立山三山縦走(過去レコです)。


- GPS
- 32:00
- 距離
- 11.5km
- 登り
- 1,172m
- 下り
- 1,158m
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2011年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
新コロ蔓延、緊急事態宣言が出され、それに伴うyamarekoの配慮。4月中は過去記録を受け付けるとの事で、わたしがヤマレコに入った2012年以前の記録をぼちぼち載せたいと思います。 |
写真
感想
春の連休はすんだが、まだ雪がたっぷり残っている頃、一度立山三山縦走を企てたことがある。一ノ越から雄山に登り、雄山神社の鳥居がすっぽりと雪に埋もれているのを見て驚いた。その先の大汝方面を見ると、稜線には雪庇が伸びていて、恐れをなして引き返した。知らない雪山をいきなり登るのは無理。一度夏山で試しておこうと云う訳で、一ノ越山荘に宿泊の予約を入れたが、当日は満員なので予約出来無いと云われた。そこで逆方向から登る事にし、剱御前小屋に電話を入れると、連休は混むけど大丈夫でしょうということであった。
2011年7月16日、東海環状道、中央道、長野道を経て、豊科ICで高速道路を降りる。国道147号線を北上し、大町から扇沢に向かう。柏原新道の入り口を過ぎ、もうすぐトロリーバス駅舎の駐車場というところで、整理員が道を塞いでいる。どうやら駐車場は満杯のようで、本道から逸れた道路脇に誘導され車を停める。あとからもどんどん車がやって来て、どうやら立山は大賑わいの様子。トロリーバス駅舎まで歩いて上がり、往復切符を買い求め、トロリーバスを待つ行列に加わる。しばらくの待ち時間の間、行列に向かって駅員とおぼしき男が大声で何やら説明している。 ひと通り立山の案内が終わると、最後にひと言、「お弁当要りませんか?」。軽妙な話しについつられて思わず、「鱒の笹ずしとブタニク弁当下さい」。トロリーバスの次はケーブルに、クロヨンダムの上を歩いて豪快な放水を眺め、ゴンドラ、もう一度トロリーバスと、大勢の人ではあるがまずは順調に乗り継ぐ。中国語と韓国語が、日本語を圧倒して飛び交っている。案の定、室堂は観光客で大賑わい。突き抜けるような青空の下、立山の峰々が半円周上にくっきりと並んでいる。
室堂から地獄谷に下る途中、ライチョウ一家がハイマツの中にいるのに出会う。硫黄の臭いにむせながら地獄谷を過ぎ、雪渓を下って雷鳥平に至る。色とりどりのテントが並ぶ雷鳥沢キャンプ場で、テーブルに坐って鱒の笹ずしとブタニク弁当を頬張る。ここには観光客はいないが、剱・立山登山のベースキャンプ、夏スキーをする人も加わって賑わっている。谷筋には例年より残雪が多く、ゴルフ場のバンカー状態になるのはまだ先のようだ。明日縦走する立山連峰を目で追うと、その稜線上、透き通る青空をバックに人の姿が小さく連なっている。山の上も賑わっているようである。浄土川の板橋を二つ渡り、大日岳への分岐から登りが始まる。低木に囲まれた登山道は風が通らず、汗が額を垂れ落ちる。コイワカガミ、アオノツガザクラ、ミヤマキンポウゲ、ハクサンイチゲ等々、みずみずしく光り輝く花々の写真を撮りつつゆっくり登る。雷鳥沢の雪渓に出ると、涼しい風が頬を撫でる。雪渓を登り、雷鳥坂の登山道に入ると、再び小さな花々が迎えて呉れる。振り返ると雷鳥平を見下ろすが、室堂平はここと同程度の目線で、まだこれだけかとちょっとがっかり。それでも徐々に高度をあげ、室堂平も俯瞰するようになると間もなく別山乗越に登り着く。
剱御前小屋前の広場には、大勢のヒトが群がっている。小屋の入り口には、今夜は満員なので予約客以外は泊まれない旨の張り紙があり、2畳に3人とある。これなら余裕、ゆっくり寝返りも打てるとまずはひと安心。小屋に入って窓際の最上席に寝場所を確保し、外に出る。まだ3時、強烈な日差しを避けて、小屋の北側の日陰の石積みに坐る。眼の前に、黒い鎧を被った岩の塊り剱岳がどっしりと構え、その頂を真っ白な夏の雲が柔らかく包んでいる。雪渓の向こうの剱に思いを寄せながら飲む缶ビール、至福のひと時を過ごす。5時から夕食、缶ビールをもう一本空け、それでは足りずに持参の「三岳」を飲んで出来上がり。部屋の窓から山の端に沈む夕陽を眺めながら、何故かもう一本缶ビールを空け、日没とともに眠りに着く。
