蛭ヶ岳-丹沢山-塔ノ岳 〜夕景、夜景、ご来光、そして〜


- GPS
- 11:02
- 距離
- 24.1km
- 登り
- 2,226m
- 下り
- 2,326m
コースタイム
- 山行
- 5:10
- 休憩
- 0:25
- 合計
- 5:35
- 山行
- 5:03
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 5:26
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
三ヶ木発月夜野行きは、当面平丸止まり。 大倉BS発12:15(神奈中バス、210円)渋沢駅着12:30 |
コース状況/ 危険箇所等 |
北丹沢では、まだまだ歩けるコースが限られている。神奈川県ホームページをご参照。https://www.pref.kanagawa.jp/docs/f4y/02yama/kouen_kouenhodou/20191227_tozandou_tanzawaooyama_stop.html 本コースでは、今後まとまった雪が降らない限り、滑り止め不要。 姫次と地蔵平の間、進路に迷う箇所有り。 林業テープに惑わされないように。 |
その他周辺情報 | 蛭ヶ岳山荘 丹沢稜線の山小屋らしく水不足。500mlが500円!(ちなみにコーラも500円) ロケーション素晴らしい。評判どおりの眺望。館内の各スペース、設備そして食事、いずれも残念。 |
写真
感想
たとえ1泊するにしても大倉からの往復は避けたかった。西丹沢からのアップダウンを短時間で敢行する自信は無い。北丹沢方面の登山道は壊滅状態。さてどうする、思い悩んでいたとき、偶然神奈川県のホームページに辿り着いた。唯一、平丸からの入山が可能であることを知った。バスの運行状況を確認してから山荘を予約する。「平丸からね。この時期は空いてますよ」心躍る日々が始まった。
前日、予定どおりリハビリテーションを受けた。瞳が恐ろしく魅力的な理学療法士から「だいぶ良くなってきました。はい、肩と腕の力を抜いて、胸を張って、左腕を曲げてそのまま左を向きましょう」。これは、ザックを背負う時、左腕を通す動作と一緒ではないか、無茶苦茶なこじつけをして荷物をまとめ始めた。
果たして富士山の日、これ以上望むべくもない快晴の空の下、天皇陛下に感謝しつつ丹沢主稜に向かった。意外にも、橋本駅から三ヶ木行きのバスはほぼ満員だった。その三ヶ木で平丸行きに乗り換えたのは登山者ばかりで、降車後は同じ登山口を目指した。
登山口の注意書きには、しばらくは道が荒れているとあったが、倒木も無く、至って平和な始まりとなった。沢に沿った道を進むとやがて尾根に乗る。風が吹き抜ける。春一番の翌日、強風は覚悟しなくてはならない。
この季節、熊鈴の音も虫の音も無く、落ち葉を踏む音も控えめ、風の音だけが響く。準備体操やら何やら後れを取ったことが功を奏している。歩き始めて1時間、だいぶ息は整ってきた。前述した彼女のお蔭で、昨晩はぐっすり眠れた。体は軽く、手足が当然のように思い通りに動いてくれる。
平丸下降点には、9時過ぎに到達した。ここからは東海自然歩道でもある丹沢主脈の道を行くことになる。稜線上の風はなお強く、けれども日差しは柔らかく、進むに連れ、道は思いのほか明るさを増しているように思えた。
ほどなく黍殻山への分岐点が現れた。当然のように巻き道を分ける。あまり踏まれていない。頂上に着きそのわけを知った。大きな雨量計が座り、眺望は得られない。かろうじて山頂を示す立て札があるだけだった。一度通過すればそれでよい場所であった。
巻き道と合流し、しばらく進むと左手に避難小屋が現れる。北丹沢の複雑な地形を縦横無尽に歩く者にとって、十分に頼もしい存在だろう。過ぎると道は緩やかに高度を上げ、樹間から蛭ヶ岳が顔を覗かせるようになる。間もなく予定していた休憩スポットに到着する。俄かに空腹を覚え始めた。
標高1410メートルの姫次は、期待どおり明るく気持ちの良い場所だった。されど、富士山を望みながら、コーヒーを味わい、潰れたパンを食す、そんな小さな願いは強風に吹き飛ばされてしまう。仕方がない。山頂か山荘でゆっくり丁寧に淹れようじゃないか。大きな目標を得て気力を取り戻した。
原小屋平なる場所まで下ってゆく。せっかく標高1000メートル差を登って来ただけに、少しでも下ることは許せなかった。ぶつぶつ言いながら何の気無しに歩いているうちに、道を失った。テープは至る所に揺らめいている。広がった尾根により、コース中唯一、進路に注意を払うべき場所にいた。
