八ヶ岳 主峰赤岳冬期登山
- GPS
- 29:27
- 距離
- 16.5km
- 登り
- 1,453m
- 下り
- 1,448m
コースタイム
二日目 暴風との事だったので、北沢を経て下山
天候 | 一日目 晴天 稜線上は強風と吹雪 二日目 山は暴風なので、下山。下界は晴天 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
3月11日
マイミクのじゅんじゅんさんと八ヶ岳は赤岳に登って来た。
赤岳は、八ヶ岳の中でももっとも高い2889m。
3000mに少し届かないとはいえ、森林限界を超えてそびえる岩山だ。
「歩き続ければ誰でも頂上につく」というような山ではない。奇しくもぼくらが登る2日前に、同じく赤岳で二名の登山者が滑落、骨盤を折る大怪我をしている。
そんな山に、ぼくらは挑んだのだ。
きっかけは、一ヶ月前。北八ヶ岳の優しい山々に登った時に、空の向こう側に荒々しい南八ヶ岳の山々が見えた。阿弥陀岳と赤岳だった。
「赤岳か〜。あれに登りたいな〜!」
「じゃあ、登ろう!」
「じゃあ、来月!」
「じゃあ行きますよ、本当に行きますよ!」
「いいよ行こう!」
そんな勢いだけで決まった冬季赤岳登山だった。
メンバーがしろうとだからか、計画の最中に色々なことが二転三転紆余曲折し、最終的にメンバーがじゅんじゅんさんとぼくだけになった。
だめなら自分一人だけでも行こうと思ってはいたのだけれど、じゅんじゅんさんが「やっぱり行かない」とは言わなかったことが、ぼくにはとてもありがたかった。感謝ですじゅんじゅんさん。
3月10日夜
ぼくとじゅんじゅんさんは、じゅんじゅんさんの車で八ヶ岳の麓の美濃戸口に向かった。
美濃戸口到着はほぼ12時。
ここにある八ヶ岳山荘にはぼくらみたいな登山者のために仮眠室がある。夜遅くにここについて雑魚寝をし、翌朝早いうちに山に向かうのだ。
二階に上がり二重のガラス戸を開けると、常夜灯しかついていない暗い大部屋に十枚の布団が整然と敷かれていた。すでに人が寝ている。部屋は全てその十枚の布団でふさがれ、さらに布団を敷ける場所はなかった。
(これは車中泊しかないだろうか)
と思ったところで、じゅんじゅんさんが小さく何かを言って部屋の左端を指した。見ると、すでに埋まっているかに思えた部屋の10枚の布団は、左端の2枚だけが空いていた。
そそくさと、ぼくらは各自一枚ずつ布団を確保に成功。
じゅんじゅんさんが、「これじゃ、ガサガサできないじゃんね」
じゅんじゅんさんが家を出てくる時に、お母さんがビールを持たしてくれたのだそうだ。今夜の終わりにそれを飲むつもりだったのだけれど、こんなに皆さんが熟睡している空間では、缶ビールを開ける音すらも申し訳なくてできない。
「明日登頂後に小屋で飲むビールが増えたということにして」
ビールを我慢して、ぼくらはそれぞれの布団で眠りについた。
仮眠室は一晩中暖房がついていて暖かく、ぼくはほとんど朝まで目を覚ますこともなかった。後でじゅんじゅんさんに聞いた話では、ぼくらの後からも何人か入って来たのだそうだ。その証拠に、朝起きてみると10枚の布団の端はじに毛布だけを抱えて寝ている人たちが何人もいた。
3月11日
五時前、人が動く物音で目を覚ましたぼくらは、まだ寝ている人たちに遠慮しながら布団をたたみ、荷物を抱えて仮眠室を出た。
仮眠室の一階は、昼間は無料休憩所になっているのだが、この時間でも開いていたのはありがたかった。
朝飯に、じゅんじゅんさんのお母さんが握ってくれたおにぎりを二つもいただき、ぼくはさらに自分が持ってきたパンも食べ、お湯を沸かし、じゅんじゅんさんはミルクティーを作った。
ぼくらのほかにも二人男女のペアが休憩所で食事をしたり装備をつけたりしていたが、ほかには入って来なかった。外で準備をしている人たちは何人かいた。
