霧立越4山《九州百名山》
- GPS
- 16:42
- 距離
- 54.5km
- 登り
- 2,741m
- 下り
- 2,740m
コースタイム
- 山行
- 3:55
- 休憩
- 0:14
- 合計
- 4:09
- 山行
- 10:21
- 休憩
- 1:22
- 合計
- 11:43
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
松木越までは尾根道、直前の巻道は道形なし 松木越〜扇山は踏み跡あり 霧立越は整備されている 小川への下りは最初道なし、すぐに林道に出る |
写真
感想
1日目(5/3)
【登山データ】
天候:晴れ 歩行11.2 4時間59分 延登高1,495m 延下降359m 4座登頂
熊本でレンタカーを借り宮崎県の椎葉村へと走った。最終日の車道歩きを少しでも短くしようと十根川と内の八重川の合流点から少し入った所に車を置いた。村道歩き50分で標高を260m上げて松木越東尾根の取付き(697m)に到った。地形図に登山道は記されているが踏み跡があったり無かったりの急登尾根で只管登った。テント装備で今日の荷物は重いのでゆっくり進んだ。軈て4等三角点「見の木」(1,056m)に達すると傾斜が心持ち緩くなったが杉の植林帯で展望もなく黙々と登り続けた。
地形図には標高1,280m辺りから左にトラバースし松木越に乗り上がっているがそれらしい道かと思い入って行くと途切れてしまいP1412から発する尾根に戻って登り続けた。軈てP1412の直下を通る林道に乗り上った。この林道は登山口から続くもので尾根に這い上がらなければ林道で此処まで来ることもできたようだ。また途中に扇山に直接登る登山口もあるようだ。
松木越の方からオフロードの単車が2台走って来た。と云うことは車も通れるようだ。扇山への稜線取付き地点にザックをデポし、林道を歩いて松木越に到った。何の表示もない峠で林道は稜線の南側へと去って行った。巻道から上がって来る道を探したがやはり道形はなかった。松木越から林道の枝線が南に分岐し30m程行くと“たかつごう山(1406m)”の取付きがあり薄い踏み跡を辿って行くと山頂に達した。山頂標識が転がっていたので木に立て掛けて写真を撮った。来た道を引き返せばいいのだが直下を林道が走っているので物好きにも笹藪を漕いで東側に這い下りた。松木越に引返し4等三角点「松木越」(1,371m)のピークを巻くように林道を戻り鞍部から稜線へと取付いた。
稜線の道も踏み跡はあったり無かったりで、P1509を目指して急登斜面を登り続けた。ピークには何もなく更に次の目標、下扇山(1598m)を目指した。山頂部は小さなピークが4つ程あり、一番手前の岩峰に4等三角点「下扇山」の金属標が自然石に埋め込まれていた。岩場で展望が良く“たかつごう山”を望むことができた。一番西のピークに到ると此処も岩場でこれから行く扇山が望めた。
30m余り下って登り返すと扇山の肩に這い上がった。分岐にザックをデポして扇山を目指すと男性が下って来た。松木登山口からのピストンだと云う。九州百名山にあげられた扇山(1,662m)は、2等三角点「切立峠」が置かれているが点標の根元が随分露出していた。下扇山の姿が大きく、西の岩稜も良く見えた。北側を見ると明日行く向坂山や小川岳も望むことができた。山頂域には躑躅や石楠花が咲き素晴らしい。
来た道を引き返すと前衛ピークの岩峰に“ツツジ岳”の表示があり思わぬ儲けものだった。岩稜の上からは扇山を振り返ることができた。分岐に引返し西尾根を下るとすぐに扇山山小屋に到着した。大分から来た年配男性3名が今日の同宿者ですでに寛いでいる様子だった。直後に福岡から来たマウンテンバイクの男性が到着し都合5名になった。扇山山小屋は老朽化で改築の際以前の半分の広さになったそうだが、定員は7名程度で適度な広さだった。近くに水場があり、小屋の下にトイレがありトイレットペーパーが備付けられていた。九州の日没は遅く19:04、夕食が終るとシュラフに潜り込んだが大分の3人組は、まだこれからのようだった。
2日目(5/4)
【登山データ】
天候:晴れ 歩行42.1 11時間43分 延登高1,391m 延下降2,527m 6座登頂
4時20分に起床し、音を立てないようにと屋外で準備を整え出発する頃にはすっかり明るくなっていた。霧立越(きりたちこえ)の稜線を北へと縦走する。東の空から陽が溢れ出し前方に険しい山が聳えていた。岩の塊のような山容だが岩の隙間に登路を見つけ這い上がった。ピークに立つと折しも扇山の肩から陽が昇る処で、素晴らしい光景だった。扇山の全姿が見え素晴らしい展望だ。米良三山の市房山(1,721m)や石堂山(1,547m)、祖母傾の山々も望むことができた。西側に下りようとしたが断崖で行く手を阻まれ、下りられそうな所を選んで登山道に復帰した。
稜線の道を北に進むと現れるピークは全て巻いているようで、これも古道として馬の背に荷を載せて運ぶために可能な限り水平に道を付けたことの名残のようで山屋の思惑とは違う歴史だ。何時もなら標高点が打たれていると殆ど藪を漕いでもピークを取りたくなるが、20圓料備ではその気にもならない。重いザックの縦走には登山道を確実に辿るのが好都合だ。P1553は北側を巻いて鞍部に達すると滝・尾前古道が西に分岐して行った。「尾前」は、耳川沿いの椎葉村の集落だが「滝」は何なのだろう?
