されたものらしい。そこで、「懺法が岳」。
http://6232.teacup.com/syoutann/bbs/787 たしかに、修験等で、懺悔の修法から来ていると言われればその通りである。しかし、2008年のあるブログ写真には、正しく「懺法が岳」と表示されているのに、今は「籤法が岳」と再修正?表記してあるのはどういうことや?
http://yamacdfuro.blog10.fc2.com/blog-entry-170.html 一方では、ココ、西の「懺法が岳」は「懺法ヶ岳(せんぽうヶだけ)」、東のP381「懺法が岳」は「籤法ヶ岳(くじほうヶだけ)とする意見もある。2008年のあるブログ写真にも、林野庁の案内図に、西は「懺法が岳(せんぽうがだけ)」、東は「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」とある。地元の方のサイトにも、「昔からこういわれてきた」とあった。ココ西の「懺法ヶ岳」はたしかに修験の行所になっているので、「懺法ヶ岳(せんぽうヶだけ)」でよいだろう。でも、東の「懺法ヶ岳」は修験の山と関係がないのなら、「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」でもよい気がする。東のP381「懺法が岳」が、つい最近まで「籤法ヶ岳(くじほうがだけ)」と呼び慣らされてきた理由があるのだろう。その理由も知りたいところだ。ボクは地名については地元主義だからね。
ともあれ、ここは修験の山で「懺法が岳(せんぽうがだけ)」
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3/22 15:24
ともあれ、ここは修験の山で「懺法が岳(せんぽうがだけ)」
東の「懺法が岳」は西の「懺法が岳」をいったん降りて、巻道を通らず登り直す。
山名表記はマチマチだ。
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3/22 15:26
東の「懺法が岳」は西の「懺法が岳」をいったん降りて、巻道を通らず登り直す。
山名表記はマチマチだ。
■東の「懺法が岳」山名板(15:28)
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3/22 15:29
■東の「懺法が岳」山名板(15:28)
こちらのピークは、ベンチはあるものの、見晴らしはやや悪い。そそくさッと写真だけ撮って退散。
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3/22 15:29
こちらのピークは、ベンチはあるものの、見晴らしはやや悪い。そそくさッと写真だけ撮って退散。
■15:33、西谷池分岐
ここを過ぎたあたりの坂道で足が攣った。一度に両足が攣るもんだから倒れるしかない。普通の坂道でよかったが、ガケや沢道なら厄介なことになっただろう。10分ほど小休止。
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3/22 15:33
■15:33、西谷池分岐
ここを過ぎたあたりの坂道で足が攣った。一度に両足が攣るもんだから倒れるしかない。普通の坂道でよかったが、ガケや沢道なら厄介なことになっただろう。10分ほど小休止。
バベ尾分岐通過(15:45)
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3/22 15:45
バベ尾分岐通過(15:45)
バベ尾とはけったいな名前だか、道はすこぶるよさそうだった。
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3/22 15:45
バベ尾とはけったいな名前だか、道はすこぶるよさそうだった。
道は次のピークを登るのかと思ったら、巻道だった。この尾根コースはほとんど巻道で平坦だ。
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3/22 15:46
道は次のピークを登るのかと思ったら、巻道だった。この尾根コースはほとんど巻道で平坦だ。
■井関峠着(15:49)
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3/22 15:49
■井関峠着(15:49)
実に良い峠だ。テントも張れるし水は東西の谷におりれば採れるだろう。テントOKかどうかは知らないが、案内板には、レクリエーション利用を図る自然休養林なので、問題はないだろう。当初の計画では、孝子から入って、ここで一泊する予定だった。
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3/22 15:50
実に良い峠だ。テントも張れるし水は東西の谷におりれば採れるだろう。テントOKかどうかは知らないが、案内板には、レクリエーション利用を図る自然休養林なので、問題はないだろう。当初の計画では、孝子から入って、ここで一泊する予定だった。
紀州側は見晴らしもよい。
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3/22 16:03
紀州側は見晴らしもよい。
ここには峠のお地蔵さんもおられる。
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3/22 16:05
ここには峠のお地蔵さんもおられる。
ここから下る坂道は、ろくろ坂というらしい(16:11)。しかし今は林道だ。