トイレに行き、靴ひもを結び直し、ズボンのアウターをはき、スパッツをつけると、時間はちょうど良く五時半。
「いきますか」とじゅんじゅんさん。
「行きましょう!」
赤岳への山行は、この時、真に始まった。
道は車に踏み固められた雪で、ツルツル滑った。
ここから美濃戸までは4WDの車なら入れるため、そういう車を持った登山者はできるだけ楽をしようとそこまで車を入れる。結果道がツルツルになるのだ。まだアイゼンが必要な状況ではなかったが、気を抜くと滑った。
最初は二人ともヘッドライトをつけて歩いたが、雪道なので明るいことと、夜明けが近く白んできた空のおかげで15分も歩かないうちにヘッドライトはいらなくなった。
空を見上げると、雲は所どころ浮いているものの、青空が見える。気持ちの良い晴天だ。風はない。見上げて見る感じでは、雲も動いていない。が、じゅんじゅんさんが見たウェザーニュースでは天気が保つのは午前中だけだという。このまま快晴が続くことを祈りながら、足を速めた。
6時40分、美濃戸に到着。
ここから今日のゴールの赤岳鉱泉まで、ここの美濃戸山荘が最後の営業小屋だ。ここで最後のトイレを済ます。チップ100円。
そして休まずに出発。ここから北沢と南沢という二本のコースに別れるが、ぼくらは南沢を行く。
ようやく車の入れない道になり、樹林帯を行く山歩きらしい道になってきた。
登山者は多く、昨日は雪はそれほど降ってないらしく、踏み跡がしっかりしていていて迷うところはない。
滑りそうなところを数カ所無事に越えた後で、ちょっと危なそうな下りに出た。しかも道は右側の傾斜地に向かって傾き、間違って転ぶとそのまま道を外れて傾斜地に転がっていきそうだった。
「アイゼンつけるわ、ちょっと待ってね」
賢明なじゅんじゅんさんは、ここでザックを下ろし、アイゼンをつけた。
つけているうちに、後ろから数人の登山者がぼくらを追い越し、危なげな傾斜を越えて行った。彼らはアイゼンは履いていなかった。
ぼくは、万一転んでも大きな怪我はしなさそうなのを見てから、アイゼンを履かないままで行ってみることにした。
じゅんじゅんさんはもちろん、アイゼン歩行で危なげなくクリア。ぼくはその場ではなんとか転ばずにいくことができたが、しばらくしてから別な何でもないところで滑って転んだ。この時左手を痛くして今も小指が痛い。いまだに痛い。
7時を前にすると空がだいぶ明るくなってきた。が、まだ太陽は見えない。太陽は山の向こうにいるのだ。
時々、小鳥が鳴いた。こんな真冬の何も無いように見える森で、どうして小鳥みたいな小さなものが生きていられるのだろう。とても不思議だ。気温はマイナス10度を下回っているのに。
「食べる虫も木の実もないだろうにねぇ」じゅんじゅんさんにもその答えはわからない。
何度か、下りてくる人やぼくらを追い越していく人とすれ違った。けっこうな数の人たちがグニャリと曲がった不思議な形のピッケルを二本もザックに刺していた。アイスクライミングをやる人たちだ。
登山道とは異なる方向に上がっていく人たちがいたのでどこに行くのか聞くと、この奥にアイスクライミングで有名な滝があるのだということだった。ぼくもアイスクライミングはやってみたいんだが。なかなか。
コース途中にも、凍った滝を発見。
「コースタイムだと10時くらいだけど、良い感じにあるいてるんで九時半くらいにつきますよ」
と、ぼく。
八時半を過ぎるころ、それまでの樹林帯の木々の間をくぐるような道から、ひらけた場所に出た。
5、6メートルほどに広がった雪の道が左右に樹林帯をおいたまま東に向かって伸びている。ひらけた道のその奥には、のこぎりのようにカダガタとしたまま横に広がった山がみえた。
あれは、横岳だ。
今回初めて山が見えた。
嬉しくてそればかりに目を向け、写真を何度も撮った。
「かっこいいなぁ」
でもじゅんじゅんさんは同じことをしていても、さらに上の観察眼を持っていた。
