胎内尾根を貫く奥胎内トンネルと奥胎内橋
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胎内尾根を貫く奥胎内トンネルと奥胎内橋
足の松尾根の登山口
さらにゲートの先を進む
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足の松尾根の登山口
さらにゲートの先を進む
昔は工事車両が通っていた道路のようだ
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昔は工事車両が通っていた道路のようだ
しばらくすると夏草が生い茂るが人が通った形跡が感じられる
(朝露対策必要)
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しばらくすると夏草が生い茂るが人が通った形跡が感じられる
(朝露対策必要)
頼母木川の対岸に取り付く尾根(郷倉峰北北西尾根)が見える
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頼母木川の対岸に取り付く尾根(郷倉峰北北西尾根)が見える
このあたりの頼母木川は両岸が険しい
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このあたりの頼母木川は両岸が険しい
工事用道路跡を最後まで進むと見上げる高さの砂防ダム、姫子砂防ダムが現れた
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工事用道路跡を最後まで進むと見上げる高さの砂防ダム、姫子砂防ダムが現れた
堤防の上までの高さは24mもある
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堤防の上までの高さは24mもある
中央部はスリットが入っており常時放水している
上流へ遡行するにはここを突破した方が安全に見える
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中央部はスリットが入っており常時放水している
上流へ遡行するにはここを突破した方が安全に見える
約20年前、黒川村の時代に作られたようだ。
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約20年前、黒川村の時代に作られたようだ。
対岸の岩壁にロープが残っているので、渡渉して尾根に取付くことにする。
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対岸の岩壁にロープが残っているので、渡渉して尾根に取付くことにする。
渡渉後に振り返る
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渡渉後に振り返る
対岸は急で直登は無理で下流方面へトラバースしながら尾根に上がる。
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対岸は急で直登は無理で下流方面へトラバースしながら尾根に上がる。
郷倉峰北北西尾根に上がると意外にも踏み跡が付いていた
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郷倉峰北北西尾根に上がると意外にも踏み跡が付いていた
登ってきた尾根を振り返る
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登ってきた尾根を振り返る
右側には大鍋沢の下流部の連爆帯が見える
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右側には大鍋沢の下流部の連爆帯が見える
左下方には姫子砂防ダムが見下ろせた
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左下方には姫子砂防ダムが見下ろせた
ブナの幹には切り付けやクマの爪跡、他にナタ目も見られた。最近までマタギ径として利用されていたのかもしれない。
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ブナの幹には切り付けやクマの爪跡、他にナタ目も見られた。最近までマタギ径として利用されていたのかもしれない。
頼母木川の対岸に足の松尾根(姫子の峰付近)が望まれる
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頼母木川の対岸に足の松尾根(姫子の峰付近)が望まれる
樹間より頼母木川下流、奥胎内橋が遠望できる
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樹間より頼母木川下流、奥胎内橋が遠望できる
874m峰付近 ここは薮が優勢で踏み跡不明瞭
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874m峰付近 ここは薮が優勢で踏み跡不明瞭
飯豊主稜線方向 中央は地神山西尾根
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飯豊主稜線方向 中央は地神山西尾根
大瀬戸沢(頼母木川上流)、門内岳方向
右奥は二ツ峰
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大瀬戸沢(頼母木川上流)、門内岳方向
右奥は二ツ峰
頼母木小屋をアップ
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頼母木小屋をアップ
大瀬戸沢をアップ
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大瀬戸沢をアップ
標高1080mあたりから望む胎内尾根(郷倉峰)
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標高1080mあたりから望む胎内尾根(郷倉峰)
登ってきた尾根を振り返る
標高1000mあたりから胎内尾根合流点まで薮がきつくなり踏み跡は不明瞭になってくる
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登ってきた尾根を振り返る
