新穂高温泉から笠─三俣─水晶─赤牛─鷲羽─三俣─黒部五郎─折立


- GPS
- 104:00
- 距離
- 65.5km
- 登り
- 5,703m
- 下り
- 5,455m
コースタイム
- 山行
- 0:367
- 休憩
- 0:145
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:496
- 休憩
- 0:120
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:191
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 0:00
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
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写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
着替え
靴
ザック
サブザック
行動食
非常食
調理用食材
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
ライター
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
日焼け止め
ロールペーパー
時計
タオル
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
ラジオ
天気図用紙
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感想
1989年の夏は、私にとっては大学生活2回目の夏であり、不本意な形で信州大学松本ワンダーフォーゲル部を退部し、単独行者として山に挑み始めた初めての夏でもある。その1989年の夏山のクライマックスになったのが、松本から帰省先の富山までJRを使わずに帰る…という試みに重きを置いた4泊5日の大縦走。森高千里の新譜『非実力派宣言』が出たばかり(笑)の7月28日に新穂高温泉から入山し、笠ヶ岳、三俣蓮華岳に至り、水晶岳ー赤牛岳を往復し、黒部五郎岳から太郎兵衛平に出て折立に8月1日に降りるという日程だ。
7月28日は松本から松電で新島々に出て、新島々から上高地行きのバスに乗り、中の湯で下車。この頃はまだ安房トンネルは未開通で、中の湯が釜トンネル入口の前で営業してた。中の湯で新穂高温泉行きのバスに乗り、安房峠を越えて新穂高温泉へ。新穂高温泉のバスターミナルに着いた頃にはすでに9時半になっている。ここから林道を1時間ほど歩き、笠新道の入口へ。私の荷物は4泊5日分の食糧を含むテント泊仕様で、急坂で知られる笠新道には最初から苦労。20分ごと、酷い時には5分ことに休憩を挟みながら、登る。途中、通過した杓子平は残雪と雪解け水と高山植物のコントラストが綺麗で、この世にこんなに美しい場所があるとは!…と感動。のちに秋に再訪した時に何にもなくて愕然とした(苦笑)。必死の思いで、稜線にたどり着いた時には、17:24になってた(苦笑)。当時の笠新道は今より笠側の低い地点で稜線に到達してたけど、今の抜戸岳の頂上付近まで登らされてたらどうなってたか…(苦笑)。稜線に出てしまうと速く、18時過ぎにキャンプ指定地に到着。
7月29日はテン場を出たのが、7時前。よっぽど前日疲れてたんだろう(苦笑)。笠の頂上をカラ身で往復してから、三俣方面を目指す。抜戸岳、大ノマ岳、双六岳を経て、三俣蓮華岳に到着。この日は三俣山荘でテント泊。
7月30日は日曜日。この日は三俣から水晶を経て、赤牛岳をほぼカラ身で往復。この日も行動開始は6:53…と遅い(苦笑)。まずは、鷲羽の登り。1時間で鷲羽岳頂上に到着すると、富山高校山岳部の夏合宿以来となるワリモ岳を経て、水晶小屋へ。ここから水晶岳のほうへ。水晶岳は南峰も北峰も登り、赤牛岳へ。遮るものが少ない砂礫地なので、暑い…。登山者の姿も稀な赤牛岳頂上に昼ごろ到着。この時赤牛岳にワザワザ登りに行ったのは、この時すでに『日本200名山踏破』を意識してたからだけど、登ろうと意識しないとなかなか来れない山だ。事実、それ以来赤牛には未だ再訪は叶っていない。赤牛からの帰りは、ラジオで地元の放送局のKNBの番組を聴いてた。私は松本でもKNBの番組を聴き、ハガキを出してた『ハガキ職人』だったので、ラジオは欠かせなかった(苦笑)。この日の放送でも私のハガキが読まれてたハズだけど、どういう話だったか全く記憶に無い。覚えてるのは、その時の(『KNBポップス’89』の)洋楽チャートの1位がデビー・ギブソンの“エレクトリック・ユース”だったことだけ(爆笑〜!!!)。KNBの番組が17:40に終わると、周囲がどんどんガスに覆われる。心細くなった頃にようやく三俣山荘のテン場に帰還。
7月31日は三俣山荘から三俣蓮華岳に登り返し、黒部五郎小舎を経て、カールのお花畑のなかの道を通って黒部五郎岳へ。黒部五郎にはその後も登ってるけど、この区間を歩いたのも今のところこれが最後だ。黒部五郎の肩の慰霊碑にビビりながら頂上を踏む。さらに赤木岳を経て、北ノ俣岳へ。ここで心配になったのが、財布の残額の件。山小屋であれこれ飲み食いしたのが悪かったのか、意外に残りが少なく、下山後のバスと電車の運賃を考えると足りなくなる可能性が出て来た。北ノ俣岳から神岡新道で山之村に下りたほうが安上がるのか、予定どおり折立に下りたほうがいいのか、いくらか逡巡した。結局、山之村に下りた先がどうなるのか分からなかったので、太郎兵衛平を目指した。薬師峠のテン場に着いた頃にはすでに18時くらいになっており、野営場の管理人が太郎小屋に戻った後で、管理小屋は無人だった。野営料を払わずに1泊したワケだけど、これが最後に大きくモノを言ってくるとは、この時には知る由も無かった。
8月1日は薬師峠の野営場から太郎小屋まで戻って、折立に下りるだけ。それでも最初の便に間に合うように下りた記憶がある。バスの運賃と荷物代を支払うと、財布の残額はますます心もとないものになった…(汗)。有峰口駅前でバスを下り、駅の料金表を確認する。セーフ! 実家の最寄りの朝菜町駅までの運賃を払うと、財布の残額は60円となった(苦笑)。朝菜町で下車し、実家まで歩いて帰る。4泊5日の山行を経たあまりのスタボロな姿に親が呆れてたのは、言うまでもない(苦笑)。
(2018.7.1・記)
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