「そっか、ここは川の上なんだ!」と突然じゅんじゅんさん。
言われて初めてこのひらけた見晴らしのいいコースの秘密に気付く。「あ、そっか川か!」
ぼくはそれまで山ばかりに目を向けていて、この地形を不思議とも思わなかった。改めて見れば、この左右を森に挟まれながら前後に伸びる不思議な道は、凍った川と河原の上に雪が降り積もってできたものだったのだ。ビヴァルディの『四季』の冬が思い浮かぶような、そんな道だった。
横岳がはっきり見えてくると、ぼくらは何度もカメラのシャッターを押した。
「もうすぐですよ、行者小屋」
道が開けたこと、横岳が見えてきたことから、たいした確証もなくぼくはそう言い、じゅんじゅんさんも同じように思ったようだった。
が、そのわりに、なかなかに行者小屋が見えてこない。
しばらく前から、腹が減っていて、行者小屋に着いたら一休みをして何かを腹に入れようと思っていた。それはじゅんじゅんさんも同じだったらしく、更にしばらく歩いた後、
「あ〜もう、我慢できない。ごめん、ここでちょっとやすんでいい?行者小屋に着いたら食べようと思って我慢してたけど、おなかすいてすいてもう駄目!」とかなんとか言い出した。
「いいですいいです、ぼくもさっきから腹減ってたんです、休みましょう」
ぼくこそ腹が減っていたので、まったく異論はなかった。じゅんじゅんさんはザックをおろし食べ物を出し、ぼくはポケットからチョコケーキを出して口に入れた。軟らかいはずのケーキが凍っていて、ザクザク音をたてた。
9時40分
さきほどの休憩地点から、10分ほどだろうか、行者小屋到着。
ツェルト設営。ここで、不要そうな装備を置いていく。例えば、下山後のお風呂セットや、使いそうもないワカンや、じゅんじゅんさんのお母さんが持たしてくれた二本の500缶ビールなど。
この小屋の敷地に入る手前で、じゅんじゅんさんは突然ふくらはぎが吊りそうな症状に襲われた。ミネラル不足か、睡眠不足か。ちょっと休んでいてもらう。小魚とアーモンドの袋を渡す。
ぼくはツェルトがなかなか立てられず、少しいらつく。雪面はペグが刺さらないので、ペグを十字にし、雪面に埋める。そうしてる間に、ポールが倒れたりする。まぁ、人が寝るわけではないのでいいのだと思い、適当に設営。後から思えば、少し樹林帯に近いところに立てて、木々に細引きで結べばもっと早かったし、丈夫にできたと思う。20分ほどもツェルト設営に格闘し時間を食ってしまった。
不要装備を出したザックは、驚くほど軽くなった。
10時10分、行者小屋の幕営地を出発。
じゅんじゅんさんの足が心配だったが、まぁぼちぼち行こう、となり出発。
コースは、文三郎道を上って赤岳へ。
ぼくは文三郎道を通るのは夏も冬もなく、今回が初めてだ。去年6月に赤岳を登った時は地蔵尾根を通り、中岳と阿弥陀岳のコルから行者小屋に下山したので、文三郎道は通っていないのだ。その時上から見下ろした時は、ずいぶん急なコースだな、という印象だった。実際に登ってみるとどうだろうか。
初めての文三郎道は、阿弥陀岳方面への分岐まではまったくなだらかに、その後から徐々に急斜面へと変わっていった。足先をしっかり踏み込まねばずり下がる斜面に息をのんだ。右側には、傾斜の向こう側にこんもりまるく盛り上がる真っ白い塊が見えた。あれは、阿弥陀岳のようだ。振り返って斜面の左上には、雪をところどころに配したほぼ垂直に見える岩壁が見える。あれは赤岳主稜という壁だろうか。
すぐにフラットステップでは歩けない傾斜になっていた。
一歩一歩つま先を雪面に突き刺すキックステップで登る。ピッケルは、一歩ごとにシャフトの首まで雪に埋まる。まずピッケルの石突を深く刺し、それからキックステップで左足、右足、そしてまたピッケルという動作を、何度も繰り返した。
