【伊那山地】熊伏山 小河内川から
- GPS
- 13:15
- 距離
- 18.5km
- 登り
- 1,928m
- 下り
- 1,937m
コースタイム
- 山行
- 4:36
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:36
- 山行
- 6:57
- 休憩
- 1:24
- 合計
- 8:21
10/26【月】発(645)標高1050m二俣(840-900?)熊伏山(1100-1220)林道ゲート下山(1505)帰宅(2000)
天候 | 両日晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
ファイル |
(更新時刻:2020/11/03 08:28)
(更新時刻:2020/11/03 08:29)
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写真
装備
個人装備 |
ハーネス+メット
フェルト地下足袋
シュリンゲ+ビナ+ 確保器
防寒具
カッパ
シュラフカバー
マット
水筒
その他沢個人基本装備(ナイフや灯り地図磁石)
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共同装備 |
ツエルトかタープ
鍋
ストーブ(非常用)
焚き付け+ライター
ロープ20m
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感想
南部信州の気になる山、熊伏山の小河内川の下流部はくねんくねんの函記号があり、松がこれを遡行すべしと唱えてきた。4年前の万古川完全遡行の子分各として。記録未見のため、3日を当てたが、手こずると言うほどではなく、まったり2日で終えた。手こずらなかったけれども美しい川で、温泉にでも入ったように心がポカポカする良い沢だった。
退社と同時にザック背負って岐阜の松宅に前夜泊。小豆入り玄米おにぎり嫁さんに作ってもらって翌朝5時発で天竜川へ、2時間半で到着。恵那山の上の方、白くなっていた。
シカ柵ゲートで支度して遠山川二股目指すと、二人の古老にあいさつ。伊那谷の古老らしい、陽気で気さくな人達だった。「きっとマツタケあるぞう。エッ景色見るだけかい?」(軽トラのたぶん80代)。「若い頃は年に2度、2時間で登った」(PTボトルにえんどう豆持ったたぶん80歳前後)。
小河内川を遠山川出会からスタート。地形図通りに両岸崖になるが沢底は広い。標高500mを越えた屈曲あたりから、抜けられない滝があり、右岸を巻く。その先には美しい侵食で磨かれた洞穴のような函。手前には青い釜。寒くて泳ぐのは無理なのだが、その先にも結構な滝があるようだ。ここは小さくは巻けない。ここから先は両岸の壁が高くなってしまう。少し戻って左岸の急斜面、遥か上に道路のガードレールが見えた。樹林がかろうじてつながっているところを地下足袋の親指ツッコミホールドで登る。土砂崩れで垂れ下がったガードレールに助けられた。そのまま整備された道路を登山口の橋まで。下流部はここまで。凄いのを見られて満足。
登山口方向の橋を渡らずにまっすぐ進み、小河内川本流を行く。いきなりダブルの堰堤、左岸を巻く。この堰堤を作るために立派な林道とトンネルを作ったのだ。期待していた660mの屈曲部は、手こずるものは何もなし。標高700m右岸に、石垣組んできれいに平らになった河岸段丘があり、炭焼き窯がある。すごく快適なところなのでここで泊まることにする。炭焼は新しいものでも多分昭和30年ころと思う。満洲開拓移民の多かった伊那谷では、外地から引き揚げてきたり復員したけど実家に田畑の無い次男三男が携わったのだと思う。70年前の人々の営みを想像し、火を焚いて9時間もごろごろしていろんな話をする。タープと冬シュラフでぬくぬく眠る。
思ったよりも手こずらされなさそうだ。小滝、滑滝が次々現れるが、どれも美しく、脇を登る。ひとつ左岸を高まいたら、15mの崖の上というのがあり懸垂する。ロープが20mだったので、二度に分ける。
詰めは傾斜を増すが樹間の雰囲気なども良く、美しい山である。山頂少し南の稜線に上がった。山頂は紅葉していた。晴れ渡り、馴染みない深南部の山が正面。聖岳にわずか新雪が乗っている。茶臼、加加森、池口と来て、テカリがその後ろにあるのを松が指摘した。山肌に印があるという。そのぐぐっと右は大無間山、黒法師など。遠州深南部の山の姿を記憶し、また地形図を見て新しい山行の夢が生まれる。お茶を沸かしてのんびりする。
下山道平岡ルートの上部はカラマツの落ち葉が急斜面でよく滑り、フェルト地下足袋で往生した。尻もち数十回。肘を強く打ったりした。傾斜強く、踏み跡もかなり薄く、迷いやすい難しい道だ。崖のすぐ横も多い。下半分の沢沿いもかなり危ないところに道がついている印象。油断できない。ぼうっと歩いていると、前に道がなく、キョロキョロするということが多い。鉄橋から下は整備され過ぎなほど小綺麗な道。平岡の集落は円形競技場の半分みたいな立体集落で、魅力的。電車で来てトコトコ歩いてというのが理想なんだけど。
天竜対岸の阿南から順光の熊伏を最後に眺めた。中央構造線と伊那山地の延長でありながら遠山川によってぶった切られている独立山塊で、モコモコと盛り上がる様が勇ましい。松本から来るより、名古屋岐阜のほうがちょっと近いかな。高齢化している天竜川左岸地域の集落は今のうちに訪ねておきたい地域だ。
瑞浪駅まで乗っけてもらい、中央線各停で名古屋に帰宅。自宅近くの銭湯に下駄つっかけて行き汗を流す。番台のばあちゃん88歳に聞くと昭和初期からで、名古屋空襲で丸焼けになって昭和24年再建の風呂。あれこれ懐かしいタイル画や窓枠、建具や看板や鏡なんかがある。薪焚いてやっている。金太郎が人間大の鯉と相撲とっている絵柄のでっかい入れ墨を背中に入れた優しそうな兄ちゃんと湯船に浸かる。またここで会えるかな。
4年前の万古川溯行から金森山々行に続く、伊那山地への第二弾山行は熊伏山を目指した。
素晴らしい秋空の元、記録未見のクネリ沢をトレースできた。戦後昭和の人跡残る炭焼窯跡地の平坦地で火を焚き、花崗岩主体の清潔な空間を二人占めした。予想した程度のゴルジュあり滝はそこそこの、今の我々には程好い刺激で溯上、藪漕ぎもなく山頂に導かれた。
良い季節、良いタイミングで溯行、登頂出来て大変満足した。
我々に、こんな名のある山の登路として得難い未記録の沢を取り置いてくれる21世紀という時代は、まだまだ捨てたものではない。
『やれやれ、われわれ登山者はいったいいままでなにをしてきたのだらう。【服部文祥著;百年前の山を旅する P.157より】』
※【2020.11.3 遡行図と記録書きました】
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