標高1000mあたりから胎内尾根合流点まで薮がきつくなり踏み跡は不明瞭になってくる
胎内尾根に合流すると潅木薮の下に所々踏み跡が確認できる
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胎内尾根に合流すると潅木薮の下に所々踏み跡が確認できる
ホツツジの脇を通過して郷倉峰を目指す
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ホツツジの脇を通過して郷倉峰を目指す
コブ状の突起、郷倉峰が見えてくる
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コブ状の突起、郷倉峰が見えてくる
郷倉峰の山頂は草付きの岩稜帯で展望が良い
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郷倉峰の山頂は草付きの岩稜帯で展望が良い
山頂パノラマ(元サイズ→拡大)
左:飯豊主稜線、中:二ツ峰、右:滝沢峰
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山頂パノラマ(元サイズ→拡大)
左:飯豊主稜線、中:二ツ峰、右:滝沢峰
カモシカ岩アップ
登山道跡は岩尾根の東側をトラバースしている
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カモシカ岩アップ
登山道跡は岩尾根の東側をトラバースしている
二ツ峰アップ
手前の鞍部付近は地形が複雑、二重尾根や草原、池塘あり
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二ツ峰アップ
手前の鞍部付近は地形が複雑、二重尾根や草原、池塘あり
赤津山、ヤンゲン峰、二王子岳方面パノラマ(元サイズ→拡大)
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赤津山、ヤンゲン峰、二王子岳方面パノラマ(元サイズ→拡大)
アゴク峰、足の松尾根方面
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アゴク峰、足の松尾根方面
郷倉峰を越えた鞍部より郷倉峰を振り返る
山頂からの下りはロープが固定された急な崖になっている
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郷倉峰を越えた鞍部より郷倉峰を振り返る
山頂からの下りはロープが固定された急な崖になっている
鞍部付近より滝沢峰を目指すも強烈な潅木薮のため、踏み跡の名残りを辿れず薮の海で身動きが取れなくなる。ここで敗退を決める。
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鞍部付近より滝沢峰を目指すも強烈な潅木薮のため、踏み跡の名残りを辿れず薮の海で身動きが取れなくなる。ここで敗退を決める。
再び郷倉峰に戻り胎内尾根を下山。
北西方向パノラマ。中央の三角のピークは池平峰。
(元サイズ→拡大)
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再び郷倉峰に戻り胎内尾根を下山。
北西方向パノラマ。中央の三角のピークは池平峰。
(元サイズ→拡大)
下るにつれ踏み跡がはっきりして辿りやすくなる
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下るにつれ踏み跡がはっきりして辿りやすくなる
地形図の1004m標高点付近は痩せ尾根
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地形図の1004m標高点付近は痩せ尾根
大鍋(鞍部)を過ぎた先の丘より郷倉峰方面のパノラマ 中央奥は滝沢峰(元サイズ→拡大)
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大鍋(鞍部)を過ぎた先の丘より郷倉峰方面のパノラマ 中央奥は滝沢峰(元サイズ→拡大)
雨量計までの平坦尾根には南西側に踏み跡あり、外れると蔓混じりの潅木薮で大変
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雨量計までの平坦尾根には南西側に踏み跡あり、外れると蔓混じりの潅木薮で大変
薮を抜けると突然、カマボコ型の雨量観測所が現れる 南東側より望む
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薮を抜けると突然、カマボコ型の雨量観測所が現れる 南東側より望む
南側より見る 左下は電柱に掲載されていた看板
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南側より見る 左下は電柱に掲載されていた看板
雨量観測所〜池平峰の踏み跡の様子
踏み跡の両側が広く刈り払われているようだ
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雨量観測所〜池平峰の踏み跡の様子
踏み跡の両側が広く刈り払われているようだ
平坦な池平峰山頂(西側より撮影)
この先胎内尾根末端まで明瞭な登山道並みの踏み跡が続く(工事中は関係者が多数通っていたのだろう)
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平坦な池平峰山頂(西側より撮影)
この先胎内尾根末端まで明瞭な登山道並みの踏み跡が続く(工事中は関係者が多数通っていたのだろう)
目立つ切り付け 胎内尾根では他にも切り付け多数あり
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目立つ切り付け 胎内尾根では他にも切り付け多数あり
980m地点で西に向かっていた胎内尾根は北西へ向きを変える
踏み跡はこの先で右に直角に折れ、急降下する
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980m地点で西に向かっていた胎内尾根は北西へ向きを変える
踏み跡はこの先で右に直角に折れ、急降下する
奥胎内ダムも遠望できる
見た目、完成して工事は終わっているようだ
堤防右岸に奥胎内トンネルとは別のトンネルが見える