書くのを忘れていたが、基本的にトップはじゅんじゅんさんである。自分はペースを無視してドカドカと歩いてしまうことが多いので、安定したスピードで歩くじゅんじゅんさんにトップをお願いしている。
が、それも、この辺りまでだった。踏み跡はあるが、雪が深いためにとても登りにくい。トップで登り続けると、じゅんじゅんさんは疲れてしまうとのことだったので、トップを交代した。
ぼくがトップをやって、踏み跡を踏み固めながら登っても、後に続くじゅんじゅんさんがどれほど楽になったかはわからない。足を置く間隔が違うようでもあった。
「遅くてごめんね、先に行っていいよ」
遅くなりがちなじゅんじゅんさんは、そう言うが、そんなに先に行ってしまえるほどこちらも強くはない。後ろを振り返りじゅんじゅんさんを見守る振りをしながら、休む。早い人には追い抜いてもらう。
そんな早い人の中に、
「アイゼンを忘れた時のための訓練なんです」
と、アイゼンをつけないで靴でのキックステップだけで登っている二人組みがいて、驚いた。
「危ないんで真似しないでくださいね(笑)」
ぼくらはとてもそんなレベルではない。アイゼンを穿いていてもすべるんだから。
十一時、ほぼちょうど。
急登はまだまだ続くが、一休みできそうな傾斜の緩やかなところに着く。
先行していたぼくはそこまでをドカドカと勢いをつけて駆け上がり、そしてふりむいて座り込んだ。
硫黄岳の向こうに一つ山が顔を出していた。
登ってきたじゅんじゅんさんも振り返って、
「蓼科山〜!」
言ったとたん、バランスを崩してそのまま転んだ。
「わーじゅんじゅんさん! 大丈夫!?ねぇ!」
幸い既に傾斜の緩いところまで上がってきていたため、ただ引っくり返っただけですんだ。
じゅんじゅんさんは倒れたまま少し休むと、起き上がってまた後ろを振り返り、
「すっごいね〜!」
ここで小休止。温かい飲み物を飲み、写真などを撮った。阿弥陀岳や中岳をバックに撮ると、まるで「山と渓谷」の表紙のような写真が撮れた。
そしてここからまた、急登を行く。またトップはぼくがとった。
傾斜はいよいよ厳しく、雪は深く軟らかくアイゼンが利きにくい。
それでも、右上に阿弥陀岳とその手前の中岳が見え、一歩進むたびに高度が上がるのが感じられて興奮する。こちらからは阿弥陀岳はまるくドーム状に見え、雪で真白い山体のところどころに木々が黒く見え、まるでチョコチップアイスクリームのようだ。手前の少し低い中岳は、真っ白い三角形がイタリアンジェラートを形良く盛ったよう。阿弥陀岳も中岳もどちらも美味しそうでたまらない。
12時
中岳と赤岳のコル(鞍部)に到着。
ここまで来ると、遮るもののなくなった風が、強く当たってくるようになった。目だし帽を改めてしっかりかぶる。
進路上方を見上げると、赤岳頂上がしっかりと見えるようになった。雪が舞い上がっているので、風が渦巻いているのがわかる。もっと天候が崩れる前に登って、下りてこなければならない。
もうすこし、と思う。
まだあんなにあるのか、とも思う。
じゅんじゅんさんが、
「ここまでこれただけで十分満足だよ〜!」
と言う。
まったく同感。こっから先、風はあるし岩場だし、どうなるものかと非常に心配。
振り返ると、登っている途中イタリアンジェラートとアイスクリームに見えた中岳と阿弥陀岳は、重なって一つに見えた。良く見ると手前に真白い三角の中岳があり、その奥にゴツゴツした岩場が黒く目立つ阿弥陀岳が顔を出している。ここはもう中岳より高く、中岳を見下ろす位置になっている。
小休止の後、
「では、行きましょう!」
立ち上がる。
中岳へと続く分岐を離れ、ぼくらは赤岳頂上へ向かった。
雪面は、先ほどまでとは異なり表面が硬くしまっている。これはこれで歩きにくい気がする。いや、アイゼンワークがしっかり身についていないというのが、一番の理由だろう。
なるほどなぁと、足を緊張させながら、思う。
こういう場で、技術や道具の本当の価値がわかるのだ、と。
それでも、ここは、登るしかない。
