太郎山〜赤木沢遡行
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- GPS
- 112:00
- 距離
- 26.5km
- 登り
- 1,923m
- 下り
- 1,901m
コースタイム
8月9日・薬師沢小屋5:30‐6:28赤木沢出合6:40‐6:47三段の滝-9:15草つき大休止10:15-11:14赤木岳- 以下記録なし
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
8月8日;ゲート6:00-6:40折立 8月10日;折立-大平宿 |
感想
有峰湖〜薬師沢山行,および赤木沢遡行記録 1999年8月7(土)〜9(月)
広島・佐伯FHC(広島県勤労者山岳連盟) Naka=CL,Oga,nobou
8月7日(土)〜9日(日)
有峰湖へ
7日8::40,国分寺の自宅を出る。水上に寄って新しい車を受け取り、日本海まわりで有峰湖・折立を目指すも20:00の閉門に間に合わず、神岡町に廻ってR471の駒止橋から東谷林道に入り、金木戸川沿いに有峰湖に向かう。途中で1時間40分の仮眠。
8日4:00に目覚め同54,ゲート着。先着の車が2台。後続車数台。6時の開門までにパッキング。6:00開門。40分で折立へ。快晴。大変な車の数で登山口のはるか手前に駐車する。
FHCの2人はのnobouの出発が丸1日早くなったことを知らず、着くのは今夜か明朝と思っている。なので夜通し歩いて彼等が薬師沢に降りる前に太郎平でつかまえようと思っていたが、その目論見がはずれた。日本海まわりでなく、松本からまっすぐ有峰湖に入るべきだった。
今回は広島から4名パーティーで薬師岳を縦走してきたFHCのメンバー中の2名と合流して薬師沢に下り、赤木沢を遡行しようと言う計画で、太郎平で合流することにこだわったのは赤木沢で幕営したいためである。おそらく彼等は荷物を薬師峠にデポして薬師小屋泊まりの軽装で薬師沢に降りるか、予約は後まわしにして釣りに出ているかもしれないと思い、テントと炊事道具を持って行くことにする。
当然荷が大きくなるので渓流足袋で歩く。が、着いた時彼等は既に小屋を予約しており、思惑が裏目に出て結果的に余計な荷物を持って歩くはめになった。
太郎平へ
7:45発。前夜ゲート前で一夜を明かしたと言う町田の若い夫婦も一緒に出る。登山口の無料休憩所の横を通ってすぐに登山道に入る。3年ぶりの登山は前回(4年前)と同じ道で、太郎平までは5時間の行程だが4時間で着きたいと思ってはじめから飛ばす。
けれど始めはやはりきついので30分歩いたら荷物調整をしようと思っていた時、降りてくる一団を交わし、もう一つのパーティーを待っていると、それがOga,Nakaと別れて先に降りてきたSabuとTakaの2人だった。時刻は8月8日8時8分の8並び。思ったより早く降りてきたのに驚く。東北・朝日岳以来3年ぶりの再会。15分ほどそこで休んで近況報告と情報交換。話している間にいくつかのパーティーが追い越していく。
8:22発。もっと上の方で会うことを予想していたので予定外の休憩となり、その遅れを取り戻そうと急ぐ。8:50,休んでいる町田の夫婦を追い越す。一帯はブナ林にクロベとダケカンバが混じり、高度が上がるに連れてオオシラビソがそれに代わるようになる。
9:10“折立から50分・三角点へ30分”の標識の先で高校生とお母さんの親子連れと2組の夫婦を追い越す。そのうちの1組がついてきたが、ペースメーカーにおされるのは嫌なので先を譲る。その後を大きめの荷を背負った単独の若者が大粒の汗をぼたぼた落としながら登ってきたのでこれも先を譲る。9:25,1870mの三角点を休まず通過。道を譲った夫婦と青年が休んでいた。
