オークラノ尾・奥東山・ハナノ木段
- GPS
- 08:19
- 距離
- 17.5km
- 登り
- 1,141m
- 下り
- 1,143m
コースタイム
天候 | 晴時々曇一時雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
古い作業道の跡が所々にある程度 |
写真
感想
猛暑日54日を記録した夏が終わり、昨日から急激に気温が下がった。一日晴れの天気予報に急に思い立ち2ヶ月ぶりの山行に勇んで出発した。佐々里川に張出す尾根の先端に石垣の残る屋敷跡から尾根に取付き斜面を這い上がった。二つの谷を巻き込むようにU字型に大きく回り込んで稜線が続き、何度も偽ピークを見てP635に達した。北の方に若干の展望があり奥ノ谷山(811m)を望むことができた。小ピークを一つ越えると藪が濃くなり通過に苦労するようになった。標高800mに達する傾斜と藪が落着きなだらかに進んでオークラノ尾(826m)に達した。展望はなく3等三角点「田歌」があり明治23年埋標以来荒らされることもなく綺麗な姿を維持していた。
オークラノ尾直前から雨が降り出した。京都市の天気予報は一日晴れだったが近畿北部は大気の状態が悪く俄雨となった。嘗て地元の林業者等が歩いたのだろうか微かに踏み跡が残り、辿って行くと何時しか方向違いに気づき10分のロス。地形図で点線道の越える峠を横断するが一つ前の尾根を下ってしまったようで、谷を横断して反対側に取付いた。アップダウンが続き、掛橋谷山から北上して来た稜線との合流点は奥東山へ往復した後南に行く分岐点となる、何の特徴もなく知らぬ間に通過してしまった。その後比較的明瞭な稜線を気持ちよく進んでいると北西に延びる尾根に入ってしまいまた引き返した。南西への下降点は灌木が密生し、然も急斜面でルートが見出せなかった。稜線上にいるのにGPSは谷を示しており地図にも信頼がおけなくなってしまった。右往左往の果て何とかルートを見出し、奥東山へと進むことができた。
奥東山直前も稜線が複雑で広い山頂域の中心に小さな山頂プレートが2つ掲げられていた。一時強く降った雨も止んできた道を引き返すが、分岐ピークへの登り返しは気が重い。登りなので道は間違うことはなかったが狭い稜線は密林で右に避け、左に躱し蜘蛛の巣が顔にべったり付いたり、悪戦苦闘の末分岐のピークに戻ってきた。南に進路を取り微かな踏み跡を辿って行くとまた左に振り過ぎて6分のロス、中間部で唯一の標高点P792は羊歯で覆われ、羊歯を踏んで進んだ。ピークの南側に展望地があり大段谷山(795m)と後方に天狗岳(928m)、小野村割山(932m)を望むことができた。
分岐のピークから3.5辧▲魯淵離段山は遠い。小さなアップダウンを繰り返し、藪があったり、下草のない歩き易い稜線があったりと人の来た形跡も見いだせない稜線が続いた。P792から1.8卍来た処で突然ピンクテープが現れた。この突然さは何だろう?沢屋が稜線に乗り上がった処に付けた印なのだろうか。ピンクテープはハナノキ段山の手前で途切れた。足元には綺麗なタマゴタケが笠を広げていた。ハナノキ段山(704m)は縦走稜線を南に張出した所にあり、展望もない暗い山頂だったが、3等三角点「佐々里」が置かれていた。分岐に戻るが早く回り過ぎてまた間違えてしまった。
後は下るだけ、東に続く主尾根を忠実に下るが標高線の詰まった処で急斜面、しかも地形図にも現れない小さな谷が広い稜線に現れルートファインディングに悩む場面もあった。剣のように付き出した先端には美山高校の校舎があり、その脇に下りて来た。美山高校は全寮制の普通科の高校として昭和59年(1984)に開校したが、平成21年(2009)生徒募集を停止し廃校となった。その後通信制高校として京都市上京区に新校舎が建設され今に至っている。府道38号線を歩き駐車地点の一ノ谷出合に戻り周回縦走を終えた。
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