いや、あきらめて引き返すという一番堅実な道もあるだろう。でも、それを、ぼくらは取らなかった。
足を出せば上がることができたからだ。
登りのほうが下りより優しいことは、わかっていた。ピッケルや手をつきながらの登りだ、下りがもっと過酷で難しいことは、少ないながらも経験上理解はしていた。
風が強くなってきた。
山の上で、この季節に風が強くなるということは、頭ではわかっていた。だが、その結果、どれほどに困難な山行になるかということについては、想像が足りていなかった。風の強さとともに、舞い上がり吹き付ける雪氷が顔に張り付くようになった。すでに目だし帽をかぶっていたが、それだけではダメで、次第に目がぎこちなく感じ出した。まぶたが、凍りだしたのだ。
目だけでなく、鼻水と涙が凍りつき、そしてまぶた・まつげと、顔のむき出しの部分は、知らず知らずのうちに氷が張り付いていった。まぶたが凍ると、目が閉じにくくなり、一度閉じると目が開けにくくなるのである。
その上に、メガネに雪が張り付いていった。これも知らず知らずにメガネが凍りつき、気が着かないうちに次第に視界が妨げられていく。そうすると、地形が良く見えなくなった。攀じ登るための手の置き場所、足の置き場所が、見えにくく、非常に不安に感じるようになった。
恥ずかしい話だが、この時に初めてぼくはゴーグルの必要性に気が着いた。そうか、雪山ではゴーグルが必要なんだ、と。今は、まだ進むことができた。メガネを外し、ポケットのハンカチでぬぐうこともできた。これだけで、視界は大きく広がり、それで問題なく攀じ登っていくことができた。しかし、さらにひどい状況になった時は、もう登ることはできなくなるだろうし、最悪下ることもできなくなるかもしれない。
風が止まらず吹き続ける場所があった。何十秒か、一分か、二分か、それぐらいの短い時間だったと思うが、風が止まらずに吹き続け、叩き付けられる雪氷が痛く、身動きが取れなかった。風速は、10メートルを少し超える程度なんだろうと思う。その程度の風と雪で、ぼくらは動けなくなるのだ。
それは、確かに恐ろしい実感だった。ならば、それより強い風では、どうなるのだろう。進むことも戻ることも留まることもできなくなるだろう。そうなればツェルトを出してビバークの準備をするのだろうか。風に飛ばされずにツェルトをかぶることができるだろうか。そんな余裕があるだろうか。そんなことを考えながら、攀じ登った。
先行者の踏み跡は、今はかろうじて見えるが、風と雪ですぐに見えなくなりそうだった。くだりも同じ道を下りるので、地形を良く覚えておこうと思い、できるだけ目を配りながら登った。
雪の斜面を登りきると、三角の岩が突き出す地帯に入った。ここで、岩で風から身を隠すことができた。
ようやく振り返る余裕ができ、下を見る。まだ、じゅんじゅんさんが斜面を登っていた。
じゅんじゅんさんは、疲労がかなりたまってきているのか、動作が遅かった。動作は、両手でピッケルの石突を雪面に刺し、それから足を動かし、またピッケルを刺す。それをずっと繰り返す。
「もうすぐだから〜!がんばって〜! じゅんじゅんさん、頑張れ〜!」
「つかめるところが無いの〜、どうしたらいいの〜?」
「ピッケルの石突じゃなく、こうやってピックを前に刺して登ってみてください〜!!」
「これでいいの〜!?」
ピッケルのピックを進行方向上部の傾斜に突き刺し、そこを支点にして登るやり方を教えた。これが正しいやり方なのかは正直心もとないけれど、支点が見つからないところで自分はこうして攀じ登ったのだ。
それにしても、ここに上がるまで、自分自身余裕がまったく無かった。もっとじゅんじゅんさんを庇うことができていればと悔やむ。もっと悔やむのは、ロープを出していなかったことだ。せっかく持って来ていたのに、すでに危険な場所に入ってしまっていると、場所が危険であるがゆえにザックをおろしたりロープを出したりする余裕がなくなってしまっていた。もっと下の、中岳への分岐のあたりでロープを出していれば、少なくともじゅんじゅんさんはもっと安心して登ることができただろう。それをしなかったことを悔やんだ。
