こちらスネーク廃隧道に潜入した ★廃道旧道探査(網代港ー宇佐美港)
- GPS
- --:--
- 距離
- 15.9km
- 登り
- 430m
- 下り
- 423m
コースタイム
”新道の開設や地震崩壊による廃道多数です”に、同僚は興味しんしんのご様子
JR東・伊東線網代駅
8:00網代駅ー9:00網代(網代さんぽ)
■前半 10:30(網代側の旧道)ー11:15朝日山(160m)
■後半 12:20(宇佐美側の旧道)御石ヶ沢トンネル廃道区間12:50ー新宇佐美トンネル廃道区間13:10
〆区間 13:30離山展望台(宇佐美トンネル上の稜線)
15:20旅乃家 宇佐美温泉 海ホテル入浴16:00ー買い出し(スーパーナガヤ)
16:40 JR東・伊東線宇佐美駅
天候 | 曇り晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:JR東・伊東線宇佐美駅まで 全線徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
R135 網代緑町BS−御石ヶ沢BS間:裏道なく現国道のみの区間。歩道がない。車道右側を歩きクルマの動きに注意しながら一進一退する R135 御石ヶ沢トンネル廃道区間:海崖に近寄りすぎると踏み抜き転落の恐れあり |
その他周辺情報 | 帰路・宇佐美で入浴しました 旅乃家 宇佐美温泉 海ホテル 日帰り\1000 https://tabinoya.net/onsen/ |
写真
感想
■相方の遅刻と網代の先行調査
相方が待ち合わせの電車に乗ってこない。
電話すると寝坊で”今起きた”追いかけさせると1H30Mの遅れだが。。選択肢は三つ
一つ 見捨てるw
一つ 追いかけさせる
一つ 見捨てた上に行先変更(←これはありえないw)
前日に弁当を買っているとのことなので、降車駅の網代の旧道入り口に遅れて来てもらうことにした。条件を出す側は気楽なもんである(゜∀゜)
▼決定 同僚10:00に後追い待ち合わせ
ただし駅から網代市街地(旧R135)を通り旧トンネル(網代隧道)まで何かを感じながら来てもらおう。という割とアテネ式の教育だw
■二時間の使いよう
同僚と合流までの二時間。。網代の(旧135)の町並み、(旧135)網代トンネルの鑑賞やらを先行してしまおう。
道端で魚を捌いているお母さんと20分
おいら:カマスの干物作りですか
お母さん:家でフライにするのよw
・・実に大らか。おいらはザックを背にしたよそ者だが、サカナは大好きでありコンディションも解っているつもり。そんな理屈を抜きにしてお母さんの持っているサカナは特A・捌きも格別!! ホウボウと寒サバも混じっていたぞ
▼その後単独で網代隧道・立岩トンネルなどを鑑賞w
■網代と宇佐美の関係
コースタイムに書いた言葉を再掲します
▼網代ー宇佐美間には危険なヤマが多数でねぇ。昔の人々は海運=新幹線だったのですよ。陸路に自動車道が通じたのが昭和一桁。
古くから網代・宇佐美は山で隔離されわずかに東浦道が通じていたが、本格的な車道が機能するのが昭和7年頃。
昔から”江戸ー大阪航路の”風待湊として栄え、また地場産業の海産物や伊豆石の搬出が盛んだった。
なお宇佐美と伊東は間に難所がないお友達状態。網代(及び多賀)は三方を山に囲まれた隔離集落?である。もちろん伊東も大きく見れば船便メインの隔離集落なのであるが。。
・昭和10年 伊東線(熱海ー伊東)の開通
流通革命である。しかも前年の昭和9年に丹那トンネルが開通。伊東から熱海ー東京まで鉄路が繋がったのである。
網代ー宇佐美間は2941mの鉄道新宇佐美トンネルで克服(鉄道廃トンネルあり)
・東浦道と伊豆循環道路
■探索(前半)R135網代側:立岩トンネル・朝日大橋旧道区間
あらゆる新旧・市街地も入り乱れ割と複雑w
▼地元複数人の証言。S44年以前は観光バスが擦れ違えない大渋滞区間
昭和7年網代隧道供用、そこに接続する形で昭和44年新網代隧道供用。
これによりR135は網代隧道ー網代市街ルートから、網代隧道(狭い)ー新網代隧道に付け替えられ、昭和44年に狭い市街地での交通戦争から解放された訳である。。
本当の意味での解放は、網代隧道の脇に立岩トンネルが供用された平成17年以降である
R135網代区間の変遷
1)T14トンネルなしの車道(狭い)ー網代市街(狭い)ー多賀へ
2)S7網代隧道(狭い)ー網代市街(狭い)ー多賀へ
3)S7網代隧道(狭い)ーS44新網代隧道(やや広・現道)ー多賀へ
4)H17立岩トンネル(広い・現道)ーS44新網代隧道(やや広・現道)ー多賀へ
■探索(後半)R135宇佐美側:御石ヶ沢トンネル・新宇佐美トンネル旧道区間
宇佐美側に降りる道は、山中の旧道の脇に新トンネルが2本掘られ、旧道が廃道になったという、シンプルな履歴である。