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3/22 16:11
ここから下る坂道は、ろくろ坂というらしい(16:11)。しかし今は林道だ。
■16:26、大福の名水。峠から20分だった。
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3/22 16:27
■16:26、大福の名水。峠から20分だった。
3箇所に水汲みが作られている。清冽!うまい、ありがたい。空いたペットボトルに詰めて持って帰って翌日も飲んだ。
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3/22 16:29
3箇所に水汲みが作られている。清冽!うまい、ありがたい。空いたペットボトルに詰めて持って帰って翌日も飲んだ。
■16:33、井関橋
橋の袂の道標(明治二年)には、
「右 いせき道」
「南無妙法蓮華経十方法界」
「右 はかの谷江十八丁」
と彫られている。
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3/22 16:33
■16:33、井関橋
橋の袂の道標(明治二年)には、
「右 いせき道」
「南無妙法蓮華経十方法界」
「右 はかの谷江十八丁」
と彫られている。
ここから墓の谷行者堂への道が分かれる。あと十八丁だそうだ。
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3/22 16:33
ここから墓の谷行者堂への道が分かれる。あと十八丁だそうだ。
別にも古い道標があるが、ここには「是ヨリ奥 日の出 十八丁」とある。はて、「日の出」とは?
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3/22 16:33
別にも古い道標があるが、ここには「是ヨリ奥 日の出 十八丁」とある。はて、「日の出」とは?
先程の道標からは、このみちは「井関道」と言うようだ。どんどん下って行く。
一ヶ所、土砂崩れで通行止めのところがあった。
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3/22 16:40
先程の道標からは、このみちは「井関道」と言うようだ。どんどん下って行く。
一ヶ所、土砂崩れで通行止めのところがあった。
■牛神さん(16:40)
川が湾曲するところで祠があった。牛神さんというようで、多数の牛の置き物がお祀りしてあった。
牛神さんは馬の馬頭観音に相当するものか?
泉州の熊野街道筋にはよく見られるようだ。
−牛神は水の神様である。米作りには水が必要で、そして牛や馬が必要である。特に西日本では牛だ。米作りが無事にできるよう、また牛の労苦を労うようお祈りをしただろう。
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3/22 16:46
■牛神さん(16:40)
川が湾曲するところで祠があった。牛神さんというようで、多数の牛の置き物がお祀りしてあった。
牛神さんは馬の馬頭観音に相当するものか?
泉州の熊野街道筋にはよく見られるようだ。
−牛神は水の神様である。米作りには水が必要で、そして牛や馬が必要である。特に西日本では牛だ。米作りが無事にできるよう、また牛の労苦を労うようお祈りをしただろう。
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3/22 16:48
奥畑の石垣
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3/22 16:52
奥畑の石垣
■小川地蔵さんの分岐(16:54)
この横に小川地蔵さんがいらっしゃる。この左手を行く道も、八王子社跡経由で大福山に登る行者さんの道のようだ。
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3/22 16:54
■小川地蔵さんの分岐(16:54)
この横に小川地蔵さんがいらっしゃる。この左手を行く道も、八王子社跡経由で大福山に登る行者さんの道のようだ。
「ようおまいり」 この瓦葺きの祠はなかなか洒落ている。お地蔵さんはいらっしゃるが、中には多くの碑伝がお供えされていた。
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3/22 16:54
「ようおまいり」 この瓦葺きの祠はなかなか洒落ている。お地蔵さんはいらっしゃるが、中には多くの碑伝がお供えされていた。
さらに、5、6分下ると椎木地蔵尊(17:00)
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3/22 17:00
さらに、5、6分下ると椎木地蔵尊(17:00)
この謂れはよく知らない。
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3/22 17:00
この謂れはよく知らない。
あたりの山はヤマザクラが花盛り。
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3/22 17:09
あたりの山はヤマザクラが花盛り。
17:32、六十谷駅着。
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3/22 17:32
17:32、六十谷駅着。
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