弛んだ気持ちを引き締めて地蔵平を通過する。眼前には蛭ヶ岳が間近に迫っていた。しかし、ここからが長い。階段は要らないだろうと呟かずにいられないほど緩やかな斜面が続き、じわじわと体力を削がれてゆく。先ほどまで見えていた西丹沢の山々の姿は無く、足元を見つめ無心で歩を進めた。
蛭ヶ岳には、12時53分に到着した。およそ5時間半の行程だが、強風により疲労度は増していた。それでもすぐに座り込みたい衝動には駆られず、数枚の写真を撮って山荘に向かった。今日は富士山が隠れてしまう心配はない。
山荘の玄関は狭く、館内はやや暗く感じた。受付を済ませてコカ・コーラで喉を潤す。しばらくしてから2階寝室へ案内された。急な階段を上がるとびっしりと布団が敷かれている。尋ねると、昨日予約が一気に入り、今夜は満床とのこと。天気よく、雪は無く、仕方ないか。残念なことに、場所はチェックインの順に割り振られ、窓から3番目を指定された。
荷物を置き、ゆっくりとコーヒーを淹れたのち、周囲を散策した。関東平野を一望のもとに、の触れ込みどおり、夜景の期待できるロケーションであることを確かめ、再び富士山と対面した。南側の雪煙が暴風を物語っていたが、その姿は、雲一つ無い空に美しく映えていた。
館内は予想よりも狭く、設備も構造も期待とはかなりかけ離れたものだった。居場所が無く、仮眠をとる。目覚めたのは、夕食の呼びかけの始まったときだった。夕景を望みに山頂西側に足を運ぶ。夕日は富士山の北側に沈んだ。儚い余韻に浸りながら、2回転めの夕食時間に合わせ戻った。
食後、こんどは、東側へ。山荘前から街の夜景を望み、この瞬間だけは独りでいてはいけないと気づかされた。風に吹かれながら「たばこ2本分の時間」(懐かしい表現だ)、ぼんやりと見つめていた。18時半には横になったが、予想どおり眠れない。毛布は一人2枚配られ、人いきれの2階の空間、寒さは全く感じなかったが、睡魔はなかなか訪れてくれなかった。
夜半、何度も目を覚まし、時間の経つのがひどく遅いことを憂いながら朝を待つ。そしてようやく訪れた5時過ぎに荷をまとめた。夜明けまでの居場所は館内には無い。少し風の残る山頂でコーヒーを沸かす気にもなれない。昨晩夜景を望んだ場所でひたすら夜明けを待っていると、山荘から出てきた誰かが、マイナス5度と告げる。道理で暖かいはずだ。この時期の夜明け前の気温とは思えない。
6時19分、雲に邪魔されることなく、この日最初の光を得た。ご来光の瞬間は、独りでいられることの幸せを実感する。陽がその形を整えたのち、急ぎ西側に移り富士山に日の当たるときを待つ。甚だせわしい。
朝日を浴びる富士の姿をしっかりと目に焼き付け、塔ノ岳に向かって歩き始めた。ほどなく、鬼ヶ岩へと続く鎖場が現れる。二日間で唯一両手を使う場所、久しぶりに岩の感触を楽しんだ。その後は、幾つかの小ピークを越えて丹沢山へ近づいてゆく。気持ちの良い稜線の道だった。
41年ぶりに立つ丹沢山の頂。僅かな時間、共に訪れた人ともう会えないさみしさを強く感じた。ここからはなだらかな、優しい道が塔ノ岳へと導いてくれる。少し物思いにふけっても良いだろう。
山頂を後にすると、途端に出会う人の数が増えた。あまりの天気の良さに空身の人もいる。富士は常に共にあり、雲の気配は全く無かった。いつまでもこの稜線を歩いていたい。できる限りゆっくりと進んだ。
9時過ぎ、塔ノ岳に到達した。大倉尾根の下りを考えると憂鬱になるので、南アルプスの山座同定に気を集中し、左腕のマッサージに勤しんだ。尊仏山荘に寄ってみたかったが、動機を見い出せず、その十字路をあとにした。
まだ体力は十分にあった。金冷シで、鍋割山に寄るプランが俄かに思い浮かんだ。当時は無かった鍋焼きうどんを食べてみたい。もしも天候が芳しくなかったならそのプランに乗ったことだろう。
それにしてもすれ違う人が途切れない。ある程度予想していたが、これほどとは思わなかった。バカ尾根に手を焼いている人の傍らを、楽に下っていることが申し訳なく思えた。中だるみの後は、緩やかで気だるい坂が続く。とうに飽きていた。人のいない場所で、70年代の歌を口ずさんだ。
充実した二日間だった。丹沢の魅力を満喫した。この上ない好天に、美しい富士の姿に、時の移り変わりに、十分に癒された。当分、過酷な営みに耐えてゆけそうだ。懐かしの大倉に着き、両腕を広げて空を見上げた。
ふと気がついた。左腕をいくら動かしても強い痛みを感じない。「I先生、リハビリ成功です。もう通わなくても大丈夫そうです。」少し冷静に考えて、「まだ痛みが残っています」報告を変えることにした。相変わらず、である。
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