三角点を通り過ぎながら左手・立山方面を見ると、弥陀ケ原の上に大日岳から始まって剣,立山,薬師(裏側)へと続く山並みがせりあがって来て、いきなり、北アルプスの大展望の中に飛び込んだという感じにさせられる。4年前は厚いガスに覆われて山は見えなかった。それ以前からというともう20年になる。
ある年、大汝山で行き暮れて本来は泊まることのできない避難小屋に泊めてもらったことがあった。小屋のあるじは『朝の大汝山からの展望に勝るものはない。せっかく泊まったのだから早く起きて見にいけ』と言ってくれた。小屋主の言葉通りの素晴らしい展望に声も出なかった思い出がある。
あるじは『梁場駅の近くで民宿をやっているのでぜひ寄ってくれ』と言い、翌々年訪ねて行くと今度は『剣沢から降りてくることがあったら仙人小屋に寄ってくれ』と言った。その仙人小屋にも後年,剣沢から下の廊下に下る途中に泊まって“光り苔”を見せてもらった。それが最後の剣・立山連峰である。
その後10年くらい山からも北アルプスからも遠ざかっていたが、こんな風だったんだなぁ,と改めて思い返す。その広がりと大きさをすっかり忘れていた。
雲一つなく行く手太郎平方面もすっきりと晴れ上がり、天気は安定していると思われた。三角点は絶好の展望台だが、早く樹林帯を抜けたいのでもう一つ上のピークまで休まず行くことにする。
オオシラビソとダケカンバの樹林帯と草原が交互に現れる中、10分ほどでピークに着いた(9:30)が、期待に反して展望が利かないそのピークを飛ばして、その先の鞍部で休むはめになる(9:45)。勘働きが悪い。
雲が少し上がり始めていた。右手の白山方面も晴れてはいるが、白山自体は雲で隠して顔を見せない。
目の前やや左手の薬師岳西部の斜面の緑は一色ではなく、萌黄色から芝を思わせる濃い緑まで変化に富んでのびやかに広がっている。それはかつて幾度となく目にした景観であり、山は少しも変わっていないのだが、その変わらないことに新鮮さを感じることが山との隔たりを物語っていると言える。それはあらゆる緊張と束縛から心身を解き放つ作用をもって迎えてくれているように思えた。雲の上にこんな世界があったことを長い間忘れていたように思う。
もう何年も職を探し続けてその日暮しにあくせくし、ただ生物的に生きているだけの日々である。悠久の存在として山が変わらずそこにあること,その存在の確かさがどれ程大切なものであり、どれほどそれを求めていたことであるかと気づく。
10:05発。そこからは広々としたゆるやかな登りとなる。下から元気のいい歌声が聞こえてくる。小学6年生くらいと中学生と思われるの女の子とその両親の4人づれで、下の子は会う人すべてに『こんにちは〜』と大きな声をかけ、大声で歌っていた。姉と両親も一緒に歌っていると言うおそろしく元気な明るい家族であ、私の知らない歌ばかりなので尋ねると、夏休みのはじめのサマーキャンプで習ったばかりの歌で、全部オリジナル,登山の間に覚えるのだと言う。
下の子がリードして他の3人がついて歌う。ついついその家族に引きずられてペースが狂ってしまったが楽しかった。もう少しつき合って歌の1つくらい覚えたかったが、先が気になった。
道が木の枠の中に石を並べた石畳になる。歩き易いと言えば言えるかもしれないがこの手の道は苦手だ。
11:00,“折立から6.0km・太郎平へ2.0km”の標識を通過。2分後にベンチのある休憩所に着く。ゲートで知り合った三河ナンバーの3人連れパーティーに追い着き、休んで行動食を腹に入れる。入善のFマートで買った餅がおいしくて食べやすい。
前夜この道を夜通しで歩いて今朝早く黒部五郎に登り、今下山途中だという人が話しかけてきて沢と釣りの話になる。赤木沢や黒部源流の沢と谷,イワナのこと等、地元の人ならでの情報を仕入れる。金木戸沢の情報も得た。
11:38発。話しこんで大幅に遅れたので先を急ぐ。いつしか森林限界を越えていた。2196mの独標を過ぎて左前方に薬師岳がその全貌を現すと、右手のゆるやかなモスグリーンのカーペットの広がりの向こうに太郎小屋が見えて来る。萌黄色に見えていたのはキンコウカの花で、それが一面にびっしりと咲いて絨たんのように見えたものだった。
