記録ID: 2308484
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無雪期ピークハント/縦走
谷川・武尊
<過去レコ> 谷川連峰 谷川岳から蓬峠
2012年07月29日(日) ~
2012年07月30日(月)


- GPS
- 32:00
- 距離
- 21.0km
- 登り
- 1,396m
- 下り
- 1,958m
コースタイム
1日目
- 山行
- 2:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:30
2日目
- 山行
- 10:20
- 休憩
- 1:20
- 合計
- 11:40
天候 | 曇り時々晴れ 二日目は昼過ぎから雷雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
武能岳から先は開けた風景の中、熊笹の中を歩きます。まだ刈り払われたいなかったのかクマザサを膝でかき分けながら進みました。何十年前かの思い出を辿りながら、新道を歩きましたが、芝倉沢出合付近は多少道が不明瞭な所がありました。湯檜曽川沿いに歩くコースです。虹芝寮の近辺で毎年合宿していたので懐かしかったです。 |
写真
頂上です。ガスで眺望はあまりありませんでした。今夜は肩の小屋に泊まります。小屋番の方に途中のご婦人の方のことを連絡しました。警備隊の方がおぶって下ろしたそうです。ご苦労様です。その後もいろいろおしゃべりさせて頂きました。
一ノ倉岳の頂上です。ここからは幽ノ沢と堅炭岩の中間の尾根を下る中芝新道が分岐します。肩の小屋の番人さんが付けた指導標があります。この道、途中はすごい傾斜になります。エキスパート向けの道になります。昔は一の倉沢や幽ノ沢を登ったクライマーの下降路でした。昔ワンゲルの先輩が芝倉沢のテン場まで下りてきましたが、かなりのベテランでも超怖かったと言っていたのを覚えています。
茂倉岳から武能岳まではいったん大きく下って登り返します。結構長いアップダウンになります。途中右側にスキーで下りたくなるような芝倉沢の源頭を通過します。本当にきれいです。芝倉沢は昔、中学時代にテン場にしていた沢です。今は全域幕営禁止になっています。
蓬ヒュッテです。今回の山旅の目的地です。今から45年以上前、中学のワンダーフォーゲル部だった私は、毎年のように芝倉沢をベースのテン場(今は幕営禁止です)にして、ここまで登ってきました。この草原でみんなと輪になって、食事をしたことが昨日のようです。管理人は高波さんでしょうか。あいにく土樽に下りていらっしゃたのか、鍵がかかっていました。
蓬ヒュッテで思い出に浸っていると雷が至近の距離で鳴り始めました。お昼ご飯もそこそこに、雷の放電の隙間を縫って、移動します。武能沢の源頭を駆け足で下りながら、やっと灌木の茂みに身を隠しました。ふと足下の流れに目をやると、そこには雪渓から流れる冷たい水がこんこんと湧いています。おなかいっぱいになるまで美味しい水を飲みました。
感想
谷川岳は私にとって、青春時代の思い出のたくさんある山です。中学生の頃、その頃東京の公立の中学校では、2校しかなかったワンダーフォーゲル部に所属していた私は毎年夏になると合宿として訪れました。その後、高校、浪人、大学時代と何回も訪れた山です。残雪期のマチガ沢に咲く白いこぶしの花や蓬峠一面のニッコウキスゲ、天候の悪化と強風でビバークを余儀なくされた仙の倉沢の西ゼンなど、自然の素晴らしさや厳しさを教えてくれた山です。
その頃は横長のキスリングに帆布のテント、アルマイトの大鍋や灯油を燃料とする真鍮でできたストーブ(ラジウス)など、一人では立ち上がれないほどの重さを背負って登っていました。それでも6人用のテントの裾から顔を出して、仰ぎ見た天の川や流木を集めたたき火の炎の暖かさなど今でも鮮明に記憶に残っています。当時は土合山の家は中島さん、土樽山の家は高波さんが管理していらっしゃいました。お世話になりました。
この記録はそれから40~45年くらいたって、私が久しぶりに訪れた記録です。もう当時の記憶とはかなり隔たりがありますが、記録として残しておこうと思いヤマレコに投稿します。
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