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奥胎内ダムも遠望できる
見た目、完成して工事は終わっているようだ
堤防右岸に奥胎内トンネルとは別のトンネルが見える
引いて撮影
奥胎内ダムと奥胎内橋
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引いて撮影
奥胎内ダムと奥胎内橋
さらに下って奥胎内ダム湖
試験湛水しているようだ
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さらに下って奥胎内ダム湖
試験湛水しているようだ
大樽山〜アゴク峰方面パノラマ(元サイズ→拡大)
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大樽山〜アゴク峰方面パノラマ(元サイズ→拡大)
五葉ノ峰を通過 年代物の菱形看板
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五葉ノ峰を通過 年代物の菱形看板
左前方に奥胎内ダムを見ながら尾根をさらに急降下
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左前方に奥胎内ダムを見ながら尾根をさらに急降下
尾根末端より吊り橋で頼母木川を渡る
木の踏板は老朽化して不安定、ほぼワイヤーのみで強度を保っている。
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尾根末端より吊り橋で頼母木川を渡る
木の踏板は老朽化して不安定、ほぼワイヤーのみで強度を保っている。
一部でワイヤーから吊り下げている金具が外れている
体重をかけられない
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一部でワイヤーから吊り下げている金具が外れている
体重をかけられない
渡った対岸より
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渡った対岸より
遊歩道から車道へ上がる道
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遊歩道から車道へ上がる道
(おまけ)数日前、偵察に行ったときの画像
奥胎内ダム(南西方向パノラマ)
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(おまけ)数日前、偵察に行ったときの画像
奥胎内ダム(南西方向パノラマ)
ダム湖のバックウォーターとスロープ
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ダム湖のバックウォーターとスロープ
奥胎内ダムの堤防とダム湖
ひっそりと黒々とした湖水を湛えている
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奥胎内ダムの堤防とダム湖
ひっそりと黒々とした湖水を湛えている
堤防左岸にある管理事務所
まだ無人のようで周囲は静まりかえっている
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堤防左岸にある管理事務所
まだ無人のようで周囲は静まりかえっている
奥胎内橋へ抜けるトンネル
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奥胎内橋へ抜けるトンネル
工期は今年の10月末までのようだ
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工期は今年の10月末までのようだ
【過去画像】(二王子岳奥胎内登山道より去年7月中旬撮影)
右上:奥胎内ダム 中央:奥胎内ヒュッテ 中上:胎内尾根
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【過去画像】(二王子岳奥胎内登山道より去年7月中旬撮影)
右上:奥胎内ダム 中央:奥胎内ヒュッテ 中上:胎内尾根
【過去画像】
赤い屋根の奥胎内ヒュッテを見おろす
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【過去画像】
赤い屋根の奥胎内ヒュッテを見おろす
【過去画像】
奥胎内ダムをズーム まだ管理事務所は建設中
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【過去画像】
奥胎内ダムをズーム まだ管理事務所は建設中
飯豊の行きにくい所へご案内頂き、興味津々でした。
古いガイドブックでは、「飯豊連峰に数ある尾根コースの中で最も長く厳しいのがこの胎内尾根」と紹介されており、私にはアプローチに難があることもあり、入ることはありませんでした。そしたら、いつの間にか「廃道」の様な扱いに。(笑)
飯豊の保全の初めの頃の仲間が何人かでつるんでこの尾根を完登しましたが、多少は残雪にたすけてもらえる時期だったように記憶しています。記録こそ陽気で微笑ましいものでしたけれど、あの元気印の彼らをもってしてもかなり難儀した様子が伺えました。
大兄のトレース、それは失われようとするものへの愛惜なのでしょうか。あるいはより強く復活、再生を希っておられるのかな?
追伸:ヤマレコの記事〜2014年10月8−9日『飯豊連峰胎内尾根踏破』は文体、画像の傾向から、大兄の記録かとも思えるのですが、如何?
kamoshiqua様、ご丁寧にコメントありがとうございます。
かつて登山道が通っていた胎内尾根は現在も池平峰まで登山道レベルの踏み跡が残っています。滝沢峰〜二ツ峰には小桜ノ池、二ツ峰〜鞍部には藤七ノ池があり変化に富んだ魅力のある長大な尾根コースです。できれば以前のように復活してほしいと思います。胎内尾根の登山コースが復活すれば奥胎内を起点に足の松尾根と組み合わせて周回登山が可能になり登山道としての価値は大きいです。
2014年秋は胎内尾根登りの足の松尾根下りで一泊二日で、2005年秋は足の松尾根登りの胎内尾根下りで日帰り(到着は20時近く)で、1999年夏は05年と同じコースを日帰り(日没前に下山)で通っていました。年々、胎内尾根は薮化が進行しており、所要時間がかかるようになっている感じがします。
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