翌朝、まだ暗いうちからガサゴソと云う音が始まり、目が醒める。4時15分頃になると、東の空が赤くなり始め、黒部をすっぽり埋め尽くした雲海の向こうに、白馬連峰が黒々と浮かび上がる。支度をして4時48分に玄関を出ると、まさにその時、お天道さまが五竜の頂から顔を出したかと思うと、見る見るうちに昇って行く。
5時、剱御前小屋に別れを告げ、別山の登りにかかる。朝の冷たい空気を思いっきり吸い、左手に、剱の岩塊を眺めながら気持ち良く登る。40分程で別山の祠に到着。これから辿る立山連峰、その向こうには薬師岳、黒部五郎、笠ヶ岳、そして西の方角には白山が浮いている。そして八ヶ岳と南アルプスの間から、富士山が雲の上に頭を出しているのがくっきりと見える。別山から一旦稜線を下り、鞍部から内蔵助山荘を目指して大きな背を登る。1時間以上かかって真砂岳に至ると、内蔵助カールの雪渓が飛び込んでくる。空は飽くまで碧く、真砂岳の白い頂上に朝の光が降り注ぐ。振り返れば、別山の上に剱が黒々とした頭を出している。白馬連峰から唐松、五竜、鹿島槍、爺、そして大沢、スバリと針の木と続く後立山の峰々が、雲海の向こうに逆光を浴びて並んでいる。小屋がつくって呉れた朝飯の大きなオムスビを2個平らげる。富士ノ折立に向かう細い稜線上に人の姿が見える。そろそろ一の越側からの人達がやって来る頃だ。真砂岳から下り、雷鳥平への道を分け、ガレた稜線を登る。真砂岳から見た時は細く見えた稜線は、十分幅もあり、何の事は無い。眼下には室堂平が広がり、雪田の中に群青の水をたたえたミクリガ池とミドリガ池。雪が溶け、地肌の露出した室堂平に、一点の色彩を放つ。大岩の重なる富士ノ折立に登る。とは云っても、本当の頂上は尖った岩峰、登るのは遠慮しておく。富士ノ折立から30分程で立山の最高峰大汝山の頂3,015mに立つ。大汝山から雄山まではほんのひと息。まだ9時前なのに、雄山の頂上はもうヒトで溢れている。社務所も大賑わい。腰を下ろし、頂上でしばし休憩。雄山から一ノ越までは小石のゴロゴロした急坂。下り始めると、次から次へとヒトが登って来る。すれ違うのを待っていると、いつまで経っても下ることは出来ない。連なって登って来るヒトを避け、道を逸れて別の道を探す。別の道がある事にはあるが、本道では無いので少々身が引き締まる。小石に足を掛けると、ザラザラと小石が流れ始め、お〜いこれはヤバイぞと本道に戻る。と、ヒトで一杯。また別のルートを探して下る。ようようの態で一ノ越に降り立つ。室堂から一ノ越へ向かって来るヒトヒトヒト。振り返れば、一ノ越から雄山山頂までヒトの列が出来ている。立山の夏、恐るべし。
立山三山とは、別山、雄山、浄土山の事で、三山縦走と云うことであれば浄土山を外す事は出来ない。一ノ越山荘の裏手から浄土山を目指す。人気は少なく、静かになる。富山大学環境研究と云う名札を首に掛けた学生さん二人、ゴミを拾いながら登っている。真新しい富山大学立山研究所の建物の裏側に廻り、五色が原を眺めながらひと休み。薬師には雲がかかり始めているが、黒部五郎、笠、穂高・槍、その手前に鷲羽・水晶・読売新道と、北アルプスの中枢部を全て見渡すことが出来る。大展望をゆっくりと堪能し、浄土山に向かう。浄土山からは剱御前から一ノ越まで、本日歩いて来た稜線を目で辿る。浄土山からの下りは、その山容からは思いもよらない岩が重なる急坂。眼下の雪渓を目指して慎重に下る。30分程かかかって雪渓に降り立ち、雪をタオルで包み首に巻くと、ひんやりとしてひと息つく。雪渓を渡ると遊歩道となり、室堂ターミナルは見えてはいるが、それがなかなか近づかない。道はぐるっと右に巻き、室堂山荘の手前で一ノ越への道と合流。観光客に混じってようやくターミナルに到着した時は、剱御前小屋を出てから7時間以上が経っていた。ターミナルの食堂で昼食、もちろんビールで乾いた喉を潤す。わたしの顔・首・両手背はマッカッカ、ひりひり。
思い出レコ。
お写真と共に読ませていただきました。
よく細かいところまで鮮明に覚えていますね。
それだけ思い出深い山旅だったのでしょうね。
良い思い出ですね。
yamarekoさん、4月中、過去レコを受け付けると云う事で投稿させて頂きました。10年ほど前の事を覚えている訳ではありません。当時の山行記録をそのまま載せているだけですヨ。暫くの間、過去レコを載せて頂きたいと思います。
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