少し北に進むと「平家ブナ」と書かれた標識があり新緑の萌え立つ山毛欅が素晴らしい。この九州脊梁山地には平家所縁の名が多く西側の国見岳山域では平家岳や内大臣林道、小松神社などがあった。この先も基本的に縦走路はピークを巻き比較的楽に進むことができた。P1437を巻いた鞍部で山毛欅の巨木あり、「二本ブナ」の標識が掲げられていた。4等三角点「中尾ノ尾」のピークも当然のように巻いているが此処は巻く訳には行かない。西側を通る巻き道と分かれ稜線を忠実に登ると十根川沿いの幸平に下る道が分岐するが道形は不明瞭だった。中尾ノ尾三角点に達したが展望はなく木立に覆われていた。
北側の鞍部で巻き道と合流すると「馬つなぎ場」と表示があり、嘗て古道を行く博労達が馬を繋ぎ一休みした処のようだ。BOXが設置されていたが中には用紙等はなかった。P1425の西を巻いて直ぐの処に「見晴しの岩」の表示があり登って行くとその名の如く素晴らしい展望が得られた。登りが続き1,590mの等高線に乗った辺りで西側に小屋場古道が分岐した。地形図には記載のない道で尾根上に3等三角点「日崎峠」(1,453m)もある。標高が増し霧立越の最高地点は此の辺りの標高1,600m強の処のようだ。
水呑ノ頭(1647m)も当然のように巻いているが山名のある山なので西側を巻く霧立越古道と分かれ稜線道を取った。4等三角点「白水口」がある山頂に到ったが、樹林帯で展望は得られなかった。地形図にはこの地点に「白岩山」と記されているが、明らかに間違いで山頂には薄れているが「水呑ノ頭」の標識もあった。本当の白岩山は、少し北にあり獣害防止ネットの扉を入った所の踏み跡を入って行くと立ちはだかる岩壁が恐ろしいが、隙間に登路を見つけ這い上った。ピークの少し手前に東側にロープが垂れていたので、しっかりした登路は別にあるようだ。白岩山(1,620m)は九州百名山の名にし負う山だった。此の辺りは、石灰岩質の地形に咲く植物が独自の進化を遂げ、固有種の“キリタチヤマザクラ”が1週間程早く来ると見られた様だ。ツクシアザミやハナウドも独自性があり将来固有種として名が付く可能性があるとWebの記事にあった。この付近はバイケイソウの群落で新しい葉が広がり一面を覆っていた。
北側への下山路は比較的マシで二重になった獣害ネットの扉を開けて進んだ。標高1,558mの白岩峠は、現地では「杉越」や「日肥峠」の表示だけで「白岩峠」の表示はなかった。「日肥峠」は日向と肥後の意味だろうがこの峠は五ヶ瀬町と椎葉村の境界でどちらも日向の国だ。霧立越の古道は峠から東に下りスキー場のカシバル峠に行ってしまう。古道と分かれ標高差125mを登り今山行の最高峰の向坂山(むかいざかやま1,685m)に登った。九州百名山の山だが山頂からの展望はなく3等三角点「向坂」が設置されていた。九州脊梁山地西側の国見岳の山域と繋ぐ熊本・宮崎県境の稜線が西に分岐し三方山で繋がっている。指導標に「椎矢峠」を示す表示があった。
県境尾根を北東に下ると五ヶ瀬ハイランドスキー場のリフトの上部に達した。当然展望は良くこの先の縦走路や阿蘇の寝釈迦の姿も遠望することができた。ゲレンデを下ると鞍部から上級者コースが下って行き縦走路は再び登山道となった。前方に見えていた黒岩山(1582m)は厳しい山容で直登はできず東側の尾根に登山道が付いていた。稜線に乗り上がるとザックをデポし西の山頂に向かった。稜線の端は断崖絶壁で黒岩山の標識があった。九州百名山の地図によると「遠見ヶ岩」とあり、こちらの方が実態を表しているようで山頂の岩の上からは展望が良く国見岳山域の三方山も確認することができた。分岐に戻り西への縦走路を進むと長い下りで、向坂山迄とは違い指導標も疎らで薄れて判読できないものが多くなった。
一旦標高が1,400mを切り150m程の登り返すと小川岳(1542m)に到った。九州百名山だが山頂は樹林帯で展望はなく、2等三角点「小川山」が置かれていた。時刻は11時、疲れも出てきたのでゆっくり休んで昼食を取った。北西の尾根を下り出すと軽装の男性が登ってきた。「マイタケ」から登ってきたと言っていたが一体何処なのだろう。生返事で分かれたが気になる。帰って調べてみると熊本県山都町の緑川沿いの集落名だった。下山路はP1372から西に迂回するように登山道があり再び稜線に戻り1,200mまで下ると再び稜線の西へと下って行った。
