北海道その(6) 目立つマッカリヌプリ(後方羊蹄山)は、登りがいがある山だった。
- GPS
- 09:10
- 距離
- 13.4km
- 登り
- 1,576m
- 下り
- 1,578m
コースタイム
- 山行
- 6:16
- 休憩
- 2:53
- 合計
- 9:09
天候 | 曇り時々雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
いよいよ今日はマッカリヌプリに登る。私がまだ子供だったときに父が登っていて、「めちゃくちゃきつかった」と言っていた。そして、後志管内を旅する、いや道南方面への旅においてはこの山の景観を必ず目に納めているのだ。それも子供の頃から自分が北海道を去るまでの間に。道の駅スタンプラリーも何年も行った、しりべしのみちのえきにも何度も訪れてこの景色を眺めていたわけだ。
いよいよ今日登るのだ。
後方羊蹄山は6万年ほど前から活動を続け大きな峰となった。最近では4000年前と1000年ほど前に噴火したとされている。しかしながら1000年前の噴火の記録は全く残っていない。北海道に文字を持つ人々は住んでいなかったのだ。
しかしながら、それより以前に和人がここに達していたのである。そう、飛鳥時代に活躍した阿倍比羅夫が蝦夷討伐に来ており、現在の倶知安町比羅夫にたどり着いたという記録が日本書紀で見られるのだ。このときに蝦夷国を討伐しヒグマの皮など様々なものを持ち帰ったとされている。阿倍比羅夫がたどり着いた場所がいったいどこになるのかというのは未だに解明されていないようだが、「後方羊蹄」という地名にたどり着いたとあるわけだ。
その後、江戸末期の探検家松浦武四郎により、この山を「後方羊蹄山」と名付け、近くを流れる川を「尻別川」と名付けたそうだ。昭和40年代前半までは「後方羊蹄山」「マッカリヌプリ」が併用されていたようだが、地元の倶知安町が「難読地名で読みにくい。」ということで「羊蹄山(ようていざん)」という読み方にするように働きかけ、国土地理院が昭和44年に書き直したそうである。
なので色々な読み方で読んでも同じ山というわけだ。
私は阿倍比羅夫に敬意を称して「比羅夫コース」にて登ることとした。まあ、4つあるコースの中でも楽な方のコースとされている。駐車場は空いているしトイレもきれい、6時10分、私は頂に向けて歩み始めた。
10合に分かれているコースを1合30分として5時間後山頂を目標とする。そう、丸一日かけて登る山なのだ。
実は後方羊蹄山にはヒグマはいない。全部を国道や道道に囲まれてしまっている独立峰、一度ヒグマがいなくなってしまえばもう戻ってこないのだ。なのでそこにはたくさんの哺乳類がすんでいる。私は見かけなかったがシマリスを何度も見たというハイカーにも出会ったし、キタキツネを見たという人もいた。
合数を重ねてゆくと斜度がきつくなってゆくのは成層火山を登る常だ。そして、ジグを切って登るのも常だ。富士山でもジグザグに登ってゆく。後方羊蹄山比羅夫コースでは6合目から9合目までがジグザグに登る道だった。ヤマレコマップでカーブの数を数え「カーブ!カーブ!、あと⚪カーブ!」と数えながら登った。
そして、8合目を越えたところで嫌な雰囲気を感じた。急に風が冷たくなったのだ、「来る!きっと来る!!」
そう、9合目で一気に雨が振りだした。ここでの選択肢は「下山する。」「山行を続ける。」「避難小屋に行く。」の3つである。
後方羊蹄山は「後方」である。ということは「前方」もあるのか、というとあるのだ。2つの目立つ山があると人は必ず男女にするものだ。筑波山しかり阿寒岳しかり、アイヌはこの山を「マッカリヌプリ」と読んだり「マチネシリ」と読んだ。この「マチネシリ」こそ「雌岳」であり、近くに「ピンネシリ」という「雄岳」があるのだ。この地におけるピンネシリは「尻別岳」である。そして、ほとんどの山は「雌岳」の方が高かったり大きかったりする。そして、この尻別岳こそ「前方羊蹄山」であるのだ。
子供を産むという女性に対する崇拝が日本ではどこにでもあったのだろうと思う。そしてその考え方は和人もアイヌも持っていた共通点ではないかと考える。
9合目で雨に降られた私は、気象庁のホームページを携帯で開いて雨雲を確認する。長く続く雨ではないと確認したところで、私の選択は「山行を続ける。」であった。ザックカバーをつけ、長袖一枚はおる、これで十分だ。10分後にはもう雨は止み着た長袖が鬱陶しくなってきた。なので、9合目からの花畑も撮影は帰りにすることとなった。
