槍ヶ岳 〜表銀座、東鎌尾根
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- GPS
- 27:43
- 距離
- 43.5km
- 登り
- 3,077m
- 下り
- 3,043m
コースタイム
- 山行
- 6:30
- 休憩
- 3:06
- 合計
- 9:36
- 山行
- 6:35
- 休憩
- 0:51
- 合計
- 7:26
- 山行
- 6:53
- 休憩
- 3:12
- 合計
- 10:05
天候 | 1日目晴れのち曇り、2日目晴れのち曇り、3日目曇りのち雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
帰りは上高地から予約したタクシーで移動 |
写真
感想
あれっ、と思ったら右足は谷へ滑っていた。目の前に木の根があって、右手でそれをつかんで脚を戻すと、カメラを握った右手と力の入った股関節が痛かった。右足の下にはなにもなかった。後から考えて、滑落ってこんな何でもないところでちょっとした不注意からおきるんだと認識した。ちょっとゾッとした。後ろから見ていた美由紀の話では、よそ見をしていて踏み外したらしい。とっさにザックをつかんでくれたようだ。自分で上がった気でいた。反省した。より危険個所が連続するコースの序盤で、これを経験したのですべての行程を慎重に行くことができた。
登山の前はいつも眠れないが、この日は12時過ぎまでは眠れて、2時半に起床した。娘と相方と3人で行く久しぶりの泊まりの登山ながら、槍ケ岳をめざすのは不安7、期待3だった。昨日作ったポテトサラダとパンで簡単に朝ご飯を済ませて、時間通り3時半にタクシーに乗った。途中雨がパラつく、だんだんと下り坂の予報で海の日の梅雨明けからずっと続いていた好天をうらやましく思った。すれ違う車もなく、10,800円(深夜料金)でタクシーを降りると、運さんの車がいた。HちゃんとT先生との久しぶりの再開。男性陣たよりにしてますよ。
今回はYさんから極力荷物を減らして10kg以内にと言われたので、着替えも水も減らした。今回からCamelbakの給水ボトルも導入した。T先生のザックを持つと自分より重い…若いしな。Hちゃんは…持てないくらい重い。あとから分かったがビンのワインや、普通山に持ってかないだろうと言うようなコンビニのソバのパック、おにぎり10個、つまみたくさんが入っていたようだ。自分など泣く泣く三脚をあきらめたところ、娘が持ってくれることになり感謝したほど。Hちゃん、普段から30kgほどかついでトレーニングしているとか。
きれいな中房のトイレで身支度を整え、登山開始だ。当然のいきなりの急登だが、先頭のYさんがペースを作ってくれて苦しくない。前の土日、夏休みに入って夏バテ気味だったので心配したが大丈夫そうだ。心配した雨もない。ヘッドランプに照らされた道も徐々に明るくなってきた。それでも、少し疲れたと思う頃、第一ベンチである。燕は親切だ。この後第2、第3とベンチごとの小休止をした。
気がつくと有明山がすでに眼下になっている。いつもりりしくそそり立つ有明山を見下ろすのはいい気分だ。木の間から稜線に立つ大天井荘が見えた。出発したのは先頭だったが、次第に何人かに抜かれ、下山者ともすれ違うようになった。富士見ベンチを過ぎて「合戦小屋まで7分」の標識を過ぎると黒い合戦小屋に到着した。
合戦小屋の由来は、八面大王伝説に由来するものらしかった。トイレを済ませてくると、Yさんと孫のAちゃんが名物のスイカをほうばっている。800円x3切れは多いなと思ったが、8分の1を切ってもらったと。一切れをお兄さんに3等分してもらい、それでも大きなスイカを堪能した。甘くて、みずみずしくておいしかった。波田のスイカはやはりおいしかった。一日に50個も売れるときがあると言う。