九州百名山の地図にはこの辺りに水場がある筈で注意しながら進んだが発見できないまま下山路の分岐点に達した。小川山から下山して来たという男性が一人休憩中だったので水場は何処か尋ねてみたが知らないという。日帰り登山者には必要ないことなのでこれは仕方がない。北への巻き道に入ると谷の横断もあるので期待して進んだが涸れ沢ばかりだった。最後は大きく崩壊した谷で登山道も途切れていて大きく高巻いて通過した。
水を得ることができないまま宿泊予定地に到着した。広い平地でテントを張るには最適の場所で予定では此処にテントを張り黒峰にピストンするつもりだった。往復6劼旅堝依僂凌紊箸鮃佑┐襪箸箸討眤りない。相当下まで下りると水は得られるだろうが、確実でないものを求める気にはなれない。時刻は12:30黒峰に行かなければ下山してしまえそうだ。下山を決断し鞍部を休むこともなく下山に掛かるが指導標はおろか道もないようだ。不安を感じながらもコンパスの示す谷間を下って行くとすぐに林道があった。どうやら地形図の点線道のようだ。これでひと安心と林道を忠実に下って行った。
林道を下り出すと谷間に水流が見え、テント張るか? と一瞬思ったが重いザックで20分余り下った所を再び担ぎ上げる気力は萎えてしまい下山を続行することにした。30分程下るとアスファルト舗装の新しい道に飛び出したので此処までは車で来られると確信しザックを木の陰にデポし、運動靴に履き替え、サブザックに水と食料そしてカメラを入れて歩き出した。此処からの車道歩きは長く、車を置いた椎葉村内の八重川迄23.5劼鯤發なければならない。
アスファルトの真新しい鋪装だった道がコンクリートになり、軈てダートが現れ林道入口にゲートがあるのではと不安になったが小川川沿いに下って行くと民家が現れもう大丈夫だ。47分の歩行で五ヶ瀬町広瀬に到り国道265号線に飛び出した。“ひむか神話街道”と名付けられた道で五ヶ瀬川を遡る。本屋敷の集落では五ヶ瀬ハイランドスキー場への取付道路が分岐した。五ヶ瀬川の対岸には天満宮があり橋の手前から拝礼した。民家が途切れると全長2,770mの国見トンネルで旧道は右に逸れ標高1,132mの国見峠で五ヶ瀬町と椎葉村の県境を越える。標高差400mを登る気にはなれずヘッドライトを点けて長大トンネルに突入した。トンネルの中央より手前で最高点に達し後は椎葉村への下りとなった。25分のトンネル歩きは心地よいものではなく、椎葉側の出口に達するとホっとした。
椎葉の国道を歩いていると傍らに止まった福岡ナンバーのワゴン車、自転車を積み込んでいるようだ。もしやと思った通り昨日小屋で一緒だったマウンテンバイクの福岡の人だった。椎葉の国道の傍らでの邂逅を喜び合い事情を聴くと自転車でスキー場登山口まで戻る気力がなくなり扇山から内の八重登山口に下山し此処迄自転車で来たが国見トンネルを自転車で越えることが憚られ車を呼んでピックアップに行ってきたと云うことだった。内の八重川まで歩いて行くと云うと驚いた様子で「送って行こうか?」と暖かい申し出を受けたが、周回完歩したいのでと丁重にお断りした。
再び歩き出し分水嶺を越え十根川となった傍らの川は深く仲塔渓谷を刻み楽しませてくれた。奥村橋を渡るとすぐに内の八重川が見えてくるが地形図にあった対岸に渡る橋は無くなっている。鹿野遊(かなすび)トンネル手前の鹿野遊橋まで行かなければ渡ることができず3匐瓩け回を強いられた。鹿野遊小学校の脇から十根川右岸の道を遡り内の八重川沿いになると直ぐの処の駐車地点に辿り着いたときは心底疲れ果てた。小川林道にデポしたザックの回収に歩いて来た道を戻り、椎葉村内で一軒だけあったお店でペットボトルのお茶とアイスを買った。デポ点に戻り、道の傍らで車中泊とすることにした。
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