タテヤマリンドウが盛期を迎え、コバイケイソウ,イワイチョウ,ニッコウキスゲの花はすでに終わって早くもアキノキリンソウが咲いていた。チングルマの綿毛が草原の風に揺れて、山はのどかな昼の時を迎える。陽射しは強いが風は冷たい。
12:20,太郎小屋着。三河の3人が迎えてくれた。ポリタンクに水を入れるのを忘れ、ほとんど水なしで登ってきたのでやむなくジュースを1つ買う。この後,三ケ日に行く予定だったので、三河の人達に南木曾から大平宿に入る道,大平から飯田に抜ける道,飯田から新城・三ケ日に至る道(R153)を教わる。
薬師沢へ下る
適当に食べて13:10発,水が欲しかったので急いで下る。沢が1本あったが水が止まっているのでやり過ごして急坂を一気に下り、13:43に沢に着いてやっと喉を潤すことができ生き返る。
この沢が意外と大きく、また2つの沢が合流していたので毛針を振ってみると一発で20cm強のイワナが飛びついてきた。もう1度振ると同じサイズのイワナがまた来た。2振り2尾である。もっとも2尾目は向こうが勝手に飛びついてきたもので釣ったというより釣れたというべきだろう。
リリースかキープか迷うサイズだが、黒部の源流域のイワナは小ぶりなのであまり大物は望めないと考えてちょっとかわいそうだったかキープする。
問題は3尾目である。出方が全然違っていた。電光石火、ガバッと水を割って飛び上がり、頭を中心にくるりと反転して水中へ・・,アドレナリンがどっと出る。その間まばたき1つ分,いや瞬くひまもなかったかもしれない。合わせたが遅かった。けれど毛針には触らなかった。様子を見なら『もう一度来る!』と思った。来た! アドレナリン分泌! 合わない。針にも触らない。やはり様子見だった。
イワナのライズではなく魚体も幾分白かった。あきらかにヤマメと思われたがそれっきりだった。黒部にヤマメがいるとは思っていなかった。イワナなら確実に釣れていたはずだが、ヤマメでは自分に釣れる率は10に0か1である。
釣ったイワナの腹を開けて胃の内容物を調べると小さな甲虫と川虫が主だった。餌も小さいから大きくなりようがないのだろう。細々と生きているのでろうと思えばあれば釣るに忍びなく、急速に釣意を失って竿を納める。
後から三河グループと釣竿を持った2人連れの中年が来て少し話し込んでいるうちに町田の夫婦が先に行くのを見て2人を追いかけるように出る(14:50)。
ほとんど平坦な道を下るとやがて木道のある湿原に出る。ウメバチソウの少し緑色を帯びた清楚な白,イワウチワ,アケボノソウ,タムラソウ,タテヤマリンドウ,ミヤマリンドウ等々。リンドウの紫がものすごく濃く、アザミも同様に紫が濃い。ミヤマホタルイ,コバイケイソウ(実),タカネニガナ。モミジカラマツはキンポウゲと同じコンペイトウのような実をつけていた。
先行の2人は夫人の方は元気だが、男性の方が『バテてフラフラ』だそうでベンチで休んでいる。本当にふらつきそうになりながら座り込むのが見えた。
15:35から水場で休み、モチ1個と練り物のテンプラ1枚を食べて10分後出発。若干の登り下り,と言うより木の根っ子や階段を乗り越えながらゆっくり高度を下げると、やがて薬師沢の水音に混じって発電機の音が聞こえ始め、その音が大きくなったと思う頃、眼下に小屋の屋根が現れる。16:21,薬師沢小屋着。
薬師沢にて
すぐにOga,Nakaを探したが見つからず、受付けで調べてもらうとOgaの名で予約してあり、nobouが着いたら3人になることまで申し込んであって、沢で幕営する用意をしてきたのが無駄になった。小屋には泊まりたくなかったがやむを得ない。
予約された部屋を覗いてみたが2人の姿はなく、釣りに行ったものと思ってしばらく待つ。合流点にはかなりの竿が入っていたが釣れているようには見えなかった。まずここでこの時間に釣るのは難しい。小屋にはOさん達や町田の二人,釣り目当ての中年等が次々と着いて宿泊を予約し、あちこちでビールを手にして乾杯の声が上がっていた。