そうしていると、頂上方向の上から声をかけられた。頂上へ上がる最後の強い傾斜だろうか、その上に3人くらいのパーティがいた。ぼくらとは反対方向から登ってきたのだろう。こちらに下りたいようなのだが、こちらのスペースが狭いためぼくがいると下りられないのだ。
上は風と雪が強く吹き続けている。この場所を譲ってあげなければならないんだな、と思った。
「すみません、先に上がってきてくれませんか!」
「わかりました、そっちに行きますね!!」
上から怒鳴られ、こっちも怒鳴り返す。風が強く怒鳴らないと声が聞こえない。
じゅんじゅんさんがまだ上がって来ていなかったので心配だったのだが、とりあえずはこの場を上のパーティに譲ろうと、斜面を攀じ登った。ここが、最後の核心部だったと思う、確保がうまくできず、ピッケルのピックを雪面に刺し、アイゼンのつま先でキックステップし、身体が宙に浮いて落下する錯覚を覚えて恐怖しながら、なんとかそこを攀じ登った。
「ありがとうございます!」
そのパーティはロープで結び合い、互いを確保しながら下りていった。それを見て、やはり下山はロープを出そうと、思った。
振り返ると、数メートルほど先に道標が見えた。なんとなく卒塔婆のように見えるあれは、赤岳の頂上標に違いない。
来た道を見ると、じゅんじゅんさんが先ほどぼくが苦労したところで行き詰っているところだった。
「ふろふきさーん! つかむところが無いよ〜! 助けて〜!」
わかる。確かにつかむところが無いのだ。ピックを刺してそれを支点に攀じ登るしかない。足のアイゼンも雪が軟らかくこの斜面では利く感じがしない。そのせいでとても怖く感じるのだ。
呼ばれて、助けたいのは山々だった。ここで、ロープで結び合っていれば、引っ張り上げることもできたはず。しかし、それもできなかった。
「ごめん、がんばって〜! もう少しだから、がんばって〜!」
いつでもロープを出しますからね、怖いと思ったら言ってくださいね、ぼくはそんな言葉を登る前にじゅんじゅんさんに言っていた。
申し訳ない。
怖いと思うところでは、遅すぎるのだ。そんな場所では、もうロープを出したりする余裕はないのだ。そんな当たり前のことに、いまさら気付いていた。
じゅんじゅんさんは、どうやら助けが来ないことを諦めたようだった。ピッケルとアイゼン、そして手で、がむしゃらにその斜面をつかんで登りきり、座り込んだ。
「じゅんじゅんさん! ごめんなさい!」
ぼくはじゅんじゅんさんの身体を支え、
「じゅんじゅんさん、さぁ、頂上ですよ!」
数メートル先の頂上標を指差し、じゅんじゅんさんを促した。
「ふろふきさん、いいよ・・・・」
「いや、じゅんじゅんさん、どうぞ!」
じゅんじゅんさんは疲れきった最後の力で、十数歩を歩くと、頂上標に抱きつき、そのまま座り込んだ。
13時20分、赤岳2889メートル、登頂。
風は少しも収まる気配はなく、むしろ強さを増していくようだった。景色は、吹雪の中からはほとんど見えない。すぐ近くの阿弥陀岳、中岳、横岳、硫黄岳、権現岳などが確認できたが、それ以上はわからなかった。何よりも、目を開けているのが辛かった。
ぼくとじゅんじゅんさんはかわりばんこに頂上標との写真を撮った。
そして、
「じゃあ、下りましょう!」
五分も経っていないが、これ以上ここにはいられなかった。
「そうだ、ロープで確保しましょう!ちょっとまってね!」
スリングでじゅんじゅんさんに簡易ハーネスを作った。それに冠付カラビナを通して、それにロープの八の字結びの輪を通した。ぼくのほうにも同じようにする。
これで先ほどの急斜面を下りる時に、じゅんじゅんさんを確保することができるようになった。