合戦小屋を過ぎて、開けた槍見ベンチに着いた。まだ早いと思ったがAちゃんが休むと言う。休もうとすると、ガスがスッと晴れて、大きな槍の穂先が顔を出した。槍ってこんなに大きく見えるのか?あわててシャッターを切った。Aちゃんが休もうと言ったおかげだ。燕山荘や餓鬼岳も見える。下山してきた男性が「おこじょがいる」と遠くで言っていたが気にもとめなかった。
後少しと槍見ベンチを出発。その時、おこじょが顔を出した。数枚の写真。確実に撮ったぞ。Aちゃんも娘も大喜びだ。東には八ケ岳など時々ガスが晴れる景色のいい道を歩いていたところ、突然…が冒頭の一コマである。カメラやストック、服のほこりを払い慎重に歩を進ませることになる。その後、先行するAちゃんや娘が事細かに危険個所を教えてくれた。
燕山荘に到着するや前を歩いていた娘が「おとうさん、すごいよ!」と声を上げた。どれどれ、「すっご〜い」展望である。燕岳の山頂方面は晴れて白く光り、槍ケ岳から裏銀座の山々が連なっているのが一望できた。
三脚を出して皆で記念撮影をしたら、Yさんが燕山荘のオーナーの赤沼さんを
紹介してくれた。後で上司に聞いたら遠縁に当たるらしかった。まだ、時間があるからとコーヒーと子供たちに凍ったイチゴミルクを振る舞ってくれた。どれもおいしかった。高いコーヒーを頂いて申し訳ないので、子供たちにコーラを買った。
ちょっと長居をしたので、槍ケ岳は雲に隠れていた。それでも燕岳はまだ雲に浮かぶ城のように美しく見えていた。崖の下にはホシガラスが来て何かをついばんでいた。いよいよアルプス銀座へ。
大天井に続く縦走路は、東斜面は雲に遮られていたものの、西斜面はきれいに見えていた。やせた砂礫の斜面にはそこかしこにコマクサが群生して、見ごろを迎えていた。そんな斜面を慎重に通過していった。
蛙岩を過ぎると次第に青空は隠れていった。その時、道に雷鳥の親子が顔を出してくれた。Aちゃんに追われて稜線の方に上がっていったが、オコジョに雷鳥といいものが見られた。
大天井荘泊まりの赤沼さんが追い越していった。お天気が怪しくなり、心細くなってくると、体力もつらくなっていた。なんとか稜線が終わって、大天井荘への分岐でへたり込んだ。あとどれくらいあるんだろう。
そこからは、鎖も出現する岩場となった。明日もこのくらいかとYさんに尋ねると序の口だねと返事された。Aちゃんのまだかの声が続く。再び疲れて来たと思った頃大天井ヒュッテの赤い屋根が見えた。着いた〜。一足先に到着した娘が写真を撮っていた。おりる寸前に亀のようにゆっくりと登りだす、テントを担ぐご夫婦に出会った。あれで大丈夫なの?と心配になった。
ヒュッテはきれいで、個室の上に空いていた。3人部屋と6人部屋で2人、5人に分かれて陣取った。夜まで昼寝をするもの、Hちゃんのワインで楽しむ者。夕飯に集まってきたのは15人ほどで、夏休みとはいえ平日はこんなものなのかというほどの空き具合だった。ヒュッテは鞍部にあるので展望も寂しく大天井荘へ行く人が多いのか。
水は500m下からポンプアップしているのだが、昨日までは壊れていて水制限があったとのこと。今日直ってお客さんたちは運がいいと、ご主人が言った。明日の天候は天気予報が次第に悪くなっているが、今日のように変わりやすい天気ではないかとのことだった。ガスが立ちこめる夕方、少し夕日が明るいときもあったがガスは晴れなかった。
水はそういうわけで大切なわけだが、宿泊者は自由にもらえた。食堂にあるタンクからじょうごを使ってボトルに移すのはちょっとコツが必要だった。
夜半にトイレに起きると、トイレの窓からは星が見えた。外へ出ると、山特有の満天の星空が広がっていた。東鎌尾根は難コースと聴いてびびっていた上、天候も悪そうで暗い気持ちだったが少しうれしくなった。山の天気はよくわからない。