▼宇佐美峠 染谷姉妹の慰霊碑(昭和38年)
この慰霊碑は御石ヶ沢トンネルの旧道(廃道)区間にあり一周忌の昭和39年・遺族により建立された。
交通事故の詳細が記された碑の現場建立は大変珍しいものだ。
いままで幾つの花束を路上で見たことだろう。
しかしそこから死者の素顔を連想することは難しい。
慰霊碑にはその謂れが刻まれていたのでここに紹介する。
※読者貴兄にはこの地を訪れた際の祈りを切に希望し、決して●●スポットなどど称し興味本位で訪問しないでほしい。Honocaさんとの約束である(・∀・)
--------------------(碑文より)--------------------
こゝ宇佐見峠は昭和三十八年一月十三日染谷一江同みどり姉妹が自動車事故による遭難の地なり
本日その一周忌に当り地元有縁及び遺族の発願により供養の碑を建立し霊魂の冥福を祈るとともに汎く通行衆人の行路安かれと念じてこの碑を建立するものなり 東京都大田区南千束四十五
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・事故は昭和38年1月13日に起きた。※カレンダー検索によれば日曜日
1月13日とは、いわゆる小正月・女正月(めしょうがつ)と呼ばれる時候で、お正月の忙しさから女人が開放されようやく外出が許される日であることから”女正月”とよばれているのである。
・関係者の氏名として、故人の父母の隣に”一江の夫・染谷孝夫”とある
姉は家庭持ちであり夫は染谷姓なので姉は婿を迎えたのだろう。
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S38女正月1月13日。
(想像だが)姉妹が正月行事から解放され・当時貴重だった自動車で伊豆のドライブへ。狭い旧道とのこと対向車のはみ出しや歩行者に驚いたことが原因かもしれない
※解っていることは碑に刻まれている文言のみ。この件は暇を見て新聞の縮刷版で検証
Honocaは、交通事故は起こさない・誘発させないと決意を新たにした。交通事故死は今でも毎日起きているが、染谷姉妹の無念を繰り返さないこと。今や姉妹もそれを望んでいるのではないだろうか。
■事故を受けての対策
これも想像の域を出ないが、ある事故が発生すれば再発防止として何かの安全対策を講じなければ、いづれ同様の事故が起きることを私たちは知っている。
この事故の対策詳細は解らないが、最終的に狭い旧道を改良することを諦め、新トンネル(御石ヶ沢トンネル)を昭和49年に開通させたのである。※今となっては狭くう回路もないサイクリスト泣かせのトンネルであるが
またクルマ自体の安全対策の一つとしてシートベルトがある
(ウィキぺディアより)
従来、シートベルトは高級車におけるオプション装備という位置づけだったが、欧米でのシートベルト設置義務化の動きを受けて道路運送車両の保安基準を改正、1969年(昭和44年)4月1日以降に国内で生産された普通乗用車(定員10人以下、軽自動車を除く)は、運転席にシートベルトの設置を義務付けられた(軽自動車については同年10月1日生産車から)。
▼姉妹の自動車が国産とすればシートベルト自体が装備されていない時代であった
乗用車の全座席のシートベルト着用義務化は、2008年(平成20年)を待たねばならなかった。
碑の建立は、身内の供養だけでなく再び同様の事故を起こさせない決意、また公共の場に実名を刻んでの建立という勇気の決断であり、これにより事故を知ることが出来たこと。手を合わせる機会を頂いたこと。
遺族の皆さまに感謝したします<(_ _)>
※網代ー宇佐美間の交通戦争はまだ終わらない。道が狭くう回路もない地点がありチャリに危険な(網代ー宇佐美下り区間)を私は避けている
この径に又来祈らん梅二輪 ほの香
無事故の碑われらを守る乙女雛 ほの香
碑文に陽ぽつりふわりと梅ましろ ほの香
魚開く歌かろやかに伊豆の春 ほの香
物好きや廃道の春かき別けて ほの香
旧道を広々歩く春の猫 ほの香
廃道の壁の傷跡二月尽 ほの香
春寒の河津桜は今見頃 ほの香
掛け湯して仰ぐ夕空西行忌 ほの香
早春の海早春の伊豆の道 ほの香
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(3月3日・画像資料追加)▼S38年1月13日(日) 朝日新聞夕刊より
交通事故のことが気になったので、後日・当時の新聞を閲覧してみた。想像であれこれ書くのも失礼だと思ったのと己にケリをつけるためである。
果たして、、当日の夕刊に事故の一報が掲載されていた。※記事中の姉の名”一枝”は”一江”の誤り。また当日の気圧配置は西高東低の晴れであった。
お二人の天国での益々のご活躍をお祈りいたします
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