じゅんじゅんさんは、これでけっこう安心できたらしい。が、万一じゅんじゅんさんが滑落して、ロープで引っ張られて自分まで落ちては、何の意味もない。落ちたじゅんじゅんさんを支えなければならない、そう思うと、ぼくにはものすごいプレッシャーだった。
ピッケルにロープをぐるぐる巻いて雪面に刺した後、残りのロープを肩がらみにし、じゅんじゅんさんに合図をした。
「良いですよ!ゆっくり下りてください!」
じゅんじゅんさんは、ゆっくり下りてくれた。ありがたいことに、滑落はしなかった。
「下りたら、安全なところで身体をしっかり支えててください!」
次はぼくが下りる番なのだ。ぼくの滑落に引っ張られてじゅんじゅんさんを死なすわけにはいかない。こんな緊張感は、今まで無かった。ピッケルのピックを雪面に刺し、後ろ向きで斜面を下りた。
幸いぼくも滑落はしなかった。
この後も、もう一つ急な斜面がある。
「ここ、どこから下りればいいんだっけ・・・・」
じゅんじゅんさんが下り口がわからなくなったようだった。
「こっちです」
僕は向かって左側の傾斜を指した。
ここは、先ほど登りの時、踏み跡が消えたら下り口がわかりにくくなるだろうなと、思ったところだった。案の定だ。そのわかりにくさを覚えていたので、すぐにわかったのだ。ぼくはもう一度確保の姿勢をとり、じゅんじゅんさんを先に下ろした。
こうして、岩場はクリアー。
この後は、雪の斜面だ。
ロープを外したほうがいいのか、つけていたままのほうがいいのか、判断がつかなかったため、このまま外さずに下りた。
初めての下山中のロープでの確保は、極度の緊張を強いたと思う。万一自分がこけて落ちた時、じゅんじゅんさんにぼくの体重を支えられるわけがなかった。だから、絶対に自分は滑落できない。また、じゅんじゅんさんが滑落した時も、とっさにじゅんじゅんさんの体重を支えきれるかどうか、自信がなかった。バランスを崩せば、自分も落ちるのだ。
もしかしたらここは、尺取虫のように進むのが正しかったのだろう。一人が進む間、もう一人は確保に徹する。それを交互に繰り返して進むのだ。
だが、風と雪の激しさから逃れたいあまりに早く下山したかったぼくらは、その方法が頭に浮かばなかった。浮かびはしたけれど、この場ではそれは採用しにくい方法だった。
ぼくらは、滑落を恐れながら、二人同時に下っていった。
ぼくは、緊張で足に変な力がかかるせいで、足に力が入りにくくなってきていた。要は疲れたのだ。
中岳への分岐はもうすこし。
そんなとき、ぼくは滑落した。足が、滑ったらしい。
それは、ほんの数メートルだったが、ぼくはマンガみたいにピッケルにしがみつき、ピックを雪面に押し当てて、滑落停止の姿勢をしていた。
(滑落停止の姿勢をしている!)と思った。
そして、
(だけど、止まらない!)と、思った。身体は下に移動を続けていた。
自分の意志で自分の身体をコントロールできない事態に陥ることが、これほど恐ろしいとは思わなかった。止まりたいのに、止まらないのだ。
そう思ったすぐ後に、滑落は止まった。
(と、止まった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
身体は固まったまま、深く息を吐いた。
左すぐ前方にじゅんじゅんさんがいたので、滑落と言っても何メートル何十メートルも落ちたわけではない。二メートルか3メートルぐらいかもしれない。ロープの長さの範囲だったので、じゅんじゅんさんを巻き込まないですんだことは、本当によかった。
「だいじょうぶ〜!?」
じゅんじゅんさんがこっちを見て声をかけてくれる。
「滑落した〜、でも、だいじょうぶです〜! あ!」
振り返ってこちらに声をかけたじゅんじゅんさんも、その瞬間にバランスを崩してこけた。
そのじゅんじゅんさんも、滑落停止の姿勢でピッケルを雪面に刺し、数メートルで止まった。そして、じゅんじゅんさんはそのまま横に移動してぼくのそばまでやってきた。