明るくなって起きだすと、南には槍沢の雲海と穂高連峰が西岳ごしに光っていた。光っていたのは北穂小屋の明かりだった。5時からという食事が早まり、登山客は次々に出発していった。われわれも主人にお礼を言って宿を後にした。
牛首山をトラバースして稜線に出ると、槍がドーンと青空をバックに見えた。やった〜。ほどなくびっくり平に到着し、西側に回り込んだところで記念撮影となった。今年の年賀状はこれだね。裏銀座も立山まで見えていたが剣は雲がかかっていた。
しばらく、絶景の尾根歩きを楽しんだ。どこでも撮影ポイントであり、また斜面はお花畑が広がってこれほどの運がいいのはなぜ?とうきうきしてくる。常念山脈の向こうには雲海が広がっていた。気がつくと常念岳の左に富士山も姿を見せ、八ケ岳も見渡せた。南から徐々に雲が上がってきたが、西岳手前のケルンまでは本当にいいお天気だった。
ケルンで早弁をいただいた。Kaさんに電話が通じてお天気を伝えると「奥様によろしく」と言われた。アイシティにバッグを一緒に映した写真を持っていくと映画の券をもらえるとかで、娘の写真を撮った。
出発してほどなく西岳ヒュッテに到着した。槍は徐々に雲に巻かれつつあった。ここからがいよいよ難コースだ。まず、最初の大下りに入った。はしごや鎖が続いて高度感もそれなりだった。来る前にホームページで見た通りだったが、唯一違ったのはそれほど怖くはないということだった。はしごの下段から横の鎖に移るところも子供たちも含めて難なく通過できた。ただ、時間はかかった。結構な下りだったのだ。水俣乗越を過ぎて、見晴らしの良さそうなピークでお昼となった。まだ先は見えなかったし、実際雲が行く手を遮っていた。
空気も薄くなり、脚も重くなってきた。眼下に槍沢が見え、米粒のような登山者が沢を登っていた。こちらは難コースながら変化に富んで飽きることはなかった。最後の難所3連ばしごを降りた。振り向くと両側が切り立っておりどちらに進んでいいか分からなかったが、相方はそこをまっすぐ飛び降りて、私をハラハラさせた。
ヒュッテ大槍まであと10分の標識のある大岩のところまで来た。Yさんが前にSさんと来たときは雨でこの影でご飯を食べたと言っていた。今日はずっとましだ。10分は嘘だとみんなが愚痴をこぼすなか、ヒュッテに到着した。
雨がパラついていた。山田さんたちは持ってきたラーメンを作って食べたが、おすそ分けしてもらい山で食べるラーメンはどうしてこんなにおいしいのかと思った。水が少なくなってきたので、1L200円で買って、あとCCレモンを飲んだ。炭酸も美味しいのだ。
3連ばしごのようなのはなかったが、東鎌尾根の最終部分はやはり岩場だった。その時、ガスの中に三角の巨大な影が浮かんだ。槍だ。とても大きく見えた。とうとうここまで来た。今日の行程を思えば頂上までもきっと行ける、そう思った。
娘とAちゃんは最後の舗装部分を駆け登った。3,000mでそれはないだろう…普通。槍ケ岳山荘で2段の上の部屋を確保した。そこに至る本当の垂直ばしごで翌日の登頂に向け、めいめいがトレーニングを重ねた。外は雷雨に変わっていた。
到着時にモンベルカードで槍ケ岳の食堂でコーヒー一杯のサービスを受けられるようだったので、ミルクを頼んだ。入ってくる登山者は一様にずぶぬれだった。われわれは運が良かったのだろう。
5時40分からの食事。山では食事がおいしくてついおかわりをしてしまう。相方も今回は高山病の症状もなく、食欲もばりばりだった。食事が終わって階段を上ると槍が窓からくっきりとみえていた。なんと頂上に人がいる。雷雨の中北鎌尾根を登ってきたのだろう。強者だ。Aちゃんと相方は下山まで見届け、ヒーローを見ている気分だったそうだ。
小雨になって、穂先ばかりでなく常念岳まで見えてきたので、傘を差しながら写真を撮ってきた。前穂や笠ケ岳、西鎌尾根はこれが見納めだった。