火口のお鉢にたどり着き、私はまた半袖一枚に戻り、デジカメを首から下げた。ここからお鉢巡りをして反対側に山頂があるのだ。そこに向けて私はてけてけと歩き始めた、本日初の爽快な稜線歩きだ。
現在、後方羊蹄山は5つの自治体の境界となっている。倶知安町、ニセコ町、真狩村、京極町、喜茂別町の5つだ、しかしながらニセコ町から登る道はない。他の町や村には登るコースがある。ちなみに、5つの町や村は平成の合併などでも合併が一切なかったのである。それだけ産業がしっかりとしているということだろうか。
各町や村で特産品があったり、それを販売する道の駅があったり(倶知安町だけない。)する。
母釜、子釜、そして父釜、なぜか周りは見えないが火口のみ見ることができた。北海道の山に登っているがずっと霧だ小雨だ、展望が本当にない。
でも、そんな中でも、いよいよ山頂となれば気分が高鳴るものだ。あと100m、50m。そして私は、山頂にある名標にタッチした。ちょうど登り始めてから5時間であった。
累積標高差1550mよく来たなあ。そしてたまには19Bでも出してやるかと。人が多かったら恥ずかしくてなかなかできない。おむすび2つかじりながら、私を抜いて2時間弱で来たという強者と話をする。地元北海道の人だった、しかも隣の高校に通っていたらしい。
下りも大変だろう、とおにぎりを食べたらすぐに私は下山を開始した。
下りは膝をにこにこと笑わせる。足を下ろす度に膝頭がつんと痛む。スポーツ膝にならなければいいなあと思いながら「車の中にある湿布を後で貼ろう」と思いながら下ってゆく。
4合目にたどり着いたところでトレラン2人組が登ってきた。ここまで25分で来たそうだ。それは素晴らしい、お二人は軽やかに山頂向けて登っていかれた。
1合目からの下り道では私はモンシロチョウやジャノメチョウを狙いながらゆっくり降りてきた。これらの生き物を育て、生きる場を与えている巨大な峰に賛辞を贈りながら。
15時過ぎ、顔もにこにこ、膝もにこにこ、おにぎり2こ2こと、にこにこ一杯で車にたどり着いた。
水分補給は蘭越のセイコーマートにて、北海道限定ペットボトルが108円と財布に優しかった。
次の日、大丈夫なのかと思いながら道南の道の駅で体を休めた。とても車内でレコを書く気にならなかった。
ヒグマがいないと聞いて
俄然と上る気になりました
いつか北海道遠征する日が来たら行ってみます
cyberdocさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
後方羊蹄山は子供の頃から見ていた山であり、それだけに感慨深かったです。成層火山で火口が山頂に3つもある景色は珍しいと思いました。是非登ってみてください。
ちなみに、北海道シリーズは後で3レコで終了になります。そしてその中に深田百名山はないです。来年以降の宿題に幌尻岳、トムラウシ山、利尻岳を残してしまいました。
aideiei@秋田県でした。
aiさん
ニコニコ楽しく読ませて頂きました。 北海道の山の紹介の本を読んでいるようです。登り甲斐のある山ですね。がニコンでないのが残念?!
タチツボスミレは北海道から沖縄まで咲いているようです。
昨日、大天狗様が19Bが来ないと心配していたので、でっかい道に行っていると報告してきました。
hamburg
HBさん。こんにちは。コメントありがとうございます。
返信遅くなって申し訳ないです。
現在、羊蹄山以上に足がにこにこしています。すさまじい山でした。これについては、近々レコをあげる予定です。
aideiei@富山県でした。
こちらも遅コメですm(__)m
雨にバシバシ降られなくて好かったですね。
シリベシ(拙宅ではこう呼びます)には四方向から登山道が伸びていますが、半袖隊は真狩コースをピストンしました。
できればピストンではなく、登りと降りで登山口を変え、将来的には山頂で十字を切りたい…と思っています。
しかし下山してからバスがある訳でなく、実際には難しいんですよね
隊長
半袖隊長、こんにちは。コメントありがとうございます。
なかなか厳しい山でした。百名山に関してはもう楽な山は残っていないなあというのが心境です。北海道も厳しい山を3つ残してしまいました。
この山に関して登山口と下山口を変えるならば、当日も比羅夫コースにタクシーで来ている人もおりましたのでタクシー利用かマイカー+自転車辺りだったら可能かと思われます。
aideiei@富山県でした。
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