じゅんじゅんさんが、また声をかけてくれた。
「だいじょうぶ?」
さっきの本能的な恐怖感に、数日前赤岳で滑落し骨盤を折る重傷を負った二人の登山者のニュースが頭をよぎり、恐怖が具体的なものに変わった。
「大丈夫です・・・・でも、さっき本当に滑落した。止まらなくって『止まらない!』って思ったら、止まった。たったちょっとなのに、すげぇ怖かった・・・・」
「うん、わかるよ、そういう顔してる。でも、ほら、大丈夫だよ!」
じゅんじゅんさんが、ぼくを元気付けるためにわざと大きな声を出してくれた。
そう、大丈夫。とにかく下りなければ。
気持ちを奮い立たせた。
「はい、大丈夫です、行きましょう!」
その後は、怖い滑落はなく、中岳への分岐まで下りることができた。風はまだあるが、上に比べだいぶ弱くなってきた。
あとは行者小屋まで一直線だ。
ぼくは、ひざがガクガクしていた。じゅんじゅんさんも、おそらくそうだったろう。二人とも歩いて下りていくのは嫌だった。
ここからぼくらは、シリセード、つまりお尻で滑ってこの斜面を下りていった。
ばかなぼくらはロープで結び合ったままシリセードで下りた。滑り降りるうちにじゅんじゅんさんが加速がつき、
「とまらな〜い、こわ〜い!」
とか言うと、ぼくがピッケルで滑落停止をし、二人分のシリセードを止めた。慣れてくると、すぐ止められることがわかり、滑落停止が楽しくなった。二人分の体重を止める時は、腰についたままの補助ロープに引っ張られ、ガクンとなる。じゅんじゅんさんが軽くて良かった。逆だったらたいへんだっただろう。
そんなことを何度かやってるうちに、行者小屋までたどり着いた。赤岳頂上から行者小屋まで、歩いたら2時間ほどのコースタイムだったはず。それを、後半シリセードで、すっとばすことができた。
行者小屋到着時間は15時ちょうど。
荷物を入れていたツェルトは、風でポールが倒れ、つぶれていた。中のものは無事だったので問題はない。10分ほどでツェルトを撤収し、荷物を背負いなおす。そして、ロープを解いた。もう安全圏に下りてきたんだという安心感が、ものすごかった。
「なんか、赤岳の頂上に立てたときよりも、ここに無事に下りれたことのほうが感動しちゃいます」
「同感」
ピッケルを、名残惜しく感じながら、ザックの後ろにしまい、ストックを出した。
そして、出発。あと2、30分で、ゴールだ。あとはもうハイキングコースだ。
「おなかすいた」
「もう登りはやだ」
どちらともなくそんな言葉が漏れる。
10分で中山のっこし到着。ここから赤岳鉱泉までは、下りだ。もうすっかり慣れたシリセードを繰り返し、15時30分、赤岳鉱泉到着!
ゴール!
怪我も何もせず、二人とも無事にここまでたどり着けたことが、本当にうれしかった。
靴を脱ぎ、受付を済まし、お金を払い、大部屋のすみに荷物を置き、ウェアやら帽子やらを脱いで床に寝転がった時は、快感だった。
山に登りたかったくせに、下りてきて喜んでいるというのは、当たり前だがこの登山という行為の矛盾性を象徴しているように思う。
じゅんじゅんさんのお母さんが持たせてくださったビールは、凍っているかと思いきや、我々のために液体のままでいてくれた。
「かんぱい!!」
このビールが、もう、うまくてうまくてたまらなかった。
18時30分
晩飯は、ステーキだった。
サシのはいった分厚い牛肉を、陶板で焼いて喰うのだった。御飯もうまかった。
ハーフボトルのワインを買って、二人で祝杯。ワインもうまかった。
今回の山行がどれだけたいへんだったかを、お互い言い合い、笑いあい、感謝しあった。
とにかく、ありがたかった。
じゅんじゅんさん、ありがとう。
山が、もっと好きになりました。
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