夜中に起きて外に出てみると、今日も星空が広がっていた。娘が見たいと言っていたので起こした。三脚を持ち出して夜景撮影にチャレンジした。3時ごろにもう一度撮影に出ると、すでに穂先に登って行く明かりが見えた。ただ、これが穂先を見た最後になった。ガスが巻いてしまったのだ。
ご来光は拝めず、Hちゃんが朝飯に並んでくれたおかげで、穂先へ早く出発することができた。列の途中に割り込んだ30代の女性がいた。一人では怖いので一緒に登りたいという。OKだ。山ではすぐに仲間になってしまう。岩場はしっかりしていて、目印も多く、要所要所に杭も打ってあるので安全に登っていけた。そして、何度も写真で見て登れるか心配だった垂直ばしごも、あっけなくクリアーして、とうとう槍の頂上を極めた。
皆で万歳をした。Hちゃんたちはアルプス一万尺を歌っていた。時おりガスが流れると、上の雲と雲海の間が遠くまで見渡せ、北には鹿島槍ケ岳付近の峰々が遠望できた。お社に感謝して、その前で記念撮影をした。穂先の頂上はやはり狭かったが、後続は少なくてゆっくりすることができた。北鎌尾根の方向を見ると尾根というより断崖が続いていただけだった。
下りでは特に慎重なザイルワークで頑張る家族がいたが、われわれは手足を使ってするすると降りていった。登頂待つ人に上ではガスが晴れてますよと言ったが、冗談でしょと最初信じてもらえなかった。雨にも遭わず、短いがすばらしい登頂だった。仲間になった女性も一緒に下山した。
山荘で身支度を整え、Yさんの言う「ひたすら下るだけ」の一日を開始した。雨が降ったりやんだりでうっとおしかった。唯一の楽しみは槍沢ヒュッテで食べる予定のラーメンだった。
雪渓を2度トラバースし、播隆聖人が過ごした石窟を見ながら、降下していった。大きな雪渓が終わり、グリーンベルトを越えて、最後の雪渓で休憩を取った。昨日の水俣乗越からのエスケープルートの分岐はかなり下ったところで、もしこちらにエスケープした場合は上高地に下るしかなさそうだと思った。その位置から見る西岳や東鎌尾根ははるか上方で、ガスにかすんでいた。昨日どこを越えたか分からなかった。
やはり槍は2度とその姿を見せなかった。
二ノ俣、一ノ俣を越えてばば平で休憩をとると、次は槍沢まで下った。さあラーメン。うまかった。汁もすべて飲んでしまった。
槍沢では入浴も可能なようだった。水が豊富であり、飲料水も無料だった。今回の給水バッグは非常に役に立った。歩行しながら給水できるので、休憩時間を他のことに有効に使うことができるというメリットがあることも分かった。また、小まめに給水すると体の渇きも軽いように思えた。
ラーメンを食べていると、雨が本降りとなっていた。次は横尾まで一気に下った。具合の悪かった小学生がいたらしく、救助隊が担ぎ下ろす早さは我々が下る早さと一緒だった。横尾から車に乗って下っていった。点滴を差していたので高山病か下痢かな。
徳沢では名物のソフトを食べた。濃厚な観光地のソフトだった。おいしく感じられた。また、雨が降ってきた。
前方に外人のカップルが歩いていた。普通に歩いているようで、かなり頑張っても追い越せない。娘とAちゃんは走って抜かした。抜いてしまうと彼女達は
目標を失った。明神を越えると、親子の男の子がいいターゲットとなった。本人は気付いていなかったが、追いつきそうになると走って逃げるので、娘たちはむきになって追いかけ、とうとう抜いた。
大人たちはへとへとだった。小梨平で本降りになってふたたび身支度をした。河童橋に到着。雨の夕方観光客は少なかった。Yuさんの予約してくれたタクシーですぐに波田に向かえたのはうれしかった。12,000円は島々までの料金といっしょだった。
相方の実家で登山靴から開放され、ファインビューで3日間の匂いを落とした。最後はガストで水をがぶ飲みして帰った。
本当に槍に行ってきたのだ。
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