なかなか帰ってこないので荷を置いて本流の上流を探って見たがやはり場荒れしていて反応がなく、すぐに戻るとNakaがいて、ほどなくOgaも上がってきた。Ogaは午前中2尾でサイズは20cm。午後は釣果なく、Nakaは帰って寝ていたのだそうだ。
その日のうちに本流を赤木沢の出合い付近まで遡行するには時間が下がり過ぎていた。すぐに暗くなる。
最後に山小屋に泊まったのは88年の鳥海山だったと思う。夕食前後のひと時を私達はなごやかに交流したが、翌朝起きてみると事態は一変していて、私の顔に周囲の白い目線が突き刺さってきた。『仕方がないではないか,早く寝た方が勝ちなのだ』とは開き直れないところがつらい。
以来山小屋には泊まらないことにした。素泊りで5200円の金額のことよりも、自分達の空間がないのがいやなのだ。暑くて寝苦しいし人に気を遣わなくてはならない。そんな思いをするよりテントで1人のうのうと寝る方がいい。同宿者との交流には楽しいものがあるが、やはり誰にも気兼ねなく山の雰囲気を味わいたいのだ。
夜の食事は食担のOgaが用意してくれていたので持ってきたものは無駄になったが、味噌汁だけつくってそれにイワナのぶつ切りをぶち込んだ。尾数が人数に足りない時や焼くことができない時にはこうやって味噌で生臭さを消す。
沢に下りてイワナを捌いている時、パラパラっと雨が降り出して、OgaとNakaが戸外のテ-ブルに広げていた食事を自炊部屋に運んでいる間、テーブル周辺が無人になった時間があった。
その前にスナップを1枚撮ってカメラをそこにそのまま置いて沢に降りた。全部の荷物を自炊部屋に運びこんだ中にカメラがなかったことに気づかず、翌朝出発前までカメラのことは忘れていた。
気づいて慌てて小屋の人に何度も探してもらったが出てこなかった。愛用のカメラだったのでがっかりしてそこから先の行動がひどく億劫なものになってしまった。山を下りてから大事な撮影目的があったのだが、カメラがなくてはそこに行く意味がなくなるのだ。
山小屋でなければ起こり得ない失敗であったが、他にも沢山のミスがあった。山から遠ざかっていて色んなことに注意が行き届かなくなっているのに加えて持ち前のそそっかしく注意力散漫で早合点する悪い癖が前よりひどくなっている自分に気づいて落ち込む。もう一度以前の緊張感に満ちた日々を取り戻さなければ・・と,意を新たにする。
8月9日(月)
赤木沢遡行
4時起き,朝食をそこそこに済ませて予定通り5:30に出る。本流は川幅20m程度。特に難しい場所はなく、ところどころにへつりや大岩登り,ちょっとした高巻きが入る。高巻きを避けようと思えば沢を渡渉するか、石を踏んで対岸に渡るなどして歩きやすい方を選べばよい。
先頭をOgaに任せて彼の踏み跡を追う。2番の方がよく見える場合もあって私が選んだ道が正解という場面もあったが、ではそこで詰まって引き返すかと言えばそうでもなく、Ogaの力量なら始めに選んだコースで突破していくので時には両岸で競り合うかに見える場面もある。
巻くのが嫌いなので川の両岸をあっちこっちと渡り、渡り返して高巻きを避けて歩く。『ぬれぬ先こそ露をも厭え』〜ぬれまいぬれまいとすると露にぬれるのも嫌なものだが、一度ぬれてしまえばじゃぶじゃぶと川に入るのも苦にならなくなる。そうすると思い切った動きができ、石選びの幅が広がってより安全に歩けるようになると言うことだ・・,等と調子に乗って跳んでいたら少し外側に傾いた岩の苔で滑ってひっくり返り、腰まで浸かってウエストバッグのラジカセをぬらした。Ogaが左岸の大岩でつまって高巻こうとしていのを見て、右岸の難しそうな少しかぶった岩を乗り越えようと思い、対岸に渡ろうとして転倒したのだが、後続のNakaまでが同じ所で同じことをやっていた。慌ててラジオとテープを取り出したが時すでに遅く不覚!
