奥穂高岳・前穂高岳〔過去レコ・セピア色の思い出
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- GPS
- 32:00
- 距離
- 17.1km
- 登り
- 2,328m
- 下り
- 1,914m
コースタイム
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
新穂高温泉5:45→9:10白出沢出合9:25ー(昼食休憩20分)→14:30穂高岳山荘(泊)
〔2日目〕
穂高岳山荘5:45→6:25奥穂高岳6:45→8:00前穂下(紀美子平)8:05→8:25前穂高岳8:45→9:05前穂下(紀美子平)9:15→11:00岳沢ヒュッテ11:45→河童橋13:45→13:50上高地バスターミナル
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
1964年(昭和39年)はオリンピックの年。それは別にして毎年お盆と正月以外で会社唯一の土日連休に山好きの同僚と一緒に4人で奥穂高岳へ行くことにしました。車はまだとても持てない時代なのでこうした山行は夜行列車です。前日7月31日夜半、23時50分名古屋発の 夜行列車で高山へ。未明3時40分高山着、5時15分のバスに乗り新穂高温泉へ行きます。
今回計画したルートは新穂高温泉から白出沢を登って穂高岳山荘で1泊。翌日奥穂高岳に登り 吊尾根から前穂高岳へ。重太郎新道を岳沢ヒュッテを経由して上高地に下る計画としました。
この時 24歳、それほどたくさん山の経験があるわけではありません。 元気さだけで長距離の岩山を気にせず登ってきました。
登山を始めてまだ4年目、人生経験もまだまだですが、今回奥穂高岳山頂に立って周りの山々を眺め 上高地を見下ろしたときこれまでにない感動を覚えました。 大げさですが、こうした体感ができることで生きている価値があることを感じたのです。
私が山へ行くきっかけとなったのは学生時代の合宿研修で木曽駒ヶ岳に登ったことです。しかし、今回 記録として作成していなかった山行記とヤマレコを書いてみて穂高の山行がこの年齢まで山歩きを続けてきた原点の体験だった と改めて感じました。奥穂高岳に登って感動したことで 次もまた新たな体験をしたいという推進力になっていると思うのです。
山に行き始めて60年、現在80歳。新型コロナの沈静化を待って山行を再開したいと思っています。
詳しくは次の「奥穂高岳・前穂高岳山行記」をご覧ください。
http://www.katch.ne.jp/~mota/tozan014.html
奥穂高登山は、一生の思い出になったのですね。お天気に恵まれたようで、山頂からの景色を見たら、もう感動しかありませんよね。
上高地の混雑は今以上で、凄いブームだったのですね。
shibatyanさん、ありがとうございます。当時は第一次の登山ブームでした。
時間とお金はなかったけど、このころは若くて体が言うことをきいてくれたので楽しい時代だったと思います。
最初に深い感動を得たのは穂高でした。もう当時のパワーはありませんが、これからもいい山を味わいながら登りつつけたいと思っています。
Motaさん、はじめてコメントさせていただきました。
raku-inkyoと申します。
なんと言いましても、1964年当時の記録にしては、写真が凄いです。しっかり撮られていますよね。
当時は24才かと思いますが、既にカメラには精通しておられたのですか。
一般的に、山での写真と言えば、山を中心にした風景写真か、人物写真を撮るものですが、Motaさんは建物や建物の周辺も撮っておられます。
山の風景は、50年位経っても殆ど変わりませんが、建物は全然変わってしまいますので、それだけに貴重なんですよね〜。
奥穂高山荘、岳沢ヒュッテ、河童橋、上高地バスターミナルが写っている写真が最高です。
また、現在も現役でおられることが、驚きです。
まだまだ、素晴らしい過去記録が残っているのではありませんか。
是非ともアップして下さいませ。
raku-inkyoさん、過分なコメントをいただきありがとうございます。
やはり同年配の方には私の思いが通じたような気がしてとてもうれしく思いました。
決していい写真ではありませんが、当時の山荘や登山者の様子をアップしたらraku-inkyoさんのように懐かしく感じてくださる方がいらっしゃるかなあと思って過去ログを投稿しました。共感していただき大変光栄です。
ただ、私の写真撮影はいい加減なものです。今はデジカメになったのでたくさん撮影して、いいものだけをピックアップするというスタイルですよ。
なお、「過去ログその2」として、表銀座縦走を現在作成中です。そのうちにアップしますのでご覧いただければ幸いです。
ありがとうございました。
素晴らしい山行記録をありがとうございます。山を思い続ける真摯な姿勢に脱帽いたしました。当年取って59歳の私は、「若い頃のようには登れないな」などと嘆いていました。が、80歳の大先輩のお姿に、まだまだやれると思いなおしました。緊急事態宣言が出ている折、山にはまだ行けません。しかし、このような素晴らしい記録を拝見させていただき、登山再開への希望になりました。
negiさん、過分なコメント痛み入ります。
私も1歳年上の山の先輩から「とにかく山行は続けるべし」と、定年・リタイアした頃にいわれて山に行き続けているのです。
それに5年前になりますが、念願だった北岳・間ノ岳に行きました。そのとき同宿した方が83歳だとお聞きしてびっくりするとともに、大きな励ましをいただいて帰ってきました。やはりしょっちゅう近くの山へ登っておられるとのことで、それが元気に山登りを続けられる秘訣のようです。
negiさんはまだまだお若いので前途洋々ですよ。
今年はこのあと40山の山行計画を立ててあるのですが、コロナ問題で実行できるか微妙になっています。一日も早く緊急事態が解けることを願っています。
ありがとうございました。
私たちは上高地〜横尾〜涸沢ヒュッテ〜奥穂高岳〜前穂高岳〜岳沢ヒュッテ〜上高地と歩きました。
こんなに詳しい記録も写真もありません。
当時は天気も安定し、今の不安定な天候を考えると、昔は良かったですね。
niasaiさん、コメントありがとうございます。
涸沢の方から登られたんですね。白出沢ルートよりも景色がよかったと思いますよ。
私の写真はアルバムから取り込んだものです。カラーは色あせていました。
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