出合から沢へ
ラジカセをあきらめてザックに仕舞い込み、かぶり気味の岩をよじ登ってその上に出るとそこは大きな瀞で、その末端は浅瀬になっている。6:28にそこに到達。
本流の奥は谷幅いっぱいの滝で、瀞(淵)はその滝の落ち口である。本流はそこから左に曲がっていてその先は見えず、右から少し大きめの沢が入っていてその奥に2mの滝が見えている。Ogaが巻いた大岩の下は河原で、そこにテントが1張りある。そのテントが2つ目である。
上流からキュウリが1本流れてきたのを3つに折って分ける。上流にも幕営者がいるらしい。その浅瀬に一端集結して地図を見る。間違いなく、そこが赤木沢の出合いだった。
6:40発。赤木沢に入るにはOgaの選んだ右手のコ-スから大岩の先の鞍部に下り、次の岩をへつって2mの滝の右に出る。そこからしばらくは平凡な渓相でいくつかの小滝が連続している中を気持ちよくじゃぶじゃぶと歩く。
6:47,正面に、下から6m,7m,5mの3段のきれいな滝が現れる。美しい。美しいとしか言いようがない。6mの滝の落ち口は瀞というには浅すぎるプールがほぼ全面に広がっている。滝は豪快というより華麗と言う方が合っている。
シャワークライミング
先行者が1人、左手草付きの中、滝を大きく外れて高巻いていた。『それは違うんじゃない・・・』と言いたかった。自分なら水を浴びながら滝をまっすぐ登りたい。Ogaha心得ていて滝の右を登り始めた。左半身は滝にぬれながら気持ちよく登る。真ん中でもいいがそこまですることもない。しぶきを浴びるだけで気持ちがいい。この滝は滑らない。フリクションがよく効くというより岩の質そのものが滑らないし苔もないから小気味よく歩けるのだ。
1段目の上に壷がありその壷に落ちる2段目の滝はやや後ろにある。その滝は右手の草付きを高巻いてもう1つ上の滝壷の上に出る。
釣り師が1人下りてきて釣りの情報をくれた。本流は釣れるが赤木沢の壷では釣れなかったそうな。もとより私達はこの沢で釣る気はない。沢に集中したいし、釣って歩いたりしては沢に失礼だという気がするのだ。
突然のヘリ
北の股岳の稜線付近で爆音がしたと思うと突然頭上にヘリがやってきて今歩いてきた赤木沢をなめるように飛んで本流方向に下がって行った。並みの飛び方ではなかった。何だろう? 沢での事故にしてはヘリの出動までの時間が早すぎはしないか!
一旦本流に入って見えなくなったヘリは目の前の山の斜面をすれすれに飛んで上がり始めた。『雲の平の登山道だ』とOga。ヘリは雲の平まで登り詰めると高天ケ原に向かい、再び雲の平に戻って祖父谷当りから源流に沿って下り始めたようだった。場所を特定できていない飛び方である。
その後は三俣山荘方向に消え、山に静寂がもどった。何事も起きて欲しくないと思う。あれほど気持ちよく歩いた沢で誰かが怪我をして苦しんでいるなどと思いたくない,あってはならないと強く思う。
まっしろな時間
そこに男女2人の先行者が休んでいた。多分沢泊まりだったのだろう。9:15,大休止。チョロチョロとわずかに落ちてくる水を湧かしてコーヒーを入れる。目の前に赤牛岳の赤と水晶岳の黒。陽射しは柔らかく風が心地ちよい。
薬師沢のことも赤木沢のことも何も浮かんで来ず、頭の中は真っ白の空白である。今時は流れているのだろうか。それとも停まっているのだろうか。自分は眠っているのだろうか,それとも眠っているのは時間なのだろうか・・? 1時間休んだ。
10:15,草付きから稜線に向かう。水が完全に消える。草が滑りやすくて歩きにくい。同32,2人が視界から消えた。10年のブランクは大きくて追いつけず、5分遅れで跡をたどる。構わず行ってくれ。あとからゆっくり追いかける。
草原に風が吹き上げる。同43,稜線。飛騨側から強い風。360度の大展望。北薬師,薬師,太郎平,北の股,赤木,黒部五郎,笠,三俣,雲の平,高天ケ原,鷲羽,ワリモ,水晶,赤牛岳・・・等々。
同48,出発。赤木岳の前ピークで先行の男女2人連れが休んでいるのを交わす。11:14,2622mの赤木岳通過。先行の2人は遥か先だが追わずに稜線歩きを楽しむ。
余韻に浸って眠る
一緒に登ってきた三河のグループは、昨日のルートを逆に歩いて下山するのと言っていたが、我々の方が早かった。広いテン場のどまん中に6人テントを張る。明日,Nakaは帰るがOgaと自分はまだあちこち行くところがある。
夕食は食担のOgaにおまかせでスパゲティー。ラジカセが動かなくなり、録音したテープの再生も可能かどうか分からない。カメラを失くしたりヘルメットを忘れてとりに戻ったり、正直なところ失敗続きで落ち込んでいる。
数年間のブランクで山のことが分からなくなってもいるが、こんな風に失敗を重ねながらでも、少しづつ勘を取り戻すことができればそれでいいと思う。それまでは初心者だ。沢山のマイナスが目立つ登山だったが、今夜は赤木沢の余韻に浸って眠りたい。
FHCの仲間との幕営は久しぶりで積もる話しはいっぱいあるが、朝早かったので早々に眠ってしまったようだ。
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